カインの嘆き1
――時は少し戻ってカイン目線――
「それで?ネックレスを突き返されて、お兄様に罵られた挙句、逃げられたってわけね?」
羽扇子で口元を隠しているため、どのような感情であるかは声色と目で推し量るしかないが、怒っているというよりは呆れている、そして面白がってもいる、といったところか。
「ステーシアちゃんの大胆に胸が開いたドレスとネックレス、見たかったわ」
少し拗ねたように首をかしげる姿は、親子でそっくりだ。
扇子の向こう側では、頬をぷくっと膨らませているんじゃないだろうか。
17歳の息子がいるとは思えないほどのあどけなさを残しつつ、視線の動かし方や白くて細い指先の仕草にはしっかりと大人の色気もある年齢不詳の王妃陛下。
そう、目の前の彼女は、この国の王妃でありレイナード王太子殿下の母親だ。
「大変お綺麗でした。殿下は完全に釘付けになっていらっしゃいました。ナディア様を俺に押し付けて追いかけて行ってしまわれましたから」
「そして、ネックレスを持ってしょんぼりしながら戻って来たんでしょう?呆れた。不器用なくせにナディア嬢のことを助けてあげようだなんてするからよ。随分と拗れてしまったわね」
「申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
「殿下とステーシア様との関係は必ず修復させます。ですから、もうしばらく猶予をください」
ふふっと笑い声が聞こえて、この人はやっぱり面白がっているんだなと思いながら顔を上げた。
「1年前はあんなに嫌々、仕方なく引き受けますって雰囲気だったのに、どうしたの?必死ね」
どうしたもこうしたもないっ!
必死になった理由は、レイナードのアホが婚約破棄になったら、俺まで婚約者に愛想尽かしされてしまうからだ。
ねえ、カイン?わたしもう、ステーシアはこのまま婚約破棄になったほうがいいと思うの。
あんな野暮天のお坊ちゃまに嫁ぐなんて、もったいないわ。
ステーシアが国外追放になったら、わたしも一緒について行こうと思ってるの。
え?あなたとの婚約?
そんなの破談に決まってるでしょう。あなたの代わりはいくらでもいるけど、ステーシアの代わりはいないもの。あなたは一生、あのお坊ちゃまの面倒を見続けたらいいんじゃない?
そう言われてしまったのだ。
俺の婚約者のリリー・ダリルに!
あなたの代わりならいるってどういう意味だ。
冗談じゃないっ!
事の発端は、1年前。
高等学院に入学直前のことだった。
婚約者であるリリーとともに、王妃様から極秘任務を仰せつかったのだ。
ちっとも進展しないレイナードとステーシアの仲を、もっと甘い雰囲気にしてほしいと――。
父は国王陛下に仕える宰相で、いずれ自分もそうなりたいという野心もあるし、「おまえと王子が同学年になるように、王妃様のご懐妊がわかってすぐに子作りに励んだ」とか浪漫の欠片もないことまで言われても、その期待に応えようと努力してきた。
ちなみに、もしもレイナードが女だったり、俺の方が女だったり、性別が違っていた場合は、レイナードの婚約者にするつもりだったらしい。
冗談じゃない、あんなヘタレで面倒くさい男と結婚だなんてまっぴらごめんだ。
このぶっちゃけ話を聞いた時は心底、同性でよかったと思ったものだ。
それこそ生まれた時から家族ぐるみでの付き合いをしてきた俺とレイナードの仲だ。
彼が10歳で婚約したことも、そのお相手が屈強な騎士を多く輩出しているビルハイム伯爵家のご令嬢であることも、もちろん知っていたし、そのステーシアとは面識もあった。
ステーシアはとにかく「おてんば」で、巻き込まれて叱られるのが嫌だからレイナードがステーシアと一緒に遊んでいる時は近寄らないようにしていた。
レイナードはいくら叱られてもいつも必死にステーシアについていこうとしていて、その様子はまるで姉と弟のようだったけれど、裏を返せばそれほどまでに二人は親密で相思相愛だったということだ。
女の子のように可愛らしくて泣き虫だったレイナードの雰囲気が変わったのは、ステーシアとともに森で吸血コウモリに襲われた後からだ。
無傷のレイナードに対し、ステーシアはひどいありさまだったという。
このときからレイナードは、次は自分が守る側になると決意して剣術に励むようになり、それと同時にステーシアと婚約したいと自ら陛下に申し出たらしい。
レイナードは、お妃教育が始まり忙しくなったステーシアと過ごす時間より、俺と共に剣術に励んだり勉強する時間の方が長くなった。
いつの間にか俺よりも背が高くなって男らしくなり、それでも王妃様譲りの美しさも兼ね備えているレイナードは「美丈夫」という言葉がぴったりな青年になった。
ところがだ。
外面が完璧なためにみんな騙されているが、レイナードの中身はヘタレでポンコツなままだった。
俺と二人っきりでいるときは「シアが」「シアが」とよくまあそんなに婚約者の話ばかりできるなというほどにデレデレの溺愛のくせに、当の本人を前にすると「好き」の一言も言えないのだ。
お妃教育はかなり厳しいものだと聞いているため、せめてステーシアと二人のときぐらいはうんと甘やかしてやれと言ったら、何をどう勘違いしたのか甘いものを食べさせてあげればいいと思ったらしく、「シアはマカロンが大好物で…」とか言いやがるポンコツぶりを発揮してくれた。
子供の頃から婚約者が決まっている場合は「政略結婚」であると、とらえられがちだ。
実は子供の頃からずっと好きでした、というレイナードのような場合もあれば、俺とリリーのように本当に最初は政略的な意味合いでくっつけられたけれど、お互いを知るうちに愛情が芽生えていく場合もある。
何にせよ表向きの形が「政略結婚」であるときは「愛情がないまま結婚させられた」と相手に勘違いされないようにきちんとお互いの気持ちを確かめておかなければいけない。
だから俺は、高等学院に入学する前にあらためてリリーに言った。
「リリーの婚約者になれて本当によかった。好きだよ、ずっと大事にする」
二人きりのときにそう伝えると、リリーはとても喜んでくれた。
「ありがとう。わたしもカインが大好きよ」
柔らかい体を抱きしめて、触れるだけの口づけを交わした。
義務感から、とかではない。
想いがあふれるように「好きだ」と甘い言葉が漏れてしまうことも、ずっと触れていたいと思うことも当然のことだ。
なのにあいつときたら、「恥ずかしすぎて、好きだなんて言えない」だの「おまえ許嫁とそんな破廉恥なことをしているのか!」だのと顔を真っ赤にして言うものだから、おまえ一体いくつだよと呆れてしまう。
「デビュタントのファーストダンスのときに、おまえのアドバイス通り綺麗だよって言っただけで、シアだって驚いてひっくり返りそうになったんだぞ?あのダンスの得意なシアが!そんな彼女に好きだなんて言ってみろ、俺もシアも死んでしまうかもしれないだろう?」
死なねーよ!
まあ、レイナードもポンコツだが、ステーシアもちょっと…いや、かなりズレたところがあるからこそ、二人の仲はいつまでたっても甘い雰囲気にならないのだ。
王妃様が心配する気持ちもよくわかる。




