開戦
紀村ナハトはこの日、自身の運命と直面した。
◆
月面防衛戦線による宣戦布告では、国連からの回答を待つ期間を一月と定めていた。要求は月を国家として認め、その資源の所有権は月国家にあると明言させること。それは多くの月面民が夢見た願い。宇宙開拓史初期から綿々と続く怨念めいた望みだった。
約束の一か月まではあと、二週間はある。だから、紀村ナハトは急ピッチで戦いの準備を進めていた。
フェンへの接触。<ハワードたち>の収集。そして──国連軍への軍備支援。
軌道エレベーターの封鎖が1週間という短いスパンで完了したのは、ナハトの情報工作によるところが大きい。各企業のシステムを操り、電子書類による承認を無理やりパスさせた。地味だが、大勢の人間を移動させるには効果的な手法だ。大群を操るときは、心情に作用させるプロパガンダを示すよりもシステムを改変させた方が、速攻性がある。
ナハトとアルバとしては国連軍に何としても勝利してもらわなければならない。
故に、手段は選ばない。
「<コンバーター>……梶原奈義専用機。悪いが出番はなさそうだ」
「それは何故?」フェンは訝しげにナハトを見た。
「お前は梶原奈義を引っ張ってこれるのか? これだけのことが既に起きているのにも関わらず、姿すら見せない正義の味方に期待するのか? 表舞台に出られない理由があるんじゃないのか?」
「…………確かに、梶原奈義は今は出撃できません。ただハワードを殺せば話は別です」
「ハワードと梶原奈義に関係があるのか?」
「推測くらいはしているでしょう? 二人の共通点を」
ナハトはハワード・フィッシャーから非人間であることを言い当てられた。そして、15年前梶原奈義に殺されたオルガの記憶を引き継いでいる。
「……読心能力か?」
フェンは遠い彼方を見るような瞳で機体を仰いだ。
「そうです。ハワード・フィッシャーと梶原奈義は読心能力を持っている。謎の多い力です。重力偏極量子が関わっている、そんな切り口で研究が行われましたが、未だ不明。しかし、彼らは戦場で出会ってしまったのですよ。あの、月の戦争で」
「読心能力者同士の対話、か」
「私たちには決して理解の及ばない現象です。ただ、それが完全無欠の決戦兵器に致命的な亀裂を入れた。心と心。二つがぶつかり合ったという事実は、決して友情や隣人愛などを生まなかった。この宇宙で最も他人を理解するということに長けた二人は、決定的に理解し合えなかった」
フェンは深呼吸をした。
「……彼女は戦えなくなってしまったのですよ。ハワードの心に触れて、彼女は壊れてしまった」
「……!!」
「ゆえに、ハワードが邪魔なのです。あの怪人がいる限り、宇宙の抑止力は復活し得ない」
「バカな……」
「だから貴方、紀村ナハトの力が必要なのです。心を持たない機械仕掛けの寄生虫、人心核である貴方の頭脳が」
「俺の考えだと……イヴの捕獲とハワードの殺害は順不同だ。だが、お前はハワードの殺害が先だと、言いたいんだな」
「ええ、そうでなければ梶原奈義は出撃できません」
「そうかよ……」
ナハトは笑った。前提が間違っていると言わんばかりの嘲笑を込めて応える。
「イヴの打倒も、ハワードの殺害も俺に任せていろ。資金と弾丸さえ寄越してくれれば、な」
「勝てるというのですか?」
「無論だ」と逆境を鼻で笑う。それはかつて、人の心が理解できなかった一人の科学者の仕草とそっくりだった。
◆
アルバ・ニコライは二日に及ぶ航行を終え、ナハトのいる明龍シャクルトン基地に到着しようとしていた。
ハワード・フィッシャーのクローンたちを集めることに成功した手前、ナハトが弾丸を手に入れてなければ、フェンから強奪する腹積りである。武装は十分。
ナハトは止めようとするだろうが、従う義理はない。アルバとナハトの協力関係は打算の上でしか成り立っていない。ナハトは使えないと判断できれば、捨てるだけのことだ。
アルバは妹を失った今でも、目的意識に燃えていた。
もっぱらの関心事は、弾丸でソフィアを呼び起こせるかどうかである。
イヴの振る舞いや、ナハトの説明で人心核には主人格なる精神の支配者が存在することはわかっている。
弾丸を撃ち込むことで主人格の選び直しが行われ、基本プログラムに応じた「誰か」が支配者となる。
そう、基本プログラム。
人心核の生きる指針は、主人格が持つ願いによって決まる。すなわち、弾丸を撃ち込んだ先でソフィアがイヴの中心に座するためには、ソフィア自身の願いを無視できない。
生前の彼女は何を願っていたか。
どんな人間だったか。
アルバの知る妹は、とても平凡で優しく、家族思いの女の子だった。
父の話と母の料理と、アルバとの遊びが好きな、普通の子。
そんな彼女が願う思いを想像した。
わからない。しかし、狂った科学者でも、虐げられた月の民でもない、幼い少女の細やかな願いが達成困難なはずはない。
それすら聞き入れられない仕組みなら、世界ごと間違っていると断ずる他ない。
極めて下らない心配事。意味のない問答だ。
アルバは自身の勝利を信じていた。
反撃はここからだと、自らを奮い立たせる。
巨大な月が、モニター越しに迫ってくる。白く輝く地表は未だ開拓しきれていない荒涼とした銀世界。小型艦の自動航行モードをオフにして、操縦桿を握った。
そのときだった。
レーダーは此方に熱源を察知した。一瞬鳴り響いたアラート。無所属艦があったことは間違いが、すぐに索敵範囲から離脱されたため、判断はできない。
「……」
アルバは気付かない。それが、妹の精神を内包した怪物が駆る戦闘機だと──。
◆
フェンは<コンバーター>とは別に見せたいものがあった。
格納庫から移動して、ナハトを誘導する。通路に窓はなく、人工の光に眩しく照らされた地下世界を歩く二人。
アーノルドは格納庫に置いてきた。彼は彼で奈義専用機について興味があるようで、整備士と話し込んでいた。
「……」無言で移動する二人。フェンはナハトを一瞥した。
フェンはナハトを信じたというより、その内に宿るオルガ・ブラウンを信じた形になる。ハワードに気取られない超頭脳。それが読心能力者にとっての死神になると考えた。
「これはあくまで調査中ですが、ハワード・フィッシャーには──」
ハワード・フィッシャーが捕らえられない理由は二つ。
月面防衛戦線の実質的な首魁でありながら、リーダーを別にしている。月面防衛戦線はテロリズムに訴えた活動をしていたために、支持者が必要だった。そこには「主張」が不可欠で、月の自治権などが当たる。
しかし、フェンは──ハワード・フィッシャーにとってはそんな主張は全く意味がないと捉えている。
故に、リーダーには「主張」を心から信じることができる別の誰かを据えて、ハワードは技術顧問という立ち位置を得た。
国連はテロ組織の壊滅はリーダーの処刑とイコールだと考え、五年前の戦争で、月面防衛戦線の崩壊を達成した。──した、と勘違いした。
これがハワード・フィッシャーが捕まらない理由の一つ。
そして、もう一つが──。
「ハワード・フィッシャーにはクローンがいる可能性があります。姿がそっくりなスケープゴートです」
「…………」ナハトはなにも言わない。
「ロサンゼルス基地での襲撃も、クローンを利用した電撃作戦だったことは報告があります」
「だから?」
「驚かないのですか?」
「そんなことは既に知っている。クローンの人数は現在八人。その内の六人を実質的に軟禁している」
────!
これにはフェンも驚嘆した。さすがはオルガ・ブラウン。幼少期から人心核を埋め込まれ、脳に馴染んだ理想状態。電子戦の覇者。フェンは、人心核アダムを紀村ナハトに埋め込んだかつての行動を心から自賛した。
「素晴らしい」
「で、見せたいものってのは?」
「こちらです」
二人の前に現れたのは厳重に閉ざされた扉だった。フェンは扉に近づき、網膜認証によってそれを開いた。
静かに広がる視界の先は──薄暗い牢獄のようだった。
そこにいた者は──全身を拘束具で縛られた人物。発言すら許さないマスクから覗く眼は、ナハトが見たことのある澄んだ宝石。
見間違うはずもない。この男は──。
「私が独自に捕獲したクローンの一人、ジョンソン・ガルシアです」
◆
『パイロット認識、梶原ヘレナ。システムオールグリーン。自動操縦機構セットアップ』
イヴは自身しか動かせない玉体、人型戦闘機<マシン>に搭乗していた。初陣を飾るにはうってつけのシチュエーション。敵は既に軌道エレベーターに集結している。
月面防衛戦線のシナリオは既に動き出している。一ヶ月後まで待つと言った宣戦を何の釈明もなく反古にして、イヴは暴力に訴える。
もはや関係ない。
<マシン>の最終チューニングが終わった段階で、出陣することは決まっていた。
これから行われるのは──試験である。多くの戦士を犠牲にした実験である。
神を宿した機体が魅せる新時代の戦争を、地球に叩きつけるのだ。
機体システムは祝詞を歌い上げた。狂信者に習うその言の葉は、絶対の自負を含む殺戮宣言。
『私は神の代弁者。
神とは汝。臨界を越えた汝自身である。
もし神の御霊が私の内部にあるのなら、私は鎧の中でなく、汝の御霊の中にいるのです。
私はより高次元へと汝を誘導する』
<マシン>の目に光が灯る。
「同調率、オーバーハンドレッド」
イヴは、その時、人体模倣の限界を越えた。
「──臨界突破」
小惑星擬態基地から一機の戦闘機が出撃した。
狂信者たちは泣いて喜ぶだろう。
彼らが望んだ神の一片が、ここに顕現する。
────人類二度目の宇宙戦争、開戦。




