第四十五話 〜オーガスト・グリムウェル・レイヴンクロスト〜
オーガスト・グリムウェル・レイヴンクロスト。
エドガーの決定は、ジェロニアでは何よりも優先される。
エドガーは、領民の罪を問わず、いち早く参上したオーガスト伯爵へグリムウェルの統治を命じた。
「お前がここを引き継げ、三ヶ月後にまた来る、それまでに結果を示せ」
武骨で、最低限の言葉。いつものエドガーだった。
エリザベートはその言葉を受け、軍も適当に動かし国へと帰る。
本当につまらなそうな顔をエドガーに向けた後、ゴルダンに後始末を命じた。
グリムウェルは、完全なジェロニアの支配下にはならず、その行き先は新しい国主に委ねられた。
オーガスト伯爵は、自身の野望についてただ考える。
結局、ヒデヨシはグリムウェルでは見つからない。
それどころかグリムウェルの住民は、ヒデヨシ準爵の事を知るものがほとんどいない。
授与式に参加した貴族も、ラボに住む商才に優れた男だという知識に留まる。
行き先も、潜伏先もなんの情報も出なかった。
そして、グリムウェルの領民は、連日のようにローレンタールの解放を嘆願する。
良い領主、良い国主とはなんなのか。
それは、苦しい状況に周りが助力を申し出る人物。
私がグリムウェルを手に入れようとした理由は。
領の統治に満足し、さらなる権力を求めた。
始まりはそれで間違い無い、だが今でもそうだったのか。
私はただヒデヨシが憎く、その鼻をあかしてあざ笑う事に快楽を見出した、という事は無いのか。
交易路が発展し、クロストの技術は国中から求められ、需要に伴う供給に潤っていた。
私はグリムウェルを手に入れた、その結果が私を今苦しめている。
ラボへ向かう犬車の中、自身が作り出した迷路で迷い、出口は無いままヒデヨシ邸の前で犬車が止まる。
オーガスト伯爵は、ここでも絶対的なものを見る。
ラボには、ヒデヨシの痕跡が存在しない。
居なくなった、とは思えなかった、居なかった。
住民は、元々そうだったように何も変わらない日常を過ごしている。
ローズマリー様が所長をしていた研究所は、副所長がそのまま運営している。
ヒデヨシ邸にはタダンという商人が住んでおり、メイドのカナンが世話をする。
ダリスの子供がここに住んで居たはずだ、だがそんな痕跡などどこにもない。
ローレンタールの言葉を聞き、その真意に気づいたラボ。
ヒデヨシに対する絶対的な信頼は、その存在を一切口にしない事で示す。
誰一人疑う事もなく帰還を信じ、指示を引き継ぎ、淀みなく日常へ戻るラボの住民。
私は、存在しない人物の影を追い、住民を問い詰めたが、一人として望む答えを返す者は居ない。
行き先や潜伏先どころではない、元々そんな人物は存在しない。
ラボの返答はそれだった。
私は、これほどまでに信頼される人間になる事はあるのか・・・。
「ええ構いませんよ、存分に邸の中を御覧ください」
タダンは、商人特有の笑みを浮かべながら、オーガスト伯爵を邸に迎え入れる。
既に伯爵は、わけのわからぬ焦燥に囚われ、すがるようにヒデヨシ邸へと足を運んだ。
客間でもてなされ、クロストの茶器でカーサス紅茶、カーサスの茶菓子を振る舞われる。
オーガスト伯爵は、客間で一呼吸置いてから書斎の扉を開いた。
ヒデヨシの、現在はタダンの書斎。
オーガスト伯爵は、そこで壁一面に置かれた本棚を見る。
窓と扉以外、壁は全て本棚で埋められている書斎。
「なんだ・・・、これは・・・」
オーガスト伯爵が息をのみ、タダンは気にせず机へ向かう。
「どうされましたか、オーガスト伯爵様」
書斎・・・、その表現は本当に適切なのか、まるで図書館のような蔵書の数。
本という希少な物が、一個人の書斎にこれほどの存在して良いはずがない。
「この本は、なぜこれほどの量を持ち出されているのだ」
「持ち出された・・・、ああ、こちらは全て、とある方がこの一年で書いたものです」
「ゆっくりご覧いただいて構いませんので、そちらのソファにお座りください」
オーガスト伯爵はその言葉を信じる事が出来ない。
グリムウェルの議事堂から運び出されたと考える事が、あまりにも納得がいく量なのだ。
その思いのまま、伯爵は本を一つ手に取る。
『街道の管理と宿場の役割について』
癖のある字で、その本はしっかりした分析と主観を交えて書かれている。
『経済学の落とし込みへの分析』
同じ癖字、分析の手法は同じ、主観の書き方も先程の本と似ていた。
『農地の開墾と管理、土地代の概念』
やはり同じ癖字、著者が同じであることを疑うことが出来ない。
『資本主義』
もう理解はしている、ここはヒデヨシの書斎。
見たことも無いタイトルの本、その全ての著者がヒデヨシ。
『改訂版①農業研究書〜育成の章〜』
急に本の性質がかわり、丁寧な文字と主観は無く、育成手順についての指南書。
「ああ、その本は著者が違いますね、そういえば全てではございませんでした」
「失礼いたしました、オーガスト伯爵様」
「いや、いい、もう十分にわかった」
オーガスト伯爵は、本の目次や書き出しを見て、ソファの袖机に本を積む。
そして、本を読むだけの時間をただ過ごした。
ヒデヨシを追いかけるように、本を読み進める。
予想し、実践し、分析し、修正し、再考する。
ヒデヨシの軌跡は、失敗の繰り返しだった。
失敗から学び、次第に洗練されていく険しい道のり。
遥か高次元の知識を持ち、それを次第にこの世界へと落とし込んで行く。
私は、ヒデヨシの正しい姿を見ていなかった。
ただ、この世界にない知識を振りかざし、優位に成功を暴食している。
出来て当たり前な事を周りから評価され、調子に乗る矮小な存在。
これだけの分析、努力の軌跡を見て、まだそんな事が言えるだろうか。
努力で成功の確率を上げ、成功後も油断なく維持を模索する。
知識の優位は確かにある、召喚者なのだ、高度な文明を持つ世界から来たのだろう。
だが、それだけを頼りにしている凡愚などではない。
ラボの住民はこのヒデヨシを知っているから、圧倒的な尊敬と信頼が生まれた。
そしてヒデヨシが抜けてもラボが変わらないのは、ここに全ての指示が残っているから。
皆が指示に従い、ヒデヨシの帰還前に可能な限り進める為に動く。
これほどまでの人物、私は大きな海を知らず、井の中の蛙はただ、矮小なプライドを保ちたかった。
ヒデヨシの足跡を追い、オーガスト伯爵は時間を忘れて本に没頭する。
タダンに声をかけられ、今宵はここの客間で過ごす事にした。
続きが気になる時は、応援の意味も込めてブックマークや感想など頂ければ、モチベーションにつながります。




