145 『自分の為に』
「――そこまでよ!!」
「っ!?」
戦いに巻き込まれない様に避難したはずのアリサは目の前に飛び出しAR-15を構えだした。けれどそんな程度でリザリーを止められる訳がなく、彼女は全ての人間を殺す気でいるのだから当然盾になったくらいで止まる訳がない。アリサごと殺そうと右腕に炎を溜めて突っ込んで行く。それなのにアリサは決して臆さずに立ち続けた。ユウを守る為に。
だからこそ、無理やり剣を引き抜いては真意を発生させ敵の剣を使いリザリーの攻撃に真正面から衝突させた。
リザリーの握っていた拳には相当な威力があったのだろう。今ばかりは殺意ではない感情で真意を発動させていたからこそ、真意と威力が均衡して行き場のない衝撃波がその場で爆発する。その衝撃波に当てられて二人同時に吹き飛ぶと無茶をしでかしたアリサに思いっきり喋りかける。でも、言葉の重みに押されるのはこっちの方で。
「馬鹿っ――――何やってんだよ!」
「何やってんのはこっちの台詞よ大馬鹿!!」
するとアリサはユウの胸倉を掴んでそう叫ぶ。それに怯んだユウは言葉を失ってしまい、瞳の奥で何かの辛さに耐えるアリサの眼を見る事しか出来なかった。やがて彼女は少しだけ涙を浮かべながらもユウがどれだけ馬鹿な事をしていたのかを伝えてくれる。
「あんたガリラッタに抱え込み過ぎるのが悪い癖だって言われたのもう忘れたの!? あんた自身は傷ついても構わないなんて思ってるかも知れないけど、私達はもうあんたに傷ついてほしくないって、本気でそう思ってるのよ!!!」
「っ――――」
何かを言い返そうとするけど言葉を見失ってしまう。あそこまで強気であったアリサがここまで言うのだ。今のユウはそれくらい心配され、同時にそれくらい信頼されてるって事になる。それ自体は物凄く嬉しい事だ。だって上手くみんなの希望になれてるって事なのだから。
けれど言い返さなきゃ現実は見れない訳で。
「じゃあ、アリサは真意も使えない状況で、内側がボロボロの状態で、それでもあいつと戦おうって思えるか? 命を投げ捨てる覚悟があるあいつに」
「それは……」
「仕方のない事なんだよ。この中であいつと対等に戦えるのは俺しかいない。そして、あいつと同じ様に何かを捨てなきゃいけないのなら、俺が捨てられるのは心だけだ。――あいつを殺す。それだけが、今の俺の生存意義だから」
リザリーの剣を杖に立ち上がる。左腕の傷口は塞いでないから血が大量に零れ落ちるし、額からも同じく血が流れて頬を伝っていく。せっかく回復したばっかりだと言うのにまたこんな重傷を負っていてはまたユノスカーレットに怒られてしまうだろうか。
今度はアリサが言葉を失う番になる。確かに彼女が言う事も間違ってない。でも、現実は理想を完全に押し殺す物だ。理想を見るなら、相応の現実も受け止めなければいけない。その中で希望を描くのだから難しい物だ。
でも、アリサは言う。
「……私は、あんたにどんな過去があったかなんて知らない。何があってあそこまで空っぽになったのかも知らない。でも今のあんたは前のあんたじゃないのよ」
「アリサ……?」
「この世界は絶望その物よ。でも、そんな世界で希望になりたいって叫んだのはアンタなんじゃないの? 自分の心も。誰かの未来も。その全てを手に入れたいって、そう叫んだのはアンタでしょ? なら心なんか捨てないで、何も捨てないまま、何もかもを手に入れる覚悟くらいしてみなさいよ」
「――――」
「確かに自分の選ぶ道や生きる意味は自分自身で決めろって私は以前に言った。でも、あんたが間違った道に踏み入れようとするなら、自分の心を捨てようとするなら、私達はそれを全力で食い止める。あんたには笑っていて欲しいの。だから……」
その先の言葉はつっかえて出ないみたいだった。まぁアリサの性格ならそんな風になったって仕方ない。こういうキザな台詞は彼女に似合わないし、アリサはアメリカンジョークの方が似合っているから。それでも最後の一言まで言い切った。普通なら絶対に言えないような言葉を。
「――私達だってユウが好きなの! もう苦しんで欲しくない。悲しんでほしくない。本気でそう願ってる! だからアンタも気づきなさい! 誰かの為にじゃなくて、自分の為に何をしたいのかを!!」
「なにを、したいのか……」
「鈍感系主人公みたいなのも大概にしなさいよ」
最後にそう言ってユウの答えを待った。だから深く考え込む。
みんなが好意を持ってくれてる事は知っていた。本気でユウを心配していて、だからこそ手を貸してくれたり寄り添ったりしてくれるのも。でも“自分の為に”なんて一度も考えた事がなかった。今までずっと自分ではなく誰かの事を考えながら動いていたから。
みんなが今の自分を作ってくれた。それは本当の事だ。実際ユウはみんなと触れ合う事で心を繋ぎ、そうして今の自分の人格が形成されていったのだから。しかし言ってしまえば今の人格は従来自分のものではない。みんなから貰い受けた仮初の自分だ。いずれこの人格が本当の自分になって行くのだろうけど、それでも今はそんな事を考えてしまう。
きっとその思考のせいだったのだろう。自分の事を無視してみんなの事ばかり考えてしまうのは。みんなが自分の命よりも大切だったから。
今まで問いかけられた理由の全てはみんなの為にとか、最終的には誰かに結び付けることで動機を生み出していた。実際それでかなり助けられた訳だし。でも自分の為に何をしたいのかって聞かれると答える事が出来ない。だって今のユウという人格は自分を大切に出来ていないのだから。そんな人間に何をしたいのかと聞かれた所で、答えられる事なんて――――。
そこまで考えた時だ。音がしたのは。
――自分を大切にして。自分を好きになって。自分を、見失わないで。
――だれ、だ……?
突如流れ込んで来た誰かの声。推薦試験の時や防衛作戦の時にも聞いた声だ。優しくて、透明で、透き通る様に美しく慈悲深く、それでいて泣きたくなるくらい優しい“音”。ソレを聞いて自ら捨てた心は自然と再生していき、それと同時に焦燥感とかもすべて消えて行った。
謎の声はそれ以降何も言わず、ただひたすらにユウを助けてはどこかへ行ってしまう。だからどうして助けてくれたのかと気になりつつも前を向く。立ち上がり、こっちを睨むリザリーを。
「俺は……」
微かではあれどどこかの誰かが紡いでくれた心。それを使って答えを導き出す。
防衛作戦の時にもイシェスタに似たような事を聞かれたっけ。自分は何をしたいのかって。でも今回は違う。前は誰かの為に動けたけど、自分の為に動くだなんてとてもじゃないけど不可能だから。
自分を大切にして、好きになり、見失わない。それはまだ人格上不安定なユウにとって難しい事だ。精神不安定な人に薬もなしでスピーチしろって言ってるような物だし。当然簡単に割り切れるものではない。
リザリーに勝つには相応の物を捨てなきゃならない。ユウはその相応の物を心だと思っていた。でも違う。ユウが心を捨てれば必ず後悔する結果が残る。そうなればユウは苦しんでみんなが悲しむ。それだけは絶対に嫌だ。じゃあ、自分の為に何を捨て彼女に勝つのか。その選択肢と言えば――――。
「俺は、もう独りになりたくないよ。誰も失いたくない。失わせたくない。大切な誰かが苦しんでる所も、悲しんでる所も、泣いてる所だって見たくない」
「――――」
「その考えはみんなも同じなんだ。なら、俺は……」
一番簡単なのは絶望を受け入れる事だ。そうすれば痛みも感じないし悲しみも減るだろう。心を『道具』として割り切ればどれだけ苦しくったってきっと乗り越えられる気がする。でもみんなはそれを望んでくれない。ユウが希望である事を望み、願ってくれてる。――死ぬ事も絶望する事すらも許さず、ただひたすらに、残酷で遥かな修羅の道を突き進む事を強要している。
けれど“そんな程度”の事、みんなを失う事に比べればなんて事ない。
「――俺の為に、絶望を捨てる」
口元に微笑みを浮かべながらもそう言った。その答えにアリサは嬉しそうに微笑み、リザリーは「やっぱりか」とでも言いたそうな表情を浮かべる。
絶望を捨てるって事は希望しか抱かないって事だ。即ち、この世界で最もタブーな存在となる。希望を抱けば抱く程、絶望に押し潰された時の絶望感は果てしない物になるのだから。ソレを分かっていても希望を捨てる事は出来なかった。
残酷な物だ。自分の心も。誰かの未来も。その全てを手に入れたいと願うのは簡単ではあれど、それは確実に茨の道となる。それがどれだけの地獄を見る事になるかなんて分からない。きっとこの先、ユウは数々の絶望に直面して心を打ち砕かれる事になるだろう。けれどそれらを乗り越えない限りこの世界で希望をはなる事は出来ない。
正直考えただけでも気が遠くなってしまいそうだ。でも、やらなきゃいけないから。
「きっと、あんたみたいな人間がこの世界を解放するんでしょうね」
「世界は流石に厳しいかな……。でも、いつかやってみせるよ。この世界の絶望なんて、絶対に受け止めたくはないんだから」
「……いつかその時が来たらいいわね」
きっとリザリーも同じ事を願っているんだ。いつかこの世界が平和になり、全ての種族が互いに手を取り合い一緒に過ごせる様な未来を。いや、リザリーだけではない。みんなが同じ事を思っているはず。平和な世界で、ずっと――――。
やがてリザリーは言う。
「ところでそれ、私の細剣なんだけど」
「そうだったな。じゃあ、欲しかったら奪い返してみればどうだ?」
「どうやら悪態を付けるくらいには気力も回復したみたいね。いいわ。援軍もやってくるだろうし、そろそろ決着と行きましょうか!」
するとリザリーは姿勢を低くして飛び出す態勢を作る。だからユウは漆黒の細剣を左手に持ち、元から持っていた方の剣を右手に持つ。二刀流をやるのはこれが初めてだけど、エルピスみたいにすれば大丈夫なはずだ。少ない時間ではあれど彼女の戦い方はこの目に収めているのだから。
ユウも飛び出す態勢を作るとアリサに伝えながらも地面を蹴った。
「アリサ、下がってて!!」
「ええ」
その瞬間から真意を発動させる。希望が宿っている分真意も大きくなり、それに比例して身体能力や動体視力までもが強化されていた。それも今のリザリーと同じくらいまでに。輝くステラの花弁を撒き散らす二本の剣を持ちながら突っ込むとそれらを同時に振りかざし全身全霊の攻撃を叩き込む。リザリーもそれに対抗すべく右手に溜めた炎の塊を解放する。
直後に爆発でも起ったかのような衝撃波が周囲に駆け抜け脆い廃ビルを吹き飛ばした。ここからが本番。第三ラウンドだ。
互いに命と正義と希望を賭けた、殺し合いの。