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「アネットーカ嬢、イモットゥーリ嬢、こちらは申し訳ないがお返しする」
殿下は外したカフスとタイピンを使用人に渡し、私があげた青いリボンをスルリと撫でる。
「私の色を有り難うミスティーナ嬢」
「イエ、ゴソツギョウオメデトウゴザイマス」
何とも言えないので取り敢えず当たり障りの無い文章を口から流した。もちろん棒読みである。
「君が約束通り私に青いリボンをくれて本当に嬉しかった。もう一つの約束は覚えているか?」
はて、約束、やくそく……
一つは自分の色のリボンがほしいもう一つは文脈に関わらず、『お願いだ』と言ったら……
「ミスティーナ・カトレッド嬢、どうか私、サフィア・ジュエルドの婚約者になってほしい。そして生涯私の隣に居てくれ『お願いだ』」
「ハイヨロコンデ」
と言うんだったっけ?
わあっと会場から歓声が上がり拍手が鳴る。ん? 待って私口に出した!?
待て、待って、『お願いだ』の前何て言った? 聞いてたけど殿下何て言ってたの!?
混乱する私を無視してサフィア殿下に手を取られる。握りしめる力加減に、絶対に逃がさない的なニュアンス感じ取った。恐る恐る目を合わせると、宝石のような金に近い琥珀色の瞳が、あの日を思い出させるような輝きをしている。
――獲物を追い込んだ肉食獣の目だ。
「有り難うミスティーナ嬢、末永くよろしく」
サフィア殿下は言い切って私の手に口付けた。末永くって何!? いや、わかるよ聞いてたもん! でも理解を拒否してるんですよ! 私の灰色の脳ミソがぁ!!
私の突っ込みを置き去りにして周りからすんごい熱気の黄色い悲鳴が飛び交う。ちょっと、あんたたち仮にも淑女でしょうが、大口開けて大声出してさぁ、恥ずかしく無いの? 顔ももっと取り繕いなさいよ! 他人事だと思って楽しみやがって! まったくもう、私もそっち(ギャラリー)に混ぜて下さいお願いします。
「緊張しているのか? 可愛いな」
握っていたままの手を引かれ、よろけたところで腰を抱かれた。顔近い、近いんですけど殿下! ギィヤァーと最早雄叫びのような黄色い声が再び講堂内で響き渡る。
ちょっとあんたたち(以下略)私もそっちに(以下略)しかも倒れている人もいるレベルだ、美形恐るべし。出来ることなら私も気を失いたい。
「逃がさないから、ミスティーナ嬢」
耳元でそう囁かれて腰が抜けそうになった。今更ながら殿下は、顔だけじゃなくて声も良かった事を思い知る。
よし、逃げよう。こんな人の隣にいたら腰が砕ける、粉砕骨折してしまう。
そこそこ腕には自信があるし気配消すのも得意だし、実家や寮から抜け出す位なら余裕だ。王宮は……試したこと無いけども。今日明日で逃げればなんてことはないはずだ。衣、職、住は用意してあるんで。食に関しては、
……プロノツクルゴハンオイシイヨネ。
ここで騒ぎは起こさずに穏便に今夜抜け出すことにしよう。王妃様との約束は今日までだし、日付が変わった直後に逃げる。うん完璧な作戦だ。
私が逃げたらカトレッド公爵家がまずい事になるとか、家のための結婚は貴族の義務とか知ったこっちゃない。王族の方々には色々申し訳ないが、逃げた方がカトレッド公爵家に対する嫌がらせが出来るし、一石二鳥だ。
せいぜいカトレッド公爵令嬢を堪能していた姉と妹が尻拭いすればいい。私はただの一般人になる!
「納得出来ませんわ!」
腰をがっちりホールドされている状態で、せめて距離を取ろうと、地味に殿下との攻防を繰り広げていたら、妹が金切り声で訴えてきた。この空気で反論するとかすごいぞ妹、もっとやれ。
「そうですわ、こんなの納得いきません」
姉もよく言った! もっと言ってやれ!
「君たちは私達の見分けが付かなかった。先ほど言った通り、見分けが付かない者を婚約者に据える気は無い」
そう言い切ったのは、いつの間にか下りてきた赤い方の殿下もといルビス殿下だ。いやー、見分けが付いてても婚約者に据えないでもらえますかねぇ?
「お姉様が見分けが付いていたとは思いません、失礼ですがサフィア殿下と事前に示し合わせていたのでは無いですか?」
そう言われれば、あれは示し合わせた事になるのだろうか?
「示し合わせた事実は無いが、例えそうだったとしても貴女方は私達を見分けられなかった」
「その例えが正しかったとして、貴女は示し合わせる提案さえされなかった、と言うことになるが?」
私の疑問と妹の質問をざっくりと両断し、サフィア殿下の後にルビス殿下が追撃を食らわす。双子ならではの連携プレーに妹はスッと口を閉ざした。
おい、妹よ! 涙目になってないでもっと頑張れ! 殿下に近付く庶子の頭お花畑な男爵令嬢を精神的に潰してたりしたでしょ!? あの勢いで頑張れよ!
「それならば私達はミスティーナに劣っていたと、殿下方は仰いますの?殿下方の些細なこだわりのために、王妃にふさわしく有るために努力をしてきた私達が劣っていたと?」
そう鋭く切り込んだのは姉だ。流石、身分が高くて顔がいい幼馴染みの男達で、逆ハー作りかけてた侯爵令嬢を社会的に潰した女。殿下に対しても強気である。
「果たして見分けが付かない事が将来的に些細な事だろうか?」
「先ほども言ったがどちらかが国王になった時、王妃が見分けが付かなければ、私達は簡単に入れ替われる、つまりその気になれば簡単に国家転覆も出来るだろう」
「今は互いに良好な関係でいるが今後もそうとは限らない、そしてそんな事を謀ったと冤罪をかけられる可能性も秘めている」
「つまり私達を見分けられる者がいることはそれらの抑止に繋がる、これは国や私達にとって重要な要素である事がわかるだろうか?」
凄いな。どちらかが話を止めると次が話し始める。これじゃあ口を挟む隙が無い。
「で、でもそれは社交でカバーすることが出来ますわ、お姉様は御見分け出来る事以外に私達に勝る物など無いではありませんか!」