187 『地下水路』
路地裏で偶然出会った少女は尻餅をつきながらも蒼い瞳でじっとこっちを見つめていた。だから即座に近寄っては手を差し伸べるのだけど、彼女は手を握るのでもなくただ不思議そうにこっちをじっと見つめていて。
「ごめん。大丈夫?」
「…………」
「え、えっと、怪我とか、ない?」
「…………」
そう問いかけても返事はなく、少女はひたすらにこっちを見ていた。その反応に顔をしかめてエトリアの方を見るとユウに変って動きだし、少女の傍に近寄っては優しく話しかけた。すると相手がエトリアだからなのか少しばかり反応を示す。
「いきなりごめんね。大丈夫だった?」
「……んぅ」
「お、反応した」
恐らくユウが怖かったのだろう。まぁ多少なりは急いでいたし、眼つきとか少し鋭くなっていたのかも知れない。それか恐らく男と人その物に恐怖を抱いていたのか。
エトリアも同じ思考に辿り着いたのだろう。振り向いては一任してくれるかと視線で問いかけるからユウは頷いた。でも、エトリアからの質問はこっちの想定していた最悪の返答をして。
「こんな薄暗い所にいたら危ないよ。お家は?」
「なく、なった」
「……家族は?」
「――――」
家族に関しての質問に黙り込む。その瞬間に二人して奥歯を噛みしめた。しかし想定できた回答だ。侵略作戦は兵士以外にも一般人が何人も犠牲になっている。更にこの街は最大限のセキュリティはしてあるけど完全に防犯出来ている訳でもない。スラムには今も多くの孤児が残されていると言う。だからこそ彼女みたいな孤児がいる事は“仕方のない事”なのだ。
「ユウさん……」
「……その子を頼む。俺は一人で地下水路に行く」
突如直面したこの街の現実。それを目の当たりにしてエトリアはあまりの動揺に黙り込むのだけど、ユウの言葉を聞いて小さく「はい……」と力のない返事をしてくれる。孤児がいるのは仕方のない事。そんな現実を、エトリアは今まで知らなかったから。
エトリアは戦闘能力や判断力もユウより上と言ってもいい。けれど少女がユウを怖がる辺り一緒には入れないだろうし、どうせ別れるのなら一人でも速く――――。そう考えていた時だ。少女が立ち去ろうとしたユウの袖を掴んだのは。
「――ぁ」
「んっ。……俺の事、怖いんじゃないのか?」
「――――」
そう質問すると少女は顔を横に振る。だからユウは怖がってるのだとばかり思ってしまって、少し安心する反面どうしてあんな反応になったのかと不安になる。
やがて屈んで視線を合わせると少女は言った。
「どこか痛い所でもある?」
「んん……。地下水路、私、分かる」
「分かるって、もしかして地下水路の構造を把握してるの?」
「んぅ」
その回答に少しだけ迷う。どこに行けばどこに繋がってるのかも分からない以上、少女の様に道案内を出来る人は貴重と言ってもいい。それがなければ何かしらの手段で地下水路の地図を手に入れなければいけないだろうし。
でもこんな少女を妙な事に巻き込んでもいいのか。そんな思いが脳裏で渦を巻く。
急ぐのなら少女を連れていった方がいいだろう。けれど孤児の子を薄暗い地下水路に連れていくと言うのは人道的に駄目なのではないか。直感でそう悟る。
しかし少女の眼は真っ直ぐにこっちを捉えていて。
「……どうして、俺達に力を貸そうと思ったの?」
「お兄ちゃんたちが、優しかった、から。一番最初に、殴ったり、しない」
「――――」
所々にあざがあったりするのはそのせいだったのだろう。こんな少女を殴って何が楽しいのか分からないけど、今だけは本能でこの子を守らなきゃって思えた。
と、話はそこじゃない。今まで殴られてたのなら十分に恐怖してもおかしくないはずだ。それなのに少女は優しいからという理由だけで手伝う事を決めてくれた。それは簡単に割り切れる事ではなくて、途轍もなく難しい事でもあって。
「俺は高幡裕。ユウって呼んで。こっちはエトリア。君の名前は?」
「レティシア」
「良い名前だね。なぁ、レティシア、俺達は地下水路でスラムに続く道を探してるんだけど、分かったりする?」
「んぅ」
「よし、ありがとう。じゃあ案内をお願いできるかな」
そう言うとレティシアは嬉しそうに微笑んではユウ達を先導してくれる。だから二人して顔を合わせると同時に頷いて後を追った。後々エクレシアも連れてここに来る予定ではあるけど、下見くらいしたって問題はないだろう。
しばらく歩いて行くと表通りからかなり離れた所に地下水路の入り口があり、そこには明らかに崩れた跡が残されていた。でも水路として動いてると言う事は、少なくとも修正しなくても問題ないと言う事なのだろう。
レティシアは慣れた動作で地下水路の中に入って行くから二人も付いて行く。しかし、その先は明るい所に過ごしてる者にとっては少し暗すぎる場所で。
「暗いですね……」
「そうだな。ちょっとライトを付けるか」
エトリアはそう言って腰から小型のライトを取り出そうとするのだけど、先にユウが双鶴を起動させてはライトを付けて地下水路の中を明るく照らした。その明るさに二人は少しばかり驚いた様子。
「ず、随分と明るいんですね」
「本来なら夜間の飛行用にってガリラッタが付けてくれた機能なんだ。でもまぁ、どの道暗い所を進むのなら変わらないよ」
「明るい」
「レティシアにはちょっと強すぎたかな……」
そんな会話をしながらも地下水路の中を進んで行く。壁や天井は予想通り苔が生い茂っていて、どこを向いても同じ景色が続いていた。これは相当慣れていないと本当に迷う羽目になりそうだ。出口も殆どないだろうし、迷ったら最後かも知れない。まぁ、一応ここからでも微弱ながら信号とか通話は出来るみたいだけど。
三人の足音以外には水が流れる音しか耳に届かない。だからあまりにも静かな空間に別世界へ来たような気分になる。外にいると常に何かしらの音で満ちていたから。エトリアも同じ事を感じ取っているのだろう。少しばかりもどかしそうにしていた。
「こっち」
「真っ直ぐ進んでると思いきや方向転換……。同じ様な事を繰り返してたら本当に方向感覚が狂うだろうな、コレ」
「ですね。同じ方角に進みたいのなら方位磁石でも持ってこない限り無理だと思います」
それからも何度か方向転換していく。ここまで来ると地図でもない限りどこに繋がっているのかも分からないだろう。実際ユウだって既に迷い始めている最中だし。リベレーターは《A.F.F》があるから大丈夫だろうけど、一般人は――――。
そこまで考えた時、別のルートから光が現れてユウとエトリアは即座に反応する。レティシアを左手で抱えて飛び下がると提げていたM4A1を手に取り同時に構える。
「お兄ちゃ――――」
「しっ」
レティシアを下すとエトリアに預けて自分は通路の角で待ち伏せする。
足音的には一人だけの様子。光の動きからはこっちに気づいてない様な動作をしているし、飛び出して構えれば何とかなるはず。そんな事を考えながらも足音がある程度まで近づいたところで銃を構え飛び出した。
「そこの奴、とま――――っ!?」
けれどその事を事前に察知していたのか、飛び出した瞬間からその人はバク転のついでにM4A1を蹴り飛ばした。だから咄嗟に手を離しては左手を腰の剣に持っていき、回転した勢いと共に逆手持ちで振り上げた。すると相手も何かしらの武器を振るって刃に直撃し大量の火花を散らせた。
でも、その火花で見えた相手の顔と言うのが少々驚く人で。
「あれ、エクレシア!?」
「ユウ!?」
目の前に映った顔は短髪の白髪蒼眼の少女で、彼女の表情とその瞳に映る自分の顔も驚愕の色を浮かべていた。互いに顔見知りなのだと発覚すると即座に距離を離して武器を仕舞う。
「び、びっくりした、まさかエクレシアだっただなんて……」
「それはこっちの台詞だよ! どうやってここに入り込んだの!」
蹴り飛ばされたM4A1を拾って手に持つとエクレシアから当然の疑問を投げかけられる。まぁ普通じゃこの地下水路なんて入らないだろうし、ここに入れるって事は何かイレギュラーな事でも起きたと言う訳だ。つまりユウの場合、そのイレギュラーと言うのがレティシアであって。
「色々あって本拠地がスラムにあるんじゃないかって予測して、地下水路ならバレずに移動できるんじゃないかって予測して、路地裏でこの子……レティシアに会って案内してもらってたんだ。エクレシアは?」
「ボクも同じ考え。で、地下水路の地図を貰ったからこれを使ってスラムを行こうとしてた。……どうやら方法は違くても目的は一緒だったみたいだね」
「しっかし、よく一人でここまで辿り着けたな……」
「今回ばかりは本気で探してたからね! 君に負ける訳にはいかないって!」
「情報網から人手まで何もかもが違うんですが」
いつの間にかライバル視されていた事を知りつつも互いに状況を把握して的確に動こうと移動を開始した。エクレシアと歩く方向が変わらない限り、本当にこの先に例の噂である謎の研究所があるのだろう。
「エクレシア。もし本当に研究所があったとして、子供の失踪と繋がってたら、どうする?」
「――即刻捕まえる。で、然るべき罰を受けてもらう」
「だよな。子供をさらうなんて、許せないんもんな」
反射的にそう問いかけるのだけど、エクレシアはユウの問いかけに疑う事なくそう答えてくれた。普通なら戦いたくないと捉えたっておかしくない言い方なのに。
そんな事を話していると通路の先に光が零れていて、四人はすぐに駆け寄ってその光を確かめた。すると同じ様に通路の一部が崩壊して外に露出し手作りの階段があるのも確認出来る。明らかに人が作ったその階段を目にしてユウはより一層確信を強くした。
「この先がスラムだよ」
「そっか。道案内ありがとうな。凄く助かった」
レティシアも出口の先がスラムだと伝えてくれるからそれで本当に繋がってたんだと少しばかり驚く。こういうのってマンホールみたいなイメージがあるから。彼女の頭を撫でながらそう言った後、即座に顔を上げてはエトリアを見つめた。
「エトリア、今度こそレティシアをお願い」
「え? でも……」
「俺なら大丈夫。なんたってここにいるのは第一大隊の二番隊隊長サマなんだから」
けれど不安な視線で返されるのは当然の事で、彼女の不安を紛らわせるためにもユウは微笑みながらエクレシアに振り向く。すると本人は自信を持って大きく頷いた。その影響もあるのだろう、エトリアは最終的にユウの指示に従う事を決めてくれる。
「……分かりました。でも、無茶しないでくださいね」
「うん」
そう言うとレティシアを連れて来た道を戻って行った。
やがて二人っきりになるとユウは腰の剣に、エクレシアは背中の槍に手を持って行って軽く握った。
「さてと、行きますか」
そんなこんなで、二人はスラムに足を踏み入れた。