010 『生きる意味』
「それでどうするの?」
「どうするって何が」
「ユウの事よ。本当に推薦試験させる気?」
翌日。
リコリスは訓練場で走り続けるユウを見つめながらもアリサとそんな会話をしていた。キャップ帽にタンクトップと短パン、そしてサングラスという如何にもコーチというような服装で。
そういう些細なボケには既に慣れているアリサは服装には無視して話し続けた。
「ずば抜けてる記録以外はボロボロなんでしょ? そんなんで推薦試験なんてやらせたら絶対に死ぬわよ」
「それは分かってる。ただ可能性があるかもって話」
推薦試験――――。それは各隊の隊長が腕を見込んだ見習い兵士を推薦する事で行う事が出来る試験だ。推薦なだけあって受けられる数は非常に少なく、訓練期間が全て飛ばせるというメリットがあるものの、試験内容が途轍もなく難しいと言うデメリットも存在する。
受けるかは任意だけど死ぬ可能性もあるから更に受ける人数は絞られる。
そんな試験に参加させれば死ぬのは必然。むしろ仲間の足を引っ張って戦犯になるはずだ。でも、それを分かっていても可能性を見つめていたかった。
「でも反射速度とか射撃能力が群を抜いてるのは事実。その他の能力を伸ばして行けば推薦試験も夢じゃない」
「そりゃそうだけど、期限までどれくらいよ」
「二か月」
「意外と鬼畜なのね……」
推薦試験は大体半年感覚で開かれている。今は四月だから二か月くらいといった所か。……まぁ、そんな短い期間で鍛え上げるとか世界最強の戦士でもギリギリだけど。
その事についてアリサも同じことを言う。
「二か月で推薦試験に挑ませるなんて無理よ。それにもし推薦されても当人の意志で参加するかが決められる。今の性格を見るにユウじゃ不可能に決まってる」
「確かに今のユウはヘタレでうじうじしてるし如何にも雑魚みたいな姿だよ」
「そこまで言ってないわよ彼を何だと思ってるの……」
「でも決して全ての数値が絶望的に悪い訳じゃない。きっと鍛えればそれなりの記録を叩き出せる事が出来るはずよ。今の彼に必要なのは努力。だから、全てはユウの努力次第」
さり気なくアリサにツッコまれつつも説明を続ける。
今からでも鍛えれば大丈夫なはず。全部ユウの頑張り次第となるけど、誰かの為に命を使いたいって言い切れるユウならきっと成し遂げるはずだ。
けれどアリサは更に的確な事を言って。
「でもさ、いきなり推薦試験に挑ませるって言うのも酷なんじゃないの? だってユウはまだ転生して来たばっかりで慣れてないはずでしょ。それに……」
「おや、アリサが優しい」
「前歯へし折るわよ」
「それでこそアリサ」
しかし彼女の言う事も一理ある。ユウから聞いた所前にいた世界は戦争なんてほとんどなく、住んでいた地域じゃ争い事はなく平和に過ごしていたらしい。平和と言う単語を言う度に瞳の奥が果てしなく曇ったのは嫌でも気づいてしまうけど。
だからこそユウは争い事は苦手だし、銃も握った事がないと言っていた。そんな世界からいきなりこんな世界に転生させられれば順応するのに数か月はかかるだろう。なのに常に死と隣り合わせになる試験に挑ませるのは酷という物だ。
「それにリベレーターに入るってなら訓練兵から始めればいい話じゃない。そっちの方は最低一年で入れるっていうし、それだけあれば馴染めるはずよ」
「確かにそれも一つの手なんだけどねぇ……。どうもユウは生きる意味を失ってるように見えるの」
「生きる意味を、失う?」
「そう」
彼と接して分かった事だ。まぁ、神様に騙されたって言うのだから目的を持ってこの世界に来た訳じゃないのは明確だし、だからこそ迷い果てるのも理解出来る。でも問題はそこじゃない気がしてたまらない。ユウにとっての何かを見落としてる気がするのだ。
「何て言うのかな。“生きたい”っていう生存本能が機能してないっていうか、自分の命を視界に入れてない気がするの。だからこそ何か生きる意味を見付けようと戸惑ってる。だから、誰かの為に命を使おうと頑張ってるのかなって」
「生存本能が機能してないって、そんなのあり得るの?」
「ありえない。でも、仮にそこまで……自分の命を第一に見れないくらいの絶望を抱えてるのだとしたら」
手を組んで考え込む。
リコリスがユウから異世界の話を聞くとき、彼は一度も楽しそうや懐かしそうな表情なんて浮かべていなかった。無感情で向こうの世界の情報を話し、瞳には深い霧を見せるばかり。それだけで何かがあった事は確実だ。
その上ユウがこの世界に来てからの反応。平和な世界から急にこんな世界に飛ばされれば泣き喚いて当然。でもユウは「この世界にいた気がする」と言っては平常心でいて、一度も焦った素振り何て見せなかった。
何よりも引っ掛かったのは特定の言葉を言ってない事。
「搬送した時、一回死にかけたの。少しでも反応が遅れてれば死んでたはず。それなのにユウは怖がるどころか銃を手に引き金を引いて見せた。それが何を意図するか、アリサには分かるでしょ」
「死の恐怖が、ない?」
「そう。死の恐怖って言うのは生存本能が見せる反応。一度も死にかけてないのに、大きな覚悟があった訳でもないのに、それでもユウは引き金を引いて見せた。きっと、死ぬ事に恐怖がないの。つまり、生命として破綻してるって事になる」
「…………」
するとアリサは黙り込んだ。そりゃ、自分達でさえ未だ死にそうになったら体が強張ると言うのに、転生して来たばっかりのユウがそんな反応を示せば当然だ。
だからこそ彼女は呟いた。
「……可哀想ね」
「おや、アリサが――――」
「奥歯へし折るわよ」
「私咀嚼能力を大幅に失うんですが!?」
今度はリコリスの方からツッコミつつも脳裏では考える事を続ける。何で今になってアリサが可哀想なんて言ったのか。その理由は明白だ。
生命にとって生存本能とは何に置いても必ず備わってる物だ。どれだけ凶暴な野獣だって死の恐怖くらい存在する。それがないって事はそれ程なまでに絶望しているか、そうなるくらいの過去を背負っているって事なのだから。
アリサは膝に肘を乗っけると頬杖を付いて呟いた。
「しっかし、何かに縋らないと生きていけない、ねぇ……」
「やるつもりはないけど、多分自殺しろって命令すれば飄々と自殺すると思う」
「あんたがそれを言うって相当よね」
「アリサが可哀想って言うのと変わらないよ」
すると瞬間的にアリサから殺意を向けられて全身を硬直させた。しかしそんな一瞬の茶番を得てアリサは再び走り込むユウへ振り向いた。
今は体力測定の最後の種目である千五百m走に挑戦してる所だ。溶けきってる辛い表情を浮かべながらも絶対に歩く事はせず、その足で順調と走り続けていた。
「あーしてると純粋に頑張ってる様に見えるけど、その実目標に縋らなきゃ生けて行けないとは、皮肉ね」
「あまり長くしすぎるとどうなるか分からない。私としては早くリベレーターにはいらせたい所なんだけど……」
「その為に推薦試験を受けさせたいと?」
「そう言う事」
「なるほどね」
アリサもリコリスの意図を納得して頷いた。
目標に縋る事はいい事だけど、それがあまり長続きし過ぎるとどうなるか分かった物じゃない。もしかしたら自ら諦めてしまうかも知れないのだから。
「今の自分がどれだけ危険な状況なのか、それを自分自身で認識してないんだから厄介なんだよ」
「まぁこの世界とのダブルパンチで精神が疲弊してたっておかしくないし、メンタルケアはちゃんとしてるんでしょ? なら大丈夫じゃないの?」
「大丈夫ならこんな事言わないって」
「あ~……」
そう言うと彼女は面倒くさそうな声でそう言った。言い方は悪いけどあながち間違いでもないからその通りなのだけど。
精神が疲弊し崩壊寸前な状態での鬼畜なトレーニング。それがどれだけの影響をもたらすのか、考えるだけでも恐ろしい事だ。けれどそれが出来なければ同じ結果になる可能性も高い訳で。
考えていると笛が鳴り響いて前を見た。
「はいお疲れさま。記録は七分十二秒っと……。まずまずだな」
「つ、疲れた……。もう立てそうにない……」
「流石にその状態で次のトレーニングをしろなんて言わないから安心しろ」
走り終わった直後から前に倒れ込んで動かなくなる。まぁ元から筋肉痛って言うのもあったし、それ程なまでに披露してたっておかしくないだろう。
けれどあの姿を見ていると本当に大丈夫なのかって疑問に思えて来る。推薦試験は絶え間なく困難が襲って来るし、その中には逃げる選択肢が殆どだ。そうなった時に彼が仲間について行けるかどうか。
だからリコリスは呟いた。
「……トレーニングメニュー、決めなきゃ」
「私が決めようか?」
「アリサがやると常時有酸素運動とか書くからダメ。適任はイシェスタ辺りかな」
「あの子も大変ね……」
ユウが来てからという物、彼に対しての特訓とか手配を一任しているから彼女の仕事は前よりも増えている。それでもイシェスタは喜んで引き受けてくれるのだけど。
流石に任せ過ぎだと自覚してる。でも十七小隊のメンバーの中で一番ユウと親しげに接触できるのが同い年であるイシェスタだし、テスやアリサはとにかくキャラが濃いからユウは苦手がるかも知れないのだ。今度奢ってあげなくちゃ。
仮にトレーニングメニューを決定したとしても二か月の間でどれだけ鍛えられるか。そこが勝負の分かれ目だ。ユウの精神が折れるのが早いか、目標を手に掴むのが早いかで。
早速スマホを取り出してイシェスタにメールを起ると即座に返信される。
「やってくれるって」
「イシェスタに頼り過ぎじゃない?」
「だってイシェスタの方が頼りになるんだもん!」
「自分で行ってて悲しくならないの? リーダーの自覚持ちなさいよ」
そんなやり取りをする間にもユウとテスは何かを話し合っている様で、端末で何かを見ながら議論していた。恐らく……と言うか確定で記録の話だろう。今のユウに必要なのは疲れない方法とかの技術だし。
するとアリサは立ち上がって何処かへ行こうとした。
「あれ、どっか行くの?」
「ちょっとパトロールをね。暇だし」
「ふ~ん」
そう言って階段を下って行った。だからここに残るのはリコリスだけになるけど、それでもユウを見つめ続ける。今は彼の能力を見極める事が何よりも重大だから。
テスがわしゃわしゃと黒髪を撫でる中でユウは微笑みを浮かべた。――中身も何もない、虚無の微笑みを。