第五十四話 〜逃走と代償、そして報酬〜
アクアがトレヴァー家の食事に手を出さなくなり、七日目の朝。
ルーシェルが出立を告げ、アクアへしばらく会えない寂しさを伝える。
アクアはベッドに横になったまま、ただ動かずルーシェルが去るまでの時を過ごす。
ルーシェルが、悲しい表情で部屋を出てから数刻、アクアはいつも通り起き上がり、軽く体を動かした。
ヒデヨシがラジオ体操と呼び、朝にやると仕事が捗ると言っていた軽い運動を真似する。
アクアの退屈な軟禁生活を支えたのは、やはりヒデヨシだった。
そして運ばれてきたのは、運命の食事。最後の午餐。
待ちに待った、脱出の時。
アクアの久しぶりな貴族の食事。
牛肉の味が濃い、赤身肉のステーキ。塩はともかく、領内で胡椒の生産は無い。
唐辛子という、刺激の強い香辛料が胡椒のかわり。
リンゴと玉ねぎベースのソースも同時に用意されていた。
贅沢なステーキの付け合せには、薄切りで揚げた芋、新鮮なサラダが添えられる。
しっかりと焼かれた肉、ナイフを入れれば肉汁がでて、食欲をかき立てる。
アクアは一切れ口にして、少し辛いと感じソースをかけた。
更に一切れ食べ、サラダに辛さの中和を求める。
そしてパンにも中和を求め、肉汁との調和を楽しんだ。
アクアは優雅に食事を楽しみ、リンゴのジュースで終える。
食後一息の後、ドアはノックされた。
「ハシバが手に入りました」
部屋の外から男が伝える。
「それは嬉しい報告ですわね、どうぞお入りください」
軟禁部屋のドアを開け、カールがアクアの前に立つ。
「待ちわびましたわ、さあカール行きましょうか」
アクアが笑い、カールへ手を差し出す。囚われの姫を救う王子へと差し出された手のように。
「殺してしまったのですか」
廊下に倒れる使用人、それらを見てアクアが言う。
「多分、生きていると思いますよ」
カールの言う通り、使用人達は苦しみ悶ているものの、確かに動いていた。
「無関係な方々が死んでしまうのは、あまり良い気分ではありません」
「ご配慮ありがとうございます。カール」
「俺も、別に殺したいわけじゃないですからね」
二人は廊下を真っ直ぐ走り抜け、乗ってきた荷車が止まる倉庫へと急ぐ。
倉庫には、既に警備兵が転がっていた。老若男女わけへだてなく倒されて昏倒している。
「凄まじいですわね、カール」
これだけの人数を、殆ど騒ぎにもならずに制圧して見せた男。
カールは驚いた顔をしたアクアを見ても、それの凄まじさには気がついていないようだった。
「アクア様、積み荷は減ってなさそうですよ、今のうちに出発しましょう」
「少し時間がありそうですわね、カールこの倉庫のものも、頂いていきましょうか」
伯爵令嬢アクアマリンは、したたかだった。
今後の旅路を考え、商材の仕入れを指示する。
脱出に消費した金は、しっかりと支払い相手から貰って帰る。
倉庫に備蓄されていた食料、金品などを適当に荷車につめていく二人の泥棒。
暴動を先導し、領主の邸を襲撃、金品を強奪して逃走する。
やった事を列挙すれば、囚われの伯爵令嬢脱出劇とは到底呼べぬもの。
そして荷車を引く犬達は、久しぶりの外出気配に沸き立ち、意気揚々と邸を飛び出し駆け抜ける。
目指すはジョーンズ男爵領。その道中で愛しい旦那様と再開する予定。
アクアは、抑圧されていた愛を解き放つ場所へ向けて、今突き進んでいる。
この脱出劇は、一人の伯爵令嬢とその仲間達の利のみを追求されている。
トレヴァーの街は、前線備蓄倉庫の襲撃事件で死傷者を出し、便乗した盗難事件で多数の逮捕者をだした。
主犯格の大男は逮捕され、処刑される。
男が経営していた酒場の後釜を狙って、裏の畑は豊富な肥料を得た。
多少なりとも会話し、人となりを知った邸の者達であればともかく。
誰かも知らない他人の事など、アクアにとってはどうでも良い事。
最優先は、自分と愛する夫と、家族達。これは誰にとってもそうだろう。
ジョーンズ男爵領の大農園、ここでは農奴が盛んに利用され、国を支える基盤産業となっていた。
その一つで、ヒデヨシは色の無い、心を殺した生活を送っている。
既に、恐らく一月はまともな会話をしていない。
ヒデヨシは、昔のようにただ仕事に打ち込んだ。
仕事に夢中になれば、他の事を考えずに済む。
達成もされず更新されない目標も、充実感の無さも、今まで仕事に対して感じたことの無い感情も。
没頭し考えず、ただ疲労の果てに眠りにつけば良い。
今日も、いつも通り目を覚ましたが、管理をしている男が始めて私に対して声をかけた。
「おいお前、今日は別の用事だ、一緒に来い」
恐らく、他で欠員でもでたのだろう、そう考えてただ男の後について歩いた。
行き先は男爵の邸で、管理者は邸の使用人に私を引き継ぎ、私は使用人に導かれる。
私はそこで服を着替えさせられ、身なりを整えさせられた。不足した使用人の補充。
農奴に比べれば遥かにマシな待遇、私は早速仕事が回されると思っていたが、部屋で待機するよう命じられた。
程なくして扉は開けられ、懐かしい女性が、可愛い獣人を連れて現れる。
金髪、青い目、私が選んだ髪飾りを付け、何とも言えない表情で、涙を流していた。
「ヒデヨシ様、よかった。ヒデヨシ様・・・」
女性の傍らから発射した子供、少し赤茶けた毛が全身を覆い、大きな耳と尻尾が跳ね回る。
「ヒデヨシさまあー」
ボロボロ涙を流しているその子供、ヒデヨシは受け止めた後、その耳に触れる。
「あ、ロー、・・・、ール。どう・・・て」
ヒデヨシの言葉は、上手く出ずに伝わらなかった。
「遅くなってしまい、本当に申し訳ございません。ヒデヨシ様」
ローズマリーは、ヒデヨシの手を取り、しっかりと存在を確かめた。
ヒデヨシは、ただ体が動き、ローズに体を預けるように抱きしめる。
震える手でローズの肩を取り、腰に手を回して、リールはその間で挟まっていた。
ローズもヒデヨシを受け止め、無言で抱き合う時間が過ぎる。
人の温もりに癒やされていく自分を感じ、ヒデヨシは安らかに目を閉じた。
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