151 『敵と味方と天秤と』
あれからどれくらいの時間が経っただろうか。運よく魔物の群れを殲滅できたのは良かったものの、それらを倒す内に地下空間に迷い込んでしまった。何でかは分からないけど電気が通って街灯が付いている。それだけが不幸中の幸いと言うべきだろうか。
しかし、まさか本来敵であるはずの存在と背中合わせで戦う事になろうとは。
「王道だけど怖い展開だよなぁ……」
「怖いかしら。敵同士が手を取り背中を預けるなんて物凄く熱い展開だと思うけど」
「まぁそうなんだけど、今は状況が色々と違うから」
暗い街中で互いにビルの壁に背中を預け座り込む。そのシーンだけ見れば切ない感情を抱いたりするのだろうけど、今は眼の見えない所で、手の届かない所でみんなが戦っているはず。それなのに疲れ切ってこんな所で座ってるだなんて――――。
しかし戦い続けて体は既にボロボロだし出口だって見つからない。その他諸々の事情も重なり休憩を取らなければいけないのは必然的だ。
そんな不安から逃げる様にリザリーの黒い細剣を握り締める。みんな大丈夫だろうか。ボロボロになっていないだろうか。そんな考えが止まらない。十分信頼しているし死ぬはずがないってのは分かっているけど心配で仕方なかった。するとリザリーは少しだけ間を開けて喋り出す。
「少なくとも生きてると思うわよ。アンタの仲間なら、そう簡単に諦めたりはしないでしょ」
「……そう、だな。そうだよな」
敵ながらも応援してくれる。そんな現実にありがたみを感じながらもその言葉に縋りついた。そうじゃなきゃやってられなかったから。
ここからどう動くか。脱出するにしても上に続く道を見付けなきゃいけないし、今はリザリーが先導してくれるから後を付いて行ってるだけだけど、自分も何か行動を起こすべきなのだろうか。そう考えていると口から無意識にある言葉が零れだした。
「なぁ、リザリー」
「うん?」
「吸血鬼は仲間を思いやる優しさを持ってるんだよな。本気で平和を願う心も。……なら、どうにかして和解は出来ないのか? 俺達が前線に立てば、きっと――――」
「じゃああなたは“全ての”機械生命体と和解できる?」
「それは……」
「それと同じよ」
けれどリザリーの口から鋭く放たれた言葉に黙り込む。考えれば分かる事なのに。……いや、考えなくても分かる事だ。人間も吸血鬼も機械生命体も正規軍も、互いに互いの仲間を多く殺している。その中の一部が互いに認め合ったとしても全体が許容できないのは当然の事。やっぱりこの世界じゃ平和なんて実現しないのだろうか。幾つもの血が流れた末に自分以外の全てを殺さない限り。
少なくとも今はリザリーと認め合っている状況なはずだ。背中合わせで戦った訳だし、彼女の背中は凄く頼もしく感じたし。でも一部が認め合ったって意味はない。それどころかもっと状況が悪化するだけ。でも、もしやれる事が出来るのなら。
そう考えていると静かに呟く。
「……分かってても諦めないのね。アンタは」
「え?」
「許容出来ないと知って。絶望その物を知って。それでも希望を諦めない。正直、アンタが羨ましいのと同時に怖いわ。希望を抱けば抱く程、絶望に押し潰された時の心は砕かれるんだから」
「――――」
分かってる。この先、ユウ一人じゃどうにもできないくらいの絶望が現れるってことくらい。きっとその時になったら真の意味でこの世界の絶望を知るだろう。仲間を殺され、心を砕かれ、絶望の名の下に等しく裁かれる。そうならない為にもいち早く絶望を受け入れ悲しみに溺れ堕ちなければならない。
でも、
「俺は、傷つくのが怖い。絶望するのも、誰かの正義で傷つくのも、誰かの泣き声を聞くのも、全部嫌だ。――でも、この世界の絶望を受け入れるのだけはもっと嫌だ」
「――――」
「希望を抱いちゃいけない。頭では分かってるんだ。俺が抱く希望が、ほんの小さな掠れる光である事も。到底世界を変えられる様な光じゃない。それでも諦めたくない。死なせたくない」
愚者。今のユウにはその名が似合うだろう。愚かで、哀れで、惨めで、見苦しくて、救いようがない。ここが剣と魔法の世界であったなら“英雄”とも呼べる意志なのだろうけど、こんな世界じゃ打って変わって“愚者”となる。全く以って残酷な物だ。
けど、それでもいい。より多くの命を救えるのなら愚者でも道化でも、何でもいい。今だけは本気でそう思える。
するとリザリーは言った。
「たった今分かったわ。アンタは危険因子よ。周囲に希望を振りまき伝染させる、この世界での危険因子」
「分かってるよ、それくらい。だから――――」
「――だからこそ守りたくなるわ」
「え?」
今、守ると言ったのだろうが。誰が誰に向かって? まさか、リザリーがユウに向かって? 一体なぜそんな事を? そんな事を考えるのだけど、答えは自分の奥底に埋まっている事に気づいた。
確かにユウは危険因子だ。リザリーの言った通りの。何故なら、たった今リザリーもユウの希望に感染してしまったから。敵の希望に感化され希望を抱く。そんな彼女にとっては最悪以外の何物でもない現象を引き起こしていた。
「決めた。私はアンタを死なせない。敵である私に希望を伝染させたんだから、その責任はきっちり取りなさいよね」
「……うん。任せてくれ」
彼女の記憶にいた子供達がどんな結末を迎えているのかなんて分からない。それでもリザリーはユウの言葉に感化されたのだ。だから敵であっても協力してくれる人がいるんだって事を知って嬉しくなる。彼女は立ち上がると手を差し伸べて言った。
「じゃ、行くわよ」
「行くって……出口? 分かんの?」
「分かる訳ないじゃん。休憩は終わりってコト」
「なるほど」
結局は何も分からずじまいのまま出発するのだろう。確かに一部に留まれば他の魔獣にも気づかれてしまうかもしれないし、移動するのは最善ともいえる。まぁ出口が見つからなければ何も変わらないのだけど。どうにかして地上への道を見付けなければユウに明日はない。
「とは言っても、この地下空間……いや、地下街はかなり広いからなぁ……」
「そうね。かなり大きいから出るのも一苦労しそうだわ」
互いに顔を上げて天井を見る。真上まではほとんど照らされてないからよく分からないのだけど、恐らくコンクリートとかで埋め尽くされているのだろう。少なくともリザリーの攻撃で突破する事は不可能。となれば残った可能性としてはやっぱり一つだけ。
まぁ何度も試行錯誤しているから分かり切っている結果なのだけど。
「……ねぇ」
「ん?」
「一応。一応聞くわよ。アンタは団長……ノアと出会ったら、どうする気なの?」
「――――」
突如、そう問いかけられて黙り込む。リザリーは名乗った時にノア・ドミネーター一番隊大隊長と名乗っていた。つまりリザリーにとってノアは信頼に足る指揮官だと言う事だ。そしてリベレーターの目的はドミネーターの総指揮官であるノアの討伐。それは彼女にとって大切な人を殺されるも同然の事。希望だのなんだのとのたまった直後にこんな簡単すぎる問題に気づくだなんて――――。
嘘はつけない。そして彼女の為だけにリベレーターを裏切る事も出来ない。だから真正面から殺すとハッキリ伝えなきゃいけないのだけど、彼女にとってそれはあまりにも酷な話なんじゃないのか。今さっき希望を受け渡した者としてそんな事を言うだなんて絶対に出来ない。
だからこそ、言わなければいけなかった。
「戦うよ。そして勝つ」
「そう、よね。敵同士なんだから当たり前――――」
「でも殺しはしない。必ず助ける」
「え?」
そう言うとリザリーは足を止めて振り向いた。当然だろう。本来なら殺し合わなければいけない立場なのにそう言うのだから。きょとんとした表情でこっちを見るとユウの真剣な瞳に射られ、やがて口元を綻ばせてはクスッと笑いながら言う。
「……馬鹿ね。素直に出来ないって言えばいいのに」
「言える訳ないだろ。そんな顔されちゃ」
本人は気づいてないだろうけど、戦うと言った時には凄く残念そうな表情を浮かべ、助けると言った時には凄く安堵した様な表情を浮かべている。そんなの見せられちゃもう頑張るしかないじゃないか。頑張った所で何が変わるかなんて分からない。でも、もし敵も救えるのだとしたら――――。
するとリザリーは背中を向けてひとりでに喋り始めた。それもこれからの筋書だと言うかのように。
「……ここから進んだ先に私達は魔獣の襲撃に会う」
「え?」
「そこで力を解き放った私はその影響で天井を打ち壊し地上への穴を作ってしまい、アンタは“偶然”力の余波で浮かび上がり脱出する事に成功。私は自力で地下空間から脱出した」
「あの、ちょっと?」
「互いに殺し合わなきゃいけないのにボロボロの状態で別離したから仕方なく撤退。えぇ仕方なく撤退したわ」
「…………」
さっきのユウを守るって事を実践しようとしてくれてるのだろう。ここにはユウとリザリー以外誰もいない訳だし、言い方は少し物騒だけど密会にはもってこいだ。せっかく助けようとしてくれてるのだし助けられた方が身のためなはず。だからユウは礼を言おうとするのだけど、あくまでリザリーは“偶然”を装う気らしい。
「ありが――――」
「偶然よ偶然。全ては致し方なく起った事なの。だから――――っ!?」
瞬間、リザリーの言葉が途切れては鋭く息を吸った。それも何かに気が付いたかのような反応で。しかし周囲に魔物はいないはずだ。その証として熱源探知には引っ掛かってないし、機械生命体の反応もない。でも、その直後に超高熱の反応が前方から放たれている事を察して前を向いた。すると真っ暗な道の先から真っ赤な炎が駆け抜けていて、それは二人を焼き尽くすかのような途轍もない勢いで接近して来る。
だからリザリ-が咄嗟に庇ってくれる事で何とか重傷を避けられた。
「ぐっ! ちょ、リザリー!? 何が……」
突如飛び付いて来るからびっくりするのだけど、今さっきまで自分が立っていた所を見てもっと驚愕する。だってその先には丸焦げになって一部が真っ赤になるコンクリートが存在したのだから。コンクリートを溶かしたというのか。たかが炎だけで。
何が起こってるかなんてわかりっこない。だと言うのにリザリーはユウを抱きしめると足に力を入れて裏路地の方角へと入り込んでいった。まるでユウを何かから隠すかのように。
「リザリー、何が!?」
「何で。何であの人がこんなところに……! クソッ、タイミング悪すぎよ!!」
けれどリザリーは答えずひたすらにユウを運び続ける。全力で走るって事はそれ程の脅威が接近していたという事だ。しかしそれは一体どんなものだと言うのか――――。その答えは彼女自身の口から明かされた。それも、本当の本当にタイミングが悪すぎる状況で。
「――団長よ。私が側近として仕えた、ドミネーター団長、ノア・リスカノールよ!!」