000 『偽り』
「残念ながら、貴方は死んでしまいました」
「はぁ……」
まず最初にそう言われる。
気が付けばチェック柄の床にある椅子に座っていて、突然目の前に絶世の美女が現れ、そう言われたのだ。文字通り一番最初に。
しかしそう言われても困るというか何というか。
チェック柄の床はこれでもかってくらい磨き上げられていて、黒目黒髪の自分の容姿がはっきりと反射している。
今さっきまで普通に暮らしていたはずだ。それなのにどうしていきなりこんな世界なんかに――――。死んだと言われても記憶がないし、何を言われてるのかを理解出来ない。
そんなしかめっ面ををしていると目の前の女性は喋り出して。
「戸惑うのも無理はありません。死ぬ瞬間の記憶は削除されるのですから」
「さ、削除? どうして……」
「貴方の魂や身体をこちらへ転送する時、どうしてもその記憶が引っ掛かってしまうのです。故に死ぬ瞬間の記憶だけを削除させていただきました」
「何がどうして引っ掛かるの」とは思ったけど質問しないでおこう。
というより今こうして冷静に考えられるのもその記憶を消したからなのだろうか。死んだ瞬間にこの空間で目覚めたら混乱するだろうし、記憶を消してしまえば体感的にはいきなりこの世界に飛ばされた、と言う様な状況になる。
つまり混乱させない為でもある……?
でも、なんでだろう。心の中のどこかが危険信号を発している気がする。本能が危険だって、彼女は危ないんだって訴えかけている気がする。
そんなよく分からない感情を抱きながらも喋り出した。
「……質問、いいですか」
「はい。何なりと」
今さっきの言葉で引っ掛かった。
目の前の女性は「貴方の魂や身体を“こちら”へ“転送”する時」と言っていた。それってここが死後の世界とか神様とか、そういう意味なのだろうか。
「ここ、どこなんですか」
「此処は死後の世界で御座います。高幡裕さん。貴方は向こうの世界で死に、私達の力によってこの世界へ転送させられたのです」
「転送……。つまり、あなたは神様?」
「察しがよろしいのですね。はい、私は貴方のいた世界と他の世界との境界を支配する、死んだ人間を導く女神でございます」
――女神様、か。
やっぱり実感が沸かない。直前の記憶がない事もあるけど、何より、いきなり女神だとか死んでしまったとか言われるから、いまいち現実を実感できないのだ。
何か劇団とかに無理やり参加させられてるような感覚。
「……さて。今の貴方に残された選択肢は二つです」
「ふ、二つ?」
するといきなり選択肢を迫られるからびっくりする。
女性は両手を広げて右手に蒼い炎を。左手に紅い炎を出現させると、それぞれに黄色の光を混ぜて強調表示時させながらも言った。
「現世で新たな人生を歩むか、新たな世界で今からの人生をやり直すか」
「新たな世界って……」
「先ほど申し上げました様に、私は現世と他の世界の“境界を支配”する女神でございます。故に、その他の世界へ転移させる事も可能なのです」
「異世界転生、って事ですか」
「はい。剣も魔法も存在する、貴方のいた世界の【らのべ】という書物に登場する世界そのままでございます」
その言葉に女性は頷いた。――それも口元に不吉な笑みを浮かべなら。
またまた実感が沸きずらい言葉だ。というかその手の物は物語の中ばっかりだと思っていたからびっくりもする。
顎に手を当ててよく考えた。今までと同じ世界で生まれ変わるか、新たな世界でこれからの人生をやり直すか。と、また気になる事が出来て質問する。
「あの~……」
「はい?」
「それって前者の方は記憶とか引き継げたり……?」
「ないですね」
「あ、えらくキッパリ」
まあ、ここら辺は予想出来ていた事だから問題はない。
問題はないのだけど……。
今までの出来事を想起する。
――思い出す光景は嫌な事ばかり。
出来る物なら前者の方を選びたい。今の記憶を失くして、新たな人生を平和に歩んでみたいから。だけど本当にそうしていいのかという思いもある。
死んで、せっかくこうして意識があるというのに、このチャンスを置き去りにしてしまっていいのだろうか。
まだやり切ってない悔いもあるというのに?
「焦る必要がございません。ゆっくり、ゆっくりと答えを出して頂いて結構です」
「……その間、あなたはどうするんですか」
「貴方の答えを待たせていただきます」
そう言われて少しだけ言葉を詰まらせる。
本来人を……まあ今回の相手は神様だけど、人を待たせるという事はしたくない。何か悪い気がするし、待たせるのは失礼だと思ったから。でもこの選択はあまりにも重い物でもあって。
「…………」
血塗れた記憶。色褪せた過去。それらから眼を背けたとしても本心は後者を望んでる。何でわざわざ神様がこんな事をしてくれるのかなんて分からない。もしかしたら世界を救ってほしいと思ってるかも知れないのだから。
故に神様に質問する。
「これは、この選択は、死んだ人全員にやってるんですか」
「はい。ここはいわゆる死後の世界ですからね」
「目的は何なんですか?」
「――未練を残した人を、救済する為です」
またもや口元に笑みを浮かべる。優しいように見えるけど、何か、妙に引っ掛かる様な笑みだ。彼女の反応からみて怪しいと思うのは当然の判断。でも、それと叶え損ねた願いを天秤に掛けるのなら――――。
覚悟は決まった。
「……後者の、異世界転生でお願いします」
そう言った瞬間、女神様は小さく微笑んだ。――気がした。
すると片方の蒼い炎が消え、紅い炎はより一層輝きを増していく。
「よろしいのですね?」
「はい」
「承りました。貴方の希望は、規則に則り叶えられます」
途端、炎は足元に滑り込んでは大きな魔方陣が出現する。炎を纏いながら展開された魔方陣は回転しながらも大きくなり、更に輝きを増して行った。
だけど聞きたい事があったから急に停止させる。
「あっ、ま、待った! その異世界とかってどんな世界なんですか!? あとよくある能力みたいなのとか……!!」
最低でもどんな世界とかは事前に知っておきたいし、あるある展開の“転生ボーナス”みたいな力も十分気になる。それがあると無いじゃかなり変わるはずだから。
でも女神様はこう言い放つ。曖昧に、そして微笑みながら。
「問題ありません。貴方の思うままの異世界でありますから。そして簡単には死なない為、少々ではありますが能力を付与させてもらいます」
「ほっ。よかった……」
何だか今になって急に緊張して来る。こういうのって創作の世界でしか見たことがなかったし、何より本当にその通りになるのか不安だったから。しかし転生直前になってまで能力はシークレットとは少し不安になってしまう。たまにあるバージョンとかじゃよく分からない能力だったりもするし。
すると体が浮き、ゆっくりだけど上昇していった。
「さぁ、新たな道を切り開く勇者よ。世界を導くのです!」
「おお。それっぽい!」
いよいよ転生間近。
ここからまた新たな人生が始まる。そう思うと自然とワクワクが止まらなくなっていった。異世界で仲間と笑い合ったり、共に戦ったり、一緒に旅をしたり、そんな異世界ライフを送れるのだろうか。……いや、そんな生活を送って見せる。
様々な期待が込み上げる中、視界が真っ白になった。
そして目覚めた頃には、高幡裕の……ユウの第二の人生が幕を開けて――――。
でも目の前に映ったのは、異世界と呼ぶにはあまりに荒れ果てて、現実と呼ぶにも信じられないような光景だった。