季節外れの爆弾低気圧
義弟が私に恋してる。まるでドラマな題名のようであるが、非現実的な現実だ。不意打ちの告白とキスを食らって数日。頭はまだ混乱を極めていた。
だってまさかの出来事でしょう。恋愛の片鱗も見せていなかった利依が私を思っていただなんて、到底考えられることじゃない。綺麗な顔付きをしているが口を開けば毒壺。悪口雑言をぶちまけ、趣味である妄想を馬鹿にする義弟に家族の情を抱いても男女間のそれはあり得ないだろう。
けれども何故なのか、去り際に残した利依の微妙な表情が脳裏に焼き付いて離れない。どうすればいいのか、全然解らない。大体成就叶わない恋ならば最後まで忍んでくれよ、と完全に理不尽な言葉すら口にしてしまいそうになる。
奴も奴で気まずいのか、一通のメールを寄越した切り連絡がない。私は利依の居ない日常に違和感を覚えていて。憎まれ口が無い日々はこんなにも味気の無いものだったのかと実感させられた。
かといって想いに応えることなど考えられない。一体どうすれば良いのか皆目見当も付かない。大体にして、恋なんか知らない。映画や漫画、小説の中の出来事で私に降って湧いてくるなんて想像したこともなかったのだから。
白馬の王子さま、私だけを見て私だけに優しくて少し意地悪。想像の王子さまは顔に靄がかかったみたいになっていて、あやふやだ。
好きって何。キスって何。混乱を極めた私は、髪を掻きむしって大きく息を吐いた。
「やめだ、やめ!」
思わず呟きが大きくなる。利依は逃げたんだから、私だけ考えて頭ぐちゃぐちゃになったって仕方ない。大体奴はロミオでもなければ、ジャックでもない。驚くほど爽やかでもないし捻くれ者だ。顔は、顔だけは認めてやってもいいけれど私はそんな安い女じゃない。今まで通り姉として接せれば良い。勢い付けて無理やり納得させ、言い聞かせてみたがふと唇に触れた感触を思い出す。
彫刻みたいに整った顔の癖、温かかった。利依も人間なんだと現状の理解を放棄した脳が感じた場違いな感想。嫌でなかった。嫌悪感は覚えなかった。必死な義弟を目の前にして怒鳴ろうとした台詞が喉奥に引っ込んで呆けた。
「だめだ。堂々巡り。というか今まで通りなんて無理。無理だよ」
初めてのキスだったのだ。嫌なら突き飛ばすことだって出来たはずなのに私は。怒ることもせずかといって笑い飛ばすことも出来ず利依の背中を見送ったのだ。
こんなのおかしい。見て見ぬ振りなんて、そこまで大人じゃない。何度忘れようと試みても結論付けようとすると甦ってくる感触と、利依の表情。このままで良いわけない。いられるはずもない。
胸にこもる違和感と焦燥。うだうだと考えても拉致があかない。行動しようと思ったと同時に体は既に動いていた。
話し合おう、と打った文字が親指の下にある送信ボタンで一瞬にして相手に届いていく。しまったと後悔しても遅い。私の行動回路は脳にないのかもしれない。
程なくして既読の付いたメッセージ。短いやり取りであっという間に約束が完成されていく。賽は投げられた、もう後戻りは出来ない。
三月下旬、もうすぐ四月がやってくるっていうのにコートが手放せない陽気だった。その癖、太陽は燦々と煌めいていて近くでは子供達が遊んでいる。
利依に指定された公園。小さい頃、走り回った馴染み深い場所であるはずなのにまるで空々しい雰囲気に包まれていた。
白の塗装が所々剥がれているベンチに座りながら待ち人を今か今かと望んでいる。
約束の15時までは後5分。入り口をちらちら伺っているとダウンジャケットを着た利依がいつもの飄々とした体でこちらに歩いてきた。ふてぶてしさすら感じさせる義弟の態度に膨らんだ緊張がやや緩んだ。ほっと安堵の息を吐けば、呆れたような表情で奴は声をかけてきた。
「何やってんの」
拍子抜けというか、予想外の言葉に面を食らう。ファーストジャブをもろに受けたみたいだ。
「あんたがここで待てって言ったんでしょ。家にも帰らない不良息子め。他所様に迷惑かけるんじゃないよ」
「別にカレンに迷惑かかるわけじゃなし、親が二人揃っていないんだ。謳歌したって問題ないだろ」
私の心情などどこ吹く風、昼寝から起きた猫が大きく伸びをするように隣へと腰を掛けてきた。
「あんたさ、何でこんなことになってるのか理解してんの。利依の意味不明な行動で私、頭ぐちゃぐちゃなんだけど」
「蜘蛛の巣張った脳みそが久々に活性化されて良かったんじゃない。で、話し合いって何? 話し合うことなんてないだろ。この前の俺の行動が全てだ。他人の気持ちなんて早々変わるわけないだろ。父さんと母さんが帰ってきたらまた仲の良い家族ごっこ続けてやるよ。どうせ後一年だろ」
「言い方に気をつけなさいよ。まるで作り物のように言わないで。あんたとは血が繋がっていなくたって姉弟だと思ってる。だからこそ話し合いたいって言ったの」
「だから、そもそもそれが間違いだろ。俺はカレンのこと、姉として見ていない。もしかして予防線張ってんの。俺はあんたが好きだって言ったろ。ずっとだ。気持ちまで変えられると思ってんの? 話し合いなんかで折り合いがつく訳ない」
「私は、あんたのこと恋愛感情を持って見たことがない。今も昔もきっとこれからも」
「最終通牒ってことか。だからさっぱり忘れて仲の良い姉弟として付き合ってこうってか。馬鹿にすんなよ。そこまで分別付いた大人じゃない。あんたが好きなんだ。諦めようとなんて何度だってした。女らしさなんて皆無だし、食い意地は張ってるし、笑うときも遠慮なく大口開けて歯を見せるし。何でこんな奴好きなんだろうって毎回思ってる。でも、無神経で馬鹿で人の気持ち慮れなくてもカレンが好きなんだ。変えようとして変えられるものならとっくにやってる」
何て不躾な告白なんだ。良いところ一つ言うわけでなく寧ろ悪口ばかり挙げ列ねられているのに、私は。なんでだろう。間の抜けた表情で、顔が火照る。きっと赤面しているだろうことは利依の様子を見れば容易に想像出来た。だって仕方ないじゃないか。生まれてこの方人に好意なんて持たれたことが無いと思っていた。思っていただけで実際は身近も身近過ぎるところに転がっていたわけで。ああなんでだろう。妙な違和感が、泣きたく無いはずなのに目頭が熱い。
「馬鹿じゃないの」
「この期に及んで憎まれ口か。本当、らしいよ。そう言うあんたが好きなんだ」
ふっと笑う利依の表情。それがあんまりにも穏やかで優しくて。ぼやけていた王子様の顔に似ている気がして。
ああ、いつのまにか繋がれた掌が熱い。突っ撥ねてさっさと姉弟に戻ろうと説得しようと思っていたはずなのに、拒めない。告白されて恋愛感情を持つなんて主体性が無さ過ぎると馬鹿にしていたのに今なら理解出来る。
解っている。駄目に決まってる。駄目なのに、駄目で駄目でしかないのに。私の頭はいつだって役に立たない。
「気が変わった。帰るよ」
「うん」
文句が詰まって出てこない。繋がれた掌はそのままでこれじゃ肯定しているようにしか見えない。でも抗えない。私は馬鹿か。もう、考えたくない。