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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
最終章. アダムとイヴ
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人心核の逃避と死のジレンマ(4)

 アーサーと日が沈むまで語った次の日、朝。太陽の陽がカーテンの隙間から零れている。毛布にくるまり、ナハトは目を覚ました。


「……」


 布団から身体を起こして、目をこすった。宇宙では太陽を拝んでいなかった。忘れていた地上の感覚を思い出しつつあった。そう、日々は移ろいゆく。太陽の浮き沈みで時間の経過がはっきりと感じられる。ナハトの弱い心を無視して時間は進むのだ。


 それが今は、呪わしい。来るなと願った明日が今日になる。


 寝ても疲れが取れないのは、負傷のせいだけではないだろう。


 ナハトはベッドから起きた。医務室の時計を見ると、午前6時。差し込む光に部屋の埃がちらちらと照らされる。


 今は、一人だ。アーサーもきっと寝ているだろう。


 失敗したことは、やり直さなければならない。


 ナハトはふらふらとした足取りで、机まで歩いた。


「…………ない」


 昨日あった場所にハサミがない。


 床に目をやると、昨日ハサミが突き刺さった傷だけ残っている。


「隠された…………」


 注意して見渡すと、部屋にあるペンだの定規だの、鋭利なものがなくなっている。


──無駄なことだ。


 ナハトは部屋を出た。



        ◆



 基本プログラムはなにで決まるのだろう。人格と一対を成す存在理由。人心核に取り込まれた人格が囚われる絶対のルール。


 それはある意味で、生きる目的と言い換えてもいい。


 <マザー>というシステムにより管理され、目的遂行へ邁進する人形と化す。


 ただ、これまで傾向を考えるに──。


 彼らは単純な被害者だろうか。


 人心核という檻に収容された哀れな捕虜だろうか。


 そんな側面はあるのだろうが、基本プログラムをここまで呪わしいと考える人格は、ナハトだけだ。


 オルガ・ブラウンは、生前の自身の模倣。


 アルバ・ニコライは、妹の救済。


 イヴの場合は、梶原奈義の打倒だろうか。


 そのいずれも、自ら望んだことである。基本プログラムは理不尽ではない。主人格が最も叶えたい願いが文言で現れたのだと、今ならわかる。故に、本来であれば基本プログラムに逆らうという発想自体が生まれない。


 ナハトの場合は、最重要の願望が、生存だった。


 なにか特別なことを望むわけでもなく、ただ少年は生きたかった。生き残りたかった。生き続けたかった。


 人心核を飲み込んだ時点で、彼は幼児だった。その時、ナハトにとって最も叶えがたく、かつ喉から手を伸ばすほど欲しかった結論が、生きることなのである。人間の子供は弱い。生きる意味さえわからない乳飲み子が、その時点で基本プログラムを定義しろと言われたなら、誰だって生きたいと願うだろう。


 したがって、ナハトの人生は空っぽだ。幼児の時分からなにも成長していない。


 そのため、ナハトは最も簡単な基本プログラムを持つ人格と言える。主人格に選ばれやすい性質を持つ。


 最も達成が容易な願望。


 だからこそ、ナハトが基本プログラムに反逆しようとしていることが、最たるイレギュラーだ。


 <マザー>はナハトの自殺を止める。


 あらゆる手段でナハトを生かす。


「やってみろ」


 ナハトは、甲板の柵を乗り越えた。一歩先を見ると、船の進行に合わせた乱流が飛沫をあげている。生身の人間が飛び込んだら死ぬであろう、危険な場所だ。

 

 それ故に、<マザー>との戦いに相応しい。


「俺は死ぬ。死んでやるぞ!」


 ナハトは一歩踏み出した。海の藻屑となるべく、海流の嵐へ飛び込んだ。



        ◆



 聞きなれた声がした。これまでいつも耳の近くにあり続けた囁きが、ナハトの頭をぐらりと揺らした。一番初めに、ナハトを怪物と称した、人の声。紀村ナハトの母である。


『基本プログラム違反────生存せよ』


 塩辛い濁流にナハトの身体は弄ばれる。既に多くの海水を飲み込み、鼻や耳は詰まっている。あと10分もすれば低体温症か窒息で絶命するだろう。


──人間ならば。

 

 ナハトはこれまで三度自殺を試みてきた。一度目は脱出ポッドが着水したと同時に、海へ飛び込んだ。しかし結果として、ナハトは死なず、ポッドの上で目を覚ました。二度目も同じ死に方を選び、海へ身を投げた。しかし、これも失敗。意識が戻ると、この船の上にいた。そして、三度目。


 ナハトはハサミで喉を切ろうとした時、<マザー>の声がナハトの身体を金縛りにかけたように、凍り付かせた。


 そこで一つ合点がいった。問題は一度目の自殺。


 あの時、何故、ナハトは生き延びることができたのか。


 きっと、あの時は意識を失ったのだ。マザーによって──死が振り払われたのだ。


『生命維持に深刻な障害が発生しています。直ちにその場から逃げてください』


 ナハトはキンキンと鳴り響く警告音に対して、今度は意識を手放さなかった。


──<マザー>、お前が……。


『警告を無視あるいは逃亡が不可能なら、身体の操作権を一時的に剥奪し、システムによる自動制御に移行します。』


──!! これか! 自殺するたびに失敗するのは、こういうことか!


 ナハトは全身の筋肉が攣ったような痛みを覚えた。痛みはいわば身体の負荷を知らせる一つの表現だ。今のナハトの身体はそれを全く無視して、人形のように駆動する。


 海流に負けないほどの胆力で水をかき分け、上昇する。そんな力がどこに眠っていたのか。信じられないほどの怪力。ナハトの意志とは無関係に海面へ浮上しようとする。


 そして、ものの10秒で、ナハトは海から顔を出した。勢いよく酸素を取り込む。なされるがままに身体は勝手に動く。


 視界は赤い。極限まで性能を引き上げられた肉体は船の側面にしがみついた。腕の力だけで登ろうとする様は生ける屍のようだ。本来掴める箇所などない平面に握力で張り付く。


 ナハトは痛みに何度も叫びそうになったが、その権利すら今はないようだ。肉体は完全に言うことを聞かない。


 そして、最後の一息。船のフェンスを掴んだ腕をそのままに、船の側面を思い切り蹴り上げ、回転しながら、船の通路に身を投げた。


 背中から落ちたナハト。あまりの痛みに全身が痙攣を起こしている。


『生命維持を脅かす障害からの逃亡を確認。自動制御を終了します』


 淡白に告げられたその一言に、ナハトは意識を失った。



        ◆


 

 目を覚ますと、医務室のベッドの上にいた。身体中に軋むような激痛が走り回り、何が起きたのかナハトは思い出した。<マザー>による介入によってナハトの──アルバの──身体は操られた。


「ちくしょうが……」


 立ち上がれるだろうか。無理やりにでも、もう一度海に落ちたら、いずれ限界が来るだろうか。


 そんな試行錯誤を思案していると、足元で()()()()と音がした。


「…………?」


 ナハトは首を起こして足を見る。足首に鎖が繋がれている。その先を見ると、ベッドの脚に鎖が括り付けられている。


「ああ、動くなってことね」


 何度も死のうとしたのだ。頭のおかしい患者だと思われているのだろう。適切な医療行為だ。


「いい迷惑だ」


 ナハトは諦めるように目を閉じた。


 <マザー>の介入を振りほどき、死ぬためにできることを考える。しかし、これはナハトに有利な勝負である。肉体がある以上、いつか死ぬ。限界が来る。一度介入を受けただけで、この疲労感だ。何度も繰り返せば、きっといつか死ぬ。


 託された責務。アルバの願い。肉体を掠め取った果てに迎える、あまりにも無責任な終わり。


 そう、終わり。


────?


 ナハトは違和感を覚えた。


 何かを見落としている。


 そんな些細な、言葉にならない感触。


 ただ、答えにたどり着きそうな気配がした。ここで理解できなければ、謎があることすら気が付かないで終わる。そんな予感。


「何かがおかしい」


 ナハトは死のうとしている。死に直そうとしてる。


 ならば──。











「どうして、ハワードに殺されたとき、<マザー>は身体を無理やり操らなかった?」











 あれだけの力を出せることを証明したのだ。そこで生まれた致命的な論理欠陥。


 なぜ、ナハトは死んだのか。


「俺はまだ、人心核のルールの全てを理解していない……?」


 あと一日で、船は日本に到着する。

 

 

 

 


 


 


 

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