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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
最終章. アダムとイヴ
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人心核の逃避と死のジレンマ(2)

 ザブン、とポッドの着水音がした。


 落下中とは別の、抵抗のある浮遊感を覚えた。確かに感じる重力で、身体は懐かしさと怠さを認識している。


 ナハトは暗闇の中で、扉を開けるスイッチを探した。脱出ポッドは、大気圏突入の際に電気系は壊れても構わないという設計で作られていたため、ここからの操作は全てアナログになる。

 

 手探りで扉を開ける。長い間、暗黒ばかりを見つめていた瞳は多量の光を拒絶した。白い太陽光に焼かれることで、ここがどこか認識した。


 空と海の全てがナハトを覆いつくしている。遥かな蒼穹と潮風がナハトを包む。自身が、宇宙にたまたま存在することを許された小さな砂粒のように思えた。波の音は単調なようで法則性がない。キラキラと反射する水面にポツンと浮かぶナハト。


 人体模倣の欠片もない。ただの自然を久々に目の当たりにした。


「とりあえず……」彼はポッドから顔を出し、海を覗いた。当然水底など見えず、ただ青暗い世界が広がっているだけ。


 ちょうどいいと、考えた。


 ナハトは予備動作もなく、勢いよく海へ飛び込んだ。


『──────』聞き覚えのある声がした。



        ◆



 目が覚めた。


 眼前に広がっているのは、夜空だった。相変わらず、さざ波が優しく鳴る穏やかな海上。脱出ポッドの上で仰向けに寝ている自分を認識した。瞬く星々がナハトの覚醒を歓迎しているようだった。


 服は海水に濡れて、乾く途中の不快なべたつきが残る。心臓は問題なく律動し、なにも起きていなかったと主張しているようだ。


「何が……起きた?」


 呟いてみても誰も応えない。ここにはナハトしかいない。


 ネット環境はなく、オルガ先生もいない今、自身で試行錯誤する他ない。


 ナハトはもう一度、海に飛び込んだ。



        ◆



「大丈夫ですか!? 自分の名前はわかりますか!?」


 ナハトはもう一度目を覚ました。ただ、今回は起こされたと言っていい。肩を強く叩かれながら、耳元で大声を出されては意識も戻るというもの。呼吸を整えてから、声を出した。


「起きてるよ」


「………! 良かったぁ。水を飲めますか? なにか食べられますか? アレルギーは? 」


「ちょっと待て、そもそもここは──」


 矢継ぎ早に質問されても、ナハトは十分に辺りを認識していない。ここは脱出ポッドの上ではないのか。


「ここは、エール・プリンス号。客船です」


 ナハトは目を開いた。白い天井と狭いベッドの上。隣には女性がいた。ナハトの手を握っている。彼女をよく見ると、船員服を着ている。


「名前はわかりますか?」


────名前……。


 ナハトの見た目は、書類上は犯罪者であるアルバ・ニコライのそれだ。今のナハトは何者か。その質問に答えるのは困難だった。運命の糸に複雑に絡み取られている。アダム、紀村ナハト、アルバ・ニコライ、オルガ・ブラウン。思い浮かんだ名前のどれもが、適切でない気がした。


 だから、ナハトは目を閉じて、「思い出せない」と答えた。



        ◆



「私は看護師です。休暇でこのエール・プリンス号に乗っていました。日本まで移動する道中、一人の客員が海に浮かぶ貴方を見つけました。見たところ、乗っていたのは宇宙で使うような脱出ポッドでした」


 それに、服も宇宙服のようでしたし──看護師は言った。


「どうして、一人で海にいたんですか?」


 今のナハトは診察服に着替えさせられていた。


「水を飲みたい」


「わかりました」と看護師はグラスに水を注いで、ナハトに差し出した。


 彼は無表情にそれを受け取ると、一気に飲み干した。口の中にあった塩分を洗い流すためだ。


 ナハトは、グラスを手から離した。当然それは床に落下し、砕け散った。


「──!」


「…………いいですよ。触らないで。破片は掃除します」


 看護師は箒と塵取りで破片を掃除した。


「やっぱり、宇宙から来たんですね?」


「…………」


「永い間宇宙にいた人は、ものを空間に置く癖がありますから」


「……覚えていない」ナハトは天井を見ながら、零した。今はただ、一人になりたかった。


──俺は、()()()()()()


 虚ろな瞳からは何も読み取らせない。記憶がない振りをすれば、誰からも相手にされず、一人になれると考えた。


「そうですか……。何か覚えていることはありますか?」


「ない。少し、一人になりたい」


「…………わかりました。貴方が目覚めたことを船員や見つけた客員の方に報告してもよろしいでしょうか?」


「好きにしろ」


 なにかあったらすぐに呼んでください、と看護師は部屋を出て行った。



        ◆


 

 一時間ほど睡眠をとった。あれだけのことがあったのにも関わらず、身体は正直で、ふてぶてしくも睡眠欲だけはあるようだ。寝ることが人間の脳と同じ意味合いがあるかは不明だが、生理現象には逆らえない。


「俺は人間じゃない」


 ナハトは置きしなに、かけられた呪いを確かめるように呟いた。どうせ怪物ならもっと人間離れした強さがあってもいいのに、と益体もないことを考えた。


 しばらく横になって気が付いた。脱出ポッドに乗っていたときよりも、揺れが少ない。どうやら相当大きな船であるらしい。


──客船と言っていたな。


「さてと」とナハトはベッドから立ち上がった。足元がふらつく。ふくらはぎの筋肉が強張っている。重力に慣れるにはもう少しかかりそうだ。


 立ってみることで部屋の全景を把握できた。引き出しのある棚、机と椅子。机の上に置かれた端末の横には薬液が入ったボトルが整理されて置かれている。


 どうやら医務室のようだ。


 一歩、二歩と確かめるように歩く。今は足取りが覚束ないのも仕方ない。快復には時間が必要だ。


 ただ、快復の必要があるか、それが最も重要な問題だ。


 ふらふらと、棚に近づいた。


 引き出しを漁る。使えそうなものを探した。ペンや薬剤、ガーゼなどがあったが、全て無視した。


 机のペン立てに目をやった。


「これにしよう」


 ナハトはそこからハサミを手に取った。ガーゼを切るためだろうか、大きめの裁ちハサミ。


 それを自身の喉笛に向けて──思い切り、突き立てようとした。











『基本プログラム違反────生存せよ』









 そんな言葉が脳に、絶叫のように響いた。視界の色が変わった。ナハトの手足は突如として痙攣する。手足の感覚が遠のいていった。


 そう、海に飛び込んだ時もこの現象が起きて、ナハトは意識を失ったのだ。耐える。身体を縛る命令に抗い、ハサミを握りしめた。魔法にかかったように言うことを聞かない身体は、ナハトの精神力と拮抗し、硬直していた。


「くそがぁぁあああ」


 叫んだ。


 その時、部屋に誰か入ってきた。


「駄目だ!」


 その人物は高速でナハトの腰に、突進した。吹き飛ばされるナハト。手放されたハサミは宙を舞い、床に突き刺さった。倒れ込むナハトとそれに覆いかぶさる人物。


「お前は……誰だ?」ナハトは麻痺した身体を無理やり動かし、彼を見た。


 少年か少女か分からない。幼い顔立ち。長い髪を後頭部で結っている。大きなグリーンの瞳にナハトの顔が映った。




「僕は、アーサー。アーサー・ガルシア。僕が海に漂う君を見つけたんだ」


 

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