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第八話 「外界/四ツ目」


【月雲霞】


 顕れた星喰の姿と、奇妙に静まりかえったしじまが、加速度的にあたしの心を黒く染めていく。しかし挫けそうになった理性を、それでもなおと奮い立たせる衝動があたしの中にはまだ在った。

 光明とは灯火。そして、未だ種火に過ぎないそれを大きくすべきは、ほかでもないあたし自身。


 詩音の銃声が聞こえない。たっくんの足音も聞こえない。

 助けが来るかは、わからない。

 ――――それでもまだ、諦めるのは許さないとあたしの中の何かが吼える。


「ッ、」

 一歩大きく跳び退く。幸い、それなりに長い時間この真っ暗闇の中に身を置いていたおかげで、ある程度夜目が効くようにはなっている。空中で手が白くなるほど強く握りしめた弓を構え、地に足が着き、――――番え、射る。


 ひゅんッ!!


 燃え盛る炎が閃光のように煌めき、刹那の軌跡を残して星喰の体に命中する。しかし炎は一瞬その汚泥のような体を燃やしたものの、まるでタールに飲まれてしまうようにして鎮火させられてしまった。

「(やっぱり、あの大きさを燃やすには火力が足りない……しかもヒータさんが人質にとられてるようなものだから、火力が出せたとして燃やすのは憚られる。――――なら、心臓じゃくてんを一撃で射ち抜くしかない)」

 星喰は四足歩行が基本のようだから、その体躯の中心部分にある心臓を射抜くには、昨日たっくんと詩音が二人でやったようにその体を仰向かせてから射抜くか――――いちかばちか、その下に潜り込んで下からの一射を狙うほかにない。

 正直言って、前者の選択肢は無いといっても過言ではない。詩音の弾丸ならばともかく、まずあたしの炎の矢にそこまでの威力はないためだ。二人ではなく一人で相対せねばならない以上、誰かが気を引きつけるということもできない。ヒータさんを囮に使うなどということは論外だ。

 必然的に後者の手段をとらねばならないことになるわけだが――――それはそれで、うまくいくかどうか。

 いや、やらなければ道はない。下手に近づけば、取り押さえられて食い殺されるのがオチだ。星喰が四肢を動かす暇もなく滑り込み、間断を置かず撃ち抜かねば勝機はない。

「かす、み、……ッ、はや、……にげ……ッ!」

 一本の足によって首を押さえつけられているヒータさんが、力の限り絞りだした声が構内に響く。その焚火のような瞳は苦悶に歪み、しかし本気であたしに「逃げろ」と伝えていることがわかる。

 けれど。


「やだ。あたし、ヒータさんを見捨てて逃げるなんて、したくない」

 声は凛と喉を通り抜けた。決意が震えを鎮め、淀みのない動作で矢を番える。

 貴女が信じた才能を、あたしがこそ信じてみせる。

 そう、思ったから。


 ――――星喰の腕が不意に伸びる。それを躱すようにして柱の陰に回り込み、間を置かず立て続けに三本を連射する。それらは全て星喰の胴体に突き刺さったが、奴は不快そうに身をわずかに捩るのみだった。だがそれでも、ヒータさんを押さえつけた肢だけは緩む気配がない。それを口惜しく思いながらも、絶え間なく動き続けつつ矢を射る。

 応酬自体は非常に単純で、だからこそ傍目からは膠着しているように見えるかもしれない。だがあたしは、しばらく続くこのやり取りの中で、ある事実を少なからず見出していた。

 一つ、星喰は見つけた獲物に非常に執着すること。星喰はずっと、あたしに対して攻撃を加えながらもヒータさんを離す素振りを一度も見せなかった。普通ならばきっと、まずはあたしを仕留めてから弱った獲物を食らいに戻るか、あたしという面倒くさい獲物から逃げたあともう一人を食らうか、そのどちらかだろう。その執着の仕方は、生物として本能でも理性でもなくただただ奇妙だった。

 二つ、いくら既存の系統樹からかけ離れた生物とはいえ、重力には逆らえないこと。つまり、人間が四つん這いをする時と同じように、一度に三本の肢は使えない。必ず二本は地面についていなければならないし、体から突然第五の肢が生えてくるというようなこともない――――当たり前のようだが、人間の当たり前がこの正体不明の生物にどこまで適合するかは怪しかったから、それを確かめることができたのは僥倖だった。

 三つ、体は流体状に見えるが、やはりその伸縮にも限界があるということ。四肢はその一本一本がそれなりのリーチを持っているが、逆に言えばその最大限まで伸ばした後は引き戻すのに少しのライムラグが生じる。範囲は脅威だが、ヒータさんという中心点から動くことができない以上、届く範囲さえ見極めてしまえばさしたる恐怖ではない。

 それらの観察を踏まえて、あたしはあたしがとるべき「作戦」を導き出す。即ち、動き回ることで誘導し、二本の肢をその範囲の限界まで伸びきらせる。その隙に真下に滑り込み、ありったけの最大火力を核にぶち込むことで撃滅する。

 作戦というのもおこがましいくらいに脳筋で愚直で、しかしこれ以上ないほどに単純明快だ。

 あたしはお世辞にも頭が良いとは言えないし、知識もないから、難しいことは思いつかないし、思いつけない。やれることをやるだけで、この状況下で尽くせる最大限がこの作戦だったというだけの話だった。

 最大火力を叩き込む必要があるのは、念のためだ。詩音やたっくんが一体どれくらいの出力で星喰の核を壊したのかはわからない以上、生半可な火力では壊しきれないリスクも生じる。そうなればあたしなぞ良い餌だ、無残に食い荒らされて二人まとめてお陀仏だろう――――それはたとえ冗談でも経験したくない。

 必要なのはほんの少しの勇気だけ。勝つための道筋は見えた、あとはならば、それを寸分違わず辿り往き――――望む未来を、力尽くでもぎ取るのみ。

「――――はああああッ!!」

 気合を声に乗せ、己を鼓舞するように吼える。星喰は小蠅を嫌がるように肢を振り回すが、あたしはその間をすり抜けるようにして立て続けに矢を射る。

「ッ!! づぅ……ッ!!」

 しかし、決して短いとは言えない時間動き回っていたせいか、体力のほうがあたしについてきていなかった。たった一瞬の遅れが致命を呼び、黒々とした肢があたしの左足を刃物のように掠める。

 脳裏に真っ赤な色が過る。痛覚が悲鳴を上げ、経験したことのない痛みが嫌だ嫌だと脳味噌を引っ掻いた。硝子を爪で引き裂かんばかりに思考を劈く不協和音に、反射的な涙が頬を伝い、肉を無理矢理抉り取られたようなそれに動きが完全に止まりかける。

 しかし同時に、星喰の二本の肢が完全に伸びきった。それが引き戻されるまでは刹那――――瞬きの間すら惜しむように、あたしはコンクリートを踏みしめ、勢いよく距離を詰める。

 頬から離れた雫が、黒の帳に満ち満ちた空気の中を漂い、そして決定的な“風穴”を開ける。

「嗚呼あああああああああああああああッッッッ!!!!」

 痛覚をねじ伏せるようにして絶叫する。喉よ裂けろ、足の一本くらいならば呉れてやる。

 だから――――だからだからだからだから。



 お前の命を、あたしに寄越せ。



 地面を擦る音を立てて、あたしの体が星喰の下に潜り込む。

 視線がぴたりと真っ赤に燃え盛る核に定まり。

 そして血が零れるように溢れ出した言葉は。

 

「灯れかがりび――――迸れ、火雨ひさめッ!!」


 星術アストロマギアとは論理だ。しかし論理でありながら、それは願う者の心のありようによって大きく変化し、秘める思いがこそ現出させる星の奇跡だ。

 内包する矛盾が衝突スパークし、大きな火花となって種火を燃え上がらせる。そうして現れる姿は――――闇夜を照らす灯火のように、往く先を照らし示すかがりび

 空中に三本の炎の矢が浮かび上がる。燎より出でたそれは轟々と大気を容赦なく食い尽くし、獣のように獰猛な音を立てて核に向けて殺到し――――爆ぜた。


 轟ッ!!


 爆音が耳朶を劈く。それはあたしが今居る構内さえ揺るがすかのような爆音で、しかしそれだけの火力を一身に受けた星喰はひとたまりもなく。

 核にぱり、と罅が入る。それは瞬く間に全体を覆い尽くし、そして――――砕け散る。

 ぱりん、

「うわ、ぷっ」

 核が完全破壊されたことで、星喰は一瞬で見えない粒子へと帰り、そして核部分だけが砂になって落下してきた。危うく顔面に直撃しそうだったのを、残る力を振り絞って転がり回避する。

 あぶなかった、と声にならない声で呟けば、その途端に体から力が抜けていく。再び暗闇に閉ざされた空中をぼんやりと見つめれば、星喰の残滓だろうか、きらきらと微かに輝く銀色の光が瞬いて見えた。

 まるで星の海のようだ、と思った。真っ暗闇の宇宙の中で、それでもなお必死に輝き続ける星々のように。一寸先さえも見えない闇の中を、それでもなおと一心に照らし続ける明かりのように。

「……すみ、霞ッ……!」

 けほ、と咳込みながらも、どうやら体は平気らしいヒータさんの声が聞こえる。それに応えるため体を動かそうとするものの、残念ながら緊張の糸が完全に切れてしまったようで、指一本さえ動かせない。その上左足に負った怪我の痛みが再びぶり返してきて、じくじくと脳裏を苛む。

「ひーた、さん」

「馬鹿、本当に馬鹿な子だよアンタは……でも、でもね霞」

 焚火のような瞳を涙が覆っているのが視界を過り、次いでふわり、と暖かい温度があたしを包む。抱きしめられたのだと悟ったのはもう意識が落ちつつあった時で、しかし間を置かず優しく降ってきた言葉に、あたしは頬を緩めた。


「ありがとう、アタシを助けてくれて。――――ありがとう、アタシが信じたアンタの才能を、信じてくれて」


 信じたことは、間違ってなどいなかった。

 その確信が、仄かな暖かさとなってあたしの胸の中に広がっていく。あたしは確かにこの人を守れたのだという達成感が最後の意識の糸をも「ぷつん」と断ち切り、そしてあたしの記憶はそこで途切れた。


 ***


 次に目覚めた時には、あたしは既に鈞天にいた。あの戦闘の直後気絶したあたしを背負い、三人はなんとか鈞天に辿り着いたのだという。

 あたしは鈞天区営の病院の一室に押し込まれていた。なんでもあのあと三日間意識を喪っていたらしく、体感では一週間ぶりくらいの詩音とたっくんからはこっぴどく怒られると同時、戦闘の経過をヒータさんから聞き褒めてもくれた。それでも比率としては圧倒的にお説教のほうが大きかったが、それもそうだろうと思ったのであたしは甘んじて受けた。正直辛かった。

 ただ、あの星喰との戦闘で負った怪我については二人も首を捻っていたし、お医者さんも首を捻っていた。なんせ肉をそのまま持っていかれるような酷い怪我だったにも関わらず、その三日間でほぼほぼ治りかかっていたからである。その話を聞いた時、もちろんあたしも首を捻った。元から怪我の治りは早い方だったが、ここまでだとは流石に思わない。だがまあ、完治後のリハビリのことを考えれば早いに越したことはないし、願ったり叶ったりという形で落ち着いた。

 ヒータさんについては、あの戦闘の際に首に痕が残ったくらいで、それも時間の経過と共になくなるとのことで一安心だった。これでなんらかの後遺症でも残っていたら目も当てられない。


 ――――何はともあれ、これで依頼自体は完遂となった。

 衝動のままに玉兎を飛び出し、地球に来てしまったあたしは、今回の件の評価を受け正式に彼らの仲間になった。もう世間知らずの小娘ではない。これからは、星喰殺し(チェイサー)・月雲霞としてのあたしの道程が始まるのだ。

 今回のように不確定要素イレギュラーもあろう。障害や罠、あるいは致命に至るほどの危機だってあるかもしれない。しかしそれでも、あたしは歩みを止めるわけにはいかない――――未だ見ぬ世界を、この目で確かめるために。




 第八話 了

 壱:英華発外 終

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