第三話 「契機/三ツ目」
2018/4/12 サブタイトル変更
【月雲霞】
「で、あの星喰は結局、修繕中の外壁を超えてきたはぐれだったらしい。あれ以降侵入はなく、外壁もきちんと応急処置はされたんだと」
街の中を歩きながら詩音さんが言う。それについて「へぇ」と相槌を打ちつつも、あたしの視線は昊天の街並みに釘付けだった。
――――雑然としている。しかしそれでいながら、生気に満ち溢れてる。そんな印象だった。
海の方から薫ってきた海風と、人々の生活が織り成す様々なにおいが混ざり混ざってより濃度を増す。また、街を歩く人々がそれらを掻き混ぜ、活動する様は一つ一つに輝きが見えた。常に耳を騒がす声と音は、がなるほどにうるさいけれども決して不快なものではない。
終末の一歩手前、絶滅の瀬戸際にあるとはとても思えないような賑わいようだった。玉兎は良くも悪くも全てが整理整頓されていて、こんな無秩序かつ無法にも思える人混みなど遭遇したことがなかったから、より一層あたしの五感には新鮮に思えた。
とはいえ、慣れていない混雑にいきなり放り込まれたものだからあたしの足取りはといえば覚束ない。
「わ、ぷっ。ごめんなさいっ」
「気いつけろよ嬢ちゃん」
いかつい軍服を豪快に着崩したおじさんにぶつかってしまい、慌てて謝れば彼はぶっきらぼうな言葉を残してまた人混みの中に紛れていった。追いつこうと思って進行方向の方を見れば、ずっと必死で追っていた詩音さんの背中が――――見えない。
「……………………………………、あ~~~~~」
はぐれたことを自覚し盛大に口から声が漏れる。どうしようどこにいけばと思いあたふたとしながら後ろを向けば、
「おいおい、大丈夫か?」
ぬ、と最早見慣れた長身が現れた。詩音さん、あたし、拓海さんの順で歩いていたから、後ろからきていた拓海さんが追いついてくれたらしい。
やはり彼は、大きい。周りの人間の大半より頭一つくらい大きいおかげで、これなら見失ってもすぐ見つけることができそうだった。
「拓海さん……よかったぁ」
「なんか体よく目印にされた気がするが……あ、詩音さん」
「遅いぞ」
「えへへ……ごめんなさい」
そういう詩音さんも、なんだかんだで拓海さんの長身を目印にしているように思えるのは気のせいだろうか。などと考えつつ、ふと感じたことを口に出す。
「そういえば、なんで地球の人って軍服ばっかり着てるんです? 拓海さんも詩音さんもそうだし」
もうはぐれないようにと詩音さんの軍服の裾を掴んでおきながら尋ねれば、彼は少し振り返って「ああ」と答えた。
「単純に動きやすいからだよ。<大厄災>以降、ずっと物資不足だしな……生きるためには場所が必要で、その場所を守るためには戦わなきゃいけない。戦わなきゃいけないからにはそれに適した服装を選ぶのが当然だ。その結果軍服が採用されるようになって、服飾関連も軍服に力を入れるようになったんだ」
「拓海さんも詩音さんもデザインが違うけど、そういう理由だったんだ」
「もちろん昊天軍や、そのほか各都市の正規の軍人たちは揃いの制服を着てるけどな。民間で売られてるような軍服を着てるのは、大概がみんな星喰殺しとかそのへんの連中だぜ」
なるほど、そのあたりで軍属か民間かを見分ける、というのも地球の常識なのだろう。街中を歩いている限り、すれ違う人々の軍服は似ているようでいてそれぞれ微妙にデザインが違う。細部に意匠が施されていたり、カラーリングが異なっていたりと、そのあたりが個性の違いなのかもしれない。
と頷いていると、ある建物の前で詩音さんが足を止めた。危うくその背中に突っ込みそうになりながら急停止し、見上げれば、そこには「獅粋庵」と達筆で書き上げられた看板のかかった建物がそびえていた。
真下から見ているためだろうか、それは摩天楼かと見紛うほどに大きい。実際はそこまでの大きさではないのだろうが、改修に次ぐ改修で付け足されていっただろう建物は趣を感じさせながらもどこか歪だった。
入口を潜る。煌々と照らされた中に入れば、左手に大きな下駄箱、正面には一段高くなった木目張りの床に一人に女性が立っていた。
「お帰りなさいませ、南條様ご一行ですね。見慣れない方もいらっしゃるようですが」
「……ちょっと色々あって、連れでな。別に泊まるわけじゃないから部屋は手配しなくていい」
「左様で」
着崩すことなくきっちりと着物を纏い、背筋の伸びた立ち姿が美しい人だった。まさしく旅館の女将といった風の姿だが、その凛と張った声といい高いところで後ろに一つに結った髪といい、多少武人のような趣も匂わせる不思議な人だった。
「月雲。部屋に荷物を置いて来るから、お前はそこで邪魔にならないように待ってろ。拓海、手伝え」
「はぁい」「うぃっす」
先導する女将を含めた三人の後ろ姿が階段の上に消えると、あたしは言われた通りに玄関の端に腰掛けた。ここならおそらく、誰の邪魔にもなるまい。
と、視線を戸の先でとめどなく流れる人波の方へと戻した時だった。
にゃあっ
「うん?」
随分と可愛らしい鳴き声が隣から聞こえた。そちらに目を向ければ――――いたのは、あたしを見上げる一匹の三毛猫だった。
「……猫さん?」
首を傾げれば、前足後足を揃えてお行儀よく座ったその猫も同じ方向に首を傾げた。恐る恐る手を伸ばせば、猫はゆらりと尻尾を揺らしてむしろ自分からその頭をこすりつけてくる。撫でろ、と要求するようだった。
外から迷い込んできたのだろうか。いやでも、いくら猫でもまるで気付かれずに入ってきてあたしが座るのを待っていたとも考えにくい。それならこの旅館の猫なのだろうか。
疑問符を浮かべながらも、特に噛みついてきたり威嚇する様子はない――――どころか、彼?にとっては初めて見る人間であるにも関わらず、やたらと懐いて来ることに安堵する。掌でその背を撫で上げれば尻尾の先が嬉しそうに揺れ、ぺたりとその場に伏せってしまった。
「かわいいなあ……」
へへ、とつい本音が漏れる。玉兎にも野良猫はいたが、人間を見かけるとすぐどこかに逃げてしまってこうやって触る機会もなかった。まあ猫とは本来そういうもので、むしろこうして大人しく撫でられてくれている三毛のほうが珍しいことは間違いない。飼うのは、お兄がくしゃみだらけになるから駄目だったし。
「(……お兄といえば)」
きっと怒っているだろう。と同時に、痛いほど心配しているだろうことが容易に予想できた。
常に開かれているらしい戸の先、人波をぼうっと眺めながら考える。はて、ここまできてしまって自分はどうしたいのだろう――――と。
帰りたくないわけではない。家出少女よろしくお兄と喧嘩したわけではないし、あの心配性の兄のことを思えば早く帰って、安心させてあげたいという気持ちも確かにある。慣れない初めての土地と、悪い人ではないとはいえほとんど初めて知り合ったも同然の男の人二人についていって大丈夫だろうかという不安も、全く無いとはいえない。
しかしそれを認めてもなお、あたしには「知りたい」という気持ちがあった。
何を知りたい。それは「世界」だ。玉兎という一つの都市の中にいて、毎日同じ生活をしているだけではできることも知り得ることも限りがある。
それに比べて、ここはどうだ。灰色に閉ざされた白色の都市・玉兎と違って、ここにはあらゆる「色」が鮮烈に息衝いていた。漂う空気にさえ色彩が根付いていて、そよぐ風の一つ一つにさえ違ったモノが見えてくる――――地球がこんなにも満ち溢れた世界だなんて、来るまでは知らなかったのだ。
それを手放したくない。あたしは、あたしの目でこの世界を知りたい。もちろん、<大厄災>以降のこの世界において安全なのはせいぜい各都市くらいなもので、一歩外に出ればその瞬間死が襲って来るやもわからないということは分かっている。先ほど間近に迫りかけた「死」の冷たい掌の感触を、忘れたわけではない。
しかしその危険をも含めて、「世界」だ。良くも悪くもそれは今の世界の在り様で、悪いものだけを見ないなどという不公平は許されないし――――なにより、あたしがあたし自身にそれを許すことができなかった。
「おや、やなぎさんがそんなに懐いてるなんて、珍しいこと」
後ろから聞こえてきた声は、先ほど二人を連れて階上へ上がっていった女将さんだった。聞き慣れない名前に首を傾げれば、「その猫の名前ですよ」と彼女が柔らかく微笑んであたしの隣に座り込んだ。きりっとした面持ちだが、笑うと一転非常に柔らかい印象の女性である。
「彼はうちで飼ってる猫です。目の色、綺麗な深い緑でございましょう? それが柳のように見えたものでしたから、そう名付けたんですよ」
「へえ……あ、ほんとだ」
顎の下をかいてやってからその目を覗き込めば、それは深い緑色をしていた。風の合間に揺れ、日の光を受ければ明るく照り返す生き生きとした碧の色は、あたしのことを真っ直ぐと見つめ返してのち、不意にくるりと踵を返した。柳のようにしなる尻尾を挨拶がわりに振り、彼――どうやら雄で確定らしい――は廊下の向こうへと消える。
「……いっちゃった」
「気まぐれですから。またいらっしゃることがあれば、是非構ってやってくださいませ」
「はい、もちろん」
にこりと返せば、女将さんはすっと綺麗な立ち姿に戻りその場から退く。入れ替わりに姿を見せたのは、荷物を手放して身軽になったらしい二人だった。しかしそれでも、背中に背負っている銃と大剣だけは変わっていなかった。
「三時間後くらいに戻る。彼女には、そう伝えておいてくれ」
「畏まりました。お気をつけて」
詩音さんが言う“彼女”に首を傾げたものの、特に言及することはなかった。それよりも、あたしの心はこれから見る昊天の景色に高鳴っていたのだ。
靴を履いた彼らに続いて立ち上がる。女将さんのきっちりとした礼を背に、あたしは弾む足取りで街へと出るのだった。
第三話 了