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王子様の夢と花粉症

 こげ茶の目と髪を持つ男の子は格好いいけれど正体は口の悪い悪い猫かぶり王子。純朴で素直な田舎娘カレンは上辺の面の皮に騙され、見事罠にはまりメロメロのフォーリンラブ。好きだよ、大好きだよと優しい口調で紡ぐ彼はカレンが自分を好きだと悟った瞬間冷たい本性を剥き出しにする。

きらい、きらい、でも好き。涙を零しながらなおも王子への愛を告げる彼女であったが、彼の一言で硬直するのだった。『黙れよブス』


 夢見最悪。この世で一番嫌いな言葉を吐き捨てるように言われて起きるなんて、最悪な一日の始まり方だ。大体田舎娘ってなんだ、夢なんだから夢ぐらい見させろよ馬鹿。相手の王子はうすぼんやりとしか思い出せないけれど、とにかく最低な気分である。

 金色の髪を靡かせたエルフの王子が相手だったら良かったのに。駄目だ、気分が萎れてしまった。朝から完全にやる気をなくした私は再び布団へと潜り込んだ。初めのうちは苛々としていたがぬくぬくとした温かさに触れるうちしょせん夢は夢だという考えに至る。すると先ほどまでささくれ立った心はあっという間に溶けていき、心地の良い睡魔がもうひと眠りどうだい? とやってくる。折角のお誘いを無碍には出来ず私は快く応じた。今日から休みだしこのまま布団の中に居るのも悪くない。まあいいや、起きてからのことは正しく起きてから考えれば良い。


「姉貴いい加減起きてくれない? もう昼間なんだけど」


ごろりと横になったのも束の間、二度寝の邪魔をする虫が一匹。剣呑な口調で喋るのは我が家で一人しかいない。弟の利依だ。相変わらずの偉ぶった態度で、姉への敬いなどこれっぽちも感じない。


「良いじゃない。春休みなんだから。日頃朝早く起きて、学校行っているこっちの身にもなってよ。新学期始まるまでは好きにさせてほしいね」

「まるで怠け者の言い分だね。父さんも母さんも居ないんだ。自分の当番の時くらいしっかりしてほしいね」

「あ、そっか。今日からだっけ。銀婚式旅行」


決算で忙しい、忙しいとこのところ帰りが遅かった父さんは母さんとの旅行を楽しみに繁忙期を乗り越えたらしい。年度末の忙しい時期はまだまだ継続中らしいが自己プロデュース『働き方改革』とのたまって仕事より妻が大事と放言し一週間の有休を取得したとか。同じ会社で働いている社員にとっては迷惑甚だしいが、何年経っても大事にされている母さんを見ると理想の王子様とはかけ離れているが父さんみたいな人と結婚出来たらきっと幸せだろうと思う。まあ、普段はぼやぼやしていて完全に尻敷かれているタイプではあるのだけれど。


「おーい。いい加減帰ってきてくれる? 妄想の世界は現実(リアル)の仕事終わらせてからにして下さい」

「茶々いれないでよ。解りました、解りましたよ。着替えるから出てって」


全くもっていちいち水を差す男である。顔をしかめて利依を部屋の外へと追い出そうとすると、不注意なことにパジャマの裾を踏んづけたらしい。大きめの服なんて着るんじゃなかったと嘆いてみても後悔立たず。先週ワックスをかけたばかりのフローリングはつるつると滑って、受け身も取れずに傾いていく身体。背中からやってくるだろう衝撃に固く目を閉じた。

覚悟していたはずの痛みがいつまでたってもやって来ない。それから頬と背中に感じる温かさ。瞑っていた目を開くと少し焦った表情をした利依が見えた。そうか、助けてくれたのか。

 年齢が三か月しか違わない弟はいつも私をからかってばかりいる。けれども私がポカをして危ない目に合うときはいつだって助けてくれるのだ。小さな頃は力が足りずそのまま一緒に転んだりもしていたけれど、いつの間にかこぶし三つ以上も大きくなっていた背の高さ。彼の成長を目の当たりにして私はちょっと寂しい気分になる。置いて行かれたような心地がして、ふうと息を吐いた。


「危ないな。裾気を付けなよ。大体何でサイズが合わないものをいつまでも着ているんだか。頭から落ちたら怪我どころじゃ済まないかもしれないんだよ」

「ごめん」

「抜けてると思ってたけど、こんなに馬鹿だと思わなかった」

「おっしゃる通りです。今回は本当、ごめん。助けてくれてありがとう」


いつになく殊勝な態度を取った私にこれ以上文句を言っても仕方がないと思ったのだろう。利依はバランスを崩した私の身体をまっすぐに立たせて部屋を出て行った。早く着替えなよの一言も忘れずに。


 姉弟仲は喧嘩する割に悪くないと思う。どちらが年上だか解らないと言われるけれど、実質三か月しか変わらないのだから性格の違いとしか言いようがない。とはいえ一緒に暮らし始めて十年以上、『たった三か月』を振りかざし姉ぶっている私が口にするのは憚れる。

 利依の実の両親はもういない。私が知っている情報と言えば母さんの妹が利依の本当の母親であること位で詳しい話は全く知らない。父親が誰であったのかとか、母さんの妹、つまり叔母さんがどうなったのか。聞きたいことは沢山あるけれど、関係ない私が首を突っ込むのもどうかと思う。関係はあるかもしれないけれど、私の両親は母さんと父さんであるし、利依の本当の両親がどうだか知らないがやっぱり家族だ。

憎たらしいといえども可愛い弟には違いない。血が繋がっていようが、いなかろうが子供の時からずっと一緒なのだ。今更どうこうなるものでもない。


「利依、着替えたよ。今下行くから」


階段を下りながら大きな声で弟の名を呼ぶけれど返事はない。台所の方で水音がしている。大方食器でも洗っているのだろう。私はふんふんと鼻歌を歌いながら洗濯機の方へと向かう。今日は天気がいい。最近、雨模様ばかりだったので太陽が雲から顔を出すのも久しぶりだ。

乾燥機で服を乾かすのも手間がかからなくて良いけれど、洗剤とお日様の匂いをさせたものに袖を通した方が気分がいい。だからこそ今日の快晴は見てて気持ちの良いものだった。


「利依、りーえ。他に洗濯物無い? 冬物で洗ってないものあったら入れておいて。今日は絶対乾くから」


洗濯機のある洗面所から弟のいるだろう台所をの方に向かって叫ぶとガチャリとドアが鳴り、それからスリッパで廊下を歩く音が聞こえた。


「近い距離なんだから、台所に来て話しかけてよ。返事をするの面倒だし」

「何言ってんの。近い距離だからこそ大きい声出したんじゃん。さすがにベランダや庭にいたらそっちに行くよ」

「まあ良いけど。冬物は先週クリーニングに出したから大丈夫だよ」

「そうなの? 私コートまだあるんだけど」

「俺が母さんに言って出してもらったの。姉貴も子供じゃないんだから自分のことくらい自分で把握しておきなよ。あ、後ポケットの中にティッシュが無いか確かめてから回して。ここんとこ花粉症だからって姉貴と父さんまるめたティッシュそのままポケットに入れてるだろ。大体鼻の穴に詰めたりとかしてさ、百年の恋も冷めるってね」

「うるさいなあ。花粉の攻撃に遭ったことのないあんたは解らないだけでしょ。マスクと眼鏡ないと本当に悲惨なんだからね。そうだ、洗濯物に鼻水ついたら嫌でしょ。二階に持っていくまでやるからさ、干すのは利依がしといてよ。か弱きお姉さまの頼み、聞けないはずないよね」


「見返りは?」

「見返りってあんたねえ。何でも利益を求める姿勢は良くない。お姉さまの命令は絶対、でしょ。偶には言うこと聞きなさいよ。憎まれ口ばかり叩くのはこの口か」


そう言って利依の両側の頬っぺたを軽くつねると、彼は不貞腐れた表情をして今日何度目かのため息を吐いた。私は彼の子供っぽい仕草がおかしくて思わず唇を綻ばせる。


「狡いなあ。姉貴は」


つねっていた指先に利依のそれが重なり、次いで交し合う目線。こげ茶色の瞳が何故か真剣味を帯びていて思わず力が抜けた。久しぶりに間近で見た弟は先ほどの子供っぽさが無くなって妙に落ち着かない気分にさせた。


「兎も角、よろしく頼んだよ」

「夕飯と交換ね」

「ご飯作るの得意なのは利依じゃない。私のなんか食べたって仕方ないでしょ」

「それとこれとは別。それに、カレンの作るものなら美味しいよ」

「ちょっとお姉さんって呼びなさいよ。解ったから」

「うん」


弟に対してどぎまぎする自分の節操のなさに自己嫌悪を覚える。この可笑しな感覚はいったい何だっていうのだろう。今までにない違和感を覚えて彼の両頬から掌を外そうとしたが、一回り大きな指先がそれを阻止する。


「一体何だってのよ」

「うん、まあ今はそれでいいや。今後に期待しておくね、姉貴」


一抹の不安を覚えながら期間限定の二人暮らしが幕を開けたのだった。

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