162 『歴史が動く時』
ある日のどこか。
彼女は廃棄された遺跡の中に入り込み、綺麗な花が一面に咲き誇る花園に足を踏み入れていた。今日の空は雲一つない青天。花園でのんびりするのには持って来いの天気だろうか。それに気温も温かいからポカポカするし、昼寝もしてしまいそうになる。
そんな別世界の様に平和な花園に彼女はやって来ていた。
遺跡には苔が生えては所どころが崩壊していて、風が吹いているからこそ見ているだけでも寂しさを連れて来る。けれど日の光や花園によって神秘的な空間に置き換わっている。それこそ、ここにいれば争いなんて起きないような雰囲気を出す程に。
やがて彼女は座り込むと一匹の黒猫に向かって手を差し伸べる。
「ほら、おいで」
すると子猫はニャーと鳴きながら彼女の手に近づき、匂いを嗅いでは嬉しそうに首を擦りつける。どうやらその『彼女』には随分と懐いている様だ。
それから彼女は子猫を腕に抱くと遺跡の中を歩き始める。通路が分かっている辺り結構ここに来ているのだろう。彼女は迷うことなくある所に向かうと綺麗な景色を一望する。
向かったのは王室みたいな所で、木製の家具は既に古ぼけてしまっている物の、装飾や大理石で作られた王座は形が残されている。と言っても、それすらも苔や花が咲いてしまっているのだが。
彼女は王座には座らずその背後にある壊れた窓から身を乗り出すと、見渡す限りの花園を見て感動に浸る。
「うん。やっぱりこの景色はいつ見てもいいわね」
けれど、見えるのは花だけではない。花園の中には廃棄され苔に侵食されたヘリや兵器が残されていて、その中からはリスや狐などの動物が出入りしている。最初は綺麗だと思ったけど、やっぱり、この世界にいる限り戦争や絶望からはどこに行っても逃げられないのだろう。
やがて彼女は子猫を抱きしめると窓辺に座りながらも言う。
「……いつか、平和になればいいのに。人間も吸血鬼も機械生命体も、それぞれが手を取り合って、色んな物を分かち合って――――」
「やっぱり、ここにいたんですね」
「ひっ!?」
自然とやって来るそよ風に髪をなびかせながらも呟く。けれどその言葉は背後から掛けられた言葉によって中断され、彼女は咄嗟に振り向き声の主を確認した。視界の先には随分とお世話になった人物がいて、長くウェーブの掛かった灰髪と黒い服装とドクロのスカーフをした女性――――リザリーは彼女に喋りかけた。リザリーが敬語を使うって事は、相手はノアなのだろうか。
「り、リザリー……」
「団長、あまり王宮から抜け出さないでください。民へ示しがつきません」
「だって、あそこにいるとプレッシャーに押し潰されそうになるのよ。戦えって。勝てって。みんな勝つ事しか……相手を殺す事しか考えてない。もしかしたら分かり合えるかも知れないのに、その可能性を捨ててるの。そんなの、私は耐え切れない」
「――――」
すると彼女の放った言葉がリザリーを黙らせた。確かにリザリーは相手を殺すというよりかは相手と分かり合おうとするタイプだし、ノアの言っている情勢はあまり賛同できる物ではないのだろう。最も、向こうにとってはそれが普通なのだろうけど。
やがてノアはリザリーに問いかけた。
「貴女はどう思うの? 分かり合えるかも知れない人を、殺したい?」
「――――」
けれどその問いに答えられず黙り込む。眉間にしわを寄せては険しい表情をし、微かに目を逸らしては必死に答えを絞り出そうとしていた。しばらくした後にリザリーは答えを出すと正々堂々とノアに言う。それも、今と全く変わらない答えを。
「……殺したく、ありません。分かり合えるのなら相手を理解したいし、してほしいと思います」
「そうよね。それが、異常なのよね」
相手を殺し自分達が生き残る。それが吸血鬼全体の正義だと言うのなら、ノアとリザリーの思考はタブーにもなるはずだ。相容れぬ敵同士だと言うのに和解を望み平和を夢見ているのだから。それがバレた時、二人にどんな罰が下るかなんて分からない。
だからだろうか。ノアがこの時からある事を決意していたのは。
「……いつか私達の前に、希望を持った人が現れると思う。そうなればきっと私は負ける」
「団長?」
「もし私が敗れていなくなった時は、貴女にドミネーターの指揮を託すわ。きっと、指揮権を巡って争いが起きると思う。――貴女にしか言えない事よ」
「――――」
きっと言いたい事は沢山あったと思う。問いかけたい事だって。それなのにリザリーは何も言わずに無言で花園を見つめた。まるでその事を分かっていたかのように。それからは静寂が流れ込んで二人の周囲を無音に包み込む。
聞こえるのは遠くからやって来る花が揺れる音だけ。
やがてリザリーはそんな静寂を打ち消して言った。
「私は、希望を捨てたくありません。例えこの絶望的な世界だとしても、吸血鬼だからと忌み嫌われたとしても、団長がいなくなる未来があるとしても、決して諦めたくありません。だから私は戦う。何故なら、私は団長に全てを救ってもらったから」
「リザリー……?」
「絶対に守りますよ。団長が戦う時は、私が死んだ時か、もしくは――――」
「もしくは?」
「――私が、希望に負けた時です」
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「っ!?」
誰かの記憶の中に彷徨っている中、泣き叫ぶかの様な声に反応して意識は呼び戻された。だから咄嗟に起き上がっては状況を確認する。確か最後の記憶はノアに最後の一撃を仕掛けた所までだけど、そこからプツリと記憶が途切れてしまっている。だから即座にどうなっているかを確かめるのだけど、まぁ、そこまで心配する必要はないらしくて。
「みんなは!? ノアは!?」
「落ち着いて。全員怪我は治って命に別状はないから」
そう問いかけると冷静な声で返され、振り返るとユノスカーレットがじ~っとこっちを見つめていた。彼女がここにいるって事は致命傷の人はもういないって事だろうし、あれからかなりの時間が経ったのだろう。
みんなを見ると本当に傷は治癒された様で、服だけがボロボロな状態なまま大きな怪我は一つもなかった。だからこそみんなは起き上がったユウに飛びついて大きく倒れ込む。
やがて仰向けになったユウを覗き込むとユノスカーレットは言った。
「……今回も無茶したみたいだね」
「ああ、その、ゴメンナサイ……」
「今に始まった事じゃないから怒る気はないよ。問題児の名は伊達じゃないね」
そう言いながらも目だけは少しばかり怒りの色を浮かべている。こればっかりはユウにしか出来なかった事とは言え死ぬ直前まで行っていただろうし、今回は大人しく受け入れるしかあるまい。その証拠としてユノスカーレットは問いかけた。
「君の身体がどうなっていたのか、覚えてる?」
「ごめん。そこまでは……」
「簡単に言うと私が来なきゃ死んでた。大量出血に発熱、心肺停止、左腕の欠損、その他諸々。最高峰のドクターとして言わせてもらうけど、何で生きてるのか疑問だよ。普通なら死ぬ程の傷なのにこうして生きてるんだから」
「はは……」
気絶している間の自分の症状を知って唖然とする。かなりの真意を使っていたからそれなりの反動はあると知っていたけど、まさかそこまで過酷な物になっていたなんて。確かにそこまで行けば生きてる事が不思議に思うくらいだ。
普通なら死ぬ程の傷なのに生きている。その言葉を聞いて推薦試験の事を思い出す。あの時も死にそう――――って言うか死んだはずだ。それなのに生きて戻って来る事が出来た。
あれは明らかに普通の事ではない。
今思ってみれば他にも妙な事はいくつかあった。今まででも死にそうなくらいの大怪我はして来ているし、それで一度も生死を彷徨わなかったのも十分不可思議ではないだろうか。
それに真意の事もそうだ。ユウで真意を抱けるのなら、それ以上の希望を持ってるリコリスだって真意を持って然るべきだ。だって真意は花弁の――――花弁?
反射的にしがみ付いて来るリコリスを見た。確かあの時、リコリスが助けてくれた時、ステラの花弁以外の物が舞い上がっていた様な気がする。炎と同化して上手く見えなかったけど、紅くて綺麗な色だった様な。そうしているとリコリスと目が合う。
「どしたの?」
「……いや、なんでもない」
気のせいだと思い込む事にしよう。本人には自覚がないみたいだし、何より今触れるべき事ではないと思ったから。
やがてユウは起き上がるとユノスカーレットに肩を貸してもらいながらもノアへ近づいた。そしてすぐ傍に座ると仰向けになって倒れ込む彼女に話しかけようとする。でも、それよりも早く口を開いて。
「皮肉な話ね。この世界じゃ希望は一番のタブーなのに、それに頼らなきゃ救われないなんて」
「ノア……」
「私は負けた。もう立ち上がる意味もない。……大人しく貴方に救われるわ。この世界でただ一人、希望になれる貴方にね」
するとノアは手を伸ばしてユウの頬を撫でた。まるで手に入らなかった物がようやく手に入ったかの様に。その行動を諦観と見るか解放と見るか、ユウには難しい話であった。
ノアは今まで同じ仲間達のプレッシャーに耐え続けて戦って来た。心の底では平和を望みつつも、仕方のない事だと決めつけ、絶望を受け入れ、心を裏切ってまで戦い続けてきたはずだ。もう、疲れたのだろう。心を騙し続けるのに。走り続けるのに。
ならそこに希望や救いを与えなければいけない。そうしなければ、ノアの努力が報われないから。
「その顔だと私の過去を見たみたいね。自分の真意を使って」
「……!」
「もう疲れた。リザリーには悪いけど、私はここで救われる。……でも、貴方は諦めないんでしょ? リザリーを助ける事を。みんなと平和に過ごす未来を」
「……諦めない。例え俺が救い難い偽善者であったとしても、みんなを助けたい」
力が抜けて落ちていく手を握り締めてそう言った。本来なら殺し合わなければいけない敵だ。和解なんて出来ず、仕方ないと戦う運命を受け入れなければいけない事だ。それでも諦めたくなんて無かった。敵も自分達と同じなんだって知ってしまったから。正規軍の吸血鬼が言っていた様に、ユウ達は全ての人を含めて同胞とも呼べる存在なのだから。
するとノアは問いかけた。
「私はこれからどうなるの? 人体実験でもされる?」
「させないよ。ただ、血液採取とかでデータは図られると思う。それがあれば俺達は吸血鬼の事をより理解して強くなれるから。……もちろん、ノアが嫌がるのならやらせたくはないけど」
「――――」
元々ユウは助ける為だけにこんな事をしたのだ。その先なんてほとんど考えてない。その時点で既に救えるのかどうかというラインにいるのだけど、今はこうして救えているので問題はないだろう。そう決めつけた。
やがて少しばかり光の灯った眼でこっちを見つめるとある事を決心したようで、ノアは曇天を見つめると口を開いた。沈みゆく太陽の光が差し込み始める曇天を見て。
「協力するわ。戦いでもデータ採取でも、何でもいい。私ももう一度リザリーに会いたい。その為ならなんだって協力する」
「ノア?」
「貴方に救われたんだもの。その恩返しくらいはさせてくれるよわね?」
「……! 助かる!」
そう言うとノアは少しばかり微笑んだ。もしノアが協力してくれるのなら吸血鬼と言う種族の解析がより早く進し、魔術の適正度からユウ達でも魔術を使えるようになるかもしれない。戦ってる時は抵抗ばかりすると思っていたから不安だったけど、案外協調性がある様で非常に助かった。
咄嗟に振り向いてユノスカーレットを見ると肩を竦めながらも頷く。
「私はいいと思うよ。なんたって、その人は君の力で救ったんだから」
「……!!」
するとユウ以外にもみんなが嬉しそうな表情をして喜んでくれた。みんなノアを救いたかったんだ。その事を初めて知ったノア本人は少し困惑した様な表情を浮かべる。
やがてユウは上半身を起こしたノアに手を差し伸べると言った。
「ノア。これからよろしく」
「……ええ。よろしく」
そう言うと手を握ってくれる。何も怪しまず、何も迷わず、ただひたすらに救いを与えてくれる掌に対して。
この日、初めて人類は他の種族との和解を実現したって訳だ。恐らくこればっかりは初めての事だろう。一人の少年が歴史を動かしたのだ。絶望から生まれた少年が、希望を生んで、敵と手を取り立ち上がる。今はそれだけでも十分嬉しかった。だって、みんなの願いが一歩近づいたって事なのだから。
ただその時に誰かが少しだけ背中を押した気がする。
あの時にも背中を押してくれた、優しい手が。