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目覚めて目に入るもの

義弟視点です。コメディ要素皆無。苦手な方は飛ばしてください。

ひらひらと舞う蝶々の翅をむしり取ってやりたい。自由気ままに空を飛んでいける彼女を閉じ込めてしまいたい。そうすればずっと一緒にいられるし変わらないだろう。何故こんなにも神経が高ぶるのだろう。得体の知れない苛立ちが俺を侵食していく。始まりはなんだったのか、意識的だったのかそれとも無意識であったのか解らない。

義理の姉であるカリン。夢見がちな彼女はたった数ヶ月しか離れていない同じ年の姉弟である。実の母親は物心つく前に事故で死んだ。父親は愛していた女を失い、全てを捨て蒸発。以来十年の間、ここ田中家で世話になっている。母方の伯母である母さんは実の子である姉と区別することなく育ててくれた。お陰で大して卑屈になることなく、また非行に走ることもなく平和な日常を送っていた。くすぶる火種に目を逸らしながら。

 切欠はごくごく些細なことだった。結婚二十年を迎えた両親が一週間程旅行に出かけたのだ。必然、俺たちは期間限定の二人暮らしになった。といっても高校生だ。月が明ければ三年になる。いくら仲が良い姉弟と言え、幼い頃のようにいつもくっついているわけではない。互いに当番を決め、それに則って行動すれば何も起こらないはずだった。いや、起こしてはならないものだったのだ。

 元来の俺は決して我慢強くなかった。いつの間にか蒔かれた義姉に対する感情は悪い芽を出した。家族に対してあってはならない熱情を孕む其れに恐れを抱いた。幼い頃から共に過ごしてきた姉弟。打ち消し打ち消せど霧消してくれない思慕は次第に膨らみ育っていく。我慢強くないと言えど、決して露見してはならないことくらい子供でも理解できる。俺の恋情が幸せな家族を壊す。決してあってはならないことだった。だから一定の距離を保とうとした。身の内に渦巻く恋情を押し込め押し込めて、何気ない素振りを装って。

 考えなしのカレンは俺の葛藤など露知らず、勝手気ままに行動をする。うっかり勘違いしてしまう言葉をさらりと何でもないことのように告げるのだ。反対に、傷つけるようなこともまた同じ口調で、平然とした態度を取って。

 夕食を買いに行くといって二人で連れ立った徒歩五分のスーパーマーケット。三月も下旬を過ぎているというのに、風の冷たい夜だった。マフラーを忘れたといって大げさに寒がる義姉に呆れの色を乗せて小言を言う。田中家ではあり触れた光景だ。さっさと用事を済ませてしまおうと促せば、素直に付いてくる彼女に僅か頬を緩ませた。けれども頓珍漢の女はやっぱりこともなげに俺を傷つけた。

 一緒に居る時間はもう僅かだと、母親には既に相談済みであると朗らかな口調で彼女は話す。大学は家から通えるところではなく京都に行くというのだ。いつまでもこのままでは居られないと頭では理解していたが実際に突き付けられた結果、俺は驚きを隠せなかった。それもすでに知っているのかと思っていたと追い打ちをかけてくるのだ。憤懣やるせない感情が一気に押し寄せてきた。

 今まで圧縮し、芽生える度に踏みつぶしてきた感情が身体中を巡って行くような気がした。暢気に鼻歌を歌う目の前の女が愛しくも憎らしく思えた。あんたには解らないのだろう。解るはずもない。絵空事の恋愛を夢見ているどうしようもないやつだから。

 恋情など持つものではない。重たい枷になって、自分自身すら制御のできない感情がもうすべて投げ出してしまえと囁いてくるのだから。優しい育ての両親を裏切って、絵に描いた幸福を持つ家族をバラバラにしてしまう思いはパンドラの箱のようである。はっきり異なるのは『希望』が無いだけだ。絶望や苦しみ、悲しみをばら撒けどその先に待つは罪悪と真っ暗闇。俺が義姉に恋することは何より罪深いものであった。今までの恩を忘れ、自分本位に動けば全てを失う。理解している、むしろ理解しきっている筈なのにどうして身体は言うことを聞かないのだろう。触れた義姉の掌は昔と変わらず柔らかで温かかった。


 母親の死はうすら記憶に残る程度であったが優しい父親がゆるゆると狂っていく様ははっきりと覚えている。決して強い人ではなかった。幼い俺を必死に育てようとして、他人に頼ることもなく壊れていったのだ。育ての両親はそんな父の様子を案じ、何度も家に訪れていた。けれども最愛の妻を亡くした父は既に死んでいたのだ。呼吸をして食物を摂取していて、身体は生きていても精神は腐り落ちていく。俺はそんな彼を繋ぎ止めることすら出来なかった役立たずだ。

 死んだ人間と共に暮らしていた俺はだんだんと感情が表わせなくなっていた。楽しいや嬉しいと確かに感じるのに顔の筋肉が動かない。父が俺を置いて消えた時すら涙一つこぼれなかった。苦しい、悲しい。置いて行かないで。心の内にはたくさんの言葉や感情がある筈なのにまるで無表情。不気味で奇妙な子供を田中家は良く迎え入れてくれたと思う。

 彼らは無理強いをすることなく、気味が悪いと遠巻きにするわけでもなく、分け隔てなく育ててくれた。三ヵ月先に生まれたカレンは裏表のない優しい女の子だった。『カレンちゃん』と呼ぶ度、嬉しそうに笑う彼女は幸せな子供を体現したような存在だった。

 あの頃の俺は惜しみなく愛されて育った義姉が羨ましく、彼女の後ろに着いて回れば同じく『愛された子供』になれるのではないかと思っていた。新しい両親は優しく、少しの我儘があれど義姉も新しく出来た弟を厭わなかった。穏やかで優しい時間だ。けれども表情筋は消えた父親に持っていかれてしまったらしい。俺もまた強い人間ではないのだ。

 そんなある日のことだった。暑い夏の蝉がにいにいと鳴く午後。少しお留守番していてね、と昼寝の時間に両親が買い物に出かけて行った。束の間のデートを楽しむためだろう。彼らの仲の良さは家族になっても恋人のようであった。義姉も俺もこくりと頷き、二人の姿を見送った後、リビングの床へ二人してごろりと寝っ転がった。冷房が利いて、冷えた床が心地よい。必然、睡魔がやってきて俺たちは抗うことなく眠りに落ちた。

 暗い、怖い。おいでおいでと白い腕だけが暗闇の中にくっきりと映し出される。あっちには行きたくない。それなのに身体はまるで言うことをきかず、足が勝手に腕の方へと動く。どくどくと早鐘のように鳴る心臓。いやだ、いやだと頭を振るが白い腕はもう目の前にあった。逃げられない、父さん母さん助けて。いやだ、こんなぞっとするところに居たくない。覚めろ、覚めろ。お願いだ覚めてくれ。

 もう逃げられない、覚悟を決めたとき。温かいものが掌をぎゅっと掴んだ。


「りえ、だいじょうぶ?」


目を開けると心配そうに顔をゆがめた義姉がいた。明るい光に目が眩む。余程恐ろしかったのだろう。全身が汗まみれだ。


「ママにきいたの。りえはとっても哀しいことがあったから、お姉さんになって見ていてねって。怖い夢を見たの? だいじょうぶだよ。お姉ちゃんが守るよ」

「カレンちゃん」

「いやなことはねえ、一緒に食べてあげる。おさとうまぶしてクッキーにして食べちゃうんだよ。隣のお姉さんがね言ってたの。一緒に食べる人がいれば怖いのも痛いのも半分ずつだって。だからりえ、おかしにして食べちゃおう」


 にこりと彼女は笑い、俺を抱きしめた。柔らかくて甘い匂いがした。俺はなんだかほっとして涙を流した。大泣きなんてもんじゃない、吃驚するくらいのぬるみずが目から次々に零れ落ちて服を濡らした。次第に声をあげて赤ん坊に戻ったように泣いた。

義姉も驚いたのだろう。もしかしたら本当に『いやなこと』が伝わったのかもしれない。泣く弟につられる様彼女も泣いた。わんわん泣いた。お互いをお互いに決して離れぬようにとぴったりくっついて両親が帰るまで泣き続けた。


 思えばあの時からだったのだろう。義姉が義姉で無くなったのは。それまであやふやだった感情がはっきりと明確に形作られてしまったのだ。半分だと、食べてしまおうと、彼女は覚えたての話を新しく出来た義弟に話したかっただけだったのかもしれない。けれども動かされてしまった。見つけてしまった。義姉は俺を引き戻し、かつ感情の乏しかったそれすらも何気ない行動でいとも簡単にほどいてしまったのだ。

 こんな感情、あってはならない。幼心に思った戒めは綻んで役に立たなくなった。年を経るごとに膨らんだ思いは行き場もなく萎んで、家族がただ幸福であればいいと願ったのに。

 切欠は些細なことだ。触れた掌が忘れられない。パンドラの箱は空いてしまった。絶望と苦悩しかないものだとしても、最早自分でも止められない。どうせ離れてしまうならば、壊れてしまっても仕方がないだろう。平穏無事な毎日は終わりを告げた。もう止められない。

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