160 『誰かの――――』
「りこ、り、す……?」
何が起こったか理解出来ない。いやまぁ、そう言うならリコリスが空を飛んだ辺りからずっとそうなのだけど、今回に限ってはそれよりも理解の及ばない現象が目の前で起きていた。だって何もない所から黒い剣を出すだなんて誰が予想できただろうか。
誰も反応しなかった。出来るはずがなかった。
ただの武器召喚ってだけならまだ納得できたかもしれない。リコリスは凄い魔術の使い手だったんだ~って納得できるはずだから。でも、違う。あれはただの武器召喚ではない。もっと別の次元からやって来た……文字通りユウ達では理解の及ばない異界の物だ。それを本能や第六感で悟る。
語源化が難しいけど、何というか、アレには憎しみとか憎悪とか、そう言う物があり得ないくらいに敷き詰められている気がしてたまらないのだ。
一言で言うなら『夜叉』とでもいった所だろうか。
鼓動が聞こえる。憎悪の鼓動が。
ユウでも感じた事のない憎悪に思わず腰を抜かして座り込む。だというのに、リコリスはそれを握りしめると悠然とした歩みでノアに近づいて行く。少しでも隙を見せると殺す気であるノアへと。
「貴女、その力は……!?」
「『鄂ェ蜚?≧證エ陌舌?蠖シ譁ケ縲ょスシ螂ウ縺ッ縺昴?諞、諤偵r莉・縺」縺ヲ縺励※縲∝?縺ヲ繧堤㏍繧?@蟆ス縺上☆轤弱→縺ェ繧九〒縺励g縺』」
リコリスはユウには解読できない謎の言語を口にすると歩みを止める。振り返ってみると理解出来なかったのはユウだけではないらしく、みんなも同じ様に顔をしかめては眉間にしわを寄せてなんて言ったのかを考えている。つまり今の言葉は誰にも理解出来ない言葉かつリコリスしか知らない言葉……?
謎の気迫を見せるリコリスに対しノアは恐怖した様な表情で数歩ずつ引き下がる。彼女も剣から放たれる憎悪に触れたのか、もしくはその言葉の意味を理解したのか。どっちにせよまともな結果じゃないのを理解してユウは立ち上がろうとした。
とはいっても腕がガクガクと震えて生まれたばかりの小鹿みたいに立てないのだけど。
「……確かに、殺し合うのがこの世界の当たり前だよ。それは仕方のない事で、絶望は誰にでも等しく降り注ぐ。でもさ、私はそんな世界が嫌なの。私は私で在りたい。私は、私の掴みたい未来を生きたい。だからこうしてここに立ってる」
「――――」
「私はみんなが好き。みんなと生きる未来の為なら、きっと戦い続けられる。それに私一人じゃ出来ない事でも、みんなとならやり遂げられるの」
「――――」
「この剣と力に誓って、私は負けない。そしてあなたを助ける。未来も掴む。誰一人として死なせない。例え私が救い難い偽善者であったとしても、それでも私は希望を諦めない」
リコリスはそう言うと真紅の瞳でノアを捉える。さっきとは打って変わって黙り込んだノアを。
彼女と比べてしまえばユウの覚悟なんてちっぽけな物だ。だってユウはただ仲間を失いたくないという自分の為に動いているけど、リコリスは誰も死なせないや誰もを助けると言った自分の為と、同時に願いを託された“その人”の願いを叶えるという誰かの為に動けているのだから。
あの剣が何を意味するのかなんて分からない。どんな意味があるのかなんて知らない。けれど、そこには決して軽くはない理由があるんだと感じた。今はそれだけがリコリスを突き動かしているという事も同時に感じる。
やがてノアは口を開くのだけど、そこから放たれた言葉は弱々しくて。
「……何で。何で貴女は、そんなに強くいられるの? 私達と同じなのに。絶望を知ってるはずなのに。それなのに、どうして……?」
きっと、リコリスと出会った誰もが思う事だろう。みんなから希望と言われるユウだって未だにリコリスの事が恐ろしくてたまらない。どうしてそこまで強く在れるのかって。
前にベルファークが言っていた。「希望を抱けるからこそ強く在れる」と。「みんなの希望になってくれ」と。でもそれをユウに言わなくたってもっと適任な人がすぐ傍にいるはずだ。それなのにどうしてみんなはユウにだけ希望だと言い続けるのか――――。
するとリコリスは答えた。
「強くなんてないよ。私はただ強く在ろうとしてるだけ。もし仮に、私との違いを指摘するなら、それは――――」
「それは?」
「――託された願いが、世界を救う事だからかな」
そう答えた瞬間にノアは黙り込む。リコリスの託された願いが、あまりにも大きくて、同時にどうしようもなく不可能な事だったから。何か言葉をかけようとしていたユウも言葉を失って唖然としていた。それは普通じゃ出来るはずのない事だ。だって、この世界を救うだなんて土台無理な事だから。
誰かを救うだけにしておけ。そう言いたくなる。でもそれを言ってしまうとリコリスへ願いを託した“その人”の願いを踏みにじる事になってしまう。それだけは絶対にしたくない。
「……なるほど。リザリーがその子に剣を託した理由が分かった気がする。同時に、私じゃ勝てないって事もね」
「じゃあ大人しく救われる?」
「いいえ。大人しくは救われない。ただ――――私の全てを、貴方達にぶつけてみたくなった!!」
するとノアは表情を変えて両手を大きく上げた。そこから炎を出現させては極限まで圧縮し、左手に炎だけで作った剣を握りしめ、右手には元から持っていた漆黒の剣を握りしめる。
漆黒の剣――――。リコリスも似たような物を持っているけど格が違う。彼女の場合は本当にただの剣でその鋭さや綺麗さから大事にしてるんだと読み取れる。けれどリコリスのはそう言った物が一切なく、相手を殺す為だけに作られたという様な気迫を感じさせる。心から恐怖を抱くくらいに。
リコリスも同じ様にして憎悪の剣を振り上げると一瞬だけ紅色の紋様を光らせ、剣その物に薄い光を纏わせる。その現象に何か嫌な予感を感じたユウは咄嗟に双鶴を前に持って来て防御態勢を作る。
やがて二人が剣の間合いに入ると同時に刃を振るった。
でも、次の瞬間からリザリーとぶつかった時よりも激しい衝撃波が駆け抜ける。
「っ!?」
必死になって双鶴で耐えようとするも吹き飛ばされてしまう。ユウだけじゃない。構えていたみんなも同じ様にして吹き飛ばされ、あまつさえビルそのものまでも粉々に吹き飛ばしていった。そうして周囲の物を文字通り消し飛ばした二人の周囲には巨大な硝煙が立ち込める。その真下に地下空間への穴が開いているかなんてもちろん分からない。
けれどどっちが優勢であったかというのは理解出来た。硝煙の中からノアが吹き飛ばされるのだから。
「リコリス!?」
「らあああああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!」
そう咆哮するとリコリスはもう一度紋章を光らせつつも剣を振り下ろし、何とか防いだノアを地面へと叩きつけた。それも軽く地面を抉らせる程の速度で。
さっきまでとは桁違いの威力に心から驚愕する。一体あの剣のどこにそんな威力が秘められているのだろうか。
剣その物の気迫もそうなのだけど、それを握ってからリコリスの様子が少しだけ変わった気がする。何というか、少しだけ別人格と置き換わっている様な、そんな別人の気配を感じさせた。まるで漆黒の直剣から誰かの意識が流れ込んでいるかのように。
その姿に少しばかり不安をかき混ぜながらもリコリスを見つめ続けた。
――どうしたんだ、リコリス……。いつもの動きじゃない。まるで、誰かの意識が流れ込んでいるみたいに……。
リコリスの動きと言うのは基本的に回避と迎撃を基本としつつも反撃をかますという戦法を取っている。要するに速さと手数で勝負をしているのだ。それなのに今のリコリスは全く別で、全ての攻撃において力任せの一撃を放っては目の前の相手を倒す――――いや、殺す事だけしか考えていない様な気がする。剣の一撃が途轍もなく重い分速さもかさ増しして更なる威力を発揮しているのだろう。
――でも、さっきまで少ししか攻撃の通らなかったノアを押してる。このままいけばいつか勝てるはず。
あの剣はノアの振るう剣よりも重く鋭いらしくて、リコリスが全力で振るう度に空気を切り裂いてはソニックブームを可視化させてどれだけの威力かを教えてくれる。それを避ける度にノアの表情はより一層苦しそうな物へと変貌していった。
直後にノアはもう一度あの光線を放とうとするのだけど、そこでもみんなが驚愕する様な光景が繰り出されて。
「このッ……!」
「――――!!!!」
左手を翳してはそこに光を集中させ、さっきよりは微量でも確実に人を殺せる様な一撃を放つ。例え小さな威力だとしても触れる物を分解・消滅させるビームだ。いくら何でも受けられる訳がない。と、そう思っていた。漆黒の直剣がそのビームを弾くまでは。
「弾いた!?」
咄嗟の事にそう叫ぶとリコリスは体を捻らせて光線を回避し、隙だらけの状態になったノアの背後へ回り込み剣を振るった。だから背中からは血が噴き出して地面を一気に濡らしていく。それでも止まらないリコリスとノアは互いに刃を交わらせてつば競り合いにまで持ち込んだ。
「貴女、その力……。何で貴女がその力を持ってるの……!?」
――“その力”? 何の事だ?
ノアの言葉に反応して少しだけ考える。普通の魔術ならばノアだってそこまで驚愕しないはずだ。それなのに心から驚愕するという事は、アレは魔術ではないのだろうか。何にせよリコリスはどの道普通じゃないという事だ。……まぁ、もっと言えばこんな世界であれ程の希望を抱けるのだからユウよりも異常なのだが。
するとリコリスはノアの問いに答える。
「何で持ってる、か……。持ちたくて持った訳じゃないの。これが、これこそが、私のやらなきゃいけない事だから!」
でもその答えはあまりにも謎に満ちていて、さっきの覚悟の言葉を比べてしまえば少しばかり話がすれ違っている様な気がした。やがてノアが喋るよりも早く剣を押し出すと大きく弾いて彼女を仰け反らせる。その隙に剣を叩き込んで大量に血を噴き出させながらも吹き飛ばした。
いつもならここで動きを止め降参するかしないかを問いかけるはず。それなのにリコリスは殺すと言わんばかりに追撃を仕掛けようと足を動かした。
――まさか!?
だからその時には既にユウも動き始めていて、咄嗟に真意で足を強化しては体を撃ち出してリコリスへと急接近した。この戦いはノアを助ける為にやっている。それなのに彼女を殺してしまったら元も子もないだろう。
この世界の当たり前に呑まれない為にもユウは必死にしがみついて動きを止めさせた。
「リコリス、止まれ! それ以上やったらノアが……! ――誰もを救いたいんじゃなかったのか!!」
「ッ――――」
やっぱり剣のせいなのだろうか。歩くのを止めようとしないリコリスにそう叫んだ。すると彼女は一瞬だけ動きを止めてはすぐに動きだし、咄嗟に手に持っていた剣を捨てては息を切らして前に倒れ込もうとする。その身体を必死になって支えた。
さっきから何がどうなっているのか、もう分からない。リコリスが何をしているのか。何に支配されそうになっていたのかも。
少しばかり霞んだ視界でこっちを見ると必死に視界を合わせて意識を保とうとしていた。だからユウは目線を合わせると何度も彼女の名前を呼んでリコリスの意識を引きずり戻す。
「りこり……え、リコリス!? リコリス、しっかり!!」
「ごめん。さっきからよく分かんないよね……」
「うん。全っ然分かんない!」
戦ったり悟らせる様な事を言ったり息を切らしたり倒れ込んだり、色々と忙しい人だ。それでもユウ達の為に頑張ってる事だけは分かる。その為だけにここまで体を削ってるんだって事も。
やがてリコリスはあの剣に付いて説明をし始めるのだけど、今はそれ以上にやらなければいけない事があるから静かにさせる。
「あのね、黒い剣の事だけど――――」
「今はいい。その代わり、後で全部説明してもらうから」
そう言うと走って来るみんなを見た。今の状況じゃリコリスは戦えそうにないし、ノアは傷の再生に時間を要するはずだ。その間ノーマークと言う訳にはいかないし、いきなり攻撃して来たとしても対応出来る人を傍に送らなきゃいけない。
つまりその人って言うのが……。
「みんな、リコリスをお願い」
「わかったけど、まさか行く気か?」
「その通り」
みんなにリコリスを預けて自分は立ち上がる。そして双鶴を上手く使いリザリーの剣を弾くと自分の前まで持ってこさせ、既に亀裂が入り壊れる寸前の剣を握りしめた。その不完全な状態でノアの近くまで歩み寄る。
背後からは心配そうな視線が向けられる。でもこれしかないんだ。今彼女の目の前に立てるのは、ユウだけだから。
「……降参する気は?」
「まだ、ない」
「そっか」
諦めてないんだろう。自分の全てをぶつける事を。けれどそれ以上やれば自分の体が持たないはずだ。それを彼女も分かっているはず。それなのにどうして――――。
ノアにもノアなりの正義がある。そう言い聞かせて納得させた。
やがて彼女はゆっくり起き上がるといった。
「私は負けない。私が負ける時は、自分の全てを出しきって、貴方達に助けられる時だけ」
「――――」
「もちろん相手になってくれるわよね」
光の灯った瞳でそう言う。要するにやるだけやってから救われ様って事か。痛いのは嫌だけど、既に救われる覚悟をしてあるだけまだマシだろうか。
ユウは一度だけ頷くと真っ向から剣を構えた。そして、言う。
「いいよ。俺が相手になる。――必ず、助けて見せるから」
今回出て来た文字化けですが、文字化けテスターなるサイトでカタカナを環境依存の細長い方にして復元すると……?