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第七話 「外界/三ツ目」


【月雲霞】


「伏せろッ!!」

 青年のらしくもなく焦った声が地下鉄内に響けば、それはただならぬ一夜の幕開けをも示していた。


 ――――反射的に地に伏せたあたしとヒータさんの背後から爆音が轟く。直後もうもうと得体のしれない煙が漂っていることに気付いたが、その正体に頭を巡らせる前に首根っこを掴まれ無理矢理立たされた。

 そして、手を引かれるがままに走る。

「ッ、けほ……ッ!」

 煙を吸い込みかけ、慌てて空いた左手の裾で口と鼻を覆う。吸い込んでも嫌な感じはしないからおそらく有害ではないのだろうが、しかし全力疾走している中でのこれはなかなかにきつい。

 もつれそうになる足を懸命に動かして階段を駆け上り、詰まるような息苦しさに限界を訴えかけたところで、あたしの手を引いていた人影が物陰で止まる。

「はぁ、はぁ……ッ!」

 物陰――――大きな柱の陰に転がり込み、思わずその場に崩れ落ちる。砂利を含んだ埃が露出したままのあたしの膝を擦るが、そんな些細なことには構っていられないほど体力を使ってしまっていた。

「まさか、仮宿の入口が割れて侵入されるとは……周囲の監視が甘かった、いや……ここでそれを検めたところで詮無い、か」

 銃を持った詩音が、荒げた息を整えながら潜めた声でそう漏らす。暗がりだからあまりよくは見えないが、それでもその表情が芳しくないことだけは見て取れた。

「すいません、詩音さん……俺がもう少し見てれば」

 苦渋に満ちた声色を零しながらも、酸素を求めて大きく上下するあたしの背をさすってくれるのはたっくんだった。どうやら彼があたしを無理矢理立たせ、走らせてくれたらしい。ヒータさんは起こされはしたものの引っ張られるまでもなく走っていたようで、彼女は彼女で襟元を乱暴に直しながらも険しい顔をしていた。

「元々の老朽化もあっただろうから、アンタが悪いってわけじゃないヨ。そうしょぼくれなさんな。そろそろ手を入れる必要があるとのうちの区長サマの判断は、良くも悪くも正しかったわけだ」

 できればもう少し早く下すべきだったけどネ、と付け足した彼女は、大きく息をついて髪を乱雑に掻き上げた。

 あたしもようやく息が落ち着いてきたおかげで、徐々に状況を判断するだけの余裕が戻ってきた。周囲を見回し、暗がりの中でもここが先ほどまであたしたちがいたフロアと似たような場所だということを確認する。ただ、階段を上がったから構造は似ていても階層は異なるだろうことは間違いない。

 そして、その元凶はといえば――――ここには入ってこれないはずの星喰が侵入してきたことだ。推測だが、あたしとたっくんのあとをつけていたということしか正直考えられない。知能がないにしてはやることが高等な気もしたが、伏せる間際に視界に入ったあのエレベーターの破壊され具合からすれば、力業で入られたであろうことは想像に難くない。

 付け加えるならば、もうあのエレベーターを使って地上にあがることはできないだろう。それほどまでに凄まじい音だったし、そもそも既に割れている出入り口だ。二匹目、三匹目が来るリスクがある以上、無事だったとしても使うという選択肢はない。


 そうなれば、ここから地上にあがる手段は――――果たしてあるのだろうか。

 凍えるようだった。瓦礫とコンクリートに閉ざされた世界で、ただただ静かに野垂れ死ぬなど。


 爪先から這い上がってくるかのような震えを、右手を握り締めることで抑えつける。――――と、あの時から今まで、ずっとヒータさんの弓を掴んでいたことをようやく思い出した。剥がすように強張った手指を解こうとしていたら、それを抑える手があった。

「……ヒータさん……?」

「持っといで。お守りくらいにはなるだろうからサ」

 そういって、彼女はそのたおやかな手でもう一度あたしに弓を握らせた。見上げればその顔は、こんな状況においても淡く微笑んでいて。

 おそらくは彼女自身不安だろう。不安でないわけがない。あたしたち以外人などいるべくもない地下の奥深く、それも星喰という最大の脅威にまたいつ見つかるかわからない危機下において、平静を保てる一般人などいるわけがない。

 しかも戦力となりうるのは若い青年二人のみで、知識もない力もない技術もない足手まといの小娘が一人いるというおまけつきだ。正直、囮としての利用価値以外今のあたしには存在しない。

 そんな自分よりも年下のあたしを、彼女は自らの不安さえ顧みず慮ってくれたのだ。こんな極限下ならば、どんな武器や武装にでも縋りつきたくなるのが人間というもの――――それをせず、あたしに弓を譲った。その心境は、いかばかりで――――いかな強さだろうか。

「――――拓海、やるぞ」

「うす」

 話し込んでいたらしい詩音とたっくんがすっくと立ちあがる。あたしがその体躯を見上げると、詩音は再び口を開く。

「俺と拓海で下の星喰を始末する。すぐにでも脱出口を見つけたいのはやまやまだが、あれに真後ろから襲われるリスクは放置したくない」

「アタシが非常用の脱出通路を知ってるよ。ただ、この劣化具合だと少し探すのに手間取る可能性もあるからネ」

「ああ、ここで全員お陀仏なんて洒落にもならない。霞、お前は彼女とそこにいてくれ。下手に動き回るなよ」

「うん……わかった。二人とも、気を付けて」

 それぞれ「ああ」「おう」と答え、彼らは柱の陰から出て行った。足手まといであるあたしたちがいたときならばいざ知らず、今の彼らならばきっと星喰一体程度に不覚はとるまい。

 あたしとヒータさんは背を柱にもたせかけ、並んで暗闇の中を見つめる。完全に電力供給が絶たれているせいで漏れ出したような夜闇が支配するこの場は、どこかこの世ではない異界の雰囲気を漂わせていた。

 一寸先は闇。すぐそこにあるはずの自分の掌さえも、視覚頼りでは認識するのも難しかった。ただこの時ばかりに確かなのは、その掌が握る弓の感触と、わずかに熱を共有する触れ合ったヒータさんの肩だけ。

 空気は一面の黒色で満たされ、換気口からだろうか緩やかに流れてくる大気は冷たさを孕んでいた。一面に満ち満ちるしじまは、まるでわずかな音でさえも食い尽くしてしまうかのように横たわり、地中奥深くということもあってここはさながら棺桶の中のようだった。

 いや、事実そのようなものだろう。<大厄災>によって数多の文明が崩壊し、豊富な資源を前提として保たれていた生活は軒並み廃棄と縮小を余儀なくされた。その結果打ち捨てられたものの一つが、きっとここだ。かろうじて仮宿として活用されてはいたが、地下鉄とは本来そういうものではあるまい。本来の機能を全うすることを許されなかったここは、ある意味墓場といっても差し支えない。

 ただただ沈黙だけがここに在った。そしてそれを破り、やがて微かな銃声が響き始める。それを破って話すにしろ、何を話したら良いのか。

 居心地の悪い中で、ヒータさんがおもむろに「なァ」と口火を切った。

「霞、アンタの出身は?」

 ともすれば闇に融けて消えてしまいそうなほど、微かで静かな声。あたしはおそらくヒータさんの顔があるだろうところに視線を寄せ、「一応玉兎です」と答える。

「地球で拾われたらしいんですけど、でも記憶があるのは玉兎にきてからなので……」

「ふゥん。家族は」

「あたしを拾ってくれた家族は、両親と兄が一人です。両親は亡くなったので、今は兄だけで。心配性で、何かと過保護ですけど……大好きな兄です」

「そう」

 素っ気ない返答。帰れと、またそう言われるのかなと心が構えたが、続く言葉は全く予想だにしていなかったものだった。

 彼女はどこか茫洋とした風に告げる。

「アタシと似てるんだネ、アンタは。だからつい、お節介を焼いちまうのかもしれない」

 零れたものは、苦笑、だと思う。瞳の色さえ窺えないほど濃厚な闇の中では、その気配だけを感じ取るので精一杯だったが、きっと勘違いではない。

「アタシも、例の従兄も、今は鈞天の区長なんかやってはいるが、元は玉兎の生まれだったんだ。ただ玉兎は玉兎でも、下層は下層、下の下の住民でネ」

 玉兎の階層。それは『玉兎』という『人類最後の安息の地』を守るために選りすぐられた、才覚エリートたちから成る“上層”と、いわゆる普通の労働者階級である“中層”と、とりわけ極貧の人々“下層”という風に分けられている。

 具体的に社会的階級が決まっているわけではないし、あくまでこの分類は俗称だ。だが人類の常として、集団生活を営みそこで経済活動を行うからには必ずそこには貧富の差が生じる。とりわけ<大厄災>以降、既存の経済はひっくり返り、それらにまつわるものは全て再構築することを強いられたのだ。

 貧富の差は広がることはあれど縮まることはない。少なくとも地球から星喰を追い払い、焼き払ってより広い土地を取り戻すまでは、貧しいものが割を食うことが是正されることはない。

 そこに、彼女は産まれたのだという。

「実の両親が、あまりにもクソッタレでね……金に困った挙句、子供を売り飛ばそうとするような連中サ。アタシが名字で呼ばれるのが嫌いなのは、それが理由。

 でもそのあと、従兄の家に引き取られてね。そこはそこで同じくらい貧しかったが、贔屓目に見ても変わった連中だった。必死で働いて、親戚とはいえよそんの子供を士官学校に入れるんだぜ」

「玉兎士官学校……ってことは、技術科ですか!?」

 思わずあげかけた声を慌てて掌で抑え、「超難関って噂の」と付け足せば、ヒータさんは「うん」と頷き、

「うちの兄貴が言うにゃ、『オマエの才能を埋れさせておくのは惜しい。花開かせて、俺たちを手っ取り早く食わせてくれ』ってことなんだけどネ……自分はいち都市の区長なんかに収まっちまって、どの口が言うんだかって。それくらい優秀な自慢の兄貴で、でも兄貴は自分よりもアタシに金と労力をつぎ込んだ。アタシの才能を信じて」

 一度言葉を絶ち、そして再び継ぐ。

「……アンタの兄貴のことはよくは知らないけど、でもきっと多分、イイ兄貴なんだろう。その兄貴のことを慮るなら、アタシはここでアンタに『玉兎に帰るべきだ』って言うべきなのかもしれない。

 でもね、アタシはアンタに才能を感じた。そしてアンタも、望んでここにいるんだろう? なら、それを応援してやりたいって、思っちまったのサ。うちの兄貴が、アタシにそう思ったのと同じように」

 嗚呼、そういう人もいるのか――――いてくれるのか、と思った。

 あたしの心を包んだのは、安堵だった。度々怒られた。諭された。お前はここではなく、玉兎に戻るべきだと。その度に突っぱねた。でも、その選択が正しいと声を張り続けるのは案外大変で――――外の世界に対する焦がれるような憧れさえも、その前には色褪せてしまいそうな心地がした。

 だが、あたしの選択を尊重してくれる人が、たった一人でも居てくれた。その事実はことのほか心に響いて――――あたしはヒータさんの肩に頭をもたせかけ、目を閉じて小さく「ありがとう」と呟く。きっと、その言葉はあたしの支えになる。

 そして、束の間静寂が戻る。その静けさは先ほどよりも心地の良いもので――――けれど、目を瞑っていたからこそあたしはその異変に気付いた。

「(――――?)」

 先ほどまで微かに聞こえていた銃声が、途絶えている。しかし詩音とたっくんが戻ってくるような気配もない。彼らは星喰を追って完全に元のフロアへと戻ってしまったのだろうか。

 いや、だが――――しかし。なんとなく、嫌な予感がする。それは虫が背中を這い回るような耐え難いもので、ぞわぞわというそれは、やがてあたしたちの遠く左方で響く微かな“音”に気付かせ。

 ずり、ずり、と何かを引きずるような音。時折瓦礫を無理矢理退けるような乱暴な音が混ざるものの、それは紛れもなく何度か聞いたものだと脳が判断する。

「霞……?」

「し、」

 ヒータさんはどうやら気付いていないらしい。遠く遠く離れた場所の衣擦れを聞くようなものだ、無理はないとも思いつつ、しかしその音は徐々に近づいてくる――――いや、だが、消えた?

「(どこに、)」

 思考を巡らす。同時に知覚を巡らす。無意識に右手の弓を握り締めながらも、空気の流れさえ捉えるようとどこまでも耳を澄ませる。先に交戦していた二人はどうなったのかという焦燥が理性を灼かんと迫るが、それさえも押し退ければ次の瞬間、


 ずる、


「! あ、ぐッ」

「ヒータさんッ!!」

 音は予想以上に至近距離で聞こえた。すぐそこに在ったヒータさんの体がなにものかに引きずられ、離れていく――――そちらを振り仰げば当然あるのは。


 汚泥を煮詰めたような大きな体躯。

 赤く炎のように輝く心臓部。

 そして、知性どころか本能さえも介在しない虚ろな眼。

 ――――ヒータさんを掴み引きずり倒した、星喰の姿だった。


 嗚呼、場に満ちる静寂が、黒い絶望となって心を侵していく。絶望と不安、闇さえ目を閉ざすような暗闇の中で、――――しかし一縷の光明はこそ、あたしの胸の中に在った。




 第七話 了

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