第六話 「外界/二ツ目」
【月雲霞】
赤暮の色が瓦礫群を包んで、それはさながら地を嘗める炎のように赫々と燃え盛っていた。星々が急ぐように黄昏の光の中で淡く輝き始め、濃紺が焔を覆うように迫ると同時、暮れかけの灼光を乗せた風が冷たくあたしに吹きつけた。
あまりにもけざやかで、目に鮮烈な逢魔が時の光景だった。昼間は埃の立つくすんだ色の瓦礫だったのが、消える寸前の灯火のような太陽の光を受ければ瞬く間に黒を落とす像と化していく。埃に塗れた空気でさえも、この光の中ではいやに澄んで貫かれて見えた。
「――――霞、そろそろ戻れ。日が沈むぞ」
「はぁい」
たっくんの声に、あたしは伸びる影とお別れをするように素直に踵を返し、崩れかけのビルの中へと戻った。待っていてくれたたっくんの横に並び、てくてくとビルの中を進む。
進むとは言っても、このビル自体が仮宿というわけではない。仮宿の入口は――先導する詩音についていっただけなので、そこまで詳しく構造を覚えているわけではないけれど――ビルの地下階にあり、そこから星力で動くエレベーターに乗って地下鉄まで降りる。その地下鉄内にある、<大厄災>以前は乗務員の休憩室として使われていたスペースこそが仮宿だった。
ずいぶん入り組んでいるとは思った。だがこれは、人間の星力の動きを認識して襲ってくる星喰を避けるためには仕方のないことだという。
「ねえたっくん、星喰ってどういういきものなの?」
「あん? あー、そうだなぁ」
ビル内は既に電灯なども破壊されているせいで非常に暗い。たっくんが手にしている野外用の明かりから放たれる白い光が室内を照らし、跳ね返って彼の顔を闇の中でも明瞭に描き出す。
「星喰がそもそも生き物なのかすらわかってはいねぇ。そもそも、地球上にあるどの生き物とも根本的に違うものだからな……<大厄災>と同時に発生したから、今では宇宙生命体だって説が濃厚だが」
「なんかえすえふみたいだよね。あいつら、どういう風にこっちを認識してくるの? 詩音は『人間の星力の流れを認識する』っていってたけど」
「そりゃまあ、その通りだよ。星力っつー存在が確立されて、間もなくして人間にもそれが通ってることがわかった。血が巡るように、星力も俺たちの体を巡ってるんだ。あいつらは遮蔽物越しにでもそれを認識して、追ってくる。ハイエナみてぇに」
「知性はあるの?」
「無い。今のところ。獰猛ではあるが知性はないし、罠にもかかる。だから道具さえありゃ逃げることはできなくはないが――――同時に、本能らしいものもない。あいつらは食欲で人間を喰らってるわけじゃないから、逃げ切れなきゃいつまでだって追ってくる」
彼は淡々とその生態を述べる。
死肉を貪るように。子供であろうと大人であろうと見境なく、とにかく人間を襲う星喰という存在を思い出す。――――昨日、そして今日見たそれらは、人間というだけであたしたちを襲ってくるのだ。
そこに理由はない。捕食・生存のためとか、闘争本能からとか、自己防衛のためとか、そういうお題目はないというのだ。ただ純粋に、彼らは『人間を殺すために』そこら中を闊歩している。それは自己の生存を優先させないという点において獣よりもタチが悪く、また生存のために様々な行動をするあたしたち人類とは根本からして異なっていた。
空恐ろしかった。あたしたちの理解をも拒む星喰という化物が、そしてともすればあの赤い瞳が瓦礫の隙間から覗いて来るかもしれないということが。あたしが思っていたより「死」はよりずっと身近で、それはさながら隣人のように横たわっているものだということを、何よりもまず肌が感じ取った。
それが震えとなって、不意にあたしを苛んだ。足を進めるのも怖くなって、ついその場で蹲ってしまう。
「……ッ」
「怖いか?」
たっくんの声は飄々としていた。それはあたしに確認するようで、「ほらみろ」というようでもあった。詩音がフォークを突きつけたように、彼は今ここで言葉という形でもってあたしに突きつけてきたのだと思った。
怖ければ帰れ。ここはそのままで立っていられる場所じゃない。彼はそうあたしに告げていた。
「……帰んないよ」
絞り出すように答えれば、金縛りが解けたかのように震えが収まった。確かめるように暗闇の中の己の手を見つめ、握り、――――そしてすっくと立ち上がる。
「怖いよ。怖いけど、帰んない。行くって決めたのは、あたしだもの」
帰れと言われて素直に頷けるほどあたしは聞き分けの良い人間ではなかったし――――その程度の決意で、残ることを決めたわけでもなかった。
歩を進める。先に何があるのかわからなくても、何があるのかを見定めるために。怯えてばかりでは、世界は開けないから。
「……ったく。そうかよ」
たっくんも諦めたように嘆息し、再び歩き出した。それはいよいよ折れたと言わんばかりの様子だった。あるいは呆れた、とでもいうのかもしれない。
その後も益体のない話をしながらてくてくとビルの地下階へ降り、あたしたちは設営をしている詩音とヒータさんのもとに戻った。
「ヨ。おかえり、外はどうだった?」
「うん、見たとこなんもなかったよ。でもちょっと寒かった」
「この時期夜は冷えこむからねェ。アンタ上着は? 無い? そう、じゃあこれでも着てな」
「あっ、ありがとうヒータさん」
ばさ、と放り投げられた上着をあたしが受け止めれば、ヒータさんはニヤッと笑って詩音とたっくんに「アンタらもこういう気遣いができないとネ」と呟いた。対し、夕飯の準備を着々と進めていた詩音は「余計なお世話だ」と憮然として返す。
そしてあたしたちは、焚火を囲んで簡素な食事を摂った。たっくんと詩音の二人がもってきていたサバイバル用の食糧を分け合い、数少ない調味料で味付けをしたもので、お兄の作る料理には遠く及ばなかったが――――それでも、こうして過ごす時間は、悪くはないなと思うあたしがいた。
ある時、他愛もない話をしていると、昨日の星喰との邂逅の時の話から転じてあたしの運動神経の話になった。
「素人にしてはセンスはある。走るのも速かったし、変な癖もついてない。きちんと鍛えればものになる。今までに、そういう指導を受けてきたことがあるのか?」
詩音の琥珀色の瞳が、焚火に照らされて赤く染まる。指導、と言われ、あたしは首を横に振った。
「ううん。あたし、学校自体行ってないしね。ずっとお兄と一緒にお店やってたから」
そもそも<大厄災>以降、国家というものは崩壊し、あわせて義務教育などという制度も機能しなくなって久しい。現存する学校も、いわば将来各都市の政治を担う者を育成するのに特化した「士官学校」であるし、子供全員が教育を受けられるなどという悠長な時代でもなくなった。学費も馬鹿にならないし、そもそも生きるだけでも精一杯という人々も多くいる。あたしはどちらかといえばそちら側で、ゆえに学校に通うこともなく、友達こそいるもののほとんどをずっとお兄と過ごしていた。
「だから、こうやっていろんなものを見ていろんな経験ができるのが、嬉しいの」
破顔する。寒くても、ご飯が質素でも、それでもそういう世界があることを知れるのが何より嬉しかった。
そんなあたしのことを不思議そうに見つめる詩音とたっくんをよそに、ヒータさんはふと彼女自身の荷物をなにやら漁り始め、金属製の「円」を取り出した。
それは円、としか形容のできない物体だった。よく見れば真ん中には薄く細く弦が張られている。じっと見ていると、ヒータさんはおもむろに「ぱきっ」と半分に割り、何事かとびっくりしたあたしたちを尻目に半円を組み合わせて弓の形に仕上げて見せた。
「……弓?」
「そうそう。アタシも一応、護身用に持っててネ」
よっと、と立ち上がったヒータさんは少し辺りを見回し、巨大な柱に目を留めて弓を構えた。矢はどうするの、と口に出そうとした時だった。
ぼ、と。
ヒータさんが弦を掴み、引いた指先に炎が灯り、それは矢の形を成した。ちらつく火の粉が闇の中でも鮮やかに映えて見え、――――それは導のように射ち出される。
飛っ!
ぱす、と矢は柱の真ん中へと突き刺さる。そのまま柱が炎に包まれる――――ことはなく、矢はわずかな焦げ痕のみを残して空気に融け、消えていった。
「……ま、こんな感じサ。残念ながらアタシの腕はあんまりよくないからこの程度しかできないけど、それでもまァ護身程度ならどうにかなる。矢は星力で作るから、弾切れを気にする必要もないしネ。使ってごらん、霞」
「えっ、い、いいの?」
「センスはあるのに戦えないなんてもったいないだろ? その気がなくても、自分の身くらい守れるようになっといた方がいいのには変わりない。このご時世、厄介なのは星喰ばかりじゃなく、人間も変わんないからネ」
手招きされ、あたしはおずおずと立ち上がる。渡された弓を慣れない手つきで構えれば、ヒータさんがあたしに顔を寄せて囁く。
「集中して。星力はアンタの中にもある、それを指先に集めるんだ」
目を閉じる。血の巡りを感じるように、あたしの中に在るはずの星力の奔流を手で掬い取る。それらは一本の『筋』となり、指先へと繋がって収束し――――やがて焔となって、灯る。
指先に仄かな熱を感じる。それはさながら生命の灯火――――最初は幽かでも、絶対に消えることのない暖かな光。目を開き、弦を摘まんで引けばそれは自然と矢の形を再現した。
放つ。
飛っ!
「……おお」
たっくんが感嘆の声を漏らす。炎の矢は射ち出され、ヒータさんの矢が当たったところに吸いこまれるようにしてぶち当たり、そして同じように消えていった。
「……できちゃった……」
「やるじゃないか! これなら本格的な戦闘だって、」
――――――――鈍ッ!!
ヒータさんが頬を緩め、言葉を続けようとした、まさしくその時だった。何かが落下したような音が響き、自然と四人全員の視線がそちらに向く。
そしてそこに在ったのは――――タールを煮詰めたような粘性を帯びた体と、警告灯のように輝く赤い一対の瞳を持つ、この地球上で最も忌まわしいモノの姿だった。
「――――ッ、」
息を呑む。思わず手にしたままの弓を握り締める。突然の状況の変化に対しじわじわと理解が追いついていき、しかしあたしたちの混乱と動揺など知ったことではないと言いたげな星喰はこちらをひたと見据え――――
「伏せろッ!!」
詩音の良く通る声が地下鉄に響く。そして平和に過ぎるはずの一夜は、一転して地獄へと様相を変えていく――――。
第六話 了