Phase.169 『ミケさん その2』
「良継くん、良かったら、これ飲んでねー」
「え? ええ! いいんですか、頂いても」
「いいのいいの、どうぞどうぞ。遠慮は無用だよー」
メイドカフェ。ミケさんに店内に案内されると、そこには他のお客さんやミケさん以外のメイドさんもいた。でもミケさん以外のメイドさんは、僕の方をチラリと見た後、特に話しかけてくる様子もない。
一番端の席に通されると、ミケさんはアイスミルクティーを持ってきてくれた。
「で、でで、でもこういうお店は確かチャージ料とかあるんじゃ……時間制とも聞いた事がありますし、僕……」
「うっふっふっふ。そんなこと言って良継くん、今20万円って大金持っているでしょ? それだけあれば、このお店で豪遊できるよー」
え? なぜ、そのことを……何処かで見られたのか……一瞬、背筋がひやりとした。でもミケさんは続けて予想外の事を言った。
「冗談冗談、心配しないで。今日の所は私が良継くんを、私が強引に誘った訳だし……」
「ご、強引ってそんな。僕はミケさんに助けてもらいました」
「そう言ってくれるんだ。ありがとう。まあ、だから今日は私のサービスだから、他のメイドさんは、話しかけてもこないと思うけど、チャージ料金はおろかそのミルクティーもサービスだから一切お金はかからないよ」
初めてあったばかりなのに、そこまでしてくれるなんて……だけどミケさんは僕が大金を持っている事を知っていて、その金額もピタリと当てて見せた。その事があって、感謝はしているものの、何か変な気持ちになってしまう。
この人は僕を市原達の魔の手から救ってくれた。感謝こそすれ警戒するべき人ではないのに……
俯くとミケさんは、僕の顔を覗き込んだ。とても可愛い。ミケさんの顔が僕の顔の真横にきて、僕は思わず赤面してしまう。
「ん? あの不良さんが心配? なら、ここに1、2時間もいればきっと諦めるか何処か別の場所に行くよ」
「い、いえ。そうじゃなくて……折角ミケさんが僕を助けてくれたけど、僕を追いかけていた市原達とは同じ学校だし……明日また学校にいけば、捕まってボコボコにされるんだろうなって。ここの代金もそう……折角ミケさんがサービスしてくれたのに、このお金も全部むしり取られる。いや、今日の事があったからもっと請求されるに違いない。そんな事を考えると吐気がして……いっそ、自殺した方が楽になるんじゃないかって……」
ミケさんは可愛くてそれで優しい……女の子にこんなに気さくに話しかけられて、優しくされる事も僕の人生にはこれまでなかった。だからつい自殺した方が楽だとか、馬鹿な事を口走ってしまった。
だけどミケさんは、眉一つ動かさずに僕の学校のカバンを見つめていた。いや、正確にはカバンでなくカバンにつけていたファンタジーゲームのキャラクターの缶バッチ。
「うわー、これ私も大好きなゲームだよ! なるほど、良継くんはこの子押しかー!! 私は別のキャラなんだけど、この子を押す気持ちは解るよ! うんうん、解るなー」
「はははは、ミケさんも好きなんですかこのゲーム」
俯く。そしてまた馬鹿な事を口走る。
「僕、ゲーム大好きなんです。ファンタジーゲームは特にプレイしてます。たまに思うんですけど、よく転生ものとか転移ものってあるじゃないですか。あれ、本当にあればいいのになって思います」
今度は、きょとんとするミケさん。高校生にもなって、何を恥ずかしい非現実的な妄想を言っているんだ、僕は。だけど、ミケさんは僕のその口走った事に対して、また驚くことを言った。そう、背筋が冷たくなるような感覚。
「転生じゃなくて、転移だけど異世界には行けるよ」
「え?」
「異世界へは行けるって言ったんだよ。実在するんだよ、異世界は。なんなら、証明してみせよーか。フフフ、行ってみる?」
とうぜん、僕が変な事を言うからミケさんは僕をからかいだしたんだなって思った。
「そ、そんな話……」
「それじゃあなぜさっき、そんな話をしたの? それって異世界なんてあるなんて思ってもないとは言っているけど、心の何処かにあればいいなあって思っている。少しは、その夢みたいな事が現実に起きないか期待しているって事でしょ? 私は、その答えを持っている。だから答えてあげているんだよー。異世界はあるよー」
「そ、それは流石に信じられないですよ」
「ええーー。自分は信じたいと思っているのに? そんな世界はないって諦めてはいるものの、わずかに期待している自身もいるのに、そんな事をいっちゃうー?」
「で、でで、でもそんな異世界があるだなんて……そんな事、いきなり言われても信じられな……」
「おい!! 貴様――!!」
唐突に店内にいた客の一人が立ち上がって、僕を指さして怒鳴った。
「え? ぼ、僕?」
「そうだ、貴様だ!! 貴様以外の不届き物がこの店の何処にいる!! さっきから聞いていればいい加減にしろよ、大谷良継!!」
え? なんで僕の名前を……ってよく見ると、同じ学校の生徒だ。
二つ隣のクラスの……小早川秋秀。学校じゃ凄く暗くて、いつもぶつぶつ呟いているオタク……そう、僕と似ているなと思った事がある奴。こいつ、こんなに大きな声を出せたんだ。
小早川はメガネをクイックイっと何度も持ち上げると、こちらに近づいてきて言った。
「貴様のさっきからのミケ様に対する態度、なっとらんのじゃああないのかね? んん?」
「小早川君……君もこの店に来ていたんだ」
意外だというような顔を見せる小早川。
「……ほう、頭の悪そうな不良に、虐められているだけのオタクだと思っていたが、一応我の名を知ってはいたかね。これは驚きだ」
我? こんな喋り方をする奴にも見えなかった。こいつ……学校とここでだと、物凄い違うと思った。
「そ、それでいきなりなんなんだ? ぼ、ぼ、僕に言いたいことはそれだけなのか?」
「ふうーー、やれやれ。ミケ様。この哀れな虐められし可哀そうな人間を、お許しください。こいつは、虐められすぎて人を信じる事を失ってしまったのです」
「は、はあ!? な、なにを言って……」
小早川は、物凄い勢いで詰め寄ってきた。
「ミケ様に謝罪せい! 貴様のそのミケ様に対する態度は断じて許すまじ!!」
「だ、だからなんだよそれ?」
「異世界の話だ。ミケ様が貴様の事を思って、異世界の事を教えてくださったのに、貴様のミケ様をみる態度……まるで嘘つきでもみるかのようなものだった」
「だだ、だって……」
「ええい、沈黙せい!! 我が今この場で哀れな貴様に、異世界はあるのだと証明してみせよう。その代わり、それで異世界が本当にあるのだと立証されたら、ミケ様にその頭を垂れて許しをこえい。いいな」
い、いいなって言われても……
市原達に金をよこせと脅され逃げ出した辺りから、思いもしないような事が連続している。ミケさんとの出会いに、ミケさんに案内されたメイドカフェで同じ学校の生徒との出会い。
しかも二人とも、異世界があると言い始めた。小早川に至ってはまるで、なんか変な胡散臭い宗教の勧誘のような臭いすらする。
だけど今この場で証明すると言った小早川の言葉に、なぜか密かに期待している自分がいた。明日、もしかしたら僕は市原達になぶり殺されるかもしれない。それならなんだっていい。
異世界なんてあるんだったら、僕に見せてみてくれ。本当にあるんであれば――なぜか息巻いている小早川を見つめて、僕は心の中でそう言った。




