ドウターズ
核弾頭<トライデント>か発射されてから15分後。時計の針は進む。
アルバ・ニコライは月面、明龍シャクルトン基地の通路を歩いていた。
彼は今、宇宙が放射線の嵐に犯されていることなど知らない。人心核イヴと国連宙軍の戦争が思わぬ形で決着していたことなど、預かり知らない。
アルバは、妹を助けるために、邪魔者を消すだけの道具に他ならない。
故に、彼が掴んだ選択肢は当然のもの。あらゆる協定、仲間、利害関係は、妹の救済の前には価値を失う。
アルバ・ニコライは、弾丸を手に入れた紀村ナハトを殺すことに決めていた。
ハワード・フィッシャーを倒すには、人心核アダムの力が必要である。そこはアルバ自身もある程度認めている。ハワードの読心能力が厄介であることは、他ならぬこの身で理解している。
ナハトの作戦を知ったアルバは、ナハトを殺すタイミングを内心で定めていた。
人心核アダムが算出した作戦とは、ハワードのクローンを一ヶ所に集め、国連の手により爆殺するというものだ。
アルバの大願を叶えるための、いわゆる勝利条件は三つ──ハワードの殺害、弾丸の奪取、人心核イヴの確保である。
既に国連のシステムに侵入し、<トライデント>の弾道修正プログラムを仕込んであるとのことらしい。従ってそれはハワード候補を一ヶ所に集めた以上、自動的に決行される。そこから先はナハトに役割はなく、アルバの立場からすれば、ナハトは用済みとなる。
ただ、ナハトとアルバは役割分担として、「ハワードのクローン集め」と「弾丸の奪取」のために別行動していた。
ナハトがアルバより先に<母殺し>を手に入れる可能性が高い。
だから、アルバにとって、ナハトを殺すタイミングは、ナハトが弾丸を入手した時ということになる。あとは奪い取ってしまえば、どうにかなる。
人心核イヴの確保という課題は残るが、イヴの基本プログラムを知るアルバにとってはそれほど難易度の高いものではない。
イヴは梶原奈義を求めている。
ナハトを殺したアルバの旅は、梶原奈義の捜索が目的となるだけのこと。
問題があるとすれば──ソフィア・ニコライの身体はロサンゼルス基地で、終わりを迎えたこと。
それについて、アルバは解決策を持っていた。ある意味で禁じられた手法といって差し支えない、密かな計画を──。
「もう少し……」
通路はシャクルトン基地のブリーフィングルームに通じている。端末で地図を確認しながら進む。足取りは重いが確実に前に進むという意思が宿っている。
紀村ナハトの死体を前にしたとき、彼はなにを思うのか。
自らの手で殺したナハトの亡骸。人体模倣研究所で彼を打ちのめしたことのあるアルバは、再び惨憺極まる仕打ちを繰り返すつもりだ。
ここで死んでおけ、と。
それは、大切な人を失う辛さを知っているアルバだからこその慈悲なのかもしれなかった。
アルバは耐えられた。耐えられてしまった。妹を奪われてなお諦めることができず、死ぬことを選ばず、怒りを絶やさず前を向けてしまった。
それは、あまりに過酷な、苦しみを積み上げる巡礼に等しい。
しかし、あの弱い少年にはそれはできないだろう。きっと我慢ならない。自死を選ぶくらいなら、アルバの手で殺してやるのが、優しさであり──僅かな時間、協力した仲間への返礼なのだ。
ハワード曰く、アルバ・ニコライは極大の怒りを抱えながら、自壊しなかった稀有な存在だという。
<静かの海戦争>で誰よりも怒ったアルバ。ゆえにハワードに認識され、妹を人質に取られた。
これだけの責め苦を受けてなお、止まれない歩み。それは狂気という他ない。
そこで──異変に気付いた。
空気が違うと、まず思った。
歩いていた廊下が、別の空間に思える錯覚。殺意と呼ぶには些か人間みに欠けた臭いが充満していると──歴戦の暗殺者であるこの身が叫ぶ。
「なるほど」
──狙われている側はこういう気分になるのか。
今までは「ソレ」を行使している立場だった。つい半年前は指揮し、作戦遂行のための捨て駒として扱った。
──狂信者狩りのときは、俺が狙われていたわけじゃなかったからな。
感覚として、敵対心とは実際に向けられたときに色を変える。
ハワードは体質として心を読めるが、アルバは単純な努力を持って、実戦におけるセンスを磨いた。故に、この場で、アルバは不意打ちにカウンターで応じることができた。
天井の空調機の排気口を突き破り、落下と共にナイフを振り下ろす影にアルバは、回し蹴りを繰り出した。
「──がっ!」と敵の短い喘ぎが、壁に叩きつけられた音と同時に響いた。
「どうしてお前らがここにいる」
アルバは倒れた暗殺者を見下ろした。顔全体を覆うマスクに皹が入っている。身体は少女のそれ。アルバはこの半年間、狂信者狩りを繰り返す彼女らと幾度となく戦ってきた。
「<ドウターズ>……!」
◆
ドウターズの容姿は、アルバの神経を逆なでるように、ハワードにより決定されていた。
ソフィア・ニコライの救済を願うアルバの心を折ることがハワードの目的だった、わけではない。なぜなら、その怪人は知っていた。決して、断じて、間違いなく、アルバは諦めないからだ。呪いと言ってもよい。目的のために折れることを知らない。まさに規格外。月の怒りを束にしても、アルバの妄執には勝てないと、ハワードは不等式を導き出した。ハワードの精神も常軌を逸していたが、アルバのそれは原因がない。トラウマが呼び起こした不屈の闘志ではないのだ。
アルバ・ニコライは、人心核になにより近い。
まさに基本プログラムと呼ぶにふさわしい絶対の法を自らに課していた。
だから、〈ドウターズ〉の姿形が──実の妹と同一だとしても、なんら歩を止める理由にはならない。
これまで、妹を救うため妹を殺し続けてきた。それが彼にとっての地獄の本質。
ハワードはソフィア・ニコライからクローンを生み出し、兵隊として〈ドウターズ〉と名付けたのだ。
娘たち──ハワードが生み出す新世界の、女神の娘たちとして。
「ああああああああああああ!」
次々と現れた妹と同じ顔をした兵隊たちを殺していくアルバ。その頬には飛び散った鮮血が付着していた。殴り、抉り、銃弾で屠る。接近戦も遠距離戦も入り混じり、肉体の限界を無視した武闘を続けていく。
通路の端からまた二人の〈ドウターズ〉が出現した。襲ってくる敵を殺す。どんな見た目をしていたとしても構わない。誰一人、ソフィアに似ていない。あの子は、そんな顔をしない。強くない、人を傷つけない。誰より優しいあの妹を冒涜された怒りだけが、アルバの身体を動かしていく。
「はあああああああ!」
許さない。許さない。なにを? もしかしたら、世界そのものかもしれない。
きっとアルバ・ニコライの人生が物語ならば、ペシミストが好む内容となるだろう。
浴びた血の量は、誰の追随も許さない。妹の悲鳴を聞きながら殺し、殺し、殺し続ける。
「ソフィアを……助ける。お前らじゃない!」
叫んだアルバは〈ドウターズ〉から奪い取ったナイフを兵隊の一人に突き刺した。
すると、妹の顔が目の前に近づいた。口づけでもできるかのような距離感で、死にゆく一人が、口を聞いた。
「ふふふ……気づかないのね」
「────!!」
「あなた、まだソフィアが主人格になれると信じているのね」
「しゃべるな。黙れ!」
アルバはナイフを手放し、眼前の〈ドウターズ〉を蹴り飛ばした。
すると、別の兵士の銃撃がアルバを襲う。それをひらりと躱し、接近戦に持ち込む。
「アルバ・ニコライ」
「可哀想」
「諦められない男の子」
順々に呪いの言葉を述べていく〈ドウターズ〉にアルバは耳を塞ぎたいほどの嫌悪感に苛まれる。しかし、脇腹の裂傷から血が噴き出してなお、止まらない、止まれない。彼の目的意識は決して挫けることないのだから。
「うわああああああ!」
絶叫に近い咆哮を上げて、振り上げた刃がまた一人、妹を殺した。
「ふふふ……よく考えてみて。あなたの優しい優しい妹の基本プログラムはなんなのか」
「助けられた先で、ソフィアは生きることを望むかしら?」
「復活した後どんな基本プログラムで生きていけばいいのかしら?」
そのクローンたちは、アルバ・ニコライへ猛毒を流し込む。考えないようにしてきたことを直面させる。
「黙れ! 黙れって言ってんだよ!!!!」
「あはははは」
笑いながら死んでいく妹たちの死体の山。アルバは止まらない。
血に染まった廊下で、アルバは戦い続ける。




