007 『準備開始』
「き、緊張した……」
「お疲れさま」
執務室から出た後、リコリスは脱力して膝から絨毯に座り込んだ。だからユウは彼女の背中を摩りつつもそう囁く。ユウとしても知っている人が相手の方が良いし非常に助かった。お礼を言っても言い切れない程に。
するとリコリスはこっちを見て問いかける。
「でも本当にいいの? 兵士になればいつかあの化け物を相手にする時が来るんだよ?」
「……分かってる。でもその選択は俺じゃなくて、何と言うか本能が、魂が選んだ気がしたんだ。穏やかに過ごすくらいなら誰かの為に命を使えって」
自分でも説明の仕方が分からずに度々言葉を詰まらせる。こういう感覚に陥ったのは初めてだし、説明する為の言葉も見当たらないし。考えるよりも体が先に動いたって奴なのだろうか。今回の場合は口だけど。
そう言うとリコリスは呟いた。
「魂、ねぇ。私もたまにそう言う事あるし、分かる気がする」
「リコリスにもあるの?」
「たまにね。いざと言う時に駄目だって分かってても体が動く時がある。きっと考えるより先に体が動いたって奴なんだろうね」
やっぱり彼女にもそう言う事はあるんだ。まぁ、この世界じゃより一層そう言う事が起ってもおかしくない気がするけど。
後々後悔する事になるのは分かってる。って言うか目に見えてる。でも、それを分かっていても選択したんだから、後はひたすらに突き進まなきゃ。自分にそう言い聞かせた。
「そう言えば十七小隊で引き取るって言ってたけど、十七小隊って何なんだ?」
「あれ、言ってなかったっけ」
「うん」
「私達はリベレーターっていう組織の一員で、今の人はその最高責任者。で、リベレーターは五の大隊と十二の中隊、そして十七の小隊で別れてるの。私はその十七小隊の隊長って訳」
「なるほど」
現在進行形で色々教わりながらも脳にインプットしていく。リーダーって言われてたから偉い人とは思ってたけど、まさか隊長だったとは。
次に移動しながらも続けて質問する。
「どうして、引き取ってくれるんだ?」
リコリスから見てユウは突如現れた邪魔な存在でしかないはず。いくら気になるとは言ってもそこまでする理由なんてないはずだし、意味もない。
でも彼女は立ち止まると今さっきのユウみたいなことを言う。
「口が勝手に動いた。ただそれだけ。きちんとした訓練って意味なら向こうに預けるのがいいのは知ってる。でも、私の中の何かが叫んだの」
「…………」
根も葉もない言葉に黙り込む。
リコリスも同じなんだ。自分じゃ不合理的だっていう事は分かってるけど何かが呼びかける。その感覚は今さっき味わったばかりだから共感できた。
更にもう一つ別の理由があるらしくて。
「それに、ユウは何故か無視できなくてさ。何でかは分からない。ただ、守らなきゃって思うの」
「守らなきゃって……」
彼女から見てユウがどう見えているのかが気になる言葉だけど、それ以外には何も言わずにリコリスの言葉を聞き続けた。
「ユウは異世界から来た存在でしょ? だから突然多くの人と触れ合ったらそれはそれで困るだろうし、どうせなら今のもあって引き取ろうかなって」
「……ありがとう」
「礼はいいよ」
そう言うとリコリスは肩を軽く叩いては建物の外へ出て行った。何と言うか、入っていた時間は三十分にも満たないのに凄く長く感じた。通路が長いって言うのもあるだろうけど。
振り向くと鳥籠を突き破る翼のロゴをじ~っと見つめる。
リベレーター……解放者を意味する言葉だ。もう「異世界なのに英単語が!?」なんて驚く気はないけど、やっぱり世界観で異世界と認識してしまうから慣れない物だ。
きっとこの街のみんなは鳥籠に閉じ込められているのだろう。だからこそ鳥籠を突き破る翼――――つまり解放を目指す。そんな意味を持つはずだ。ユウもいつか誰かの為に命を使う事が出来たなら……。
「ユウ、行くよ」
「ああ」
呼びかけられたので我に返り彼女の後を追う。
その後は特に変わった事もなく移動し、リコリスの住居兼仕事場でもある第十七小隊本部へとやって来た。リベレーター本部とまでは行かずともそこそこ大きく立派な建物だ。律儀に【第十七小】とロゴに書いてある。
そして執務室のドアを勢いよく開けると元気に言った。
「たっだいまー!」
「あ、リコリスさん!」
すると机の上の資料を片付けていた少女が反応し、リコリスを見るなり資料を放って走り寄って来た。のだけど、何よりも目を引くのが後頭部に付いた狐耳で。
茶色の短いポニーテールに紺色のパーカーを着て、物静かな印象を受ける。
少女はリコリスが返って来た事に喜んでいると硬直するユウに興味を向けた。
「戻ったんですね、お帰りなさい。……えっと、その人は?」
「彼は高幡裕。メールで飛ばした異世界人だよ」
「ああ、その人がそうなんですね!」
そう言うと耳をピーンと立たせながらもユウをマジマジと見つめた。リコリスやアリサは身長が少し高いせいで大人びた印象を受ける中、彼女だけはユウと身長が変わらず同い年みたいな印象を受けた。
やっぱり異世界人って貴重な存在なのだろう。彼女は輝く瞳で見つめ続けるのだけど、ユウは手を前にやると正直に言った。
「まぁ異世界人って言っても特別な力は持ってないし、むしろこの世界に順応出来ないから住人以下だよ。ただ存在が珍しいだけ」
「そ、そうなんですか? ってきりこう、物凄い特殊能力を持ってるのかと」
「であればスゲーんだけどね……」
今一度カミサマに騙された事を恨みつつ呟く。世界観を騙された挙句チート能力もないなんて、まさに本当の悪戯と言った所か。
少しだけ間が開くとリコリスは彼女の事についても紹介し始める。
「この子はイシェスタ。メンバーの中じゃ一番最後に入ったの」
「へぇ~」
って事は少なくとも隊員はリコリスを含め五人だけなのだろうか。確か小隊は概ね十人からだったはずだけど、残りの五人はどうしてるのだろう。五人とかの場合じゃ小隊と言うよりは分隊に部類されるはずだし。階級とかってどうなってるのだろうか。
するとイシェスタは当然の疑問を開示する。
「あれ、でもそんな貴重な人材がどうしてここにいるんです?」
「実はユウ自身が兵士になる事を望んでね。その為に十七小隊で世話をするって話になったの。まぁ条件とかは後々添付ファイルと一緒に送られて来るらしいけど」
「えっ? ええぇっ!?」
しかしリコリスがそう言うと当然の反応を示した。そりゃ如何にも平和ボケして頼りなさそうな少年が兵士になるなんて言ったらそんな反応にもなるだろう。
イシェスタは今の反応を咳払いでなかった事にしつつも問いかけた。
「だ、大丈夫なんですか? 貴重な情報源なんじゃ……」
「情報は訓練しながらメンタルケアも兼ねてやるつもり。それにユウがそう決めたんだから、私達は後押しするだけだよ」
「それはそうですけど……」
そう喋っていると耳は次第と下がってペタンと垂れ下がった。まぁユウもこれに関しては無理があると自覚してるし、当然だ。
けれどイシェスタには気になる事があるらしくて。
「でも遠征任務の場合はどうするんですか? 今回は短期間でしたけど、長期間の場合は訓練するにしても誰か一人を残さなければいけないですし……」
「あ、そっかそれがあったか」
「考えてなかったんですね」
「じゃあその時はイシェスタにお願いしようかな」
「はぁ、分かりま――――今何て?」
あまりにも自然な流れでイシェスタに丸投げされる。だからそれに彼女が気づくとリコリスが悔しそうな顔で舌打ちしながらそっぽを向いた。せこい。
やがて背後から冷たい視線を当てられる中でリコリスは訂正する。
「十七小隊で訓練するから色々と役割分担を決めなきゃいけない。幸い私達にはそれぞれに得意分野があるから分けようと思ってるんだけど……」
「基礎的な動作を私に頼みたいって事ですか」
「そう。そう言う事」
「だったらそうと早く言って下さい」
「ハイ」
部下に叱られる上司とはこれいかに。そう思いつつもユウ同様に冷たい視線を向けられるリコリスを見た。
するとイシェスタは早速その為に動き出そうとしてくれた。
「じゃあ訓練場と射撃場を借りないと駄目ですね。あとユウさんの基礎体力も気になるので体力測定もしなきゃいけないし、その他には……」
「い、色々やらなきゃいけないんだな」
「そりゃ簡単に死なないようにしなきゃ兵士は務まらないしね」
イシェスタが深く考えこんでいる間にリコリスはタブレットをいじって色んな所に確認を取り始めた。まぁ、リコリスの言う通り簡単に死んでもらっては困るのだろう。装備の費用とか掛かるのだろうし。
一先ず仲間への連絡を終わらせたリコリスは呟いた。
「とりあえずみんなに連絡しておいたから、本格的に動き出すのは明日辺りかな。念の為言っておくけど、兵士に休みはないからね」
「分かってる。誰かの為に頑張れるのなら、それでいい」
その言葉に意気揚々と返す。元々こんな世界で兵士をするのだ。その間に起る事は全てユウの想像の範疇を飛び出るだろう。もちろん休みがない事もその内の一つ。
けれどその為なら努力は惜しまないつもりだ。それだけが今の所この世界で生きる為の唯一の意味なのだから。後々もっと大切な物が見つかるとしても、今はこれで構わない。
そうしているとイシェスタが呟いた。
「ユウさん、優しいんですね」
「え?」
「大抵の人が自分の為に兵士になるのに、誰かの為に兵士になるなんて、ほんの一部しかいませんから」
過去を知らないからこそ言える言葉。反射的にそう捉える。
他意がない事は分かってるけど、でもやっぱり考える事は止まらなかった。だって、ユウが誰かの為に兵士になるのは、自分の中でそれしか生きる意味を見いだせなかったからだ。それ以外の生きる道なんて自分の中じゃゴミも同然。そう考える。
「……ありがと」
そう言ってリストバンドを撫でた。でも、優しいと言われるのに悪い気はしない。だから前向きに捉えて向上心を高めた。
するとイシェスタは優しい表情で頷いて見せる。何と言うか、ケモ耳が付いた人って初めて見るから癒し要素も相まってこっちも笑顔が綻んで行った。小さい頃触れ合った子猫を思い出す。
のだけど、そんな雰囲気にリコリスが水を差して。
「おや、まさかお互いにそういう……」
「「な訳ないから」」