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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
最終章. アダムとイヴ
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人心核の逃避と死のジレンマ(3)

 海で遭難していた──ということになっているらしい──ナハトを見つけたアーサー・ガルシアは、男性らしい。長いまつげと端正な顔立ちは少女と言っても差し支えない容姿だ。だから、ナハトは不意打ちとは言え、タックルに思わぬ力が込められていたことに驚いた。


 床に打った頭をさすりながら、ナハトは首だけ起こし、のしかかるアーサーを見た。


「何すんだ……」


「貴方こそ、どうして」


 アーサーは床に突き刺さったハサミを一瞥した。


「どうして……死のうとした……のですか?」


──そりゃバレるか。


 アーサーの表情を見るに、ナハトの行動に一貫性があることに気が付いたのだろう。宇宙から降りてきた男。看護師はきっとアーサーに、目を覚ましたけれど記憶がないと報告しただろう。けれど彼は今は信じていない。確信を持っている。海でずぶ濡れになっていたことも──。


「溺死を試みたあとに、今度はハサミで死のうした。あってる?」


「……いいから、そこをどけ」ナハトは脱力気味に言った。


「あ、ごめん」アーサーは素早く立ち上がり、ナハトに手を貸した。


「立てる?」


 ナハトは無言でその手を握った。



        ◆



「どうして死のうとしているかは聞かないよ」


 潮風が優しく頬をなでる。脱出ポッドから覗く海面は近く、得体の知れない世界の入り口のようであったが、船のロッジから眺める海は、豊かで、自由で、寛大に思えた。どんな愚か者でも包み込んでくれるような、巨大なスケールが広がっている。


 海は宇宙に似ている。魅力的な恐ろしさが、ただそこにある。


────死ぬなら、こんな場所がよかったのにな……。


「ただ、この船に乗っている間は死んじゃダメだ」


「どうしてお前に指図されなきゃいけねえんだ」ナハトはぶっきらぼうに言った。


 二人はロッジの端にある手すりに腕を乗せて、海を眺めていた。特にやることもない船の上。ただの移動手段。アーサーがナハトを監視すると主張しだし、ナハトは折れないアーサーに根負けした形で、一緒に行動している。ずっと部屋にいるのも退屈だから、気まぐれで海を見ているだけの時間だ。


「だってほら、僕、君の命の恩人だし……」


「相手が死にたい場合は、余計なお世話だな」


「なんて素直じゃないんだ! 僕は君の荷物まで船に運んだのに!」


「荷物?」


「ああ、紙袋だよ。中は見てないから安心して」


「ふん、別になくてもいいものだ」


「だったら自分で捨ててよね」


「ああ、そうする」


 ナハトは死ぬ決意をした。生存にこだわってきた人間が、自害を目指そうとすると、これまで積み上げてきたあらゆる前提が覆る。生き残るためにしてきた、他者への欺瞞や嘲りが必要なくなる。


 ナハトの精神は、静かだ。


 海のさざ波が奏でる歌は、死を受け入れたナハトを祝福しているように思えた。


 ただ、今は自害はできない。アーサーがいるから、ではない。


────基本プログラム違反、か。


 ナハトの基本プログラム<生存>が、死を受け入れたがらない。往生際が悪いにもほどがある。


 ナハトは死ぬために、基本プログラムを越えなければならない。根本として、人心核のルールに、運命を翻弄されてきたのだ。決着をつける必要がある。


 ナハトの旅は、そんな幕引きを迎える。


「そういえば、記憶戻っているんだろう? 名前を聞かせてよ」


「…………アルバ……………」


「アルバか。改めてよろしく」


「じゃなくて」ナハトは顔を手で覆った。


「え?」


「俺は…………」


 大きく息を吸った。この物語は、主役は、自分。バッドエンドだろうと、これは自身の責任なのだ。


「俺は、紀村ナハト」



        ◆



「ナハト、この船は日本に向かっているんだ」


「……」


「そこで君は降ろされて、日本で移民登録を済ませなくちゃいけない。まあ、もちろん、これは本当に記憶をなくしていた場合ね」


「……なくしてねえよ」ナハトは遠くを見ながら、ため息をついた。


──ここまで粘着されたら隠すのも面倒だ。


 第一、記憶をなくしてしまえば、楽なのかもしれないが。


「だよね。だったら────何か成すべきことがあるのなら、港に着いたら逃げろ。僕が口裏を合わせておく。部屋に鍵をかけて君が立てこもっていることにする。でも開けたらだれもいない。これでどうかな?」


「…………どうして、俺にかまう?」


「別に。ただ、君は……こう、見ていて気持ちが悪いんだ」


「喧嘩売ってんのか」


「ははは、売ってるね。僕は君がひどくチグハグに見える。辻褄が合わないっていうのかな」


 そういわれて、ナハトは心臓を鳴らした。精神はナハト、肉体はアルバという不一致を直観として感じ取られたのだと、思った。しかし──。


「君、死にたいと言っておきながら、まだやりたいことがあるだろう?」


「…………!」


「やりたいことがあるのに、やるべきことがはっきりしてるのに、死のうとするなんて、変だ。自殺したい人っていうのはもっと、こう、フラフラ寄り道するんだよ。誰かに止めてほしいから。君はなんか変に思い切りが良くてさ。そこに、意思を感じるんだ」


「…………」


「自殺することすら通過点なような……? 気持ち悪いんだ。本当のことは言わなくていい。死にたいと思った経緯も必要ない。だけど、まだやることがあるなら──送り出すくらいはしてもいいかなって」


「わからん奴だな」


「別にわかってもらおうなんて思ってないよ」


──! わかってほしくない人間なんているのか? なんだこいつ。


「お前のほうこそ、気持ち悪い」ナハトは太陽に目を瞑りながら、小さく零した。



        ◆


 すっかり日は沈み、夜風が凪いでいる。星々が二人を見つめていた。


「僕は、父さんを探す旅をしているんだ」


「……」ナハトは勝手に話すアーサーを見ていない。ただ、耳は傾けていた。


「半年くらい前に、母さんが死んじゃってさ。僕と父さんはすごく悲しんだんだけど、僕は父さんに救われたんだ」


 よくある話だ、とナハトは聞き流した。


「悲しみが晴れたわけじゃない。ただ、体質なのかな……僕は母さんの死に涙がでなかった。それで周りから言われるわけ。悲しくないのか、人の心がないのかって」


 ────────────────────人の心。


「僕は人間として欠陥があるんじゃないかって自分を責めたんだけど、父さんは僕に言ったんだ。お前の悲しみはお前のもので、誰かが共感しようがしまいが関係ない。誰にも渡すな、って」


「…………!」


「すごく、納得できたんだ。誰がなんと言おうと、僕の感情は僕のもので、誰かに定義してもらう必要なんかないんだ」


「そんなわけねえだろ……」


「え?」


「お前、人間じゃねえんじゃねえの?」ナハトは挑発したつもりだった。


「…………! そうか、君も誰かに呪いをかけられたんだね」


「…………うるせえよ。ほんと」


 ナハトはその場でしゃがみ込んだ。うなだれるように──沈むように。


「父さんは、そんな言葉を僕に言っておきながら、ある日突然姿を消したんだ。行方不明になった」


「だから、父親を捜しているのか?」


「うん」


「そりゃおかしいだろう。お前の父親は考えがあっていなくなったんじゃねえのか? お前と一緒にいるより、重要なことがあったんだろうよ。それこそ、母親と同じ場所に行くとかな……」


「で?」


「は?」


「それが、どうして、僕が父さんを探しちゃいけない理由になるのさ」


「……いや、考えろよ。父親はお前に会いたくないかもしれねえだろうが」


「それが?」


 ナハトはアーサーの瞳を見た。曇りのない決意の結晶があった。


「……!」


「父さんが僕をどう思ってようが、関係ないんだ。僕が会いたいから会いにいく。それ以上に重要なことなんてない」


「はっ……話にならねえな」


「僕は誰かに共感してほしいとは思わない」


「お前と話しているとイライラしてくる」


「じゃあ、部屋に戻る?」


「そうする」


 その夜、ナハトはベッドで考えた。


 これから、どうするのか。人体模倣研究所、国連宙軍ロサンゼルス基地、月面シャクルトン。そこで起きた事実を振り返る。やはり結論は変わらない。紀村ナハトは疾く死ぬべきだ。


 ただ、アーサーの瞳、その澄み切った水晶を美しいと思ったことだけが、ナハトの記憶に追加された。







 


 



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