緑閃光
奈義はルイスの元を後にすると、その足で駐車場に向かった。専用の無人タクシーまで歩く。
道具は死ぬが、人は死なない。
逆説的すぎて、頭がこんがらがった奈義は考えるのを辞めた。
――ともかく、だ。
「博士は嘘は言ってない。博士はきっとオルガって人に憧れていたのね」
ルイスは、先程の会話でルイスから読み取ったことを振り返る。オルガに対する憧れと、小さな不安。さらにハワードという人物に対する疑念、受け入れがたい不信感。
5年前にあったルイス・キャルヴィン博士がヒューマテクニカ社を辞めた理由。
すべては推測するしかない。
総合して考えると、あの老人の正体にあと一歩で辿り着けそうな予感だけが浮遊する。
奈義は、オルガの目的だけがピンと来ていなかった。奈義に期待を寄せる。しかし、それで奈義をどうしたいのだ。
一人首を捻りながら、駐車場まで歩くと。
「梶原」
六分儀学がいたことで、それまで考えていた疑問が吹き飛んでしまった。
その日、彼らは一緒に帰ることにした。学は移動手段がないため、本来こうする約束だったが、昨日の別々に帰ったことが尾を引き、車内はぎこちない雰囲気に包まれていた。
無人タクシーは騒音を出さない。それが彼らの静寂を浮き彫りにしていた。
奈義は学の横顔を見た。奈義は相手の気持ちを知るのに、表情や言葉を必要としない。
それでも彼と会話できないか機会を探っていた。
「梶原」
「なに?」彼女はそう聞く前から答えを知っていた。
「お前は、どうしてそんなに強いんだ?」
奈義は強い。彼女に挑む学を遠くから見ると、挑むこと自体が間違いなんじゃないかと、そう思わせるほど、強い。
奈義は今の操縦法を身に付けてからの五百回近く行われてきた模擬戦闘訓練において負けたことがない。
ただ、それは「遠くから見ると」、という限定付きで。
彼は彼女に近過ぎるから、気がつかない。
奈義は返答に詰まった。そんなことないよ、と謙遜するにはもう遅すぎた。今更勝敗結果を否定することはできない。
彼は奈義から目を逸らさない。
「私ね……」彼女は必死に言葉を選んで、選んで、選んで、伝えようとした。
「六分儀君の気持ち、わかるよ」
「俺の……?」
「どうしても届かないものがある、そういう理不尽。私もわかるんだ」
「お前にも、勝てない奴がいるのか?」
「うん」
「……嘘だろ? そんなの……ありえない」彼は驚きを通り越して呆れていた。そんなわけがない、と。
奈義は、最後に訂正するように「そんなことない。世界は狭いよ」と付け足した。
二人は、そこからを口火を切ったように話し出した。
「六分儀君、知ってた? 太陽が緑に光る瞬間があること」
「緑? それは嘘だ」
「私は嘘が嫌いなのー」
「それはどんなときだ? オーロラみたいにたまに見れるものか?」
「そう、普段は見れない。でも考えてみて。空は青いじゃない? それは青い光を散乱してるからなんだけど、夕方になると赤い光になるじゃない?」
「うん」
「太陽をみる人の距離と大気の濃さで散乱する光の波長が変わるなら、緑が散乱される瞬間もあるはずじゃない?」
「なるほど、わからん」
「よく考えればあるものなんたけど、嘘だと思うよね。見たって言う人もいるし、嘘をつく人もいる。でもね、緑の太陽だけは本当にあるの」
「……梶原は好きなのか? そういうの」この場の、そういうの、とは天体ショウや自然現象を指していたが、そうと知りながら彼女は――。
「好きだよ」
奈義は、彼の目を見て、笑顔で言った。
「ずっと好き」
◆
ルイスの部屋で、昨夜と同じように二人は語らう。
「全く、理解に苦しむ」
吐き捨てるようにオルガは広い額に手を当てた。
ルイスがオルガに晩酌に付き合わせるのも二度目だ。ルイスはもうオルガに酒を勧めない。しかし、それでも酒を勧めたくなるように、彼は愚痴をこぼしていた。
「梶原奈義も六分儀学も……揃いも揃って私の提案に乗らなかった。最も冴えた方法だというのに」
彼らはふたりとも子供だ。オルガは自分の若いころを忘れたように、若さをそのまま愚かさと捉えているようだった。ルイスはこの老人は、なにに焦っているのか、理解しかねていた。
「梶原さんと六分儀くんを恋仲するっていうのは……あなたが思っているほど簡単じゃなかったということですよ。もともと私は反対でしたし」
ルイスはグラスの液体をぐいっと飲み干した。
「第一、それが梶原さんが成長することとどう繋がるのですか?」
「昔から物語では決まっているだろう、戦士は愛する者のために強くなると、それだよ」
「……ほんとあなたの冗談はわかりにくい。それ、本気で言っているんですか?」
「口調がいつもと違くないか? 酔っているのかね?」
「酔ってないです」
それは貴方です、とでも言いたげな視線をオルガに向けたルイス。
「それより私が聞きたいのはハワードのことです。彼は今どうして月面防衛戦線なんていうテロ組織にいるんですか? それをオルガさんはどうして知っているんですか?」
「……それは言えない」
「じゃあ、また冗談ですか? 少し本気にした私がバカみたいじゃないですか」
「私は冗談を言ったことはない」
「いいですよ、私はなにも知らないままで! 協力しますよ。それでいいんでしょ。全く――」
「君は本当に酒癖が悪いな」
「何か言いました?」
「君は本当に酒ぐ」
「聞こえてましたよ! 何度も言わないでください」
素面のオルガは頭をかいた。
「……決めた。ハービィには六分儀学を乗せる」
「あら、意外。それはどうしてですか?」
オルガの顔は小さくゆがんだ。
「彼にも、ハービィにも梶原奈義の踏み台になってもらう」
その言葉の意味を数刻考えたのちに、ルイスの顔色がなくなった。――酔っている場合ではない。それこそ、冗談ではない。
「それはどういう意味ですか?」チャンネルを変えたように、彼女の声は冷たく問うた。
「大切なことは梶原奈義を戦士として完成させること、そのために、彼女には愛が必要がある」
「そんな勝手な都合で演習場は貸せません」
「黙れ」オルガは地の底から響くような声で、ルイスに言葉を突き刺した。
「え……」
「私の目的はすでに、ハービィの実装試験ではない。梶原奈義こそを迫る決戦の布石とする。かつての敗北より、すべてを取り戻す計画はすでに動きだしている。こんなところであの至宝を腐らせておくことなど、私が認めん」
「わかりません、わかりませんよ! あなたは、どこに行こうとしてるんですか!?」
「まずは、彼女の恋を成就させ、それを管理下に置く」
「……そんなことさせません」
本性を現したオルガはもはや会話する気などない。この男には「人の気持ちはわからない」。
「それを決めるのは彼女だ。君じゃない」
「何を――何をする気ですか!?」
「これからご覧いただくのは、一人の少女の、青春の終わりだ」
老人が天井に手をかざした。すると、部屋の照明が消え、暗闇が場を支配した。部屋の照明や空調を始めとする電化製品は、部屋の住人のIDと同期しているため、ルイスにしか操作できないはずだが――。
「何をしたんですか!」
「たった今、ルイス・キャルヴィンの職員IDは私に譲渡された。期限は五日。これから、五日間、私はルイス・キャルヴィンとして、君の研究グループのリーダーとして、仕事をしよう。突然だが、休暇だ。ゆっくりと休むといい」
その夜、梶原奈義と六分儀学には、メールが届いた。
『 梶原奈義さん 六分儀学くん
明日の演習は、対人形式の一対一で戦闘試験を行います。
その際、六分儀くんは開発段階の特殊兵装で演習を行います。
詳細は以下の書類に記します。添付ファイルに目を通しておいてください。
ルイス・キャルヴィン 』