104 『この世界の魔術』
「まず最初にその子の事から話さなきゃいけないかな」
「娘が、どうしたんだ」
「その子はあんた達とは違って特殊だろ? 例えばいきなりその角や尻尾が生えたりとか」
「…………」
そう問いかけると父は少しだけ動揺する。
やっぱりミーシャは元々は普通の人間だったんだ。それなのにパスト病の影響でこんなになってしまうのだから、完全適応者と言うのは恐ろしい。普段見ない亜人の上に感染者となるのだから、もし街にいたとしたら真っ先に処分されてしまうだろう。
採血だけでも問題は肥大化する恐れにある。まぁそれでバレる様なら以前にもっと大きな問題が起きて然るべきだけど。
ユウは人差し指を立てるとハッキリ言った。
「まだ憶測でしかないけど、その子は特殊だ。数々の感染者よりも遥かに特殊な存在。――完全適応者と呼ばれる、パスト病に完全なる抗体を持ってるかもしれないんだ」
「完全、適応……?」
「要するにその子さえいればパスト病の薬が作れるかもしれないって事なの。で、私達はそれを達成する為にもその子の血を採血したい。……これが私達がその子に望む事だよ」
すると父は俯いて眉間にしわを寄せた。まだ信頼されてないなんて事は普通に分かるし、何よりも大事な娘をよく分からん人に利用されるのが気に食わないのだろう。彼は長い迷いと葛藤に襲われ続けている。
やがて軽く睨みながらも質問して。
「可能性はあるのか」
「少なくともゼロじゃない。ただ、それさえ完成すればパスト病による犠牲者の激減する。そしてあんた達も助かる。付け加えると、俺は薬が完成すれば一番最初にあんた達を助けたいと思ってる」
「……! 何故、何故そこまでする」
「その子に頼まれちゃったからな。困ってる人がいるのなら、反発されても、俺は助けたいと思ってる」
そうしてユウは彼の瞳をまっすぐに見つめた。彼もその瞳に当てられて何かを感じ取ったのだろう。冗談じゃないと。本気で助けたいと思っていると言う事を。
だから彼は少しだけ考えこむと手を差し伸べて手に持っていた採血キットを渡す様に言ってくれる。
「……それを渡してくれ」
「ありがとう。肌に当ててスイッチを押すだけで血は取れる。と言っても不慣れだとかなり痛いんだけど……」
「痛いの?」
「そりゃ針を刺して血を吸い取る訳だし。でも大丈夫。痛いのは一瞬だか――――」
「っ!!」
安心させる様に話していると、父はミーシャが油断した隙を突いて思いっきり突き刺した。やり方に少々無茶苦茶な感覚を抱くけど、それでも血は取れたようだ。一定値の血が取れるとプシューッという音を立てて少しだけ小型化し、ミーシャは不意を突いた父に向かってポカスカと叩き始める。
「……これでいいのか?」
「うん。大丈夫」
「もー! 結構痛かったじゃんパパ!!」
しかしこの時点でもう彼女が普通じゃない事の確証がもう一つ取れる。採血キットは血清と同じ仕組みになってるから、今さっきは血清と同じ痛さが訪れるはず。痛みに慣れてるユウでさえ最初は身動きが取れず、今でも少しの間は怯むと言うのに、採血した直後にポカスカ叩く程の余裕があるなんて絶対におかしい。
それこそ神経が狂っている証拠だ。
彼はユウ達に感染しない様採血キットを投げると真っ直ぐにこっちを見た。もう睨んでこない辺り、少なくとも疑いは晴れたって事でいいのだろうか。
そのまま釘を刺される。
「薬が完成したらまず俺達から。そうだな」
「ああ。まずはあんた達から助ける。それに、望むのなら市街地で暮らす事も可能になるはずだ」
「……考えておく。これ以上ここにいたら危ないんじゃないか?」
のだけど、早く帰って欲しいのか心配しているのか、彼はそう言ってユウ達が帰る様に促した。でもまぁ、いくら血清を打ってると言っても限りがある。長居は禁物なのは変わりない。
だから少しさびしいけど、ユウ達は頷いて言葉を残し森を去って行く。
「そう、だな。じゃあ俺達は一旦戻るよ。また近い内に来るかもしれないから、また話し合いをしてくれるか?」
「考えておく」
「考えてばっかりだな……」
妙に信じてくれてない彼にそう言いながらも手を振った。するとミーシャは大きく手を振ってくれて、彼も仕方なく小さく手を振る。
やがて二人はそのまま森を出て採血キットを仕舞いながらも顔を合わせて頷いた。向かうは研究所。明かすは真実。
いち早く彼らを助ける為にも即行で走り始めた。これが終われば彼だけではない。幾千幾万もの命が助かるかも知れないんだから。
――――――――――
「それでどうだったんだ?」
「結果は明日の午前に出るって。それまでの間、俺達は待つしか出来ない」
「そうか……」
数時間後。
ガリラッタの問いにユウは小さく答え、現状を報告した。
本部へ戻った二人はみんなに今回の進展を話していた。ちなみにクロストルとラディは張り込みながらも通話で聞いてくれている。
次にリコリスは他の隊から持って来たパスト病に関する資料を広げると言った。
「成果はそれだけじゃないよ。少なくとも小さな成果はいくつか拾った」
「それって?」
「パストは魔術が関連してる事とか、血液に干渉する事、最後に痛覚を緩和する事」
「痛覚を緩和?」
するとアリサが首をかしげながらもそう呟く。そりゃ、みんなはパスト病についての認識は「絶対死ぬ病気」としか認識してないはず。だから疑問を抱くのは当然の事だ。
その点も含めてリコリスは解説を始める。
「まず大前提として、パストは魔術が干渉して生まれたって説があるらしいの。と言っても理由とか原因は今の所全くの不明だけどね」
「魔術って……」
「で、その影響で血液に干渉して遥か祖先の姿を呼び覚ます可能性があるの。更には血に干渉出来るって事は脳に干渉出来てもおかしくない。そこから神経を弄ってる可能性があるんだって」
「聞いただけだとゾッとするな。姿も脳も痛覚も変えられるだなんて」
そう言うとテスが二の腕を摩りながらもそう言う。けれどそう言った事が実際にミーシャの身に起っている訳だし、だからこそこういった確証も取れている。
今一度パスト病がどれだけの脅威を放っているのかの確認をしたみんなは一斉に表情を青ざめる。
「でもそんな事可能なの? 確かに実際はそうかもしれないけど、でも……」
「ありえます。魔術は生命の根本にも関わる事が出来る物ですから。特に、上位版となる黒魔術となれば」
「黒魔術? ナニソレ」
咄嗟にアリサが質問を飛ばしイシェスタが返すのだけど、この場にいる全員が黒魔術と言う聞き慣れない単語を聞いて首をかしげた。ユウも黒魔術と言う言葉そのものは知ってるけど、実際にはどういう物かなんて分からないからこそ問いかけた。
するとイシェスタはAR上に紙を広げて絵を描きながらも解説し始める。
「魔術と言うのは、普段私が使ってる現象の事です。通常の魔術と言うのは大気中に浮遊し、体内に蓄積されているマナという物質を使って放つんです」
「あ、それってもしかしてこう、元から属性が決まっててそれを使って戦うとか?」
「違います」
「そんな真正面から堂々と言わんでも!!」
質問の隙を縫って冷徹に返答するイシェスタにツッコむ。けれどそれをスルーして紙に人の形を書き、マナを別の物質に置き換える様な絵を描きながらも説明を始める。
しかし、それは魔法というにはあまりにも科学的な手法を用いる物で。
「マナと言うのは元素の代用品です。炎を発生させるのならマナを酸素と水素に変換し、火種を作って引火させる必要があります。水や雷も同じで、源から作る必要があるんです」
「なっ。それ本当に魔術なのか? もっとこう、詠唱するだけで強い物が出たりとか――――」
「大昔はそうだったと思います。でも、今は違う。今はマナを様々な物質に変換する事によって科学的に魔術を引き起こすんです」
「んな滅茶苦茶な……」
そんなのもう魔術とは呼べない。だって本来魔術と言うのは簡単な手段で炎や水を出せる現象のはずだ。それなのに一から科学の手順を踏んで炎を出現させるだなんて、そんなのもう科学だ。いやまぁこの世界観自体が既に異世界と言う常識をぶち破ってるからさして違和感はないのだけど。
こんな世界だからこそ水素とか酸素とか言われても驚きはしないけど、そこに魔術と言う言葉を付け加えれば別件になる。
更にイシェスタはもっと深い話を始めて。
「で、黒魔術と言うのは自身の血肉を代償に行う魔法です。世界に接続する事によって正真正銘の魔法を引き起こし、ありとあらゆるものを焼き尽くす。それなら血液や脳に干渉出来たっておかしくない」
「……つまり、イシェスタはパスト病に黒魔術が関連してると?」
「はい」
世界に接続する。言葉自体は理解出来るけど、偏に言われてもそう簡単に頷ける物ではない。それが出来るからこそ正真正銘の魔法と呼べるのだろうけど少々無理やりが過ぎると言うか。
でも、だからこそ納得できる事もある。経緯はどうであっても黒魔術が干渉しているからこそそんな事が可能なんだって。みんなも同じ考えに至った様だ。
「信じれないけど、可能性はあるかもね。だって世界に接続するんでしょ? ならそれくらいやってのけてもおかしくないわ」
「結構無理やりな納得の仕方をするんだな……。でもまぁ、聞いただけだけど俺もその線はあると思う」
「となればやる事は変わって来るな」
アリサを始めにテスやガリラッタもその話に乗っかって行く。だからリコリスとユウも一緒に乗ってはこれからどうするべきかを決めた。と言っても、もうほとんど決まっている様な物なのだけど。
ユウとリコリスは依然ミーシャを助ける。ガリラッタは武装製作で、テスとアリサとイシェスタは誰かがパスト病についての検索。情報屋の二人は変わらず監視と言う形だろうか。
しかしもしそうならまたややこしい事になるのは避けられないだろう。魔術が関わる辺り、少なくともミーシャは更に特別な存在になり得る。父でさえも簡単に火の玉を出せたのだから、彼女が本気を出したらイシェスタすらも超えるかも知れない。
それはつまり、更に狙われる危険性が――――。
そんな思考から逃れる様に顔を左右に振る。後の事は後になってから考えればいい。そう思ったから。
でも、その後の事に重大な事が含まれているのを、ユウは見過ごしていて。