155 『激動する事態』
「え? ――――え?」
何が起こったのだろう。その一言だけが脳裏を埋め尽くす。
確かリコリスは炎を纏った拳を突き上げてノアを殴ったはずだ。そこまでならそういう武装なんだって言い聞かせる事も出来た。それなのにその一撃はノアを遥か上空にまで吹き飛ばし、あまつさえ天井に大規模な穴をこじ開けるくらいの威力を持っていた。ノアでさえも人ひとり通るくらいの穴しか作れなかったと言うのに。
直後、ノアの時よりも強い衝撃波に叩かれてユウは吹き飛ばされる。まるで巨人の拳に叩きつけられたかの様な風圧は周囲の瓦礫も全て吹き飛ばし、挙句の果てには脆い廃ビルをも粉々に吹き飛ばした。そんな威力の風圧が飛んで来るのだけど、咄嗟に飛び込んで来たリザリーが助けてくれる。
「リザリー……」
「あのリコリスって奴、本当に人間なの? 魔術師だとしても度が過ぎてる。あんなの、もう化け物の領域よ」
ユウから見て既に化け物であるリザリーがそう言うのだから本当にそうなのだろう。その言葉を聞いて驚愕してはリコリスを見る。普通ならリザリーに襲われてると思ってもいいシーンなのだけど、リコリスはこっちを見ると軽く微笑んではそこに立ち尽くす。二人の驚愕と畏怖の表情を見ながら。
やがて空を見つめると足をかがませて神速で飛び上がってしまう。ユウから見ればただの瞬間移動でしかないのだけど、どうやらリザリーにはしっかりと見えていた様で。
「普通のジャンプなのに捉えるので精一杯って、どんな脚してんのよ」
「ヤムチャ視点ってこんな感じなんだろうな……」
「やむ……何?」
「気にしないで」
そんな茶番を挟みつつも肩を貸してもらい立ちあがった。化け物二人がいなくなったことで地下空間はもう一度静寂に包まれ始め、戦闘で忘れていた冷たい空気を連れて来る。けれど今は外から入って来る光と空気があるし、そこが唯一の違いだろうか。
ふと三人で大暴れした街を見る。元々廃都市なだけあってかなりボロボロであったけど、三人での戦闘で酷くハチャメチャに壊れてしまっていた。まぁ、踏み込んだだけでビルを倒していたのだから当然な気もするが。
「アンタの言ってたリコリスって奴、一体何者なの? 明らかに普通の人間じゃないわよ」
「……リコリスは俺達十七小隊のリーダーだ。誰よりも強い希望を放つ、俺の憧れ」
「アンタの憧れね。にしても、いくら隊長だとしてもあの強さならもっと上を行けるはずだけど?」
「そこら辺は俺にも分からない。だって、あんなに強いの今知ったんだもん」
「でしょうね。反応からして分かる」
そんな会話をしつつも大穴の真下まで歩いていく。どうやらリコリスとノアは完全に外で戦っているらしく、到底人間が出せるとは思えない音を出しながらも戦闘している事を伝えてくれる。実写版ドラゴンボールみたいな事するなとか考えながらも久しぶりに見れた空を見つめる。とは言っても視界いっぱいに雲が広がってるのだけど。
とにもかくにも脱出口が確保されたのなら逃げなくては。そう思い至って双鶴を探そうとするもやっぱり通信に反応ない。そりゃ結構移動してしまったし、更に遠のいても仕方ないか。そう考えているとリザリーは背後に回り込んで膝と背中に手をかけてお姫様抱っこの形を作る。
「えっちょ、リザリー!?」
「これしか上に上がれる方法はないでしょ」
「まぁそうだけど、流石にこれは……ぎっ!?」
しかしユウの言葉も聞かずに飛び上がっては地上に足を付ける。その間リザリーにしがみ付くのだけど、特にいじわるする事もなく地上まで送り届けてくれて、眼を開けると久しぶりの緑を見る事が出来て心から安心する。まぁ緑と言っても苔とかそう言う緑ではあるが。
固い地面に手足を付けるとようやく生還出来た事の心から喜ぶ。
「よかった。やっと戻って来れた……!」
「案外長居しちゃったわね。大体二十分ってトコか――――」
「そうだ、戦況!!」
「あんなにやられてたのに元気な物ね……」
安堵しているユウに対しリザリーは時間を確認して冷静に分析しようとするのだけど、即座に起き上がってそう言ったユウに小さくツッコミを入れる。元気なのはもういつも通りとしか言いようがないだろう。今回も今まで同様コテンパンにやられてた訳だし。
そうして《A.F.F》で作戦状況を確かめているとリザリーは小さく呟いた。それも二人にとってはとても大事な事を。
「……アンタはこれからどうするの?」
「一応、仲間と合流してノアを追おうと考えてる。どこまでやれるかなんて分からないけど、でも、やれる事はやりたいから」
「そっか」
ノアを倒す事には変わりない。だからそう答えるとリザリーは残念そうな表情を浮かべる。けれどこれが戦場の常だ。どっちかの大将が敗れるまでこの戦いは終わらない。それこそどんな犠牲を出したって、一部の敵同士が心を通じ合わせたって同じ。けれどユウは言わなければならなかった。
「――絶対に死なせない。必ず助ける。これだけは約束するよ」
「……ありがとう」
しかしそうは言っても殺されれば悲しむし、捕まれば心配するはず。いくらユウが先頭に立つと言ってもその効力には限りがあるし、ミーシャの時みたくどこぞの研究機関に奪われたら絶対的な安心は保証できない。それに捕まえたとしてこっちにも被害が生じるかも知れないのだ。拘束したにしても暴れる可能性があるし、逆に研究されるくらいならと自害したっておかしくない。
何も良い事だらけと言う訳ではないのだ。そうだとしても諦めたくない。
「リザリーはどうする?」
「私は大人しく撤退するわ。これ以上アンタといる訳にはいかないし、剣も渡しちゃったから撤退する都合もいいしね」
「ああ、ごめん……」
「良いわよ別に。アンタが助けてくれるって分かってるんだし」
そう言うとリザリーはさり気なく期待してる事を示唆しつつも振り向いてリベレーターがいる方角とは真逆に歩いて行こうとしてしまう。だから何か言った方がいいかと迷うのだけど、こういう時って何を言えばいいのか分からずに口ごもってしまう。それも敵同士な訳だし。
その時にリコリスの言葉を思い出す。ユウがこの世界の絶望に初めて負けて立ち直った時、彼女が言ってくれた言葉を。百の謝罪よりも一の感謝の方が喜ぶと。だからこそユウは去りゆく背中に言った。
「リザリー」
「ん、なに?」
「――ありがとう!」
「…………!!」
するとリザリーは眼を皿にしてこっちを向いた。同時に瞳には数多くの光を灯らせ、感銘を受けた様な表情で。憶測でしかないけど、多分誰かからありがとうって言われた事が少ないのだろう。だからリザリーは少し戸惑った様なそぶりを見せては最終的に照れくさそうに言う。
「どう、いたしまして……。もう行くわよ」
「うん」
その言葉を最後にリザリーは飛び去って行った。決して振り向く事なく。だからユウもみんながいる方向へと足を向けた。せっかくリザリーがここまでしてくれたんだ。その努力を無駄にするような事は絶対にしたくない。
それにようやくみんなと合流できるのだ。地下にいる間に作戦がどれだけ進んだのか知っておきたいし、みんなの負傷によってこれからの方針も変えなきゃいけない。
今はリコリスがノアを追っているだろうけど何もしないってのは無理な話だ。だからと言ってユウが行くと言ったらみんなも付いて来るだろうし、流石にボロボロの状態の人をラスボスの前に連れて行く事は出来ない。まぁ、それは今のユウが言えた様な口ではないのだが。
念の為事前に位置情報を確認すると既にみんな纏まっている様だった。だから一直線にそこを目指す。やがて数十分ぶりにみんなの顔を見ると大きく手を振りながらも駆け寄った。
「お~い、みんな~!」
「あっ、ユウ!! よかった、戻ったんだ――――」
「ユウさん!!!」
「ぱらがすッ!?」
のだけど、みんなが反応する中でイシェスタがタックルで突っ込んで来るから素っ頓狂な事を叫びながらも何気なく鳩尾に大ダメージを食らう。普段は大人しげなイシェスタだけど、タックルするくらい心配だったって解釈でいいのだろうか……。
そうしているとみんなは駆け寄ってユウの安全を心から喜んでくれる。
「お前が地下空間に落ちたから凄い心配したんだぞ、全く」
「そーだぞ。アリサから敵と一緒に落下したって聞いたから俺達も探しに行こうって考えてた所なんだから!」
「でもまぁ、大きな傷もない様でよかったわ」
そんな感じで生還を歓迎されるのだけど、今は流暢に話してられる場合ではない。テスがここにいるって事はリコリスの信号は見付けられたか他の人達に捜索を任せたか。どっちにせよ人手が多いに越した事はないから即座に置きあがって状況を伝える。
「って、今はそんな事してる場合じゃない! いきなりでよく分からないと思うけど聞いて欲しいんだ。地下空間でリコリスと会った。でもそこにノアも現れて――――」
それからユウはリザリーとの一件を省略しつつも現状を説明した。もちろんリコリスが人間離れしかつ化け物じみた力を使っていた事も含めて。普通なら到底信じられる様な事ではないのだけど、ユウが話しているからか、はたまたリコリスだからと言う理由なのか、みんなは案外簡単にその話しを信じてくれて。
「なるほど。で、そこに向かおうと」
「そう。でも俺の憶測じゃ人手が足りないんだ。だから今すぐに――――」
「その心配はないよ」
ユウは自分達だけでノアの所へ向かっても確実に戦力不足だと予測している。だから最低でも他の小隊の隊長クラスを三人くらいは引き連れて行きたいと考えていたのだけど、そう説明している最中に背後からそう言われて咄嗟に振り向く。
すると視線の先にはリコリスと仲のいい面々が集っていて、ユウを見つめていた。
「なっ、みんな!?」
「私達も行く。安心しなされ!」
やがてエルピスはウィンクしながらも指を振るとそう言った。
まるで、いつも通りだ、とでも言う様に。