Phase.10 『朝』
――知らない間に気を失ってしまって……というか、単に眠ってしまっていたようだ。
気が付くと、変わらず埃だらけの汚い小屋の中で座り込んでそのまま眠ってしまっていたらしい。やっぱりこの異世界は、夢の中の出来事とかそういうのではないんだと再認識した。
小屋の外から、チュンチュンと鳥の囀りが聞こえてくる。
窓まで這いずって行き、塞いでいる板を少し持ち上げると、薄い光が小屋の中に差し込んできた。外を覗き見ると、空は明るくなり始めているようだ。いや、二つの月はまだ見えるけど――だけど、もう朝と言った感じだった。
「夜が明けたのか……」
腕時計を見る。――――5時10分。
昨日の時点で、もう今日はオンラインゲームにログインできないなと思っていたけれど、まさかこっちの世界で初っ端から一晩過ごしてしまうなんて……愕然とする。
「っつ!」
立ち上がろうとすると、右足首に痛みが走った。見ると、足首にはタオルが巻き付けられており、血が滲んで赤く染まっている。それを見て、昨晩はこの異世界で狼の群れに襲われて、死に物狂いで草原や森を駆けて逃げ回っていた事を鮮明に思い出した。
しかしなぜか、恐怖だけではなくて何か熱いものも込み上げてきていた感覚も感じた。理由を探すと思い当たる節がある。
最初はスライムに襲われ、そのあと狼の群れにも襲われた。命からがら逃げて、もうだめだと何度も思ったけれど諦めずに森へ駆けこんだ。それでも狼共はしつこく追い掛けてきた。
このままじゃ喰われる。もうだめだ。何度もそう思った。だけど、俺は最後まで諦めずに足掻いて走り続け運よく森の中でこの小屋を見つける事ができた。
小屋に入る時も、狼に襲われた。俺は、死に物狂いで木刀を手に格闘した。
今でも、狼に飛びかかられ足首を噛まれ、それでも抵抗して木刀で殴りつけた時の事を思い出すと身体が震える。これは、恐怖だけじゃない。恐怖と共に何か興奮みたいな感情が入り混じっているのだと思った。
考えてみれば、小屋の扉に鍵がかかっていたり、扉が破損していて開かなかったりしても、俺は終わりだっただろう。それを考えると、とんでもない窮地を力と運で乗り切ったと言える。
「足の怪我は、もとの世界へ戻ったら直ぐに治療しないとな。ははは……」
もとの世界……そのワードを無意識に口にした拍子、俺ははっとした。もう一度時計を見る。そして、また一つこの異世界についての事に気づいた。確認しなくても、昨日の夜と今のこの感じと時間。断定できる。
恐らく、この異世界と俺のいたもとの世界の時間は、まったく一緒かもしくはほとんど違わない……だって、夜に転移してきた時、この世界は夜だった。そして今、朝になって時計を見てみても……
「や、やばい!!」
悲鳴にも似た大きな声をあげた。
そうだ! もしも……っていうか、きっと時間はリンクしている。だとすれば、今日は月曜日だ!! このままじゃ、会社に遅刻してしまうぞ!! まいった! 早く、もとの世界へもどらないと……
もう一度、窓に近寄ると板を持ち上げて、今度はそこから頭を出して小屋の外を大きく見回した。
「お、狼はいないようだな……流石にあれから何時間も経っているし諦めて何処かへ行ったか」
だとすればチャンスだ。小屋を出て、草原の方――女神像まで行けば、直ぐ俺の住んでいるオンボロアパートまでひとっ飛びだ。よし、やってやる!
懐中電灯で、小屋の中を照らし出す。すると今初めて小屋の中に色々な物があるのが解った。瓶やら何かの道具屋らが散乱している……埃も凄い。
小屋の中にあるものがちょっと気にはなったけれど、急がなければならないので早々に自分のザックと木刀を見つけて手に取り戻る準備をした。
出入口――扉の前まで行くと、狼の群れが雪崩れ込んでこないように積み上げて抑えていた木製のごっつい椅子四脚を移動させた。――ゆっくりと扉を開く。
ギギギィィイ……
「ほ、本当に狼はいないのかな……」
まずは頭だけ。そこから上半身だけを表にだして、小屋の周囲を見回して確認する。太陽の光。心地よい風。そして、小屋の周りを取り囲む森の中に差し込む木漏れ日が見えた。
狼のいる気配はしない。しかし、俺がいつか小屋から出てくると思って、待ち伏せて潜んでいた場合――狼は、気配を当然消して待っているのではないか。
慎重に注意深く行動せよという意識と、早く自宅に戻って会社へ行く準備をしなければという気持ちでどうすればいいのか解らなくなる。
すると、森から何かが飛び出してきて小屋近くの草むらに駆けこんでいくのが見えた。魔物?
じっと観察しているとその正体が解った。兎。可愛い兎が、今俺のいる小屋の周りを飛び跳ねて駆けまわっている。雀のような小鳥も何羽かいて、仲間と戯れたり草の間から地面の何かを突ついている姿が見えた。
こ、これは……これは間違いなく狼の群れはいない。こんなにのどかなのにいる訳がない。なぜなら、今目の前に見える兎や鳥だって狼の捕食対象なのだから。
この小動物が、これ程のどかにしているっていう事は、この辺りに狼はいないと思ってもいいのかもしれない。
「どちらにせよ、このままずっとこの小屋でじっとしていられないしな」
俺はそう呟くと、怪我をした右足を庇いながらも小屋の外へ出た。
「あれ? 女神像まで戻らなくちゃ……なんないんだけど、どっちだっけか?」
小屋は、森の中にある拓けた場所にポツンとあった。だから、周囲は草木に囲まれていて俺の目には何処も同じように見えた。




