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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
最終章. アダムとイヴ
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人心核の逃避と死のジレンマ(5)

「また死のうとしたんだって?」


 医務室の向こうから声がした。アーサーだと直ぐにわかった。


 ナハトは足に繋がれた枷を見つめてから、ため息をした。うるさいと反論する元気もない。濁った瞳で天井を見つめている。


「入るよ」とアーサーは言った。


 ナハトはなにも応えなかった。


 誰かがいてもいなくても関係がなかった。ナハトの孤独は変わらないから。


 鍵が開いた音。


「お前、鍵盗んだのか」


「まあね。君は隔離されているって知っていたから」


 ベッドで寝ているナハトの視界にアーサーが入る。差し込む光で、その少年の顔は見えない。ただ、その何気ない登場は、絵画のように鮮烈で、美しかった。


「足のそれも外すよ。鍵はある」


 無抵抗のナハトは、怠そうに言った。はっきりさせなければならなかった。


「お前、どうして俺にそこまでする」


「前にも言ったろう? 生きてやることがあるなら、送り出してやるって」


「ガキが……」


「アーサーだ」


 ふん、とナハトは鼻を鳴らした。


「俺のやりたいことは、死ぬことだ。それ以上、なにもない」


「嘘だ。死にたいなんて口にする人は生きたいに決まってる」


「お前に……」


 ナハトは重症の身体を振り絞るように、顔をあげ、アーサーを睨み付けた。


「お前になにがわかるんだよ! なぁ!」


「……わからないよ。きっと聞いたってわからない」


「だったらうるせぇよ! 二度と口をきくな!」


「……僕や、大勢の人が君の自殺を止めたって、本当は無駄だって分かってるんだ」


 アーサーはナハトの足枷を外した。その立ち姿は逆光で見えない。


「君の気持ちは君しか向き合えない」


 ナハトはその言葉が、この世界で最も残酷に聞こえた。あまりに寄る辺なく、突き放し、寒空の下で凍えるような言葉だ。


 だから──。


「君の孤独は君のものだ」


 ナハトには言葉の意味がわからなかった。ただ、無視できなかった。アーサーの話す内容がたとえ彼の父親の受け売りだったとしても、中身のない絵空事だと嗤ったとしても、ナハトはその言葉に強さを感じた。残酷なほど強く、冷たい言葉なのだ。


 その正しさに、鋭さに、眩しさに、耐えきれずにナハトは声を上げた。


「……てめえは父親に会ったところで、何も得られない! 人の気持ちを理解していないんだから!」


「……!」


 アーサーはナハトの枷を外してから、立ち上がり──。


 一歩踏み出し、ナハトの顔面に拳をめり込ませた。


────! 

 

「……っなに! なにしやがんだ!」ナハトは傷んだ鼻を抑えながら激高した。


 見ると、アーサーは泣いていた。




「うるせえよ! 僕は僕のやりたいようにやるんだよ!」




 年相応の癇癪だ。ただ、吐き出される言葉は、ナハトとナハトを縛る鎖をまとめて叩き切る力が込められていた。人生経験の乏しい少年だからこそ、父に与えられたものを大事に抱えている。それを愚弄されたのが、許せなかったのだろう。アーサーは、ナハトに説教などできる立場ではない。故に、叫びの本質は、アーサーが自身に言い聞かせる宣誓だった。


「無理だとか、無駄だとか、求められていないとか! どうでもいいんだよ! 父さんがどんなつもりで僕を置いて行ったのかも、この際関係ない! それだけが、僕に残された自由なんだ!」


 権利ではなく、自由。


「…………」ナハトはアーサーの圧に黙るしかなかった。


「お前、しっかりしろよな! いつまでもうじうじと! 死にたいなら勝手に死ね! だけど嘘はつくな! 誰かに言われたことも、辛かったことも、罪悪感も忘れろ! それでもお前が死にたくなったら死ね! 今死にたいことが本心だったら、お前を取り巻く不幸が全てなくなったとしても死にたいはずだ! 自分で決めろ!」


 アーサーはナハトの胸倉をつかんだ。


 そして、目いっぱい睨んだ後──。


「バカ!」


 と一言、罵って部屋を出て行った。



        ◆



『日本、横浜に着港致しました。30日間の船旅、いかがだったでしょうか。我々スタッフ一同、皆様に満足頂けるよう、精一杯…………』


 船内にアナウンスが鳴っている。通常の船客たちは、預けていた大きな荷物の受け取り手続きが済むまで部屋で待機している。船は既に錨を降ろし、航海中よりも小さな揺れに船体を任せていた。穏やかな日差しに、既に慣れてしまった潮風が溶け込む。


 ナハトは荷下ろし用の通用口付近で息を潜めている。窓からはナイフのように日光が差し込む。足枷がはめられていた足首に違和感を感じつつも、船から抜け出すタイミングを見計らっていた。


 アーサーは手はず通り、ナハトを逃がした。医務室の扉は鍵で閉ざされ、ナハトが閉じこもっていることになっている。


 礼は、言わなかった。


 どうせ滅びる身だ。今更道義を守ったところでもう遅い。


 結局、アーサーとは喧嘩別れのようになってしまったが、彼から言われた言葉は今も、ナハトの内側に小さな傷として残っている。まるで目印のようにつけられた小さな、確かな傷である。


 死にたいなら、死にたくなる理由を全て解決してから、死ね。そんな矛盾した言葉。


 子供だから、何もわかっていない。親からの受け売りしか中身のない、未熟者。ナハトはアーサーをそう結論付けた。きっとこの後、旅の果てに絶望することになる。父に会えずに路傍で朽ち果てるか、父に会えた先で拒絶されるのが顛末となるだろう。


 人の気持ちがわからない者の末路など、そんなところだ。ナハトはアーサーの一足先に、地獄に行くだけのこと。人生の先輩として、先に待つ苦しみを確認する。そんな単純な順序の話。


 先客の荷物が降ろされていくところで、大型の備品コンテナが滑車に乗った。その陰に紛れて、ナハトは動き出した。係員に見つからない死角を選び、身をかがめて進む。


 アーサーの協力もあってか、あまりにあっけなく、ナハトは船を降りた。


 そして彼は、日本、横浜の地を踏んだ。



        ◆



 潜伏先のセオリーとして、まずは偽装した各IDを取得するところから始まるが、今のナハトの目的は自殺である。現世に長居するつもりがない以上、ID作りを徹底する必要もなかった。とりあえずは、モノの購入に必要なキャッシュIDを登録さえすれば、問題はない。


 ナハトは駅の近くにある家電量販店に入り、デモスペースにあるヘッドセットを物色した。店員に試着したい旨伝え、特に疑われることなくその場で使えることとなった。


 外国人の場合は怪しまれる可能性もあったが、ナハトは流暢に母国語を話せばいいだけであるため、怪しまれることはなかった。


 試着用のヘッドセットには当然、ネット制限がかけられていたが、ナハトには関係がなかった。


 電子の海では彼の独壇場。セキュリティを無力化し、横浜在住の同年代の男性から無作為に選び、彼のキャッシュIDに紐づけされた顔、網膜、指紋、その他生体情報を、ナハトのものに置き換えていく。


 その作業自体も、ナハトは二秒間目をつむっているだけで完了した。店員は何も知らずにナハトに使用感を訊いた。


 そして、ナハトは何食わぬ顔で「これをくれ」と言った。


 ヘッドセットを他人の金で購入して、ナハトは店を出た。



        ◆



 家電量販店の自動ドアをくぐったナハトを眺める視線があった。


 アウトドア用のウィンドブレーカーに身を包み、ハンチング帽を深くかぶっている。服装からは体格が読み取れず、年齢も性別も察するには難しい。ショッピングモールの柱に背を預けながら、ポケットから端末を取り出した。


 その人物は、暗号化された無線機に話しかけた。





「見つけました、オルガ・ブラウンです」

 

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