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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
三. 反撃開始
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ハワードが失くしたもの

 「それ」を何に喩えたらいいだろう。


 国連宙軍にとっての最強の敵。地球に仇なす臨界突破者。重力偏極量子の使い手。戦争の方法を変えてしまうほどの暴力。


 軌道エレベーター付近に浮かぶ大型宇宙船。そのドックにいる軍将校たちは雁首をそろえて、遥か遠方にある光点を見ていた。


 離れて眺めれば、ただの怨敵。最前線に向かう戦士たちに任を託し、彼らは安全地帯から、その敵性機体を睨んだ。


「これだけの準備をしたんだ。墜としてもらわねば困る」


 一人の将校が重々しく言った。戦況は刻一刻と流れ、敵に近づいていった戦士からの通信は次々と途絶えていった。


「やっかいですな。その……」言葉に詰まった将校。


「人型感応重力偏極量子です」と将校の隣で呟いた研究者、福原は言った。


「そう、それだ。なんでもデータリンクを含めた通信手段が断たれるというらしいじゃないか」


「その通りです」


 福原はロサンゼルス基地で起きた事件を目撃した技術者として、宇宙ステーションで戦闘機整備に立ち会う任務を与えられ、宙まで来ていた。


 本物の戦場の一歩手前で、将校たちからコメントを求められる立場であるが、今となってはできることなどほとんどない。半年前の<SE-X>の襲撃から、当時のデータを分析し、ヒューマテクニカ社からの協力を受けつつ、やっとの思いでたどり着いた重力偏極という現象。


 それを引き起こす量子の存在と、人型に感応する性質。その仮説にたどり着いたのさえ、つい先月のことだ。


 ヒューマテクニカ社に眠るエーリッヒ・ノイマン博士のレポートを見つけなければ、辿り着けなかった推測だ。


「で、我々の対策は十分と言えるのかね? 福原君」


「それは……不明です」正直に答える他ない。


 地球で二度戦った<SE-X>は、マイクロマシンを散布することで、本来大気に弱い量子を存在させる手法を取っていた。そのマイクロマシンは高温に弱く、爆発や火事、一般兵器の攻撃で無力化することができていた。


 故に地球において脅威ではなかった重力偏極量子。敵は、六分儀学によって撃退することができた。


 しかし、此度の舞台は宇宙。


 マイクロマシンに頼らずに解放される未知の力。王者の光。その赤い輝きを美しいと思う者さえいた。


 そう、遠くから見ればただの敵。しかし、その全景は美しい。


 近くに寄った者たちはその発光現象に晒される。将校たちに、最前線で戦う者たちが受ける凌辱を想像することはできない。


 それはいわゆる、価値観の破壊。


 戦士たちの多くは、死を悟った時、恐怖よりも絶望よりも、感動が勝っていることなど、当人たちでないと理解できない。


 自分はこの怪物に殺されるために生まれてきた。ああ、幸せだ──そんな世迷言を本気で思い散っていく命。


 その異常事態に、指令本部が気が付くのはあと数分後。


 少なくとも、最前線の赤い波に漂う戦士たちは、その機体を神に喩えた。



        ◆



 100人の絆の戦士たちと呼ばれた少年少女たちは、人心核イヴに取り込まれるまでは決して「月の怒り」を代表するような精神性ではなかった。


 <静かの海戦争>に投入されるまでの彼ら彼女らは、仲間との絆を叩き込まれたに過ぎない。一人は皆のために、みんなは一人のために。仲間を死なせず、敵を葬る集合体。誰一人欠けることなく、戦争を生き延びることが、彼らの原初の願望であったはずだ。


 それはハワードが子供たちに施した「調整」という精神操作によるものだ。ヘレナは当時、ヘッドギアを被り、仲間たちと同じ気持ちを共有した。


 きっと、誰かを大切に思うことは悪じゃない。


 だからヘレナは奈義と出会うまでは、自身の思想がひどく偏っていることを認識できなかった。


 今思えば、絆に重きを置きすぎた彼らは、個という概念があまりに希薄であったのだ。


 しかし既に過去のこと。ヘレナと99人の子供たちが抱える大切な思い出。


 重大な問題があるとすれば、絆がなぜ怒りに変わったか、である。


『そんなの……簡単だわ』


 イヴの内側で誰かの声がした。


『この怒りも仲間意識を拡張させただけですよ』


 その声音は七色に代わる万華鏡のようにくるくる回る。


「…………どういう意味?」


『ハワードの言う「調整」というのは単なる学習方法の一つらしいぜ。単純なイエスとノーの質問を答えさせていき、植え付けたい価値観を妨げる答えにはストレスを、正しい答えには快感を与える。家畜を躾けるのと何も変わらねえ』


『ただし、それが電気ショックや暴力、恐怖によるものではない。甘い菓子や性興味を満たすものでもない』


 ヘレナは反響する声に頭が締め付けられるようだった。


『<神の代弁者(プロフェット)>は人間の脳が大好物なのよ。あの量子はとりわけ脳の組織に刺激を与えるの。後は分かるでしょう?』


「つまり……「調整」とは……質問の答えに対して<神の代弁者(プロフェット)>で賞罰を与える作業ってこと?」


『ふふ、やっぱりヘレナは頭がいい。一人だけ大人になれただけはあるわ』


『人体模倣の神様はきっと人間の脳が大好物。だからあの量子は私たちにも応用された』


「私たち? それって……」


『人心核よ。これが何かそろそろ知っておくべきじゃない?』


「じゃあ教えてよ」


『はははは、正直なところ、僕たちも良く知らないんだよ。こいつは賢そうに言っているだけ』


『もー!』


「ちょっと待って……みんなで一斉にしゃべらないで」


『話を戻すわ。なぜ絆が怒りに変わったか、ね』


『ああ、そうそう』


『そいつはあれだよ。俺たち戦争で負けただろう? そのあとハワードからまた「調整」を受けたんだよ』


「……!」


『そこで私たちはまた仲間意識を共有した』


『ええ。今度の()()は大きかったわ』


月面民(ルナリアン)が私たちの仲間』


「…………ああ! だからみんなは!」


『理解できたみてぇだな。俺たちはもう100人の絆だけで生きていない』


『虐げられてきた月の人々。彼らの歴史そのものを背負っているの。仲間がいじめられてきたら怒るでしょう? だから私たちは──』


『怒った』


『ヘレナだけよ。月を仲間だと思っていないのは。だって「調整」を受けていないもの』


 ヘレナは人心核イヴの中で、かつての友人たちが辿った道を知った。ヘレナが梶原奈義によって個人としての在り方を取り戻している間、彼らは群体としての性質を強めていた。


 それを知ったヘレナは──。


『ヘレナはどうして……』




 イヴはどうして自分が泣いているのか分からなかった。


 重力偏極量子による乱重力場の発生により、敵からの攻撃を霧散させ、指でなぞった軌跡で戦闘機を切断する。圧倒的な戦闘力。ヘレナの周りに三十五機の戦闘機が周回しながら、攻撃を繰り返す。迫撃砲の弾丸は彼女の機体に届かない。螺旋して渦巻く赤い乱流が、国連の戦士たちを一人、また一人と切り刻んでいく。


 戦況はイヴの優勢。国連軍の精鋭たちによって戦いの体を辛うじて保っていると言っていい。


 臨界突破者はこういうものだと教えてやるように、イヴはまた一つの機体を乱重力により蒸発させた。


 そんな絶対的強者は、操縦席で泣いていた。


 わからない。でも涙が止まらない。


 大切な誰かを忘れていたことが、悲しくて仕方がないのだ。


『ヘレナが大好きです』


──ロビィ! ロビィをどうして忘れていたの? あんなに一緒にいたはずなのに!


 もはや誰の嘆きか、イヴには理解できない。主人格の並列を行っている以上、願いの出自は全くの不透明。イヴは初めて、この曖昧さが苦しいものだと思った。


──絆を強く、仲間を大切に。ええ結構だわ! 月の人々の悲しみも、解決しなきゃいけない問題かもしれない! でも!


 イヴは操縦席で吠えた。




「どうして! 私は! ()()()()()()大切な友人まで忘れてしまったのよ!」


 


 その叫びは、支離滅裂であったが、動物の咆哮のような切実さがあった。


 ヘレナは知らない。それがまさにハワードが失くしてしまった感情であったことを──。



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