開拓地連邦のサノバビッチ・シチュー 下
槍を振るう時は一切の迷いなく体が最適な動きを選び取り……。
魔術を放つ際は、精密精緻な制御でもってこれを行使する……。
何よりも、戦闘において最大の効果が見込める行動を瞬時に見極め、即座に実行へ移せるのが空騎士ルメグ・ソロという女性の長所である。
では、人と相対すればこれはどうか……。
――優柔にして、不断。
この一言で全てを表すことができ、まさしくこれこそが空騎士ルメグ・ソロという女性の短所に他ならなかった。
さっさとその場を飛び去り、予定していた宿場である港町ジャンケで新鮮な魚介料理に舌鼓を打てば良かったものを……。
わざわざその場へ降り立ってしまったのは、愚かと言うべきかはたまた人の良さと言うべきであろうか……。
「一体、どちらまで行かれるところなんですか?」
「すみません。配達先はお教えできないんです」
「是非、握手させてください!」
「あはは、私なんかで良ければ……」
「あたしよりずっと小さいのに、すっごい魔術で感動しました! エルフの血が入ってるみたいですけど、おいくつなんですか!?」
「あんまり年は言いたくないけど、二十の半ばかな?」
空騎士たる者がそんなことをすれば、たちまちもみくちゃにされるのは火を見るよりも明らかなことなのだ。
幸いにして己の活躍もあり、大きな傷を負った者はいない。
それが故、命の救い主であり名高き自由の騎士である少女へお近づきになろうと戦士たちは何ならば先までの戦いよりも意気盛んに押し寄せてきたのである。
それらに笑顔で応じられたのは、人々への印象を大切にする空騎士の性かはたまた答え慣れた質問であったからか……。
ともかく、なかば自動的に答えながらも脳裏に描いていたのは別の事柄であった。
すなわち……。
(ジャンバラヤ、食べたいなあ……)
港町で名物となっている、特色ある料理の数々である。
中でも魚介類やソーセージ、香辛料などを加えて米を炒め炊きにしたかの料理は種々雑多な民族が集まって構成された開拓地連邦らしい一品であり、ルメグにとってもお気に入りの料理であった。
空騎士であるルメグはその気になればいくらでも豪勢なレストランに赴くことができたし、開拓地連邦ならば成り上がりの富裕層たちが己を招いたステイタス欲しさに目も眩むほど豪華な歓待をしてくれるだろう。
だが、幼い頃を大華帝国で馬の世話人として過ごした彼女にとっては、贅の限りを尽くした料理より庶民的な米料理の方が舌に合うし、明日の活力を得られるのだ。
そのようなわけで、会話はしながらも心ここにあらずといった体のルメグであったが、その一言でハッと我に返ることとなったのである。
「もし良かったら、夕飯をご馳走させてくださいませんか!?」
「あ、はい! 是非!」
……二つ返事とは、この事だ。
かくして、空からの賓客を迎えた牛追い人たちの宴が催されたのである。
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それは民謡のようでもあり……。
単に叫び声を応酬させているだけのようでもある……。
バイオリンやバンジョーでかき鳴らされるメロディはよくよく聞けば単調で繰り返しも多いが、逆に言えばどれだけ聞いても耳が飽きない旋律であった。
日々の旅暮らしで起きる様々な苦悩や不安を吹き飛ばすような、底抜けに明るく活力に満ちた音の波模様……。
開拓地連邦に生きる開拓者たちの夜は、ワークソングの響きと共にある。
何とも不思議なのは、猥雑さすら感じさせるその音楽が彼らの引き連れる大量の牛たちを従え、なだめさせるのに一役買っていることだろう。
牛群輸送隊の戦士らが奏でる旋律と歌声を耳にした牛の群れは、うっとりとした眼差しをしながら大人しく世話役らの指示に従いひとまとまりとなるのだ。
空騎士として音楽に国境はないと断じられるルメグであったが、種族においてもそれが適用されると知ったのはこれが初めてのことであった。
(魔術より、よっぽど魔術だな……)
そのようなよく分からぬことを考えながら、他の戦士らに交じり愛馬ノテクのブラッシングに従事する。
首すじの毛並みに絶対の自信と誇りを持つ彼に何度もそこをすくよう要求されながら、ルメグが目をやるのはしかし、楽器を奏でる戦士たちではなく炊事馬車隊であった。
――チャックワゴン。
長期の旅に用いられるこの幌馬車は荷台にいくつもの工夫が施されており、後方の板を外し支柱で支えるとそれがそのまま調理台となる。
荷台内部も魔術の氷を用いた冷蔵庫や食器を収めた戸棚が満載となっており、調理器具や日用品各種も御者台下に吊るすなどしておよそ必要となるものは全て取り揃えてあった。
まさに移動する住居と呼ぶべき代物であり、この一台には民間の創意工夫が隙間なく仕込まれているのだ。
そんな輸送隊の生命線とも言える馬車を取り仕切るのは他でもなく、魔女の役割である。
古来より炊事を預かるのは女の役割であると言えばそれまでだが、これは長期の旅における魔術の重要性をも表しているだろう。
缶詰というものが流通して久しい昨今ではあるが、魔術でもって冷蔵した生鮮食品には数段味が劣る。
これは戦闘者にとって、看過できぬ問題だ。
戦士にとって食事とは肉体を維持する最重要事項であり、また最大の娯楽でもあるからである。
かような実態を知らぬ市井の者は魔女の役割というのは魔術による制圧であると思いがちだが、実際には隊全体の生活水準を底上げすることこそ真の使命であるのだ。
またいざという時は医者の役割も果たすのが魔女なのだから、女日照りの戦士らから守る意味でも序列として隊の最高位に置かれているのである。
そして男たちはあらゆる情欲を抑え魔女へと尽くす。
これこそ、旅に生きる者らの紳士道だった。
「ほらみんな! 手際よくやるよ!
……つっても、ああほら! 雑にやらない!
命を助けてもらった恩義に報いるんだからね!?」
この隊における魔女は、おそらく自分より一回りは年下の少女である。
さすがに今回の旅が初仕事というわけではなかろうが、まだまだ経験が足らぬのは年齢以上に立ち居振る舞いから察することができた。
戦士たちはそんな彼女からの指図を、しかし時に苦笑交じりではあるものの忠実に実行へと移していく……。
口で言うのは容易いものの実現するのは難しいのが理想というものであるが、ここにあるのはまさしく理想的な関係性であると言えるだろう。
(あの子はああ言ってくれたけど……)
先程、感極まった様子で自分へ駆け寄って来た時の彼女を思い出す。
賑やかで……そして和気あいあいとした炊事光景を見やる空騎士の目は、眩しいものへ向けられたように細められていた。
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「さあ、たくさん食べて下さいね!」
旅先での食事は早さが肝要なのは各国における共通事項であるが、料理が出来上がるまでのわずかな時間がルメグにとって無限獄のごときものであったことは語るまでもない……。
しかし、いざ出されたそれは試練を乗り越えるだけの価値がある代物であった。
金属製の深皿に注がれたそれは、ざっくばらんに言うならば牛肉と根菜の煮込みということになる。
だが、使われている牛肉の種類と量たるや尋常なものではない。
主として使われているのは肩肉のようであるが、すね肉やとっておきだろうサーロインも所々に散見しており、煮込み料理に向かぬ部位以外は全てぶち込まれているかのようだ。
肉の見本市と化した器の中で花を添えるのはジャガイモ、タマネギ、ニンジンといったお馴染みの根菜類で、特にジャガイモの比率が多いのはいかにも開拓地連邦の料理といった風情である。
とろみをつけたトマトジュースで煮込まれたそれらはうっとりとするほどの照りを帯びているが、特筆すべきはその香りであろう。
――まるで、鼻孔を通り越して直接喉奥を殴りつけられたかのような。
質量すら伴って感じられる暴力的なまでのうま味が、器から漂うその芳香へすでに宿っているのだ。
気がついてみると、乾燥した荒野の空気でカラカラだったはずの口内が唾液で湿っていた。
(――いただきます!)
今日の食事を得られたことへの感謝を手早く胸中で言葉にし、颯爽と匙を手にする。
いの一番で挑むのは他でもない……肩肉だ。
一口大にカットされたそれは煮汁に濡れ照っており、ルメグの目にはどんな宝石よりも輝いて見えた。
これを一息に……口の中へ放り込む!
「はふ……ふぅ……」
まず感じ取れたのは、熱々の煮汁に秘められた圧倒的なうま味の奔流である。
(この短時間で、よくこれだけの出汁を……)
おそらく、煮込んだ鍋の中には骨髄なども放り込まれているのだろう……。
複雑にして精緻な味の絵画が、舌の上に描かれていくような心地なのだ。
単に肉を煮ただけでは、決してこのようにはゆかぬ。
まさしく、牛という生物に秘められた味の髄がこの一匙に濃縮されていると言えた。
自然と口角が緩みそうになるが、そのようなわけにもいかない。
ここからが、本番なのだ。
決意か……歓喜か……あるいは、祈りか?
自身、判然としない感情に従い顎へ力を込めた。
噛む!
……噛む!
…………噛みしめる!
牛群輸送によって道なき道を旅してきた牛の肉は、その過酷さを物語るかのような恐るべき歯ごたえである。
何しろ、脂身というものがほとんど存在しない。
余分をそぎ落とし、ひたすらに歩き抜いてきたからこそ宿る筋肉の弾力がそこにはあった。
だからこそ……うまい。
何度も何度も顎を動かし、筋繊維の一つ一つを叩き、ほぐし、噛みちぎっていく。
そうする度にその内へ秘められていた肉汁がこぼれ落ち、更なる感動が身の内を震わせるのだ。
お次は、すね肉に挑む。
あれほど手強かった肩肉がほんの小者でしかなかったと思わせられる弾力には、もはや噛んでいるのかしゃぶっているのか分からぬ有様である。
しかし、そうすることで得られる恍惚感はもはや麻薬のそれにも似た快楽であり、決して食事の手を止める気にはならなかった。
サーロインに至っては、もはや語るべきことはない。
(私は今……肉を食っている……!)
かようにそもさんすれば、導き出される説破はただ一つだ。
(世界で一番、幸せだ……)
その幸福に花を添えるのは、一緒に煮込まれた根菜たちである。
タマネギにしろニンジンにしろ自身の香味で煮込みの完成度を上げるのみならず、自らも煮汁を吸って主役にのし上がろうとするあなどれない野心家たちだった。
しかし、ジャガイモのそれには一歩及ばないだろう。
ほこほことしたそれに煮込みの汁をまとわせて食せば、彼の比率が多かったのは単にそれが美味いからなのであったと自然に悟ることができる。
何ならば、この汁とイモだけで無限に食し続けることができそうであった。
食べる!
――食べる!
――――ひたすらに、これを食べる!
「ほぅ……」
そしてルメグは、感嘆の吐息と共にこれを食し終えたのである。
(……ごちそうさまでした)
大いなる満足感と共に周囲を見渡せば、耳に響くのは先ほどと同じワークソングの調べだ。
「――畜生!」
「――畜生!」
「――畜生!」
「「「――ヤーッ!」」」
メロディに乗せて悪態を吐き散らす彼らの姿は、言葉と裏腹に何とも陽気で楽しそうで……。
たった今食した牛肉同様、日々の苦難を乗り越えることで得られる輝きに満ちていた。
ならばあの煮込みは、畜生鍋とでも呼ぶべきなのだろう。
そうやって歌い、騒ぎ、食し、踊る人々の輪で中心となっているのはやはり魔女の少女であった。
時にはみかみ、時に勝気に、時に甘えるように戦士らの手を取っては共に踊りはしゃいでいる……。
その様子を見ながら、ルメグもこっそり呟いてみるのだった。
「……畜生」
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三十分後……。
少々の食休みを挟んだルメグは、引き留める牛群輸送隊の者らへ謝辞を告げると再び空の人となっていた。
周囲はすでに夜闇が包んでいたが、魔術の明かりを灯せば訓練された空騎士と天馬にとって何の障害ともなりはせぬ。
しかし、それでもなお夜間の飛行を断行したのは、あの集団の中にあって居心地悪さを感じたからに他ならないだろう。
それは単独で行動する空騎士にとって、飢え以上に心身を蝕む代物であるのだ。
「……はいはい、あんたがいるよ」
わずかに首を傾げ、視界の端で己を見つめていた愛馬へ苦笑と共にそう告げる。
「でもそうだね……こういう時、タバコでも吸えたら少し楽になるのかな?」
――臭いのは勘弁してくれ。
そう告げるかのように鼻を鳴らすと、相棒たる天馬はますます力強く翼を羽ばたかせる。
星々のきらめきだけが、彼らの供だった。