おまけ
天から降り注ぐ一条の矢となって姿を現せしは、一頭の天馬である。
その佐目毛の、何と見事なことか……。
象牙色に輝く全身は神々しさと生の生命力とを矛盾なく同居させており、時に神獣として敬われる事もある種族でありながら戦馬としての能力も並々ならぬものであることを直感させた。
長毛は貴族がそうするがごとく優美に編み込まれており、藍色にきらめく瞳と合わさって得も言われぬ気品を感じさせる。
そして白鳥を思わせる背の翼を一度羽ばたかせれば、矢弾を思わせるほどの落下速度が瞬時に相殺され、大の大人数人分の重さはあるだろう馬体をふわりと滞空させて見せたのだ。
同時に、翼で隠れていた騎乗者の姿も露わとなった。
大空を思わせる青色に金糸で装飾の施された鞍にまたがりしは、驚くほど小柄な少女である。
おそらく、エルフ族の血が混ざっているのだろう……短剣のごとく鋭い耳を持つ少女に人間の常識を当てはめるべきかは疑問だが、ともかく年の頃は十代後半ほどに見えた。
背丈はトレイルボスの胸元辺りまでしかなく、体つきもそれに比例して人形を思わせる華奢さである。
蜂蜜を思わせる色合いの髪は首の辺りで二つ結びにされており、天馬の背でもう一対の小さな翼が羽ばたいてるかのようであった。
顔立ちもまた幼く、猫科の動物を思わせる愛くるしい造作と相まってこのような場に現れたのが夢か幻であるかのようだ。
それが鞍に合わせた色合いと装飾の可憐な装束に身を包んでいるのだから、男であるならばどのような者であっても感嘆の念を抱かずにはいられない。
――だがしかし、それ以上に抱くべきは自らの生命が助かった確信とそれに対する感謝の念であろう。
神獣と称される事すらある天馬を自在に乗りこなし、その御手には真銀で作られた細身の軽騎槍を握りし女性騎士……。
肩かけにした鞄の素材は竜の皮に間違いなく、その中に納められているのが時に国家のすう勢すら左右する代物であることを傍目にも実感させた。
疑う余地など、微塵もない……。
――国境なき騎士!
――天を舞う運び人!
――中央天便局の戦乙女!
空騎士が、この場へ馳せ参じてくれたのだ。
――でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。
まるで濃霧が立ち込めるかのように……。
瞬間、トレイルボスの意識を支配したのは奇跡と言ってよい救援への喜びでも命を拾った確信でもなかった。
そう……他でもない。
――空騎士のスカートである。
そもそもが、天馬に乗り空を駆け回る仕事だというのに何故かような丈の短いスカート姿なのか?
少なめの折り畳みで構成されたプリーツスカートはわざわざ天馬に乗らずともちょっとした風の揺らめきでめくれてしまいそうであり、羞恥心という言葉の意味を考えさせられてしまう。
脚部こそ純白のロングブーツで覆われているが、肝心の太ももたるや完全な無防備であり、むしろスカートとの間に生まれる絶対の領域が男を挑発してならないのだ。
――くっ……! 落ち着け! あんな安っぽい挑発に乗るな!
だが今は、命のやり取りをしている切迫した場面である。
現に、一瞬呆気に取られていたゴブリンの一匹がこちらへ猛然と槍を突き出していた。
――うおおおおおっ!
つまり、視線をそこから外す理由になどならないということだ。
男というのはスカートがめくれれば例えおばさんのものであっても目をやってしまう悲しい生き物なのであり、これに時も状況もちょっと刺さっちゃった槍の穂先も関係ないのである。
そして彼は――見た!
……否、見てしまったと言うべきだろうか。
恐るべき神技によって槍を振るう少女のスカートに隠された、秘密を……。
スカートの中に隠されていたものを、果たしてどう表現するべきであろうか……。
端的に言い表すならば、それは、
――謎の空間。
……と、いうことになる。
それは光すら逃さぬ暗黒領域のようであり、あるいはパニエなどという言葉では生ぬるい無限の布の連なりのようでもあった。
それはおよそ人知の及ぶ存在ではなく、人間どころか神々であっても縫製など成しえぬ代物であった。
それは明らかに、この世のあらゆる理から逸脱していた。
――何故だ! 何故パンツが見えない!?
――いや、そもそもパンツとは何だ!? 何のために存在するんだ!?
二〇一八年現在のWikipediaによればパンツとは第一にズボンを指す言葉であり、第二に下半身に穿く短い肌着を指した言葉である。
――ちょっと待て! Wikipediaって何だ!?
当然の疑問を思い浮かべるが、思考の濁流は止まらない。
この世ならざるものを見た影響か、あるいは紳士道に反した報いか……。
トレイルボスの脳裏には、本来知りえないはずの情報が津波のように押し寄せてきていた。
それはまるで、脳髄だけがどこか別の場所と繋がりその接続を断つことができずにいるかのようなのである。
――いや、そもそも。
――オイラって、何だ?
まるで闇の炎が頭の中を駆け回るっ! かのように、徐々に徐々にと正気が灼き消えていく……。
――オイラは。
――オイラは!
そして、彼の頭はPになった。
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後年、彼は一冊の本を書き記した。
しかしてその著作『偶像を極めし灰かぶりの少女達が立つ星光の舞台』は、目を通しただけで正気を失う恐るべき書物として魔導書認定を受け、温泉都市チエリナの神殿奥深くへと封印されることになるのである。