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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
三. 反撃開始
88/134

──────

 ハワード・フィッシャーがジョンソン・ガルシアと入れ替わり、明龍シャクルトン基地に潜入した目的は二つある。


 一つは、狂信者狩りである。


 梶原奈義には二つの側面があり、臨界突破を果たした世界最強の戦士である彼女、そして人類理解者に成りうる完全な読心能力者である彼女。もちろん、この二つは梶原奈義にとって独立した要素ではなく、読心能力によって対人戦で不敗である部分もあるだろう。


 それでも、過去に示されたように梶原奈義は人の心が読めるから強いのではない。彼女は彼女だから強いのだ。読心能力があるだけならば、ハワードも臨界突破に至っているはずだ。


 梶原奈義の持つ二つの属性の内、<キューティー>は「臨界突破を果たした戦士」に注目した。人体模倣を神が描いた設計図だと信じている。その先に至る神の模倣体こそが臨界突破者だと疑わない。


 対するハワードは梶原奈義を完全な読心能力者と認識している。


 ゆえにハワードと狂信者は相容れない。


 梶原奈義に人心核イヴを取り込ませることを目的としているハワードに対して、<キューティー>は臨界突破者として<神の代弁者>発生炉を摘んだ機体に乗せることを目的としている。


 この相違が、ハワードを狂信者狩りへと駆り立てた。


 端的に邪魔なのだ。<キューティー>の目的は、ある種「その先」がない。人類に細やかな救いを与えようとしているハワードからしたら、その陳腐な願いを蹴散らすことに躊躇いはない。


 少し賢い愚か者たちの自己満足なんぞに梶原奈義という至宝を渡してなるものか。


 したがって、ハワードはフェンを殺すためにシャクルトン基地に襲来した。


 そしてもう一つの目的は、梶原奈義を探しに来た。


 自ら乗り込むことで、明龍メンバーたちの心の声を聴くことで、シャクルトン基地に梶原奈義が隠れているかどうか判断するためである。結果としては彼女は見つからなかったために、フェンを殺した今、基地を立ち去ろうとしている。


 いずれにしてもハワードは、梶原奈義を追いかけることに一貫していた。


 そのため──ここでハワードが紀村ナハトに時間を使うことは非合理である。アルバ・ニコライと紀村ナハトの殺害は<ドウターズ>の任務なのだから。


 イヴならば、今のハワードをらしくないと形容するだろう。


 普段の彼ならば、目的のために死の絶叫を耐えるほどの極限の精神を携えている。


 だが、現在は──怒りに震えていた。



        ◆


 ナハトは、生涯最悪の時間を経験していた。


「君は、わからないんだよ」


 腹の銃創から伝わる燃えるような痛みに耐えながら、床に伏せるナハト。ハワードはナハトに近づき、左脚のアキレス健をナイフで切った。


 獣の雄たけびのような悲鳴が狭い部屋に木霊した。しかし、ハワードには聞こえない。真に意味のある悲鳴というのは、心の声のはずだがら。紀村ナハトからは、本来人間が発するはずの切実な「声」が聞こえない。故に、ハワードにとって、目の前で悶える少年は、ただの音の出る肉塊である。


 無意味な人形。害虫にも劣る悪徳の魂。


「君は人の気持ちがわからない」


「っ…………!」


 ハワードはうつぶせになるナハトの右ふくらはぎを、勢いよく踏みつけた。骨が砕けるような音が身体の内部から響き渡る。その時点で意識を手放してしまえば楽だったのだろう。


 しかし、ハワードはそれすら許さない。


「まだ気を失ってはいけない」と胸ポケットから注射器を取り出して、ナハトの首へ差し込んだ。冷たい液体がナハトの血管に流し込まれた。


「……何をした……?!」


「興奮剤さ。君には起きていてもらわないといけない。痛みをちゃんと感じてもらわないと。もっとも──心の声が聞こえないのだから、その痛がりも演技かもしれないけどね」


 そしてハワードはナハトの太ももに発砲した。


「あああああああああああああああああ」


「…………君はそのちっぽけな生存のために、多くを犠牲にしようとしたね。普通の人間は良心の呵責というものがあってね、罪もない人間に核弾頭をぶつけるという発想にはならないんだよ。自覚したほうがいい、君はどうしようもないほどの悪党で、自身が満足することしか考えられない怪物だ。それがよくも……」


 ハワードの顔が怒りに歪んだ。


「よくも……一人前に人を愛したな…………ヘレナを愛するその気持ちすら偽物であることも……自覚せずに、よくも人間面をしたな」


 続けて放たれる弾丸により、ナハトの左かかとは砕かれた。床は既にナハトを中心に赤い水たまりのようだ。ハワードは自身の服に血を付着させながら、ナハトを見下ろした。


「ハリエット・スミスという技師がいたね。彼女は君の悪徳を裁いた。技術者としてあるまじき罪を犯した君を言葉で裁いた勇気ある人だ。彼女に向かって君はなんと言った?」


「…………っ!!」もはや痛みで声も上げられないナハトを無視してハワードは続けた。


「それがどうした、そう一蹴したね。ハリエットは君の良心に期待したんだよ。それをいとも簡単に裏切った。だが、それはどうして? どうして君はそんな彼女の一人の心すら理解できなかった?」


「てめぇ……」


「簡単だ。だって君は人間じゃないんだから。人心核は人の気持ちがわからない。まず自らをして人ではないのだから。それを弁えてほしかったんだけどな。ロサンゼルス基地での出来事で、きれいさっぱり諦めていればいいものを……本当に、君を見ていると人間を愚弄されているような気がしてくるんだ」


「知った……ことか……」


 ハワードはしゃがみ込み、ナハトの髪を掴んで、頭を地面に何度も打ち付けた。


「人間をなめるな」


 何度も。


「人間をなめるな」


 何度も。


「人間をなめるな」


 




 ──何度も。



        ◆



Here's a little song I wrote


You might want to sing it note for note


Don't worry, be happy


In every life we have some trouble


When you worry you make it double


Don't worry, be happy


Don't worry, be happy


Don't worry, be happy


Don't worry, be happy




 遠くのラジオがお気楽な歌を流していた。


 世界にはあらゆる悲しみがある。その歌は悲しみ全てに届くように抽象的な励ましを繰り返していた。


 人類110億人の苦悩の最大公約数。人ならば必ず抱えている根源的な不安を払うことがその歌の存在意義。


 ある男は、人類が持つ原罪のような悲しみに、「孤独」と名前を付けた。


 故に、彼は孤独を根絶やしにする。彼の祈りは烈火のように激しい。


 今、その熱量全てが一人の少年にぶつけられていた。


 

        ◆



 そこから先は、ただ死んでは生き返されるような拷問が繰り返されるだけだった。


 どれだけの時間が経っただろうか。感覚としては無限に近い永遠の中、削られるように、貪られるように、身体がすり減っていくことに抗っていた。


 ただ、効果的な対抗策はない。いたずらに紀村ナハトという少年の身体は解体されていった。


 脚は骨を折ることを重視したらしく、あり得ない方向に歪み腫れあがっている。腕は切断されていった。右手の指は既に一本もない。床にばらまかれた指だった小さな肉が、無価値に転がっている。


「さあ、死にたくなったかい?」


 一連の解体作業に夢中になって問いかけることを忘れていたのか、ハワードは肩で息をしながら、もはや悲鳴も上げられないナハトに訊いた。


「……い」


 18年間連れ添った身体はぐちゃぐちゃになっていた。再起不能と呼ぶのには十分すぎる。過剰な暴力が、ナハトの意識が失われるぎりぎりを綱渡りしていた。


 ハワードはナハトからうめき声が聞こえなくなると、例の興奮剤を再び打ち込み、再びナハトを起こした。


「殺してください。言ってごらん?」


「……死にたくない……」


「わかった。続けるね」


 ナハトの内側では、絶叫が繰り返されていた。基本プログラムが警告を繰り返す。


『基本プログラム<生存>に深刻なエラーが発生しています。今すぐ身体を修復してください』


『生存せよ』


『生存せよ』


──わかってるよ。でも身体が動かないんだ。どうにもできなんだよ。


『生存せよ』


「死にたいと言え」


『生存せよ』


「死にたいと言え」


『生存せよ』


「死にたいと言え」


『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」『生存せよ』「死にたいと言え」


 

 その二つの板挟みに遭い、ナハトの精神は燃え尽きようとしていた時──。


 目を開く余裕はなかった。ただ、まだ生きていた聴覚が、部屋に誰か入ってくるのを捉えた。




「やあ、イヴ」



 ハワードの言葉に、ナハトは気づいた。ようやく会いたかった人に会えた。


 梶原ヘレナ。ナハトが幸せになるために一緒にいたいと願った最愛の彼女が来た。



        ◆



 イヴは月面防衛戦線の首魁として、堂々と国連宙軍を完封した後に、紀村ナハトに会うために明龍シャクルトン基地にただりついた。


 <マシン>は脱出ポッドが発射されるカタパルトの横に停めており、<ドウターズ>に見張らせている。


 本来ならイヴはシャクルトン基地へ来る必要などなかった。ハワードと同じく、彼女も非合理に動いている。紀村ナハトには、そうさせるだけの何かがあった。


 そして、ハワードの反応を追って、脱出ポッドの準備室に来た。


 そこには返り血に濡れるハワードと、既に瀕死の紀村ナハトがいた。


「ハワード、そいつ、殺すの?」


「結果的にはそうだね」


「やらせて」


「……それは駄目だ。ぼくは彼から死にたいという言葉を聞かなくちゃいけない」


「そういうこと……」


 それなら──イヴはそう言って、血袋となったナハトに声が届くように、耳元へしゃがみ込んだ。


「半年ぶりね」


「……」ナハトは口をパクつかせるが、声が出ない。それでも梶原ヘレナが近くに来たことは認識しているようだった。


「あれから私も考えてみたの。ヘレナとお前のこと」


「…………」


「絶対に助けに来ないでと、ヘレナは言ったわね。アレ、どういう意味だと思ったの?」


 イヴはヘレナの肉体のまま、言葉を紡いだ。


「お前を心配して言ったと思ったんでしょう? 本当は助けに来てほしいけれど、お前を危険に晒したくなくて、気を遣って言ったと──。


 そう言った当時は、我々もそうかなと思ったんだけど、ヘレナと同期していくとヘレナの本心がわかるようになってきたわ。


 人心核は人の気持ちがわからない。そう、ハワード言うけれど、例外があるの。同期した別の人格とは誰よりも深く理解し合うことができる。


 そこで我々は知ったの。


 ヘレナは紀村ナハトのこと──愛の対象と思っていないわよ。


 ヘレナはね、ハワードに育てられたからかしらね、視点が大きい子なのよ。この世界を「道具」と「人」で分けて考えている。「人には意味がなく、道具には意味がある。だから、道具は死ぬ」と考えているけれど、意味不明よね。でもね、ヘレナは意味や目的に縛られない在り方を尊いと感じているの。


 だから、ヘレナにとって人体模倣は「道具」が「人」になるための思想らしいのよ。


 あ、理解しなくてもいいわ。難しいと思うから。


 ただ、聞いてくれれば──。


 ヘレナは、お前に生きる目的を与えたわね。幸せになるために生まれてきた、だっけ?


 目的のない生を目的として与えるという論法で、お前に<生存>以上の喜びを気付かせた。


 確かに、基本プログラムからの解脱は「道具」から「人」になったと言えなくもないわね。


 けれど、ヘレナはそれを少し後悔しているの。


 お前に光を見せたことを、悔やんでいる。もっといい方法があったんじゃないかと、ね。


 だって、結局お前は、梶原ヘレナのために生きようとしているだろう? ヘレナは、お前に幸せになってほしいと願ったのであって、一緒にいてほしいとは一言も言っていない。


 だけど、お前はヘレナと一緒でなければ幸せになれないと考えている。それが、ヘレナにとって不本意なのよ。


 結局、お前は基本プログラムから「梶原ヘレナ」に生きる目的を鞍替えしただけだ。


 ヘレナはお前に自由になってほしかったはずなのに──ヘレナがお前を縛ってしまった。


 だから、客観的に見て、お前たちは結ばれない。


 永遠にボタンの掛け違いは続く。


 お前はヘレナに執着する限り、ヘレナはお前と一緒にいられない。


 この問題を解決させるためには、()()()()()()()()()()()。でなければ、お互い諦められないでしょう?


 お前とヘレナ、どちらかが死ぬべきなら、あとは自明でしょう?


 これは命令ではないし、強制するつもりもない。懇願よ。


 どうか、どうかお願い。





 梶原ヘレナのことを想うなら、彼女が好きなら、──今ここで死んでください。


 お願いします」




        ◆


 

 ナハトはイヴの言葉を聞いていた。その意味を理解していた。


 あの日の告白の応えを今、聞いたのだ。愛を告げた返答が、「死んでください」なのだから、仕方がない。


 ナハトはハワードの「死にたいと言え」という命令と、基本プログラムから下される「生存せよ」という命令の天秤を自ら揺らした。


──頭がおかしくなりそうだ。


 身体は動かない。心も動かない。


 否、この身に「心」などない。滑稽な傀儡でしかない。この半年間の、ヘレナを取り戻すという願いは全て無駄だった。


 なぜなら、ヘレナはナハトを拒絶する。


 願いは叶わない。


 であるならば──。


 ナハトは振り絞るように、言葉を紡いだ。


「………………殺せ」


 その言葉にハワードは満面の笑みを浮かべた。性的興奮を味わっているかのような恍惚とした表情。達成感に震える自身を必死に抑え込んでハワードは応えた。


「……それが人にものを頼む態度か?」


「…………殺してください」


「聞こえない」


「………………殺してください!」


「もっと大きな声で!」


「殺してください!」


「もっと元気よく!」


「殺してください!」


「オーケー! よく言えた! だが、まだ殺さない」


 そして、その後もハワードの拷問は続いた。



        ◆


 

 アルバ・ニコライは満身創痍の身体を引きずって、崩壊したシャクルトン基地の廊下を歩いていた。


 次々と襲い来る妹のクローンを始末して進む修羅は、歩く屍のように生気を失っている。


 この世全てを呪うかのような重い足取りは、たった一人を殺すために進む。そこにあるのは既に目的を奪われたキリングマシーン。負傷部をケアする素振りなど見せず動き続ける姿は無機物のようだ。


 何も感じない。もう泣くことも笑うことも要らない。ハワードの命さえ奪えれば、魂は散華できる。


 だから虚ろな肉体は進む。


 ハワードはどこだ。どこにいる? そもそも作戦は成功したのか? <トライデント>は──。


 クローンたちは抹殺できたのか?


「紀村ナハト……」


 アルバは唯一いた味方の名前を呟いた。共闘していた少年はこの襲撃を生き延びることができているだろうか。


 そこで、通路の交差点で人影が見えた。アルバは<ドウターズ>だと思い、ナイフを構えて──。


「あ、アルバ・ニコライか……?」


 現れたのはアーノルド・パーマーだった。爆風でも浴びたのか、身体の半分がやけどで爛れている。生きているのが奇跡のような様態。それはアルバも同じだったが、アーノルドの瞳はまだ生きていた。


 アーノルドは崩れ落ちるように、アルバの肩にもたれかかった。


「…………頼む、これを、君の相棒に渡してくれ。紀村ナハトに……」


 その手に握られていたのは記憶端末(データスティック)だった。


「なんだこれは?」


「梶原奈義の専用機、<コンバーター>の設計データです」


 アーノルドは泣きそうな声で続けた。


「基地にあった<コンバーター>は、連中に破壊されました……! ただデータさえあれば、もう一度作り直せることができるはずです! ノイマン博士はもういない。だけど、紀村ナハトなら……オルガ・ブラウンならば、きっと……」


「お前……」


「まだ諦めちゃいけない! まだ……」アーノルドは──身も世もなく泣きじゃくっていた。


 冷たくなったアルバに触れる、瀕死のアーノルドの身体が熱い。


──そうだ、ハワードを殺すためなら……俺はなんだってやれる……。


「確かに受け取った。アーノルド・パーマー」


 アルバがそう言うと、アーノルドは意識を失った。



        ◆



「君は、()()()()()()()がいるかい?」


 イヴも部屋を去り、紀村ナハトの解体作業を続けるハワード・フィッシャーはスピーチのように、話し続けていた。


「ぼくは、いたはずなのに忘れてしまったんだよ。本当はいたはずの大切な人だ。君にはいるかい? 蘇らせてまでも会いたい誰かが」


 ハワードは問うたが、自分で応えた。


「いるはずもないか。君に大切な誰かなどもういない──先ほど失ったのだから。


 ほら、何か言ってよ」


 ナハトの身体は、意志表示する機能を既に失っていた。簒奪された生存の権利は二度と戻らない。


 血液とタンパク質の塊は何も話すことはない。ただそこにある湿った何かである。


 そこで、ハワードは近づく「声」を聴いた。


「ん? これは」


『ハワードを殺す』


「ああ、アルバくんか。いつも大きな声だ」


 男は床にばらまかれた紀村ナハトだった何かを見て、口惜しい気分になっていた。


 もっと長い時間見つめていたい。この終わりをもっと堪能していたかった。


『ハワードを殺す』


「ん? 作業に夢中になっていて気付かなかったが、意外にも近い」


『ハワードを殺す!』


「まずい、逃げるか」


 ハワードは、慌てて走り出した。その際に、ついでと言わんばかりにナハトの辛うじて動く心臓を踏み潰した。


 その時、紀村ナハトは虫けらのように絶命した。


 基本プログラム<生存>はここで途絶えた。部屋を出たハワードの背には、物言わぬ死体だけがあった。


 丁寧に丁寧に解体された元・生命。あまりにもあっけない最期を看取る誰かなどいない。


 紀村ナハトという小悪党に寄り添う誰かなど、この世界にはいない。


 孤独を抱きしめて死ぬのが似合いの呪われた魂は、ここで途絶える。



        ◆


 アルバは意識を失ったアーノルドを担ぎながら、通路を歩いている。重荷にはなるが、見捨てるわけにもいかなかった。絶望の中で足掻く姿がかつての自分のようだったから──もう死体であるアルバは、生きようとしているアーノルドを生かそうと決めた。

 

 とりあえずの行先を考えた。まずは紀村ナハトと再会する必要がある。


 ナハトはいち早く逃げ出したのではないかと疑い、脱出ポッドの準備室に向かうことにした。


 全てはハワードを殺すために──。アーノルドから受け取った最終兵器のデータを紀村ナハトに渡すことで、また反撃をすればいい。


 もう一度、立ち上がれる。


 諦めないことに関してだけは自信があった。どれだけの絶望もアルバを止めることはできない。


 何としてもハワードを殺す。


 そして、アルバは脱出ポッドの準備室にたどり着いた。


 ドアが開いた。


 そこには──。






 紀村ナハトの死体があった。





 むせ返るような血と臓物の臭い。べたつくように空間に漂う油分が大気を重くする。あまりにわかりやすい死がそこにあった。


 今なら助かる、なんてとても言えないほどの決定的な死に様。


 人間の身体はここまで細かくできるのかと無感動に思った。


 アルバは死体に近づいた。




「なに、死んでんだよ……」



──馬鹿野郎が。


──お前じゃなきゃハワードに勝てないんじゃなかったのかよ。


 アルバはロサンゼルス基地の襲撃後にナハトから言われたことを思い出した。


『お前本気で言っているのか!? アルバ・ニコライ! ハワード相手に刺し違えてでもなんて覚悟で勝てると思っているのか?』


『本当にすべてを取り戻したいんだったら! いつかまた幸せになることを夢見ているんだったら! 生き残れ! 一方的にハワードを殺せ!』


 あれだけの啖呵を切った男の末路がこれである。


 アルバに言ったすべてが無意味になった。自らをハワードに勝てる希望を称した少年は、自ら果てた。故に希望は既に失われた。


「まだだ」


 アルバは、アーノルドを肩から降ろして、床に置いた。


 ナハトの死体に近づいた。


「まだ、だ」


 アルバはナハトの頭を勢いよく踏み潰した。そして砕かれた頭蓋から大量の血が流れる。


 そこに混ざりながら床を這う、青白く光る流体する金属があった。


 アルバはそれを拾い上げた。人心核アダムを──。


 その背徳の魂を手で掴んで──。


 飲み込んだ。




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