3話 「狩人とオオカミ」 本編
その日は朝から狩りが捗った。
前日に仕掛けたトラバサミにはキツネが、落とし穴にはイノシシがかかっていた。
穴の中のイノシシに止めをさし、血抜きをするために木に吊るす。
もう少し小さければ家まで運べるのだがなかなかの大物だったので解体して運ぶことにした。
血が抜けるまでしばらく待っていると眼の前にウサギが現れた。
ウサギは興奮しているのか後ろ足を地面に打ち付けては茂みに飛び込み、また狩人の目の前に現れ、また茂みへ逃げ込むのを繰り返していた。
そこそこ長い狩人生活でも見たことがない動物の行動を訝しく思うも、弓を構えつつ茂みから飛び出してくるウサギを待つ。
ガサガサッ
ヒュン
矢は見事ウサギの首を貫通し、地面へ縫いつけた。
ウサギはしばらくもがいていたが大きく痙攣したのち動かなくなった。
"師匠ならキツネとイノシシだけで満足しろと怒鳴っただろうな。"
狩人は厳しい師匠の顔を思い浮かべつつ
"妻と可愛い子供のタメなので今日だけ許してください!"
と、想像上の師匠に頭を下げた。
ウサギも血抜きをしようと弓をイノシシを吊った木に立てかけ、ウサギに刺さった矢を抜いて矢筒に戻した。と、その時、
ガサッ
狩人の後ろから先程よりも大きな葉擦れの音がしたので慌てて振り返ると、灰色のオオカミが姿を表した。
とっさに弓へ手を伸ばそうとする狩人。
しかし走り寄ったオオカミは狩人の弓を咥えるとそのまま反対の茂みの中に飛び込んでいった。
"しまった。"
腰に吊ったナタを構えつつ林の奥に視線を向ける。
「オオカミはずる賢い。」
そんな師匠の言葉を思い出したが、まさか弓を盗まれるとは思わなかった。
大きなイノシシを持ってオオカミから逃げるのは不可能だろう。
ここは獲物は放棄して山を降りるしかない。
師匠の戒めがこんなにも早く降り掛かるとは、狩人は苦虫をかみつぶす。
辺りを警戒しつつ麓へ向かう山道へと降りようと、その場を後にした。
ガサガサッ
小さな山道を塞ぐように灰色のオオカミ。
先程のモノとは違い二回りほど小さい。子供だろうか。
それが二頭、毛を逆立てて唸り声を上げている。
狩人は回れ右してイノシシの場所まで戻る。
オオカミ達はゆっくり狩人の後を追ってくる。
"もしかしたらイノシシもウサギもオオカミ達が狙っていた獲物だったのかもしれない"
獲物を横取りされたら狩人だって頭にくる。
オオカミ達に獲物を返せば許してくれるかもしれない。
ドサッ
先程放置したウサギを二頭のオオカミの前に投げる。
一瞬ウサギに目を取られるもすぐさま狩人を見据える二頭のオオカミ。
"許してくれないか……"
ずる賢いとはいえ相手は獣、縄張りを荒らされた怒りを狩人にぶつけるつもりなのかもしれない。
家で帰りを待つ妻と子供の顔が頭をよぎる。
ガサガサガサ
ウサギを投げた二頭のオオカミと同じ大きさのオオカミが更に二匹、茂みから現れた。
"こんなにいたらそりゃ獲物も沢山必要だな。"
狩人はいよいよその身に降りかかるであろう不幸を、妙に納得しはじめていた。
「ウォォーーーン。」
狩人の背後、先程弓を咥えて走り去ったオオカミが消えた森の中から遠吠えが上がる。
眼の前のオオカミ達は遠吠えに耳をそばだて、次第に狩人に近づいてくる。
「こうなったら俺も男だ、煮るなり焼くなり好きにしやがれっ!!」
狩人はナタを手放しその場にどかっと腰を下ろす。
街で悪さをしていた頃に戻った気分だった。
「ウォォォーーーン。」
また背後で遠吠えが上がる。
すると座り込んだ狩人の腕や足にオオカミ達が噛みついたっ!
と、よく見ると袖やズボンを噛んでいる。
そのまま四頭のオオカミが男をズルズルと引きずろうとしていた。
「やいやいやいやい、何処へ連れて行こうってんだ! 喰うならさっさと喰いやがれっ!」
狩人はジタバタと手足をバタつかせる。
手や足がぶつかるたびに「フーッ! フーッ!!」と威嚇するオオカミ達だったが、流石に鼻っ面に当たると痛いらしく、噛み付いていた服を離した。
「ウォウォォーーン。」
背後の遠吠えがすぐ近くから上がる。
振り向くと首に狩人の弓を下げたオオカミがそこにいた。
「ウォン。」
更に吠える弓持つオオカミ。
周りにいる四頭のオオカミ達も狩人を押したり引いたりする。
「お前についてこいってことか?」
狩人は弓持つオオカミに問いかけるが明確な答えはもちろん帰ってこない。
しかしもう一度「ウォン。」と吠えた。
狩人は立ち上がり弓持つオオカミの側へ歩いていく。
周りにるオオカミ達のうち二頭は狩人の後を追い、もう二頭はその場に残った。
弓持つオオカミは狩人が近づくと、首から器用に弓を地面に落とし、少し後ろに下がる。
まるで弓を返すといった仕草である。
狩人はそのまま歩み寄り弓を拾い上げ背負う。
「あ、ありがとよ。いや、勝手に持ってったのはお前だからありがとうは変だな?」
狩人は混乱しつつもオオカミに声を掛ける。
オオカミはそんな狩人の態度にはお構いなくそのまま振り返り森の奥へと歩いていく。
後ろにいたオオカミ達が狩人のズボンに噛みつきあとを追うようにと引っ張る。
「わかった、わかったから引っ張らないでくれよ。ズボンが破れたら女房に叱られっちまう。」
ここまできたら腹を据え、なるようになれと、狩人はオオカミ達に着いていくことにした。
森を進むオオカミ達と狩人。
人が歩くような場所はなく、獣道ですらないので狩人はついていくのに精一杯だった。
前を行くオオカミは狩人の歩みに合わせ少し進んでは待ち、また先を進んでは狩人を待った。
そうしてかなり長い時間をかけて森の奥へと一行は進んだ。
木々の隙間から岩肌が見えてきた頃、狩人の目の前に洞穴が現れた。
クマでも住んでいそうな穴だったが、前を行くオオカミがそのまま中へ進むのでこのオオカミ達の巣穴なのだろう。
洞穴の前で一旦歩みを止めた狩人だったが、小さなオオカミ達がまたズボンの裾に噛みついて引っ張るのでしぶしぶ歩を進める。
洞穴の入り口は広いが中は深くないようで、外からの明かりで中を見渡すことが出来た。
奥には先導したオオカミと、それより一回り小さなオオカミが横たわっていた。
「ウォン。」
先導したオオカミが吠える。
後ろのオオカミ達が狩人の足を身体で押して前進むように促した。
二頭の前まで進む狩人。
よく見ると横たわるオオカミのもとには人の赤子がすやすやと眠っていた。
まるまるとした赤子だ。お腹にはボロボロの布切れが巻いてあった。
「コイツは驚いた。こんなところに人の子がいるなんて誰も思いつかないぞ。」
狩人はオオカミと赤子を交互に見る。
すると先導したオオカミが横たわるオオカミへ鼻先を近づける。
横たわるオオカミはその鼻先をぺろっと舐め、そのあと赤子をペロペロッと舐めた。
一瞬赤子に噛み付くのかと慌てた狩人だったが、横たわるオオカミが舐めた後、先導したオオカミが赤子を布切れごとそっと持ち上げて狩人の方へ差し出す。
「俺に連れていけって言うのか。」
狩人は差し出された赤子をおっかなびっくり抱き上げる。
すると横たわるオオカミがすっと立ち上がりると、狩人と赤子に近寄りもう一度赤子をペロペロと舐めた。ついでに狩人の手も舐めた。
先導したオオカミが洞穴の入り口へ向かう。
狩人は赤子を抱いてオオカミの後を追う。小さなオオカミ達も狩人に抱きかかえられた赤子から目を離さず、一緒に外へと歩み出た。
「ちょ、ちょっとまってくれ、このままじゃ赤子を落としちまう。」
来た道を戻ろうとするオオカミ達にそう声をかけ、狩人は一旦柔らかい草の上に赤子を寝かせる。
すぐさま小さなオオカミ達が赤子の守るように近寄る。
狩人は上着の袖をビリビリと破って即席の抱っこ紐を作り、赤子を身体に縛り付けた。
「さぁこれで大丈夫だ。案内は任せた。」
狩人と赤子とオオカミ達の奇妙な一行は洞穴を離れて森に別け入った。
「ウォォォン。」
あの横たわったオオカミだろう。さみしげな遠吠えが聞こえた。
オオカミに先導されて森をしばらく進むとイノシシの場所へ出た。
行きよりは随分と早く戻ってこれた。
「ははぁん お前ら俺を試して遠回りさせたな?」
オオカミ達に少々イヤミを言ったところで答えるはずもなく、その場に残っていた二頭のオオカミ達も一緒になって麓へつづく山道を降りる。
狩人の家までもうしばらくかかるが、拓けた場所に出たところでオオカミ達が止まる。
此処から先へは進まないようだ。
すると不思議とここまで泣き声一つ上げなかった赤子がぐずりだした。
狩人はしゃがみ込み、赤子の抱っこ紐を解いてオオカミ達に近づける。
大きなオオカミは近寄ってこなかったが、小さい四頭のオオカミ達が赤子の顔から手から足の裏までペロペロと舐め回す。ぐずった赤子がくすぐったそうに笑う。
しばらくそうやっていると大きなオオカミが「ウォン」と吠えた。
一頭ずつ鼻を押し付けて赤子から離れるオオカミ達。
お別れは終わったようだ。
抱っこ紐を結び直し狩人は立ち上がる。
「安心しろ、お前達の兄弟は俺がしっかり育てる。」
そう言って狩人は家路についた。
獲物の代わりに赤子を連れてきた狩人に、妻は驚きながらも夫の無事を喜び、新しい家族が増えたことを山々に感謝した。
明くる日、狩人はあのオオカミ達と出会ったイノシシの場所まで行ってみた。
すっかり血抜きが終わったイノシシと、トラバサミのキツネやウサギがそのまま残っていた。
あと狩人が仕留めた覚えのないウサギが四羽とキツネが二匹に増えていた。
狩人の言った「安心しろ」はうまく伝わっていなかったようだ。