165 『Dear My Friend』
「誰が、いつここで笑えっつったのよ。何で、こんな時にそんな笑顔を見せるのよ……!」
「アリサに出会えてよかったって思ったからさ。色々あったけど、背中合わせで戦って、昔みたいに軽口を叩き合って、こうして涙まで見せてくれて。結構嬉しいんだよ」
「――――」
ネシアの言葉を聞いて黙り込む。きっと何も言い返せなかったんだろう。彼女の覚悟があまりにも硬く大きな物だったから。その証としてアリサは大粒の涙を流しながらもネシアの事をじっと見つめている。瞳に「行かないで」という文字を浮かべながら。
それなのにネシアは頑固で聞かなくて。
「アンタ、本当に馬鹿でしょ。何も私の為だけに命を賭けなくたって――――」
「あの時、アリサは私を助けようと敵の注意を引いてくれてたよね。自分しか出来ない事だ~って。それと一緒だよ。今の私に出来るのは、みんなの未来に私の願いを託すことだから」
するとネシアは突如として吐血しアリサの頬と服を汚す。だからそれを見たユウはもう一度真意を発動させて傷の再生に力を入れた。こんな所じゃ死なせない。ネシアにはアリサのそばにいてもらわなきゃいけないんだから。アリサを最も幸せに出来るのは、ユウでも、リコリスでもない。ずっと前から寄り添って対等な関係を気づいていたネシアだけ。
例え拒絶されたって助けたいと思った。それこそがユウの願いであって、アリサの願いでもあるから。それなのに想いと比例して傷口の再生は遅くなっていく。どうやら三人も度重なる力の使用で疲弊している様だ。ここはユウが頑張らなくては。
そう思うのに傷は一向に完治しない。
「待って。待ってよ。私、まだ、話したい事や、言いたい事が沢山あるの。アンタと一緒に叶えたい夢だって……」
「ごめん、ね。アリサの夢は叶えられそうにない、かな」
吐血してからという物の、彼女の喋り方や手からは生気が抜けて行ってしまう。本当に死ぬんだって自覚させられる。だからアリサは落ちそうになってしまう手を掴んではその温もりへ逃げる様に頬へ擦り付け、ネシアが死ぬ事を全力で拒んだ。
それでも現実は尚も絶望を見せる。崩れゆく街の中で未だ飛んで来る光の球体は近くのビルに当たってユウ達の真横に落下して来るのだ。まるで彼女を置いてかなきゃ殺すぞと言わんばかりに。
「それでも、アリサが本気でそう思ってくれてた事が、今は何よりも嬉しい。だって――――」
「何でアンタはいっつもそうなのよ!」
直後にアリサの怒号がネシアの言葉を掻き消した。するとネシアはアリサの表情を見て驚愕し、少しばかり反応して見せた。だってアリサは本気で怒りつつも本気で心配し、涙を流して心からネシアの死を悲しんでいるのだから。
「いつも大怪我して! 心配させて! そんな優しい笑顔を浮かべてそう言って……! アンタはそれでいいと思ってるかも知れないけど、こっちは心配してんのよ。毎回傷つく度に、こっちは心臓どうにかなりそうなくらい心配してんの!! なら少しくらい安心させてみてよ馬鹿ッ!!」
息を荒げながらもそう言い切り、ネシアだけに目線を合わせた。今にも死にそうなくらい生気を宿さないネシアの眼に。……するとアリサの言葉だからだろうか。ネシアは少しだけ瞳に光を灯らせると腕に力を入れ直し、今度は頬じゃなく頭に持って行って優しく撫ではじめた。それも今までの笑顔よりも一番眩しい笑顔を浮かべながら。
「大丈夫。私は死なないよ」
「え……?」
「例え私がここでいなくなったとしても、私はアリサの記憶や心の中で生き続ける。今まで紡いできた絆は、絶対に消えてなくならない。どんなに離れても一人きりじゃないんだよ。それに――――」
今度はユウを見つめる。その瞳の奥にはユウに全てを託すかのような色を浮かべていて、もう救えないんだと悟った。既に死ぬ事は決めつけられている。その結果は何をしたって覆せる様な結果ではない。……ユウが力不足だからこそ変えられなかった結果だ。
傷を見た時から分かってはいた。彼女はもう助からないんだと。でもそんな結果なんて認めたくなくて、だから必死に足掻いていたというのに、やっぱり決められた結果は変えられない。
何が希望になりたいだ。仲間の大切な人ひとりも救う事が出来ないクセに、それが出来る力なんてロクにないくせに理想だけは高く口だけ達者で、ただ綺麗事を並べるだけの偽善者じゃないか。そう思っているとネシアは言う。
「アリサにはみんながついてる。もう私がいなくたって、歩けるはずだよ」
「――――」
「私はアリサの記憶の中に生き続ける。だから心配しないで。いつになったって、どこに行ったって、アリサは一人きりじゃないから。私にとって、アリサは親愛な友達なんだもん」
全ては決められた結果だったのだろうか。運命と言う絶対不可視の概念に従っているからこそ、こんな結末を迎えてしまったのだろうか。せめてそれを打ち壊せる程の実力がユウにあれば助けられたかも知れないのに――――。後悔が募っていく。それと同時にネシアを救えなかったという無力さも噛みしめた。
ユウさえもっと強く誰もを守れる存在であったなら良かったのに。……でも、そんな理想はどの世界でも存在しない。だからこそ全ての人は助けられないのだ。
それこそ、目の前の手が届いている人でさえも。
最後にネシアはもう一度アリサの頬を撫でると言った。それも、彼女にとってこの世界に存在する最期の言葉を。
「生きて。苦しくても悲しくても、それでも最期の日まで生き続けて。果てしない未来の為に。その未来に生きる自分自身の為に。――自分を、偽らないで。」
そう言っては手から力が抜けて地面に落ちる。けれどその音すらも球体が地面と衝突する音で掻き消されてしまい、感傷に浸っている暇もなく危機は降り注ぐ。そんな中でアリサの涙はネシアの頬に落ちて流れていく。まるで彼女も泣いているかのように。
親愛なる友の死。それは確実にアリサへダメージを与えていた。けれどユウ達にその傷を癒す事は出来なくて、ただひたすらに見つめる事しか出来なかった。だからこそ無力感を噛みしめる。
すると無線にてラナから避難する様にと指示が入る。どうやらユウ達の他にも有識者の人達が沢山いた様で、事前に天災が発生すると察していたから大きな損害は出ていないらしい。と言ってもコレのせいで三桁の犠牲者が出たらしいが。信号を見るとユウ達だけ同じところに留まっているから気になってこうしている様だ。
けれど今は動ける様な状況ではない。だって、今はアリサが――――。そんな事を考えているとアリサはネシアの骸を持ち上げて言った。
「……行きましょ。私達も早く避難しなきゃ」
「う、うん。そうだね」
気を遣っているのだろう。みんなはアリサに問いかける事なく移動を開始した。そうしていると不意に力が抜けてしまって、膝から崩れ落ちそうになるとユノスカーレットが支えてくれる。どうやらユウの身体は真の意味で限界を迎えてしまったらしい。
「あれ、体が……」
「あんだけ無茶してれば当然だよ。それに気を抜いたからだろうね。後は私達に任せて」
「ちょっ!?」
するとユノスカーレットはユウを背負い始め、走らなくていい分双鶴の操作に専念させてくれる。だから疲れ切っているリコリスとノアを運ぶためにも双鶴を飛行させてみんなと並んで走らせた。それからは崩壊していく街を背後にみんなで撤退していく。様々な激闘が繰り広げられては、その刻まれた後も含めて全てが掻き消されていく街を背に。
今はまだ言ってないけど、敵の大将を捕まえたなんて言ったらラナとベルファークはどんな反応をするだろう。褒められるのか怒られるのか、はたまたいつも通りにその功績を何やかんやでうやむやにされるのか。まぁ功績に関してはあまり気にしてないし今に始まった事ではないが。
そんな事を考えているとある部隊がユウ達の進行ルートの先に回り込んでくれていて、トラックの荷台部分を開けるとこっちへ来るようにジェスチャーをしてくれる。
これでようやく真の意味でこの戦いが終わるのだ。最後にとんでもない結果を迎える事となった訳だけど、作戦自体はこれにて終了。結果で言うのなら成功に終わった。もっとも、ユウはこんな結末を成功と捉える気は微塵もないけれど。きっとみんなも同じ事を考えているはずだ。その表情には如何せん何とも言い難い表情を浮かべているのだから。
一先ず全員がトラックの中に飛び込むと運転手は即座にアクセルを踏み、倒壊して来るビルから逃れる為に一直線に街の外へと走り出す。ユウ達は荷台の扉が開いた状況で崩壊していく街を見つめつつその場を後にした。
人が一生懸命に作り上げた物が圧倒的力を前にして破壊される。その光景をじっと見つめる。だってあの街には人類の進歩が刻まれている様な物だ。人々が過ごした日も、絶望も後悔も、戦争の跡も、全てが刻まれている。それが破壊されるのを見るのは胸が苦しかった。
でも、それ以上に胸が苦しくなる光景があって。
「――――」
アリサが運んだネシアの遺体。彼女はそれを優しく撫で続けていた。まるで、今まで何も言えなかった分慈しむように。だからその光景を見ているのはあまりにも残酷で眼を背けてしまう。だってアリサは未だ涙を流してネシアの頬を濡らしていたのだから。その光景を見ている事しか出来ないのが嫌になって、そんな現実から逃げるみたいに目を瞑る。
……彼女だけではない。今回の戦いで、他にも沢山の人が大切な人を失った。人間でも吸血鬼でもそれは変らない。ユウ達だって何人もの吸血鬼を殺して来たのだからその報いと言った所だろうか。戦争は誰一人として幸せになる事はない。その事をよく刻まれる。
するとアリサは語りかけて来て。
「自分のせい、なんて思ってるのなら大違いよ」
「アリサ……」
「ネシアは自分で選んだ。自分の意志で、私達の未来を本気で願って託したのよ。だから私は後悔してない。だから、アンタも後悔なんてしないで。それがネシアの想いなんだから」
「――――」
そう言われて黙り込む。しかしそうは言っても傷はかなり深く刻まれているはずだ。感傷は簡単には治らない。その証拠は確実に反映されていて、アリサの瞳からは一層大きな涙が流れては落ちていく。
自分を偽らない。ネシアが願ったそれは確かにアリサへ響いていた。だからこそアリサは嗚咽を交えながらも言う。
「全く、最期まで困った奴よ。誰かの為に本気で命を賭けられて、本気で全てを託しちゃうんだから。そんな所、大っ嫌いだったはずなのに。……何で、こんなにも大好きにさせてから死んだりするのよ」
何も言えなかった。言えるはずがない。何故なら大切な人を失った事がないユウが何かを言ったって、その痛みを分かってないからこそ今のアリサには届かないからだ。確かに誰かを失う事は怖い。だから今まで誰も失わない様に戦って来た。
でもアリサはどうだろう。ネシアを失って、どれほど傷ついただろう。
それでも尚、アリサはこの世界の絶望に挫ける事を断固と拒否して。
「……違う。コイツは死んでない。私の中に生き続けてるんだから」
「アリサ?」
「生きなきゃ駄目だもんね。コイツの望む遥か未来まで。それこそが最期の願いで、最初の頼み事だから。――大好きな親友の願いは、ちゃんと聞かなきゃ」
その言葉を聞いて考えを改める。アリサは感傷に浸っていた訳じゃないんだって。確かに心に傷は刻まれた。それは絶対に消える様な物ではないだろう。でも彼女はその事を知って、現実を知っても尚、友が背中を押してくれた事に感謝して前を向いている。一度挫けたとしても、既に前を向いて歩いている。だからアリサがどれだけ強い人間なのかを理解出来た。
故に彼女は空を見つめながらもそう言った。彼女が託した遥か未来に想いを託しながら。