154 『怖い希望』
「りこり……え、リコリス!?」
「そう。リコリスだよ」
MIA扱いになっていたリコリスが目の前にいる。彼女が助けに来た事よりもその事だけがユウに驚愕を与えていた。まさかもう一回会えるだなんて思わなかったから。本物なのかと確認している内にリコリスは手を伸ばして頭に乗せ、優しく温かい掌で撫でてくれる。だから最悪の結果になってなくてよかったと安堵して心から安心する。
心から込み上げる感情は涙として形を変え、大粒の涙は頬に流れて地面に落下していった。するとリコリスは微笑みながらも言って。
「よく一人で戦ったね。後は全部、私に任せて」
「……全く、来るのが遅すぎだよ。ほんと、死んだかと思ったじゃん」
「ごめん。こっちも色々と手間取っちゃってさ。でも――――」
「でも、生きててくれて、本当に良かった」
「――――」
恐らく心からの笑顔を浮かべる事が出来たのは生まれて初めてだろうか。そう認識出来たのは彼女の瞳に反射していた自分の笑顔であった。その笑顔を見たリコリスは面を食らった様な表情をして、眼を更にしながらもこっちを見つめていた。
やがて口元を綻ばせると光線剣を握りながらも言う。
「もう大丈夫だよ。私はもうどこにも行ったりしないし、死にもしない。そして、死なせもしない。私が全部背負って守るから!」
「リコリス……」
全部背負うなんて土台無理な事だ。ユウだって全ての物は背負いきれないと言うのに、その小さな背中で全てを背負うだなんて。……それなのにリコリスは決して諦める事はせず全てを背負おうとノアに立ち向かおうとする。ユウの命も、みんなの命も、死んでいった人達の想いも、作戦の成功も、文字通りの全てを。だからユウの目指していた物がこんなにも高い物だったのかと知って唖然とする。そりゃ、こんなのに追いつこうだなんて苦労する訳だ。
「……勝てるのか?」
「勝つよ。絶対に。じゃなきゃみんなを守る事なんて出来ないんだから」
そう問いかけると前を見つめつつも答えた。土埃の中から何事もなかったかのように歩いて来るノアを。ビルを何個も突き抜ける程の拳を顔面に食らっておいてほんの微かしか血が出てないだなんて、やっぱり化け物としか言いようがないだろう。その頑丈さが羨ましいばかりだ。
「驚いた。まさか私を殴り飛ばす人がそっちにもいただなんて」
「自慢の一撃だったからね。それに私は普通とはちょっと違う。あまり舐めない方がいいよ」
するとリコリスはノアを鋭い眼光で睨みつけた。途端にノアは少しだけ虚を突かれた様な顔をして驚き、半歩だけ引き下がる。だから威圧だけでノアを引き下がらせる事が出来るリコリスにこっちも驚愕した。まさかリコリスの威圧がノアに通日だなんて思いもしなかったから。それ程なまでに今のリコリスは怒ってるって事なのだろうか。
「気を付けろ! ノアは中遠距離を超高威力の魔術で、近距離は剣で攻撃して来る! それ以外にも素の身体能力が高いから最悪……!」
「ノア? なるほど。じゃああんたが吸血鬼を操ってた張本人って事ね」
「その通り。私がドミネーターを指揮してたノア・リスカノールよ」
「リスカノール……。そう言う事か」
「え?」
瞬間、リコリスは「リスカノール」という家名に反応して何かに納得した。でも作戦資料にはリスカノールとかの情報は書かれていなかったし、リコリスがその情報を知る由もないはずだ。それなのにどうしてリスカノールという言葉に反応したのか――――。そう考えるよりも先に二人は動き始めた。
「リコリス、今の――――ッぶぁ!?」
二人の姿が消えたと思った瞬間には真正面から激突していて、刃を交わらせては激しい火花を散らせていた。ノアはとにかく化け物じみた身体能力を持っているからその早さも理解できるのだけど、リコリスはいくら加速系の武装を使っているとは言え、そこまでの急加速を生み出せるのだろうか。
やがて二人の間では大量の火花と剣の残像が残り神速の剣戟が開始される。
その衝突で生まれる風圧は互いの髪と服をなびかせては火花の反射で輝かせる。
「すっご……」
ぺたんと座り込みながらも二人の剣戟を見てそう呟く。神速で剣を振り続けられるってのも十分凄いのだけど、それ以上に向って来る神速の剣を信じに見抜き弾き反撃する、行動を幾度となく行えるのが何よりも衝撃を与えていた。
ノアは当然としてリコリスは人間。その身体能力や動体視力には限りがある。アリサみたいに動体視力を強化する武装を使っているのなら納得は出来るもそれもないのだからより一層凄さが分かる。それこそ本当に人間なのかと疑ってしまう程に。
真意を使えないのにノアの攻撃を全て受け流してはあまつさえ弾き出し、剣戟の隙を突いて反撃まで加えていく。その人離れした能力にノアも疑問を抱いたのか、眉間にしわが寄っては表情が少し厳しい物へと変貌している。
「貴方、その力は――――」
「ッ!!!」
まるでノアの言葉を掻き消すかのように激しい金属音が耳を劈く。話す機会すらも与えないリコリスは自身の動きを更に加速させていき、確実にノアを追い詰めて行った。
しかし相手もただやられる訳にはいかない。だから零距離であっても魔術を展開して少しでも手数で有利を取ろうとする。
「後ろだリコリス!!」
そう叫ぶと背後に生成されたツララに気づき、光線剣の出力を上げては剣を激突させる衝撃波でそのツララを吹き飛ばす。それも離れた所にいるユウの隣にまで。その後に生成される大量の炎や雷も全てに対応してみせ、全ての攻撃を的確に弾いて言った。
だからその反応速度にも驚愕させられる。
やがてノアが地面を踏むと亀裂を走らせて大きくバランスを崩させる。そこにアッパースイングで炎を纏った拳が振り上げられ、確実に命中すると規格外の威力と共に打ち上げられる。それも天井を突き抜けて地上に飛び出てしまうくらいに。
「ちょ――――ぶぇっ!?」
その風圧は離れているユウの所にも行き届いて吹き飛ばされる。だからあまりの威力に腰を抜かして座り込んだ。ユウとリザリーがぶつかり合った時みたいな大きな穴ではなく人ひとりが通れるくらいの穴ではあったけど、それでも天井を突き抜く程の威力があったって事だ。それこそ二人が全力でぶつかりあった時みたいな。
それを生身で食らっていた。信じたくはないけど、それも鳩尾ド真ん中に。
「りこ、り、す……?」
地上まで吹き飛ばされてしまったのだろうか。殴られてからリコリスの姿は影も形もなかった。だから最悪な結末が脳裏を駆け巡る。もしかしたら既に肉片にされてるとか、そんな予想をしてしまうから。だってあれ程の威力を真正面から食らったのだ。普通なら生きてる訳がない。
そう。普通なら、だ。
「中々手強かったわね。久々に肝が冷えたわ。でも残念、私には――――」
ノアはそう言ってユウに歩み寄る。けれど地上から純白の一閃が落下して来てはあまりの衝撃波に瓦礫を浮き上がらせ、帰還してみせたリコリスはあまつさえ無傷の状態でヒーロー着地をしていた。だから無傷で生還してみせた事にノアは心の底から驚愕する。当然ユウも、傍から見ていたリザリーも。
「え……? 嘘、無傷? でもそんなはずが……」
「――――」
果たして、アレは人間なのだろうか。仮にリコリスが真意を使えたとして、それで体の丈夫さを強化していたとして、そうだとしても無傷なんて事は絶対的にあり得ない。だからこそリコリスは普通じゃないのだと知れた。……いや、普通じゃないと、一番最初から分かっていたはずだ。誰もが俯くこの世界で青空を見上げ、瞳に希望を灯し続けていたのだから。
不滅の詩と一緒だ。鉄格子の中から泥を見る者と星を見る者。例え同じ世界だとしてもここまで世界が違って見えるのだ。
故にリコリスはいつだってユウ達とは全く別の世界を見ている。ユウ達には見えない遥か先の未来を、その輝かしい瞳で見つめている。その背中や瞳を追いかけている訳なのだけど、今の彼女と今までの彼女を見て少しだけ恐怖を抱く。
全てを背負い、絶望を敵に回し、相手をへし折り、矛盾に耐え、死ぬ事を許されず、世界を生きる。ユウはこんなにも遠く大きな背中を、酷く果てしない残酷を追いかけて来たのか。
「リコリス……」
彼女は立ち上がると光線剣を揺らしながらもノアに歩み寄った。そしてノアはリコリスの異常さから怖気づいた様で数歩だけ引き下がる。同時にユウも恐怖を抱いて眉間にしわを寄せる。リコリスが怖かった。本当に人間なのかと思ってしまったから。
やがてリコリスは顔を上げて言った。
「ユウ。聞いて。今、君は物凄く私に怯えてると思う。でもこれだけは覚えていてほしいの。私は君の味方だって事を」
「――――」
リコリスの見せた瞳に吸い込まれるかのように視線を向ける。真紅の瞳には悲しく切ない色が浮かんでいて、深淵の様な深さを持っていた。だからその美しに吸い込まれて瞳をじっと見つめる。その奥底に幾つもの星があったかのように見えたから――――。
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突如激しいノイズが掛かって額を抑える。酷い頭痛にも似たノイズはリコリスの瞳に反応して流れ込み、ユウの記憶の中にまた雑音とノイズだらけの記憶を植え付ける。
……同じ瞳だ。同じ瞳を見つめている。綺麗な緋色の眼を見つめてはそれを目と鼻の先まで近づけ、その人に向かって何かをしている。でもその瞳からは涙が溢れ出していて、とても悲しい色を浮かべていた。どうしてそんな眼をするのだろう。
けれどリコリスがそんな些細な事に気づく訳がなくて、ノアへと歩み寄ると光線剣を仕舞って右手を開く。まるでそこに今から炎が灯りますよと言わんばかりに。何が起こるのだろうと掠れる視界で見つめると、予想とは遥かに違う光景が作り出された。
だって、彼女の掌には何もないのに炎が生成されたのだから。
「ごめんね、ユウ」
ふとそう呟いた気がした。
それを握りしめると拳全体に炎を纏わせ、地面を蹴っては神速でノアの懐まで潜り込む。それもノアの動体視力を以ってしても捕捉できない程の速度で。だからノアが驚愕して防御をするのを忘れるとリコリスはさっきと同じ様に拳を鳩尾に撃ち込み、思いっきり天井へと突き上げた。
それも、天井に大規模な穴が開くくらいの威力と共に。