159 『覚悟』
ノアが入り込んだのは空間短縮の魔術……まぁ端的に言えばワームホールである。そこに入ればどんな場所であっても遠くに逃げる事が出来るし、撤退するにはもってこいの魔術だ。実際、ここでノアを逃がしてしまえばもう絶対に捕まえる事は出来ないだろう。
その魔術に干渉出来れば、だけど。
「このまま、どこか遠くへ……」
「――どこ行く気なのかな?」
「なっ!?」
リコリスはノアの背後に出現するとそう問いかける。するとノアは心から驚愕した声を上げ、眼を大きく見開きながらもリコリスを見た。まぁ、そりゃそうだろう。だって空間短縮の魔術は十分高位の魔術に当たるし、到底人間が使える物ではない。
更に移動している間は空間を短縮しているのだ。例としてこの世界で一m動けば向こうの世界では五mくらい移動している事になる。つまりピンポイントで現れるには相手の場所を精密に捉える必要があるのだ。
そんな条件の中でもリコリスは現れた。
直後に最大出力の光線剣を握りしめると大きく振りかざし、驚愕のあまり動けないノアに何の躊躇もなく叩きつけた。だから強制的に移動させられた彼女は亀裂の中から追い出されて今一度地上へと引き戻される。
普通なら最大出力で超大型機械生命体の装甲すらも斬れるのに、肌に当たっても斬れないのだから彼女の力はこれでも凄まじい。
……と、ここまでがリコリスの出した第一作戦の流れだ。ユウ達が追い詰めるとノアは必ず魔術を使って逃げる。そこへリコリスが介入する事によって連続で隙を突き攻撃を仕掛ける荒業だ。正直成功するか不安だったけど、まさか本当に成功させるとは。
実際に空間の亀裂からノアが吐き出されるのを見てユウ達は一斉に驚愕した。
「やりやがった!?」
「リコリスって何者なの……?」
いくら空を飛んだり炎を放てるリコリスでもそこまでは出来ないと思い込んでいたのだろう。みんなはノアが吹き飛ばされた事に驚愕すると眼を見開いて追撃を仕掛けるリコリスを見た。その時には既にユウも動き始めていて、半ば勝手に体が動いては彼女の後を追う。
どうしてリコリスがそこまでの力を持ってるだなんて分からない。もちろん疑問だらけだし、聞きたい事だって山ほどある。けれど今はそれらをどうでもいいと判断できる一つがあったからこそ、ユウは雑念にも何もとらわれずに攻撃を仕掛ける事が出来た。
みんなも驚愕から回復してはユウの後を追って走って来てくれる。
ここからは第二作戦の始まりだ。どちらが先に体力がなくなるか。それが勝負の別れ目となる。
ノアは起き上がると迫って来るリコリス視界に収めて剣を握り、不規則に動くリコリスからの攻撃を防ごうと防御態勢を整えた。しかしさっきまであれ程優勢であったというのに、たった二手であそこまで追い詰められるとは、そこまでリコリスの攻撃が聞いたのだろうか。
やがてノアから放たれた炎をユウの一撃が切り裂くとリコリスは真っ先に突っ込んで光線剣を叩き込んだ。
「貴女、その力は……!?」
「初めてかな? ――全力を出しても勝てない敵が現れるのは!」
二人はそう短く会話をすると互いの衝撃波に弾かれて少しばかり後ずさりをした。その隙をユウが埋めて連撃を繋げ、リコリスの隙を埋めると間髪入れずに突き攻撃を入れてノアを牽制する。
本来ならユウはこの戦いに混ざるべきではないだろう。だって魔術を使えない訳だし、全ての攻撃手段が近接必須の剣攻撃となるし。と言っても握っている細剣すらも壊れそうになっているのだが。でもみんなの中で手伝える者と言ったら真意を使えるユウだけだ。だからこそリコリスと一緒に連携を組んで攻撃を続ける。
リコリスとの連携は確実にノアを追い詰めている様で、ユウが防御・迎撃を務めリコリスが攻撃・反撃という組み合わせがよく効いているらしい。最初はユウが突っ込んで来た事にリコリスもびっくりしていたみたいだけど、自然にそんな組み合わせになると抜群の連携で戦い始めた。
「ユウ、体大丈夫なの?」
「俺の事はいい。それよりも今は……」
「……そうだね。ノアを倒さなきゃ!」
この作戦の最終目標はノアの殺害ではなく無力化・または捕縛だ。安全性はもちろん皆無だけど、状況によってはそれをする事によって様々な恩恵が受けられるかも知れない。リスクはあるもやる価値は十分にある。
何より、リザリーの願いを叶えたいから――――。
今のノアはさっきの不意打ち二連撃でかなり疲弊したはずだ。そこを全力で叩き続ければいつかは体力がなくなる。“窮鼠猫を噛む”という状況になるかも知れないが、それでも勝ち筋があるのなら少しでも高い方に。そう考える。
するとノアは早速反撃に出た。
「こんの……! 私を倒せると、本気でそう思ってるのかッ!!!」
掌に様々な属性のマナを溜めこむとそれは渦を巻き、次第と可視化されたエネルギーは高鳴って発射段階に持っていかれる。見ただけでも理解出来た。アレに直撃すれば命はないって。だからユウとリコリスは左右に飛び去るのだけど、次の瞬間にノアから放たれた光線はかなりの広範囲に渡って全てを焼き尽くした。いや、この光線の場合は焼き尽くすではなく触れた部分を否応なく分解・消滅させると言った方が正しいだろうか。
死の一撃を何とか回避すると二手に分かれて移動し攻撃するのだけど、ノアは大きく飛び上がると巨大なプラズマを生成させて体ではなく地面を破壊し足元を崩させた。そのせいで少しでも躓くとプラズマは眼前まで迫り、大振りな動作での回避と迎撃の両立を強制させられる。
しかしその攻撃はリコリスが純正の鉄を生成する事によってある程度は軌道を逸らされ、ユウはその隙に大きく飛び上がってノアを地面に叩き落とそうとする。
今はユウとリコリスしか戦えなくとも、ある程度まで体力を消耗させればみんなも参戦できるはず。そうなればノアを追い詰めるのがもっと楽になるだろう。要するにそこまで踏ん張れればようやく一段落って訳だ。
でも、ノアだって全力でやってる。そう簡単に事を運ばせる訳がなくて。
「いいわ。貴方達がそのつもりなら……!」
「――ユウ、離れて!!!」
「今すぐに、終わらせてやるわよッ!!!!」
ユウの刃があと少しで触れるという所まで進む事が出来た。けれど次の瞬間から刃が届く事はなく、リコリスの叫びも空しくノアを中心に回転し始めた風に連れ去られて吹き飛ばされる。それだけではない。同時に雷や炎も発生させると瓦礫を混ぜながら風を操り、超巨大な竜巻を発生させて見せた。
その風圧はリコリスすらも立つ事がままならない物で周囲の全てが吹き飛んで行く。
「貴方達に私を殺す気がないのなら愚弄も良い所よ。今は殺し合いをしているの。だからこそどっちかが死にどっちかが生きるのが当たり前。――それなのに私を殺さずに勝とうだなんて随分と舐められたものね。この世界の絶望が分からない様なら、今一度叩き込んであげる!!」
するとノアは大空に手を上げて竜巻の速度や大きさを更に上げる。そのせいで脆いビルは根元から崩され吸い込まれていき、大気中に飛び交っている雷や炎によって粉々に砕かれ瓦礫と化していく。だからどうにかして脱出しなきゃと考えるのだけど、残念ながらそんな方法はほとんどなさそうだ。
いや、ノアの狙いはこれだ。恐らくこの場でユウを殺す気なのだろう。雷と炎に焼かれ、瓦礫に体を撃ち抜かれ、内臓を零しながら死ぬ事を望んでる。そうする事でリコリス達に絶望と殺意を植え付け殺し合いをする気なんだ。
それに近づいただけでも吸い込まれるからどのような攻撃も不可能。回避できる手段はユウが少しでも動けるという点だけ。
ノアの言う通りで、もっと言うと仕方のない事だ。殺し合いをする以上どっちかが死にどっちかが生きる。それは片方の夢や願いを捻じ曲げてでも進むという事だ。それこそがこの世界の摂理。あるべき姿である。それを見て見ぬフリをする者に叩きつけるのも当然の義務という所だろうか。
でも、それを受け入れたくないからこそこうやっているのだ。臆病者でも、愚者でも、偽善者でも、叶えたい夢や守りたい人がそこにいる、それだけで希望を抱く理由になる。
「――――なっ!?」
「らああああああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!!」
だからこそ、リコリスは微塵も臆さずに巻き込まれれば死ぬかもしれない竜巻に躊躇なく突っ込んだ。左拳を握りしめては力を溜め、竜巻の風を狂わせるように風そのものを撃ち抜いて軌道計算を完全に狂わせる。
しかしノアもリミッターを外してでの全力だ。そう簡単に打ち破れるはずがなくて。
「ぐっ……!」
「そんな程度で私の攻撃を防ごうってんなら無理な話よ。なんたってこれは――――」
「じゃあ、みんななら大丈夫って事だよね!!」
確かにリコリスだけじゃ何とも出来ないかもしれない。ならみんなに頼ればいいだけの話だ。リコリスは笑みを浮かべながらもそう言うと掛け声もしてないのにみんなは一斉に飛び込んで来て、各々の全力攻撃をリコリスの間近に当てて一点集中を狙う。
すると風が大きく揺らいでは完全に竜巻を撃ち抜き、微かに風を残しながらも相殺する事に成功する。
直後に光線剣を振りかざすと双鶴を呼び寄せたユウも刃を振りかざし落下し始める。双鶴に足を付ける事によって落下の角度を決めると真意を発動させて一気に飛び出す。同時にリコリスも全力攻撃を叩き込んだ。
故にユウの振るった反動は地面を叩いて上空へ。リコリスの振るった反動はノアの背後へと駆け抜ける。ノアはその両方を掌と剣で受け止めていて。
「全く、厄介ね。貴方達みたいな希望しか持たない人は、絶対に止まる事なんてないんだから!!」
そう言いながらも二人を弾くと少しでも距離を開けさせる。少しでも隙を見せちゃいけない。それを分かっているからこそ、リコリスとユウが吹き飛んだ瞬間から残った全員が入れ替わって攻撃を仕掛けた。これで二人が戻るまでの数秒間は時間を稼いでくれるはず。
でも、現実がそう上手くいくとは限らない。
「ちょっ、何よこれ!?」
「ぐっ!?」
「がッ――――」
突如ノアの背後から現れた何匹もの大蛇。いや、大蛇の模型、と言った方が幾分かは分かりやすいだろうか。それは一人につき一匹が噛み付き、全員を噛み付くと否応なしにビルや地面へと激突させて大ダメージを与えていく。
一体どうしてそんな物がという疑問はもちろんあるけど、とにかくこのままにする訳には行かない。即座にそう悟る事が出来たからユウとリコリスは同時に飛び出して刃を振りかざした。
でも、その刃は決してノアには届かない。
「下から!?」
地面が盛り上がったと思った瞬間から大蛇は地中から現れ、抵抗しようとするユウに大きく口を開けると容赦なく胴体に噛み付いては大きく振り回す。この時点で下半身とさよならしてないって事は、刃は鋭くなく分厚いって事なのだろうか。まぁその分力強く噛み付かれるせいで骨がミシミシと嫌な音を立て激痛が走るのだけど。
リコリスはある程度反応出来た様で二、三匹は光線剣で弾き飛ばしていた。でも四匹目で同じ様に床待ってしまい空中で振り回される。
最終的に振り回すだけ振り回すと思いっきり地面に叩きつけてその上咀嚼する力も上げて来る。極めつけは自爆のフルコンボ付き。その瞬間にリコリスとユウの手からは互いの剣が離れて遠くの方へ吹き飛ばされてしまう。
全員がその爆破に巻き込まれると大きく吹き飛ばされ、唯一防ぐことが出来たリコリスを除いて立て続けに鈍い音を立て地面に落下する。皮膚が破けては血が吹き出し、額から血が流れては目に入って片方の視野を真っ赤に染める。そんな状況の中でユウは起き上がろうと腕に力を入れた。でも、あまりの威力故か体は微塵も言う事を聞いてくれなくて。
「リコリス……っ!!」
「どう? これでもまだ私を助ける気になる? これがこの世界のあるべき姿。“当たり前”なのよ。貴女がこれでもまだ私を助けようってんなら、私は死力を尽くして全員を殺す。貴女を含めた全人類をね。――希望に縋りつくのもいい加減にしなさい」
ノアは両手を広げると自ら悪役に徹して歪な笑みを浮かべる。……そう言う割には、あまりにも不器用な笑みを。まさか演技でもしてるというのか。この状況で? 何の為に?
この世界の絶望は当たり前。当然の事を言われたリコリスは俯いて黙り込む。周囲が炎に包まれる中、静寂は炎の揺れる音だけを響かせてリコリスを包んだ。だって、ノアの言う事は何一つ間違いではなく、当たり前の事を言っているのだから。
だからこそ、リコリスは言わなきゃいけなかった。
「じゃあ、いつこの戦いを終わらせるっての。自分が血を流せばいい戦争。誰かの血が流れなきゃいけない戦争。私は、その二つを終わらせる為に……この世界を壊す為だけにここにいる。その為には希望に縋らなきゃいけないの。――例え、私が光の中に消えるとしても!!!」
最後にそう叫ぶとリコリスは右手を前に翳した。その瞬間から誰も予想しえなかった光景が繰り広げられる事となる。
薄赤い光が周囲に立ち込めるとそれはリコリスの前に集中して眩く光出し、やがてその中から黒い何かが生成される。ソレを掴むとリコリスの背後に何かしらの紋様が浮かび上がり、数秒だけ姿を見せると即座に消滅して赤白い光は一層強く光り出す。
リコリスはその黒い何かを光の中から引き抜くとそれは直剣を模っていき、しばらくしない内にソレは漆黒の直剣へと姿を変える。更に赤白い光はその剣に吸い込まれ紅色の色彩を与えては背後に現れた紋様を柄に刻んだ。
突如現れた漆黒の直剣を掴んだリコリスはそれを掴むと真っ先にノアを見据える。
周囲の炎が揺れる中、同じ様に美しい銀色の長い髪を揺らし、服をはためかせ、真紅の瞳を更に黒く深い色に変貌させながら。