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ばあちゃんの話(上)

 その娘は今年で十二になるところだった。

 夏だと言うのに折悪く嫌な風邪をひいて、昨日からずっと寝付いていた。

 夜、家族は皆、寝静まっている。さっきまで布団の脇にいてくれた母親も、さすがに昨日からの看病疲れで夫婦の寝室へと引っ込んだところだった。

 暗い部屋で、虫の鳴く声だけが遠く聞こえる。

 その遠さに思いを馳せながら、娘は一人、熱と寒気に震えて布団に包まっていた。


 半分ほど開いた窓の外から、ふわりと光の玉が舞い込んできた。

 娘は最初、蛍が入ってきたのかと思ったのだ。水場も近くにはないのに、おかしなこと、と。

 しばらく見上げている内、光は点滅しながら天井をぐるりと一周し、それからゆっくり降りてきた。


 布団から顔を出していた娘は、びっくりして布団の上に飛び起きた。

 枕元に降りた光の玉がぼんやりと形を変え、紋付羽織袴の爺さんの姿になったからだ。


「……あんた、どっから入ってきたんじゃ」


 折り目正しく正座をしている爺さんに合わせて、娘もまた布団の上に正座して問うた。

 熱で寝乱れた夜着を恥ずかしく思うような余裕もない。

 爺さんは伸びた髭をしごきながら、仏頂面で答えた。


「先祖に向かって(むこうて)無礼な小娘じゃの。わしゃあお前(おめぇ)曾祖父ひいじいさんにあたるもんじゃ」

「ひいじいさんなんざ、知らない(しらんがな)。見たこともない(ねぇ)


 娘の家がかつては手広く米の商いをする商人の家系であったということすら、この時の娘は知らなかった。

 ただ、生まれた時から貧乏だった自分の家に、こんな立派な紋付袴を着るような先祖がいる訳がないと、そんなことを考えていた。


お前(おめぇ)が知らんでも、ちぃは嘘をつかん。だから(じゃけぇ)こうして迎えに来てやったんじゃ」

「……迎え?」

お前(おめぇ)の命は終わり(しまい)じゃ。分かったら、早く(はよ)支度しなさい(せぇ)

「そんなんいきなり言うても……何の支度じゃ」

「三途の川に向かう支度じゃ」


 娘の心臓がどくん、と鳴った。

 まさか。まさか。


「……私は(うちぁ)死ぬ(しぬる)んか?」

「そうじゃ」


 途端に、目の前が真っ暗になった気がした。

 おかしな風邪だとは思っていたが、まさかそんなことで。


 娘には、やりたいことがあった。

 片田舎のこの村を出て、町へ行ってみたい。

 町にはたくさんの家や店が並び、皆が美味しいものを食べ、着飾り、毎日が祭りのようだと言う。

 ずっとそこに住まいたいとは思わない。だが、そんな世界が本当にあるのかどうか、一度くらいはこの目で確かめてみたい、と思っていた。


 その時はきっと、隣家の一人息子、恵介さんと一緒に行くのだ。

 恵介さんは娘の一つ上で、一昨年まではよく一緒に表を駆け回っていた。

 穏やかな少年で、周りからは一つ下の娘の方が彼を連れ回しているのだと言われた。

 最近は家の手伝いで、一緒に遊ぶ時間はない。ただ、家が隣同士である故に、朝晩に顔を合わせ挨拶をするくらいだ。


 その彼が、昨晩遅くにこっそり見舞いに来た。

 真夜中、開けっ放しの窓から顔を覗かせ、娘を呼んだ。そうして、裏の小川の上流の方で捕まえてきたという蛍を虫かごごと、窓ごしにくれたのだ。

 娘の胸に押し付けられた籠の中、仄かに光る虫たちは、言葉にならない何かを伝えているような気がした。


 死にたくない。まだ。

 熱と焦りで、ぐるりぐるりと頭が揺れる。

 ともかく一度落ち着かねばと、上ずった声で娘は答えた。


「これでこの世とおさらばなら、せめて袖を通せ()かった晴れ着を着て行きたい(てぇ)

「ほう」

少し(ちぃと)外へおってくれんか」

「……まあ、()かろう。早く(はよ)しなさい(せぇ)よ。外で待っているから(とるけぇ)


 断られるかと思ったが、案外に大人しく爺さんは立ち上がった。娘心に絆されたのかも知れない。襖に手をかけさえせず、すすっと滑るように部屋を出ていった。

 その背中を見送ると、娘は黙って布団の上に立ち上がった。ぎゅっと拳を握り、天井を見上げる。


 死んでなるものか、若き身空で。

 何としても、あのじじいを出し抜かねば。


 ぐるり部屋を見回すと、隅に小さな箱型の影がある。

 ふと思い出して近付いた。覆いのかかった虫かごの中には、恵介さんのくれた蛍が三匹、昨夜のまま儚い黄金色の光を明滅させていた。

 こんなに似ているのだ、爺の人魂を見て蛍と見紛うのも仕方あるまい。

 ならば、逆に、爺もこれを見て人魂だと思うことはないだろうか。


 想い人から貰った大事な虫だが、背に腹は変えられぬ。

 蛍を一匹籠の中から摘み出し、手のひらの中に閉じ込める。両手を突き出したまま部屋を出て、土間たたきへ降りると足先で突っ張り棒を外し、引き戸を細く開いて外へ声をかけた。


「爺、支度が出来たでぇ」

それなら(ほんなら)おいで」

「へぇ」


 扉の外へ向かって開いた手の中から、淡い光が飛び立った。

 ふわり、と宙を漂う蛍に向け、爺が声をかける。


「おいおい、先に行くんじゃない(ねぇ)。迷子になるぞ」


 離れて飛び去っていく蛍の後を、もう一つの光が浮き沈みしながら追っていく。

 おい、おい……おい……。

 二つの光と爺の声が遠ざかっていくのを見送ってから、娘はがたりと引き戸を戻した。

 熱と悪寒は変わりないが、少しばかり心は晴れやかになった。

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