カインの嘆き6
帰国後、レイナードはしばらく自らがお忍び中にまとめてきた商談の後処理で忙しくなった。
この商いをどの商会に任せるか、利益の配分はどうするのかということを議会にかけないといけないらしく、王城の文官とともに真面目に仕事をしている。
議会で、厭味ったらしい重鎮に「それよりもまず、そのロシーゼル商会のご令嬢と恋仲になって、婚約者であるビルハイム伯爵令嬢に対して働いた不貞行為に関してどう申し開きをなさるおつもりか」と問われたレイナードは、しれっと言ったらしい。
「ナディア・ロシーゼル嬢は親しい友人です。不貞行為とは具体的にどのようなことをおっしゃっているのでしょうか。その情報の入手先は?まさか、あなたほどの方が10代の学生の噂話を鵜吞みにしたわけではありませんよね?」
そして記録係に、この一連のやり取りを公の場での発言としてしっかり記録しておくようにと指示を出したため、王太子をやり込めてやろうという発言はその後一切なく、粛々と議題に沿った会議が進められたという。
レイナードが議会で奮闘している間、俺はステーシアがどのように休暇を過ごしているのかを監視する任務を任されたのだが、彼女は相変わらず破天荒だった。
俺たちがこの国を離れている間には、彼女はなぜか変装をして偽名を使い、騎士団の体験訓練に参加して暴れまわっていたらしい。
また、あのパーティーの日にステーシアのエスコートを務めたルシード・グリマンとの親密度が増していて、連日のように魔導具研究室を訪れていた。
ルシードに嫌がらせをする継兄のディーノをこらしめて投げ飛ばし、遠くから見ていた俺にもはっきり聞こえる大声で「どうだ!」と言って笑っていた。
「どうだ」じゃねーし!
目を回して友人たちに担がれているディーノを見て、レイナードが船酔いしない理由がわかった。
俺もレイナードも生まれて初めての船旅だったのに、どうして俺だけこんなに…と思ってレイナードに聞いても「さあ、何でだろうね?」なんて本人もよくわかっていなかったようだが、ステーシアに幼いころから振り回されて鍛えられていたってことか。
その翌日、ステーシアは人間離れした速さで運動場を駆け抜けていた。
普通の女子なら、あんな速さで走ろうと思っても足がついていかないだろうが、なんせ2階から飛び降りてもビクともしない足腰を持つステーシアだ、余裕すら残す笑顔を見せて、その様子にグリマン兄弟は何やら慌てていた。
そして、ステーシアが騎士団のキャンプ体験にまた変装して参加する予定だという情報を入手し、それをレイナードに伝えると、レイナードは張り切りだした。
「よし、俺たちも変装して参加しよう。それまでに執務を全て終わらせておかないとな」
執務に励むのはいいことだが、「俺たちも」ってどういうことだ。
俺も参加しないといけないのか?
勘弁してくれ。
そしてまた王妃様に呼び出された。
ナディアの件の報告なら帰国後すぐに済ませていたから、キャンプに関することだろうかと思いつつ、いつものように羽扇子で口元を隠す王妃様と対峙した。
レイナードのみやげである貝細工の髪飾りが、金糸のような綺麗な髪とともに揺れている。
「昨日、いつものお茶会にね、懇意にしているグリマン男爵夫人も参加されたのだけど…」
いつものお茶会とは、王妃様が月1回ペースで催している王城のテラスで行われるお茶会で、貴族のご婦人方を招いて優雅なひとときを過ごされるわけだが、王妃様はそこで様々な流行や噂話を入手しているのだ。
グリマン男爵夫人といえば、魔導具師の家門でルシードの継母だが?
「遠慮がちではあったけど、早い話が、もしもレイナードが婚約破棄することになったら、ステーシアちゃんはグリマン家が面倒を見たいという申し出だったの」
なるほど、グリマン兄弟にも夫人にも気に入られたというわけか。
確かにルシードと一緒にいるときのステーシアは常に笑顔だ。
尻に敷かれるのは間違いなさそうだが、正直とてもお似合いの二人だとも思う。
魔導具の実験台としても、あの屈強な体は最適だ。
だが、「もうそれでいいんじゃないっスか?」なんて、この人の前では口が裂けても言えない。殺される。
「せめて、長期休暇が終わるまで猶予をください。なんとかしてみせます」
深々と頭を下げると、王妃様のため息が聞こえた。
「苦労をかけるわね。わたくしは、レイナードの花嫁にはステーシアちゃんしかいないと思っているのよ。頑張ってちょうだいね」
あの野暮天め~~~っ!
その日の夜、俺はリリーに会いに行った。
ダリル家の執事に火急の用件でどうしても今すぐ話したいことがあると必死に訴えると、渋々といった様子で書庫に案内してくれた。
リリーは机で何かを熱心に書いていた。
ランプに照らされた横顔は、唇をわずかに尖らせている。リリーが集中しているときの癖だ。
「楽しそうだね」
声を掛けると、リリーはゆっくりと顔を上げ、時計を確認してからこちらに顔を向けた。
「まあ、カイン。こんな時間にどうしたの?」
「リリーにとっては朗報だ。ステーシア嬢は婚約破棄になっても国外追放にならないし、仮に命を狙われたとしてもグリマン家の魔導具が守ってくれる。といっても、あの子は強いから守る必要はないだろうけどね」
セントームの港町で買ったネックレスをポケットから取り出し、リリーの首にかけた。
雫の形をしたチャームは、光の加減で虹色にもエメラルドグリーンにも見える夜光貝だ。
「これを渡しておきたかった。次は俺が王家から命を狙われるかもしれないから、そうならないようにもうひと頑張りしてくるよ」
上手く笑えているだろうか…そう思った時、リリーが椅子から立ち上がって俺の胸に飛び込んできた。
「あの日は言い過ぎたわ、ごめんなさい。あなたの代わりなんて本当はいないから、早く戻って来て」
「わかった」
久しぶりにリリーをぎゅっと抱きしめて「充電」したあと、お互いに見つめ合い、そっと口づけを交わしたのだった。
そしてこの数日後、レイナードが「お忍び」で参加した騎士団の体験訓練で、とんでもない事件が起きてしまったのだった――。




