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第四話 「契機/四ツ目」

2018/4/12 誤字と一部を修正


【月雲霞】


 ――――そしてあたしは、二人に連れられて昊天で束の間を過ごした。

 噎せ返るような人の熱気。常に食欲を誘う露天の匂い。頭上を絶え間なく飛び交う声。古びていながらも様々に工夫を凝らされた建物群。

 行き交う人々の多くが腰に下げる刀。背負う荷物。微かに混じる火薬の匂い。

 どこまでも続く青い空と、吹き抜ける海風。

 たった三時間だけれど、その間にあたしが見たものはいずれも初めて出会うもので、すべてが生き生きと輝いていた。こんなに素晴らしいものを見てしまったら、ただ生きているだけのあの玉兎まちに帰りたいなどと、誰が言えるだろうか。

 だから。

「ねえ、二人とも」

「ん?」「あ?」

 喫茶店で、そろそろ港に戻ろうかという話をしていた時だった。


「あたし、二人についてく。玉兎には、戻らない」

 二人の顔が、見る間に驚きの形に変わっていくのが少し面白かった。


「な――――に、言ってんだお前!? そんなん連れてけるわけ、」

「世界が見たいの。玉兎にいるだけじゃ何もわからない、世間知らずの小娘のままで終わってしまう。――――あたしは、それが嫌なの」

 閉じた箱の中にいるだけなら簡単だ。このまま玉兎に戻り、お兄と一緒にお店をして、いずれ誰かと結婚して、子供を産んで、――――学もない何も知らないただの無知のままで一生を終えるなど、あたしは絶対に嫌だった。

 世界は広い。そのことを、ただの偶然とはいえあたしは知ってしまった。知った上でなおそれを無視して、ただ生き延びるためだけに造られたあの無機質な箱庭で色褪せた日々を送るなど、想像しただけで気が狂いそうになる。

「……お前の兄貴はどうする。捨てるつもりか?」

 あからさまに狼狽している拓海さんとは反対に、詩音さんは瞳を見開きこそしたものの、それ以上の動揺はしてはいなかった。しかしそれでも、あえて厳しい言葉を選んでいることは伝わる。

「お兄のことが嫌いなわけじゃない。捨てるつもりもない。ただ、ただ――――あたしは、生きてこの星のことを見たいの。知りたいの。知らなければならないの」

 あたしの中にあるのは、まるでそうすることが義務であるというかのような、強烈なほどの衝動だった。

 強すぎて、持て余すくらいの。

「ついてくるなら、お前はもう俺たちの客人じゃない。仲間になる。俺や拓海と同じ、明日の命をも知れぬ星喰殺しになる。それがどういうことか、理解できるか?」

 仲間になる――――星喰殺しになるということの意味。

 それを問うた彼の色素の薄い琥珀のような瞳は、人を惹きつけるような色をしていながら、どこか刃物のような剣呑さを纏ってもいた。それは多分、この人が今まであたしに見せてきた側面とは異なる、星喰殺しとしての彼の側面なのだろう。

「俺たちは星喰を殺して生きている。でもそれだけじゃ生きていけない、時には人だって殺す。終末五分前みたいなこの世界だ、誰も彼もが正気を保ってるわけじゃない。そういう奴らを殺して、殺した金で飯を喰らい、生きる。それが俺たちで――――星喰殺しになるってことは、お前も人を殺さなきゃいけない時が必ず来るってことだ」

 彼は一度言葉を切る。


「給仕風情の小娘に、好奇心だけで人が殺せるか?」

 詩音さんは、手にしたフォークをあたしの眼前に突き付ける。それはさながら、銀光を照り返す鋭い剣のようにも思えた。


 あたしは黙る。少し考える。けれど考えるまでもなく答えは既に出ていて。

 すぐそこに迫る先端を意にも介さず、あたしはただその瞳を見据えて、答える。


「――――そんなの、わかんない。それを含めて“知る”ために、あたしは行きたいんだから」

 良いも悪いも、善も悪も。伝え聞くだけではわからない。この目で見なければ、己の正義など定まるはずもない。


 あたしの答えを聞いて数秒。彼はふっとフォークを退き、そのまま手元のチョコレートケーキに突き刺した。溜め息を吐くかわりにケーキを一口含み、嚥下した後に「まぁ、」と頷く。

「さっきの動きを見る限り、筋は悪くない。本格的な戦闘に対応できるかは成長次第だが、避ける、逃げるだけならモノにはなるだろ。本当はまだ言いたいことは山ほどあるが……まあ」

「いや、それでいいんすか詩音さん!? コイツはまだ子供なんすよ!?」

 あたしが子供扱いにむ、と眉を顰めれば、詩音さんはあたしに目を留める。

「月雲、年は」

「十七」

「お前の一つ年下だ。見た目ほど子供じゃないな」

「「えっ」」

 驚きと共に顔を上げる。なんとこの大柄なお兄さん、あたしとたった一つしか変わらないらしい。優に頭一つ分は背が違うというのに……だがまあ中身的には、まあ。

 その思考が伝わったか彼はジト目をこちらに寄越してきたが、やがて大きな溜め息をわざとらしくついて、詩音さんの隣にどかっと座り直した。

「……まあ、詩音さんがいいつったんだ、俺が今更どうこう言うまでもねえ。ただ、足だけは引っ張るなよ。あとさっきみたいなことも金輪際やめろ」

「うん、わかった。努力するよ、たっくん、詩音」

「分かればそれでい……んん!?」

「呼び捨てか……まあ、構わんが。月雲――――いや、霞。啖呵切ったのはお前だ、兄貴を説き伏せることは、自分でやれよ」

 呼び名を変えると共に、呼び名が変わる。あたしが彼らを仲間と思ったのと同様に、彼らもあたしを仲間と認識してくれたのが嬉しかった。

「もちろん」

 にっこり笑って、あたしは二人について店を出た。

 お兄には悪いと思う。でもそれでも、あたしの中の心には、逆らうことはできなかった。


 ***


「このあとはどうするの?」

「仕事の話をしにいく」

「って言いながらお宿への道を戻ってるように見えるけど」

「当然だ。依頼人もあの宿に泊まってるからな。まあ、そう頼んだのは俺なんだが」

 なるほど、出る間際に言っていた『彼女』というのは、件の依頼人のことだったらしい。

 そしてまた、あたしたちは獅粋庵に戻ってきたのだった。時刻はとうに酉船の出航時刻を過ぎた頃で、先ほどと同じように宿に入れば、そこにちんまりと座り込んでいたのは例の猫――――やなぎさんだった。

「なあに、お迎え? かわいいなあ」

「南條様、向坂様、お帰りなさいませ。兵藤様は、奥の間でお待ちです」

「ああ――――そのことなんだが」

 兵藤、というのが依頼人の名前らしい。やなぎさんをかいぐりしているあたしとたっくんを放置し、彼は女将さんと話を進める。

「色々あって、そいつも一緒に行くことになった。確かまだ俺たちの隣の部屋が空いてたはずだ、流石に男女同部屋はまずいしな……埋まってないようなら、そこをこいつの部屋にしてやってほしい」

「畏まりました。皆様がお話をしていらっしゃる間に、準備を整えておきましょう。お名前を窺ってもよろしいですか」

 視線があたしに向く。抱えあげていたやなぎさんを床に降ろし、あたしは慌てて立ち上がって頭を下げた。

「月雲霞ですっ。えっと、お世話になります」

「月雲様ですね。私はこの旅館の女将をしております、獅子田穂稀ししだ・ほまれです。どうぞ今後ともご贔屓に」

 綺麗な礼を見せた彼女――――穂稀さんは、にこりと微笑んで更に身を翻した。その足元にいるやなぎさんがとてとてと動き出し、あたしたちの先導を務めるように尻尾を振る。

「兵藤様のいる部屋へご案内します」

 そしてあたしたちは、旅館の奥まったところにある一つの部屋へと通された。元々こういった用途で使われることが多いのかそれなりに防音性も高く、部屋の入り口には鍵のかかる扉があるなど、密談のためにあつらえられた場所のようだった。

「失礼します」

 ノックののち、詩音が先頭、次いでたっくん、あたしと入る。ちなみにあたしに続いて入ってこようとしたやなぎさんは、入口で穂稀さんに捕獲されて「ぅにゃー」という鳴き声を残して去っていった。


「ヨ。ま、かけてくれ」

 先に座布団の上に座ってあたしたちを待っていたのは、暗褐色の跳ね髪を後頭部で一つに括った女性だった。

 勝気そうに吊り上がった瞳が、まるで囲炉裏の中で燃え爆ぜる炎のような明るい色で煌き、あたしたちを値踏みするかのように滑る。


 依頼人というから勝手に男性とばかり思っていたが、その予想はまるで大外れだった。使い古されたツナギをきているところから、どこか技術者のような雰囲気を覚える。

 座卓を間に、彼女の真正面に詩音、その右隣にたっくん、左隣にあたしとあらかじめ用意されていた座布団の上に座り込めば、口火を切ったのは詩音だった。

「貴女が兵藤さんですね?」

「そ、アタシが兵藤環ひょうどう・たまき。でもあんまり名字が好きじゃなくてさ、『ヒータ』って呼んでくれると嬉しいカナ」

 そうからっと笑った彼女は、なるほどあだ名の通り焚火のような人だった。燃える薪がぱちぱちと乾いた音を鳴らすように、彼女自身もざっくりとした印象を受ける。

 彼女――――ヒータさんの名乗りに対し、こちらもそれぞれ自己紹介を終える。すると彼女はじぃっとあたしに目を留め、

「……随分若いねェ。こんな子まで星喰殺しかい? それに、アンタらは男二人組の星喰殺しだって聞いてたケド」

「あー、そいつは星喰殺しっつーか……」

「……色々、長い事情があって。こいつは戦いません、ただ同行するということで。戦闘は全部、俺たちがやりますから」

「ふゥん……ま、もともと大して危険な仕事でもないしね。いんじゃない?」

 その後、詳しい話をするには。

 依頼人はヒータさん改め兵藤環さん。依頼の内容は単純で、ここ昊天から少し離れたところにある鈞天きんてんという街へ向かう道中の護衛だそうだ。ただの移動ならば酉船を使えば良いという話なのだが、本当に彼女は技術者だったらしく、彼女は『あるもの』の移送をするため、不特定多数の利用により盗難が懸念される酉船は使うことができないというのと、陸路の方の視察も兼ねているとのことらしい。

「視察……ですか? ヒータさん、技術者なんでしょ? なのに視察もするの?」

 素朴な疑問をそのままに口に出せば、彼女は「あぁ、」と頷いて答えた。

「アタシの従兄が鈞天の区長でサ。そいつから頼まれてんのよ、昊天・鈞天間の星喰の様子を戻る道すがら見てきてほしい、ってね。っつっても自分からわざわざ危険区域に踏み込むようなことをする必要はない。あくまで今回は移送がメインだから、そこまで戦闘は起きないと思ってるしネ」

 鈞天の区長――各都市は区で分類されており、その中枢を担う区庁の長が区長である――が親類にいるということは、ヒータさんもしかして結構お偉い人なんじゃなかろうか。

 その護衛というなら正直こんな二人だけ(今は三人だが)の星喰殺しではなく、もっと有名で実績のある星喰殺しを選ぶものだろうと思ったものの、あたしの余計な発言でせっかくの仕事を失うわけにはいかない。口を噤み、今夜はこのまま一泊し、翌朝出立するということで話がまとまった。

「じゃ、よろしくネ三人とも」

 笑顔を浮かべる彼女と共に、ついにあたしは第一歩を踏み出すこととなる――――。




 第四話 了

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