178 『リトル・ルーキーの悩み事』
エトリアと射撃訓練場を出た後、ユウは彼女の強さを噛みしめながらも次の部屋を案内していた。と言っても、次の部屋っていうのは自分の私室となる居住区的なエリアなのだけど。
いくら小隊と言っても最大十五人分の部屋は確保されている。必要ならもっと改築して部屋の数を増やせるそうだけど、小隊のほとんどはそこまで公に動く存在ではないからこれくらいの数でいいとの事。もっとも十七小隊はかなり異質な存在になる訳だが。
「ここが俺達の部屋があるエリアだな。で、エトリアに割り当てられた部屋は……あ、ここかな」
部屋を開けるとブラウンの塗料で一面が彩られた部屋が視界に入り、元から置いてある家具とか諸々でかなり温かい雰囲気が醸し出されていた。女の子が使うのにはうってつけの部屋だろうか。
既に私物と思われる荷物も届いているし、相変わらずリベレーターの支援をしてくれている支援科の人達の仕事は速い。
「わ~……っ。意外と大きいんですね」
「そ。ここはもうエトリアの部屋だから、好きに使ってもいいって」
「私一人で使い切れるかな……」
「大丈夫大丈夫。俺でもあんまり使いこなせてないから」
ユウの部屋もそうだったけど、大きさで言うのならホテルの一部屋くらいはある。それも少し高級そうなホテルの。一応窓も付いているからか開放感があるし、個室トイレやシャワーも完備だから一人で使うとなると十分すぎるくらいだ。
やがてエトリアはベッドに腰を沈めるとその柔らかさに驚愕する。
「うわっ。柔らかいんですね!」
「詳しい事はよく分からないけど、なんか凄い柔らかい羽毛を使ってるんだって。市場の価格にして一万円」
「一万!?」
「街を守ってくれる人に硬いベットで寝かせたくない、っていう指揮官の意志なんだってさ」
ユウも柔らかさやその事情を知った時にはかなり驚いたものだ。小隊でも一万はする羽毛ベッドを用意してくれてるって事は、きっと大隊でも同じものを何個か用意しているという事なのだから。あまり柔らかい物の上で寝た事がなかったユウにとっては驚くべき事だ。
簡単に部屋の説明も終わった事だし、これで本部の説明はあらかた終わっただろうか。となると次は外に出て基本的にどういった活動をするのかの説明しなければならない。こういうのって実際に事件が起こってそれを説明するっていうのが一番分かりやすいのだけど、今日は何が起こるだろうか――――。
そう思っていたのだけど、エトリアが袖を掴むから軽く反応した。
「じゃあ次は――――って、エトリア?」
振り向くと黙り込みながらも袖を掴むエトリアがいて、その表情から何かしらの葛藤を抱いているんだと知った。さっきまでは人がいたけど部屋の中は二人っきりだから相談する気でいたのだろう。そんな深読みを行うとユウは隣に座って問いかけた。
「何か相談?」
「はい。あの、いきなりで失礼とは分かっているんですけど、どうしてもユウさんにしか話したくなくて……」
「別に良いよ。で、何?」
「私、どうしてもプレミアさんを見た後から機械生命体が敵だとは思えなくて、どうしても戦うのを躊躇ってしまうんです。それで、どうしたらいいのかなって……」
「――――」
直後に彼女の口から放たれた悩み。それを聞いて黙り込んだ。だってそれは、普通の兵士や人々に言ったら確実に拳の一つは飛んで来る悩みなのだから。当然ユウもこの世界の当たり前に呑まれているからこそ強く言い返そうと口を開く。でも、エトリアはそれを知って尚ユウに相談してくれたのだ。冷静に答えなければ彼女の勇気が無駄になる。
だからこそ心を落ち着かせて話を聞いた。
「戦わなきゃいけないって分かってるんです。でも、感情を持ってる“あの人”達を“殺す”となると、どうしても怖くなるんです」
「――――」
「どうすればいいのか、分かりません」
「――――」
プレミアを「あの人」や「殺す」と捉えている辺り、エトリアはもう駄目だ。彼女はこの世界で兵士として生き抜くにはあまりにも向いてなさ過ぎる。だってエトリアの根底には“あれら”を“人”として認識してしまう程の優しさがあるんだから。
――エトリアは優しすぎる。少なくとも、この世界じゃ……。
きっと、大切な人が殺されてないからこそ言える事なのだろう。人が食われる姿を目にした。それでも彼女は優しさを手放さずにいる。それがどれだけ辛く残酷な事なのか、ユウが想像するにはあまりにも簡単な事だった。
感情に溺れてしまえば殺すのは簡単だ。でも優しさを握り締めていれば何かを壊したり殺したりする事に躊躇してしまう。その葛藤は果てしない。
人を救う。優しさはそれを実行するのに必須な物だ。しかし戦いにおいても優しさを握る様なら相手を殺す事は出来ない。殺す事が出来なければ勝つ事が出来ない。勝つ事が出来なければ、希望を抱く事すらも許されない。だからこそ何も出来ない自分に絶望は蓄積されていく。
ふと脳裏で推薦試験での出来事を思い出す。みんなが機械生命体に食われたあの光景を。それまでの認識はただ怖いだけで、きっと試験前にプレミアと出会っていれば壊す事を躊躇していただろう。けれど先に仲間を殺されていればどうだろう。
どれだけ、機械生命体の事を憎んだだろう。
「エトリアは……」
何て言葉をかけてあげればいいだろう。優しさは捨てをとでも言うべきか、そのまま絶望を経験しろとでも言うべきか。どの道このまま行けば自業自得としか言えない結末に辿り着く事は確実だ。ユウがそうだったのだから。
だからこそ言ってあげなきゃいけないんじゃないのか。先駆者がここにいるのだから。
「君は大丈夫だよ。辛い思いをさせるかも知れないけど、絶対に大丈夫。――俺が守るから」
希望を抱き続けるとどうなっているか知っている。ならそれを経験した者としてエトリアを守ってあげるべきじゃないのか。
不安はある。迷いもある。果たしてそれがユウに可能なのかどうかも。けれど彼女だけは絶対に守り通さなければ。何故かは分からないけどそう思った。その為にも、これは言わなければいけない。
「でも、殺さなきゃ勝てない。それはどんな理屈を用いったって変える事は出来ないんだ。だからきっと、いつか知る時が来る。自分が何の為に引き金を引かなきゃいけないのかを」
「何の為に……?」
「そう。今は迷ったままだと思う。だからこそ決める時が来る。その時までは、今の自分のままでいればいいよ」
天井を仰いではそう言った。
今のエトリアじゃ吸血鬼や正規軍を相手にするのはとてもじゃないけど不可能だろう。きっと戦う事自体は出来たとしても殺す事は出来ないはず。それこそが彼女の短所であって、優しいと言う長所なのだ。その選択が最善じゃない事は知っている。けれど、今だけは夢の中にいて欲しいと、そう思ってしまった。
それに初っ端から機械生命体を相手にするなんて推薦試験でもない限り起り得ない事だ。ユウの場合は直後に防衛作戦があるという異例な事があったのだけど。
今のままというのも十分辛い事のはずだ。それでもこれ以上進むと更に辛い事が待っているのだから、いまはこのままの方がいいだろう。
するとエトリアは手を添えて微笑みながらも言う。
「ありがとうございます」
「……まぁ、当然の事だよ」
何というか、スキンシップが多い子だ。まぁエトリアの場合は憧れと言うよりは一目惚れみたいな所があるだろうし、確実に好意を見せている事は理解出来る。それ程なまでにあの時のユウが鮮烈に見えていたのだろう。
しかしここまでハッキリ向かって言われると照れるというか……。
エトリアの相談は決して誰かに相談できる事ではないけれど、それは至って普通の事だ。少なくともユウの中ではではあるが。
死ぬのと殺すのが怖くない~とかほざいてたユウが言えた口ではないが、命を奪うと言うのにはそれ相応の責任や罪が被さる事になる。それを怖いと思って当然だ。人として当たり前の反応をしているのだから。まぁ、一部の人は違う訳だけど。
ただこの世界の人達があまりにも絶望を受け入れてるだけ。誰かを殺すのが怖いとか、そんな当たり前の反応も“仕方ない事だ”を口実に逃げているだけなのだ。だから誰もが命の重さを理解しつつも命を奪うのを止めはしない。この世界は殺さなければ殺されるのだから。
自分達が幸せになる為には誰かを絶望の底に叩きつけ、その背中を踏みにじってまで上り詰めなきゃいけない。思想が違という理由だけで争いながら――――。
「俺も君も、まだまだ幼稚なんだ」
「え?」
「俺達はまだこの世界の事を知り尽くしてはいない。ただ知った気になってるんだ。どれだけの絶望が待っているのかも……。本当の意味が、いつか分かるだろうな」
いや、確定してるような物だろう。ユウは希望だ何だと言われているけど、それはユウ個人の力ではない。みんながいるからこそ希望になれるだけで、一人だけじゃ何も出来ない弱虫でしかなく、誰かがいなければ絶望の負ける様な弱者だ。
信じる物や信じたい物でさえも折られそうなのだから。
するとエトリアはユウと全く同じ事を言う。
「私はこの世界の絶望に負けたくないです。その為にはこの世界の絶望を知らない。それも、一つの手なんでしょうか?」
「そう、かもしれない。何も知らないからこそ見える物もあるから。例えば希望の果てにある絶望とか」
「希望の果てにある絶望……」
「光が影を押し潰す様に、光が弱まれば影は押し返して来る。例え俺達が希望と呼ばれる存在であってもそれは一時の幻想に過ぎない。誰も、絶望には抗えないんだよ」
エトリアにこの事を話すのは酷かもしれない。何も知らないままでいい、と言ったクセにこんな話をしているのだから。
けれどそれは確かな事だ。絶望を知らないからこそ希望を抱ける。希望を抱けるから、その先にある絶望を観測する事が出来る。だから絶望を知っている人はその結果も知っているのだから希望は抱かないし観測もしない。つまり希望を抱けるのは世界の事を知らない幼稚な人だけなんだ。
そう言うと彼女はユウに触れる手に力を入れながらも言う。
「それでも……。それでも諦めたくありません。私は、誰かの希望になりたい!」
「――――」
身を乗り出して顔を近づけながらも自分の覚悟を今一度口にした。これはもうこっちが諦めるべきだろうか。リコリスにも似た光り輝く眼をしているし、今のユウにはとてもじゃないけど止められそうにはない。だから少しだけ溜息をつくとこっちも覚悟を決める。
だって、彼女は迷いながらも自分なりに答えを見出しているのだから。
「……分かった。なら最後まで付き合うよ」
「いいんですか!?」
「希望を抱く事自体は悪い事じゃない。だからこそ、俺に付いて来るのは大変だぞ?」
強気な笑みを放ちながらも挑発的に言う。するとエトリアは更に目を輝かせて上等だと言わんばかりに強く頷いた。そこからも覚悟が見て取れる。どうやらユウが思っている以上に彼女は強い様だ。
その覚悟を確認してから立ち上がると言った。
「とは言っても、防衛作戦みたいな事はそう起らないんだけど」
「ユウさん? 次はどこに……?」
「エトリアにとって、物凄く大切な所だよ」
そうして親指である方角を差すと彼女はパァっと表情を明るくした。
当然だろう。だって、そこは本当に大切な場所なのだから。