Phase.140 『蚊』
鈴森は改造エアガンを構えると、一人で森の中を歩き始めた。
「おい、鈴森!!」
「大丈夫、見えるところにいる」
「それはそうだろうけど、気をつけろよ!!」
こちらを向かずに、手を挙げて返事をする鈴森。頼りになる男だけど、心配性の俺はどうもその行動が気になって仕方がない。
鈴森も、今や大切な仲間だ。俺はリーダーとして、第一に皆の安全を考えなければならない。『異世界』に挑んでいる時点で、矛盾している事なのかもしれないけれど、それでもそう思う。
翔太は、落ち着きなく周囲をキョロキョロと見ている。
「でもよー、ユキー。ここ、俺達の拠点からかなり近いよな」
「ああ、目と鼻の先だな」
「この足跡……昨日も、もしかしてここにゴブリン共が来て、潜んでいたのかな? だとしたら、もうそこが川エリアだろ? 有刺鉄線と川を挟んで、俺と孫いっちゃんはテント張っていたわけだけど、ぞっとするな。そんな近い位置にゴブリンがいたのかもしれないって思うと」
「そうだな。俺と未玖も、丸太小屋で寝ている間に窓の外の辺りまで、ゴブリンに近づいてこられて襲撃されたからな。翔太と鈴森もテントで眠って起きたら、目の前にゴブリンがいて、顔を覗き込んでいるかもしれないな」
「やめろおお、ユキーー!! ちょーーこえーこと言うなよ!!」
「はははは、でも本当だぞ」
悲鳴をあげている翔太を見て笑っていると、北上さんと大井さんも、俺達の会話を聞いていたのか笑っていた。
「じゃあ今日から川エリアは、俺かトモマサに任せるか?」
「え? それはいいよ! 孫いっちゃんは、暫く川エリアで行動するみたいだし、俺も一緒にいるよ。誰かがここで拠点を守っていないと、俺達の楽園が脅かされるからな。それはさせんよ!!」
珍しく立派な事を言っているので、拍手をしてやった。北上さんと大井さんも一緒に拍手すると、翔太は急にデレっとして北上さん達の方を向いて頭を摩ってみせた。
「でもあれだー。ユキーやトモマサも、ここに来てくれていいんだぞ。その方が心強いのは、言うまでもない事だし」
「そうしたくても全員でそっち行くと、他の場所が手薄になるだろ。ゴブリン達がこちらの様子を窺っているのなら、森路エリアやスペースエリアとか、他のエリアも覗き見しているはずだ」
「なるほどー」
「でも何となく、翔太達のいる川エリアは、もう少し人がいた方がいいかもしれないな」
「そうしてもらえると嬉しいな。でもなー、アレだぞ。先に言っておくが、ここは虫が凄まじいぞ! 知っていると思うけど、昨日の夜も身体中を蚊に刺されて大変だった」
「明日は月曜日だ。またもとの世界へ戻った時にでも、蚊とかそういうのを退治するアイテムを買っておこう」
翔太のいうように、昨日ここへ来た時は沢山蚊がいて襲ってきた。
これだけの森だから、もちろん色々な虫もいるんだろうけど……ゲームやアニメなんかのファンタジー物であまり蚊が問題になってきる作品を見たことがなかったからうっかりしていたけど、もとの世界……日本の田舎、木々が生い茂る山や森などに足を踏み入れば確かに大量の蚊に襲われる。
虫よけスプレーやスモーク、それに蚊取線香でまずは対処しているけど、他にも何かいい方法がないか改めて考えてみるのもいい。
そんな事を考えながら再び、新たな何かを発見できないか森の中を歩いて調べていた。目の届く距離に翔太。そして北上さんと、大井さんもいる。
鈴森は…………あれ、何処だ? え? あれ……
もっと北側、向こうの方から鈴森が物凄い勢いで森の中をこっちに向かって駆けてきている。凄い形相だ。まさに必死と言った感じで、木の根に躓いて転んでも、直ぐに立ち上がってこちらに向かって走ってきた。
俺は翔太達にも知らせるつもりで、皆に聞こえる大声で叫んだ。
「鈴森―――!! どうしたあああ!! 何かあったのかあああ!!」
返事をしない鈴森。必死に転がるように走って、俺のもとに辿り着く。まさに死に物狂いという感じ。息切れ激しくも、何があったのか……
「はあ、はあ、はあ……蚊だ!!」
え? 蚊?
「蚊ってなんだ? 虫刺されだったら一応、塗り薬を持ってきているぞ」
翔太の言葉を聞いても、ブンブンと頭を横に振って否定する。
「はあ、はあ!! だから蚊だあああ!! 蚊が襲ってくるんだああ!! はあはあ!」
蚊!? 蚊が襲ってくる!?
鈴森が自分の膝を抑えつつも息を乱しながら、自分の走ってきた先を何度も指さす。
そっちから蚊が襲ってくる!? もしかして!!
俺は慌てて鈴森が走ってきた先を見る。すると向こうの方から、飛行する何かがいくつかこちらに向けて向かってきていた。大井さんが声を震わせて言う。
「な、何あれ?」
ようやく呼吸が整い始めた鈴森は、改造エアガンを抜いて、こちらに向かって飛んでくる何かへ向けて構えた。
「だから蚊だよ!! バスケットボール位かそれよりちょっとデカイ蚊が、突然何処からか飛んできた!! 幸い羽音で気づいて咄嗟に逃げたけど、奴ら追ってきやがったんだ!!」
ブウウウウウウン
鈴森の言ったように、バスケットボール程の巨大な蚊がこちらに向かって迫ってくる。
あんなデカイい蚊にもしも刺されでもしたら、いったいどうなるんだ? そう言えば『異世界』に来た初めの頃も、丸太小屋の寝室にあったマットレスに、ありえないデカさのダニがくっついた。それを思い出した。
翔太が慌てた声をあげる。
「どっどど、どうするんだ!? ユキーー!! 逃げる? 拠点まで逃げるか!!」
「駄目だ!! 逃げてもこいつらは飛んで追ってくるし、有刺鉄線も軽々と突破する。だからここで迎え撃つ!! 北上さん、大井さん!!」
「マジかよー」っていう翔太の声を耳にしながらも、俺はスマホを取り出して巨大な蚊に向けた。そして北上さんと大井さんの二人は、コンパウンドボウに矢を添えると、鈴森と同じように巨大蚊が迫ってくる方へ向けて構えた。




