157 『愚者(小さな英雄)』
双鶴に乗って激しく移動し続けるリコリスへと接近する中、ユウは脳裏で必死に考えていた。どうすればノアを殺さずに捕まえられるのかと。
一度リザリーに希望を与えてしまった以上、彼女の期待を裏切る様な事はしたくない。となればノアを殺す事は出来ない訳で、しかしそうなれば手段は限られる訳で、更には捕まえたとしても安心はない訳で。自分で言っておいてなんだけど何でここまで厄介な事を引き受けてしまったのか。
――リコリスの強さは今は考えなくていい。今はノアの事だけを考えろ……!
自分にそう言い聞かせて雑念を振り払う。リコリスの強さも十分気になるけど、今ばっかりは気にするべき事ではない。だからその部分を完全に切り捨てる事で他の事へと思考を回した。
でも、早速その思考をぶらす出来事が起きて。
ノアの振るった刃がリコリスの脇腹を捉えて微かに血を噴き出させたのだ。だから真紅の血は空を舞って落下していく。それを機にリコリスの勢いが衰えて行き、比例する様にノアが攻勢へと転じていく。連撃を防ぐ事が出来ても反動に歯を食いしばり着実に追い詰められていった。
やがて何度目かの攻防の末にノアは微かな隙を突いて炎を極限まで収束させた攻撃を放つ。恐らくこれで致命傷を与えるつもりなのだろう。
けれどそんな事はさせない。そう思った瞬間から自動的に真意が発動しては双鶴を強化し、ユウの想い抱いていた速度よりも遥かに加速させた。だからその早さに付いて行けず発動者自身が振り落とされるという結果になり、もう一個の双鶴の手摺に捕まりながらも加速した方の制御に力を入れる。
直後にノアの放った一撃にユウの双鶴が真横から直撃し、圧縮された炎は行き場を失って大爆発を引き起こす。当然リコリスは驚愕する訳で、ユウは即行で近づいては左腕だけで彼女を抱きしめ移動する。
「ゆ、ユウ!?」
「悪いけどちょっと来て! 作戦会議タイム!!」
そう言いながらも炎を煙幕代わりにして近くにあったビルへ突っ込む。先に双鶴で硝子を割ると破片が刺さらないように奥の方へ着地し、念の為に古ぼけた机の影へ隠れると真っ先に傷口の具合を確認する。それから自分用の回復剤を打ち込む。
するとリコリスが当然の事を問いかけて来て。
「大丈夫!?」
「私は平気だけど、それより、何で……」
「さっきので怖がられた、なんて考えてるんなら不正解だぞ。リコリスを怖がるなんてする訳ない。だって、リコリスは俺にとっての英雄でもあるんだから」
「っ――――」
その問いにありのままを答えるとリコリスは少しだけ赤面した。だからその反応が少し新鮮に感じつつも早速本題を話し出す。しかしその話はノアを実際に相手にしてるリコリスにとってはかなり衝撃的かつ驚愕するような内容であって。
「って、そうじゃなくて作戦会議。実はその、伝えたい事があるんだ」
「何?」
「えっと、戦ってるリコリスには言いずらいんだけど……ノアを助けたい」
するとリコリスは少しの間だけ真顔で固まり、言葉の意味を理解してからゆっくりと驚愕の顔にしていった。当然だろう。彼女の強さと厄介さは戦ってるリコリスの方が分かっている。それなのに敵を助けた異だなんていうのだから。
それなのにリコリスは怒りもせず冷静に理由を聞いた。
「……訳を聞いてもいい?」
「うん。リザリーっていう吸血鬼がいたんだけどさ、地下都市で少しだけ理解しあったんだ。願いや期待が同じって事を。それでその、敵と仲良くなって、ノアを倒すって言った時に物凄い暗い表情をしてさ。それで……」
いくらリコリスでも馬鹿野郎の一言くらいは言うだろう。っていうか、この状況でそれを言わなきゃ普通じゃない。だって本来なら殺し合わなきゃいけない存在だ。それなのに心を通じ合わせて殺害対象を自分勝手に助けると言ってしまったのだから。
仲間を助けるだけならまだよかった。それなのに敵をも救いたいと言うだなんて、あまりにも救いようがなく、同時に、
「度し難いね」
リコリスからそう言われて黙り込む。リコリスは誰も彼もを助けたいと言っていた。けれどそこに敵は含まれない。だってそれは“仕方のない事”であって、“目指してはいけない領域”なのだ。敵を含めた誰も彼もを救いたいだなんて夢のまた夢。この世界で希望を抱く事がいけない事なら、敵を救いたいと願う事は世界その物を敵に回すという事だ。
救いなんて存在しない。諦めるしか道は残されていない。その中で敵をも救いたいと願うのは、あまりにも愚かで救いようのない物だから。
今も聞こえる戦いの音。今まで見てきた魂の消滅。それらは全て“仕方のない事”だ。その“仕方のない事”に縋らなければ、大勢の命を奪ったという現実から目を逸らす事は出来ない。ユウだってそう思いながら人を殺した重みから逃げ続けて来た。
でも、そうしたからってどうなる? 死んでいった人は誰が報いる?
全てリザリーが気づかせてくれた事だ。
「そこで気づいたんだ。もう何からも眼を背けたくないって。例えそれを見つめる事で絶望が生まれても、痛みが刻まれたとしても、それでももう何からも眼を背けたくない。絶望にも、希望にも、命にも」
「――――」
「俺は全ての人を助けたい! その言葉が完全な偽善である事は知ってる。実践出来ないって。そう言いながら殺し続けるって事も。だけど、そうだとしても、助けられるのなら助けたい。そうじゃなきゃ、今まで死んでいった人達の意味がなくなるから」
「――――」
ふと瞳から熱い何かが零れ、それは頬を伝って床に落ちていく。リコリスはそれをじっと見つめていた。彼女がなんて言うつもりかなんて分からない。けれど確実に分かるのは呆れられている事だけ。ここまで愚かで惨めな人を見るのは初めてだろうから。
でも、それなのにリコリスは呟いた。
「……懲りないね。君は」
「え?」
「どれだけ打ちのめされても、どれだけ絶望に触れても、決して諦める事はない。だから、私は……」
何か意味ありげな事をぶつぶつと呟き続ける。その言葉の意味は分からなかったけど、脳裏で何かを思い返している事だけは理解出来る。だからユウはリコリスの反応を待った。この作戦……って言うよりこの考えはリコリスの返答次第で大きく変わって幾から。
やがて彼女は優しく頭を撫でると言う。
「いいよ。一緒にノアを助けよう」
「…………!!」
その言葉を聞いて一気に表情を明るくさせた。ここで否定されたって自分を捻じ曲げれば仕方のない事だと言い聞かせる事は出来ただろう。だからこそリコリスがそう言ってくれたことが何よりも嬉しかった。そのせいなのか、頬にはもっと大きな涙が流れていく。リコリスは手を動かすと親指で涙を拭い、頬を撫でながらも優しく喋った。まるで泣いてる子供をあやすかの様に、優しく微笑みながら。
「でも忘れないでね。言葉は人を救う事がある。でも、言葉だけじゃ救われない人もいる。だからその時は、己の全てを賭けて戦うって事を。――そして私が、ユウの味方なんだって事を」
「……うん。絶対に忘れない」
そう言うとリコリスはうんと頷いては一緒に覚悟を決めてくれる。だから物凄い心強さを感じてユウも同じ様に頷いた。やっぱりリコリスはリコリスなんだ。例えそれが難しい事だと分かっていても、助けてほしいと言われたら助けようとしてしまう。……いや、助けを請われなくても助けてしまうのがリコリスであったっけ。
やがてリコリスは少しだけ考えると意味深に喋りかける。
「そっか。だから私は、あなたと……」
「リコリス?」
ユウに誰かの影を重ねていたのだろうか。頬を撫でる手付きはあやすと言うより愛おしそうな物へと変化し、表情も幾分かは柔らかくなっていく。この様子だとリコリスに真意と【失われた言葉】を教えてくれた大切な人か、もしくは彼女のお姉さんか。そう思いながらも問いかけるとハッと我に返ってすぐに手を引っ込める。
「あ、ごめんごめん。少しボーっとしてた」
「――――」
その言動に少しだけ考える。アリサもイシェスタもテスもガリラッタも、全て大事な人を失ってここにいる。もちろんリコリスだってそうだ。でも、みんなを救っているからこそ、救いを与えている側のリコリスは一度も救われない。
大切な人を失う辛さと言うのは物凄く痛い物だ。救いというのは一時的にではあってもその痛さを忘れさせてくれる。けれどリコリスはどうだろう。一度も救われないで、ずっとその痛みを刻み続けて――――。
無意識にリコリスの手を掴むと言う。
「ユウ?」
「……俺じゃ力不足かもしれない。リコリスの望むような物は与えられないかもしれない。でも、もし叶うのなら、俺はリコリスも助けたい。何かを失う痛みから連れ出してあげたい」
するとリコリスの眼は大きく見開かれてこっちを見つめる。そりゃ今さっき敵を助けると無理難題を言ったばかりなのにこんな事を言えばそんな反応にもなるだろう。何も出来なくて大した力がある訳でもないのに、口先だけは一人前の、救い様のない筋金入りの偽善者の言葉だ。その言葉がリコリスに届いたとしても実際に救いを与えられるかは分からない。
けれど彼女はその言葉を甘んじて受け入れてくれて。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。小さな英雄さん」
「ち、小さな英雄……?」
「昔読んだ童話に出て来た人の事。その人は決して強くはなく、大きな力を持ってる訳でも、魔法を使える訳でもなかったの。でもその人は誰よりも大きな希望を持っていた。だから小さな英雄って呼ばれてるんだって」
まるで追加設定かの如く唐突に表れた童話の話。それに少し困惑しながらも考え込んだ。決して強くはなく、力もなく、魔法も使えず、けれど大きな希望を持ってる。それがユウに重なったって事なのだろう。ユウを小さな英雄と呼べるまでにそっくりであったから。
ユウはとても英雄と呼べる様な器ではないだろう。偽善者で自己中心的で人だって平気に殺す。それを小さな英雄と呼ぶのならリコリスは大英雄とでも言った所か。
けれど、もし仮にユウを英雄や希望と呼び続けてくれるのなら。
「……じゃあ俺がその英雄になる!」
「その意気だよ」
そう言うとリコリスは拳を突き出して合図を交わす。これで作戦だけじゃなく心意気まで整ったと言う訳だ。だからってノアに勝てる保証はどこにもないけど、それでも今はこれでいい。そう思いながらも立ち上がった。
まずは迎撃手段を整えなきゃ。それからみんなと連携して……。
直後にリコリスは人差し指を立てながらも言った。
「一つだけ案があるんだけど、いい?」
「え……?」