006 『選択する時』
戦闘後。重装備を着ていた男二人は装備を綺麗にしてから車を起こそうとしていた。どうやらあの車は特殊な装甲で出来ているらしく、外見には一つの傷も見当たらなかった。
しかし軽装であったリコリスとユウはとある措置を施される。
その措置というのが……。
「チクっとするから我慢してね」
「え? それってどうい――――ぐッ!?」
服をめくって脇腹を見せた途端から謎の注射を撃ち込まれる。それもかなりの勢いで突き刺すから激痛が迸った。
やがて中に入っている液体を全て入れ終えるとプシュッという音と共に小型化していく。
「ち、チクッとの威力じゃないんですが……」
「そうだっけ。私達はもう慣れてるからソレ程度にしか感じないんだよね」
「常人の痛覚舐めないでくれるかな。弱いんだから」
まだ走る激痛に耐えながらもリコリスを睨む。すると彼女は同じ勢いで脇腹に差したのにも関わらず平気そうな顔をしていて、ユウの言葉に苦笑いすらも浮かべている。
刺された所を撫でながらも起き上がると今の注射について質問した。
「今の注射は?」
「血清。さっきの化け物の血に触れたでしょ? あれ放って置くと感染しかねないから」
「感染……。確か治療法不明の病だっけ。初期症状から手を打たないとゾンビになるとか何とかの……」
「そう。今のはその感染が最終段階にまで進んだ姿。もっと離れた所にはあれが当たり前にいて、私達はそれを相手にするのが基本的な仕事って訳」
「なるほど」
あれを日常的に相手にするなんて、ユウがやったら数日で精神崩壊しそうだ。
――パスト病。それがああなる病名らしい。特定の物質に触れるか病気に掛かっている人と接触するのが発症条件で、大気中に浮遊している微量の物質だけでも発症し、この世界の基板を作り上げたといっても過言じゃないとか何とか。
治療不明の病だけど、早期から手を打てば感染者になる確率は防げるらしい。それも抗体も出来る様で、中には完全とは言わずとも抵抗できる人もいるそうだ。まぁ、それも大量の物質に触れれば意味がなくなってしまう様だけど。
要するにあれが感染者の成れの果てってやつなのだろう。
やがてリコリスは立ち上がると手を差し伸べながらも言う。
「これがこの世界の当たり前。今のユウには厳しい事を言うけど、いつまでも怖い怖いのままじゃ生きる意味すらも見いだせないよ」
「……分かってる」
短く返して手を取った。
そうだ、この世界じゃこれが普通なんだ。どれだけ人が死のうが、どれだけ人が絶望しようが、何も異常な事じゃない。だってそれこそが当たり前なのだから。
催眠の様にそう言い聞かせながらも立ち上がる。
「俺はもう大丈夫。先を急ごう」
「うん」
するとリコリスは起き上がった車に駆け寄っては色々と確認を取り始める。その隙にユウは背後に回り込んでバックドアを開けた。
こんな残酷な世界で生き抜けるのだろうか。今一度そんな疑問が脳裏を突く。
戦う気なんて元からない。戦いたくもない。……でも、何故だろう。この先じゃきっと何かが起るって予感だけが確かにあった。
――きっとこの先じゃ大事な選択が待ってるはず。その時に、何を選べばいいんだろう。
しばらくの間はその考えが抜けなかった。今の戦闘を通してこの世界がどういう物なのかは十分把握したばかりだ。だからこそこの先に待ち受ける選択で迷う。
再出発した後、リコリスも喋ろうとはしなかった。きっと考える時間を作ってくれてるんだろう。
だからなのだろう。目的地に着いたのが速く感じたのは。
「ついたよ、ユウ」
「あれ。もう?」
「そりゃあれだけ深く考えこんでればね」
そう言われて外に出る。するとさっきみたいな荒野ではなくしっかりとした街中で、それだけなら立派な近未来だ。その証としてモノレールも走ってるみたいだし。
ユウが生きていた時代とは全く違う光景。だからこそ目を奪われていた。
「……ユウにとっては未知の光景なんだね」
「ああ。一度は夢見た光景だからな」
本当はもっと見ていたかった。でも今は大事な用があると斬り捨ててリコリスに付いて行く。ちなみに二人の男は報告の為に早足で向かって行った。
見た目は中々に近未来な街中だけど完全に近未来と言うには少々過言で、街道ではやっぱり寂しげな雰囲気が流れている。言い方は悪いけど見た目だけって言う所か。
でも、セーフシティ同様に誰一人として暗い表情はしていなかった。みんな明るい表情で動き回っている。子供なんかは無垢な笑顔を浮かべながらも走り回っていた。
だからそんな光景を見てリコリスが呟く。
「不思議でしょ。こんな世界なのにどうして明るい表情をしてられるのかって」
「まぁ、少し……」
「みんな、期待してるの。いつかこの世界が平和になるんじゃないかって。だからこそみんなは笑顔でいる事が出来る。……そうじゃないとやってられないからね」
「期待してる、か」
確かに絶望的な中で笑顔になる方法なんてそれしかないだろう。つまり、みんな現実逃避してるんだ。いつかこの世界は平和になる。そう信じる事でしか前向きに生きていけないから。
……それでも宿っている笑顔は本物だ。心の底から笑ってる事には変わりない。
やがてそんな事を考えながらも歩いているとリコリスは指さしながらも言った。
「見えた。あそこだよ」
「あそこって……でか!?」
そこに見えたのは大きな建物。鳥籠の中から翼が突き抜けるロゴがリコリスの腕章と同じって事は、あそこがリコリスの入っている組織の本拠地って事なのだろうか。何か豪華な装飾までつけられているし。
近づくと警備の人がリコリスの腕章を見て敬礼する。そして何の躊躇もなく建物の中へ入って行った。建物の中で出会う人達はリコリスを見るなり必ずお辞儀をしたり敬礼をしている所を見るに、かなり偉い立場にいるのだろうか。
やがてしばらくの間進み続けると一つの部屋の前で立ち止まる。
「ここが指揮部屋。要するに最高責任者がいる所」
「最高、責任者……」
「見た目は怖いけど中身は優しいから大丈夫。まぁ怖がらない人の方が少ないけど」
そう言われて肩に力を入れる。だってこういうのは威厳があるいかつい顔のおじさんが殆どだし、更に傷跡がある可能性も高いのだから。
やがてリコリスが扉を叩くと入りなさいという声が聞こえて扉を開けた。その先に待っていたのは手を組み口元に当てた、目元に傷跡があるいかつい顔をしたいる訳で。
――ベタだけど凄い威圧……!
脳裏で呟きつつも前に進んではリコリスよりワンテンポ遅れて敬礼する。けれどそんな不慣れな手付きの敬礼を見ると彼は軽く笑いだし、ユウに話しかけた。
「無理とは分かってるが、そこまで肩の力を入れなくてもいい。安心しろ」
「は、はい」
「さて。君が例の転生者って訳か。なるほど、如何にもって表情だ」
どんな表情だよって脳裏で突っ込みつつも話を聞く。
彼は手を机にあったコーヒーカップに持っていくと淵をなぞりながらも色々と喋り始める。
「ここに来てもらったばかりで悪いのだが、君には二つの選択肢がある。戦うか戦わないか。もちろん君の選択次第だし、我々は君の選択を尊重するつもりだ。後々の事は選択の後で決まる」
「…………」
これがアリサの言ってた他人任せじゃ駄目ってやつなのだろうか。確かに自分の生死を決められるのはいい気分がしない。
だからといってこの選択を今この場でする覚悟がある訳でもなくて、ユウは考え込んでは視線を足元に向けた。戦うっていう選択肢がある所から見て戦力が足りないのは確定的に明らか。――化け物と戦わなくても、この世界じゃ何かしらと戦わなきゃいけないんだから。
本心を言えばもちろん戦いたくなんてない。というより早くこんな世界から逃げてしまいたい。前に死んだ理由は覚えてないけど、もう一度も死にたくなんてないから。
……でも、心の何処かがそれを許してくれない。
戦わないという選択肢を否定していた。何でかは分からない。ただずっと自分の中の何かが吠え続けているんだ。
「君は、どうする?」
決められる事じゃないのは承知の上。簡単に決めていい事じゃないのも十分に理解してる。だからこそ迷い果てた。
けれど、仮に、仮に選択するとしたなら。
自分の命を、誰かの為に使いたい。
この街にいた人々の笑顔を守りたい。もう、何からも逃げたくない。今この場にそのチャンスが目の前にある訳で、その為にはきっと戦う事を選択しなきゃいけない。ならユウが選ぶべき選択肢は一つじゃないのか。
それだけの理由じゃ駄目なのは分かってる。だって自分の生死がかかってる選択を、誰かの存在を使う事で投げ捨てようとしているのだから。総体的に見ても良い選択肢とは言えない。
「俺は……」
付け焼刃で選んだ選択なんて大抵脆く後で後悔する様な物ばかりだ。それは覚悟も変わらず同じ物。けれど“迷えなかった”。
恐れながら、覚束ない口調で、震える声で言った。
「……戦い、ます。誰かの為に、この命を使いたい」
彼もリコリスも、秘書と思われる女性もユウの事を見つめていた。そりゃこの世界に来たばかりなのにそんな選択をするんだから当たり前だろう。魚が陸を歩くと言ってるような物だ。
やがてユウの選択に面を食らった彼は言った。
「これは驚いたな。しかし、本当にいいのか?」
「構いません。元より誰にも使えなかった命なんです。誰かの為に命を使えるのなら本望」
それが向こうの世界で出来なかった悲願。叶えられなかった夢だ。
彼もユウの選択を尊重すると言ったのだからその選択を受け入れてくれて、厳しそうな表情から少しだけ柔らかくなると喋った。
「……なるほど。君は強い人だ。誰かを守ろうとする程、強い意志を持っているからな。ならば我々はその選択を受け入れよう。と言っても、もちろん実戦からとはいかないが」
「構いません。付け焼刃の覚悟でも、やりたかったことには変わりないので」
「分かった。ならやるべきことを終えたら手配しよう」
やるべき事、というのはきっとユウから異世界の情報を引き出す事だろう。異世界に干渉できない彼らにとっては重大な情報源だろうし、何よりユウはカミサマの事も知っている。これほどなまでに大事な情報源はそうないのだろう。
きっとリコリスみたいになるには途轍もない努力が必要になるはずだ。それに辛い事も沢山待っているだろう。一筋縄じゃ行かない事なんて承知の上だ。
けれど誰かの為にって思えると自然とやる気が沸いて出た。
そう思っていたのだけど、リコリスは前に出て敬礼をすると今までとは違った口調で喋り始め、一つの提案をした。
「ベルファーク指揮官。些かですが一つだけ提案がございます」
「提案? なんだね」
「彼の……高幡裕の身柄を十七小隊に引き取らせてはもらえないでしょうか」
「え?」
その提案にユウも反応する。
こういうのは自分の意志に反する者として厳しい視線を向けられると言うのが普通なのだけど、彼は真っ直ぐにリコリスを見つめるだけで質問した。
「ほお。理由を聞かせてくれるかな?」
「ユウはこの世界に来たばかりでまだ順応出来ていません。ですから、私が彼を育てる上に情報を送信します。彼も知っている相手の方が良いでしょうし、喋りやすいかと」
気を遣っているのか否か。リコリスは彼――――ベルファークにも劣らない真剣な眼差しで見つめ返すとそう言い切った。
するとベルファークの反応は予想外の物で。
「……分かった。なら君達に任せよう。しかし条件もある。それは後々提示する」
「……! 分かりました!」
提案を呑み込んだベルファークは微笑んで見せた。そしてリコリスは呑み込んでくれた事に嬉しがる。そんな風にして一時的でもユウの立ち場が決まったって訳だ。
リコリスはこっちを向くと軽くウィンクをして見せた。
それも作戦通り、と言う様に。