決戦の前に(2)
「それが……<母殺し>……」
「君が死にたいと真剣に願った時、ようやくこれは役に立ちます。けれど事情は違うようですね。君は基本プログラムに忠実なようだ」
フェンの双眸はナハトを捉えている。その口ぶりは安心と落胆が同居しているようだった。
「…………どこまで知っている?」
「君のことなら、君以上に知っています。オルガ・ブラウンの遺言を聞いたのは、私とノイマンだけですから」
「ヘレナは明龍から情報を得て、俺の正体にたどり着いた。先生を俺が作ったことも……。それもあんたが教えたことなのか?」
「ええ。正確には私がルイス・キャルヴィン博士に情報を伝え、彼女が梶原ヘレナに伝えたのですがね」
ナハトはルイス・キャルヴィンという女性を情報として知っていた。二十年前に梶原奈義によってオルガが殺された、人体模倣研究所での出来事。その登場人物の一人──そしてオルガのかつての部下である、らしい。
その人物が現在明龍にいることは不思議ではない。梶原奈義が人体模倣研究所から明龍に移ったことは、ルイス・キャルヴィンが現在明龍に在籍していることと無関係ではないだろう。
「ヘレナに人体模倣研究所へ向かわせたのもあんたか」
「……ええ、人心核の捜索が目的でした。そして見つかりました」
フェンはナハトを指差した。
「なぜ、人心核を探そうと思った」
「オルガ・ブラウンの知恵が欲しかったのですよ。現状、この宇宙は詰んでいる。ハワード・フィッシャーを倒せる人間はこの世にいない。そう、梶原奈義で墜とせない敵に──自身のクローンで身を隠すテロリストに太刀打ちする術はありません。だから、人間でない者の力が必要になります」
「それは……どっちだ?」
「どういう意味ですか?」
「明龍としての意見か、それとも狂信者としての意見か」
「誤解しているようですね。私は<キューティー>の投資者であるが、信者ではない。ヒューマテクニカ社が扱いきれなかった危険人物たちの受け入れ先となっただけ。そう、私自身、人体模倣を司る神の存在など、どうでもいい」
「じゃあ、どうして」
「狂信者と利害が一致したからですよ」
フェンはソファから立ち上がり、おもむろに壁へと歩いた。埋め込み式の棚から霧吹きを手に取り、花壇の植物に水を吹きかけた。手慣れた作業。日常の一環として、フェンは続けて言った。
「私の願いは、恒久的な世界平和にあります」
「はあ?」と声が出てしまったナハト。
「ふふふ、大真面目なんですがね……」フェンは頬を掻いた。
「世界平和を願うんだったら、ボランティア活動でもして発信したほうが効果的だと思うけどな。きれいごとは人数が合わさって初めて意味を持つ……。その方が……現実的だ」
「人心核が人の心の動きを説きますか。面白い」
「……大衆の反応はあくまで平均的だからな……。経済は、平均的な心の動きを間接的に数値で表現したものだ。コンピューターでも扱える」
「思ったより謙虚ですね、紀村ナハト。オルガ・ブラウンなら全て予測していたと思わせて言わず、そして篭に囚われた虫を見る目でこちらを窺うというのに」
「あんたは謙虚ではないな。世界平和、身の丈を超えているんじゃないか?」
嘲るように聞いたものの、ナハトは目の前の老人の発言が道化であるとは切り捨てられなかった。
「……ええ、傲慢ですよ。矛盾も承知。ただ、数多のアーティストが主張した、争いのない世界という夢に説得力はありましたか? 人工知能の革新を経てもなお、人類は機械と戦争などせず、機械を使って人類同士で殺し合っている」
「別にあんたの理想には興味ないが……」
「武力による戦争は、武力でのみ止めることができる。明龍は世界の警察になろうと試みているのです」
「国連軍との違いが分からないな」
「彼らは結局、ヒューマテクニカ社という兵器メーカーとの関係を断ち切れません。人類の宇宙進出を掲げたAFN計画は戦争の火種であり、国連が撒いたものです。彼らの行動は大きな流れを見れば、マッチポンプでしかないのです」
「AFN計画の背景は、化石燃料の枯渇だ。国連が原因だと決めつけるのは……簡単だな」
「言ったでしょう? 矛盾も承知だと」
「……!」
ナハトは目の前の男の本質を知ったような気がした。
──要するに。
「あんた……もしかして、代替案がないのか……?」
「ええ、ただ、生理的な戦争嫌いです」
「はははははははは! こりゃ滑稽だ! 矛盾も承知だ? あんたはあれは駄目、これは無駄だと、現状を否定して、もっとマシなシステムも提案せずに、武力を振るいたいだけか!」
「……」
「ただの潔癖症だろ、あんた。いい年にもなって、本気の本気で正義の味方になろうとしている。正義の軍隊、明龍は実は利権が絡んだ腐敗組織であった。その方がまだ冗談で済んだ。あんたは違うんだな」
「そう、ノイマンにも言われましたよ。お前は馬鹿だと」
「その通り過ぎてなにも言えないな。お前は独善的でちょっとお利巧なテロリストだ」
「……」
ナハトは、フェンという男が少年のまま大きくなってしまった、力をもってしまった未熟者に思えてならない。この部屋は、本物の植物が植えられている。地球の建物の内装を模した空間。──なるほど、これは重度の潔癖症だ。
「確かに、あんたに梶原奈義が付き従っていることも納得できるな」
──人体模倣研究所での事件で、オルガは奈義の潔癖症に殺された。「人体模倣を許さない」というたった一つのこだわりだけで、オルガは模倣を暴かれた。
「そう、梶原奈義です」
「……?」
「元々の話題、私と狂信者たちの利害が一致していたという話です。私は武力による世界平和を実現したい。狂信者たちは臨界突破者の全力が見たい。これは梶原奈義を明龍に置くことで同時に実現できる」
「つまり、<キューティー>たちの技術で強くなった梶原奈義で平和活動をするってことか?」
「ええ」
「本当に、どいつもこいつも狂っているな」
◆
──狂っている。
紀村ナハトとフェン・シェンイェンの会話に同席していたアーノルドは、終始一言も発しなかったが、もちろん何も考えていなかったわけではない。
明龍に所属していながら、その創始者の思想に頓着してこなかった自分を恥じた。自分は何のために戦争屋として在ったのか、何を期待されて活動していたのか、今、きちんと理解したのだ。
感想は率直。フェンという男は狂っている。ノイマン博士も同じく狂気に飲まれていたが、彼は、彼らは、新量子の発見がきっかけでおかしくなった。ある意味被害者ともとれる。
だが、フェンはどうだ。この男は狂うに値する過去があったというのか。
──きっとない。
アーノルドはそう直感した。
なぜなら、願いがありきたりだからだ。平和な世界であってほしいなんて誰もが希望する、普遍的な常套句だ。そう思う機会なら、フェン以外の多くの人にだってあっただろう。けれど、その中でフェンだけが本気にした。実行しようと決意し、実行した。
純粋さを気持ち悪いと思ったことは初めてだった。
イノセンスは無知と同義であると、考えていた。違ったのだ。この男は無知ではない。矛盾を理解しながら、イノセンスを貫いている。
──ナハトは、梶原中尉とフェンは相性がいいと言ったけれど、僕はそうは思わない。
梶原奈義とフェン・シェンイェンは決定的に歩み寄れない壁があると感じた。
──フェンは、きっと夢を諦めたときに死ぬんだろうな。
道具は目的を持ち、人は持たない。目的を失った時、道具は死ぬ。存在意義の喪失は、死を意味する。ゆえに人は死なない。そう言っていた梶原奈義を思い出した。
その言葉の意味は今でもよく理解できないけれど、フェンの瞳に静かに燃える「目的意識」を、梶原奈義はきっと否定するはずだ。
ハワード・フィッシャーが梶原奈義を欲しているなら、フェンもハワードも、<キューティー>も本質として変わらない。
あの心の弱い戦士を、どう定義するか──それが世界の行く末を左右することになる。
アーノルドは、宇宙に渦巻く身勝手な願望の数々に頭痛がした。
◆
「俺は、弾丸をあんたから貰いにきた」
フェン自身の目的には、極論興味がない。このまま話を聞き続けても埒が明かないと判断した。
「……何に使うのですか?」
不思議そうにフェンは首を傾げた。
「これは不死身の人心核を殺す道具です。あなたにとっての使い道なんて、自殺しかないでしょう?」
「人心核はもう一つある」
「……イヴですね。聞いた話によると、ソレはすでに臨界突破に至っています。<母殺し>を使う以前に、戦闘機に乗られてしまえば、役に立ちません。誰も勝てませんから」
「それでもやるんだよ」
「……考えはあるのですね」
フェンは、それよりも──と、指を立て質問した。
「どうして人心核イヴを殺したいのですか?」
──なるほど。
ナハトは妙に納得した。世界平和を願う明龍のリーダーは、手から離れた戦士に固執しないらしい。個に拘泥するより、見ている目的は大きいから。
「今、イヴは梶原ヘレナの中にある」
「……だから?」
「助ける」
「なぜ?」
「……はは、あんたには理解できないだろうよ」
「ふむ……」とフェンは立ち上がった。
「付いて来てください」
◆
「宇宙はいいです。戦闘機開発に適しています」
装飾のない長い廊下。フェンはナハトの先を歩く。付き添いで後ろから追うアーノルド。アーノルドの記憶だとこの通路の先は、戦闘機格納庫だった。そこでは明龍の技術課が文字通り日夜なく開発を行っている。
「低重力環境は、建造物に負荷をかけずに戦闘機を固定できるから、多少無茶な作業が安全にできるメリットがあるんですよ。地球では三日かかる工程も、半分の作業員数であっても一日で施工できます」
「……もったいぶらずに言え。この先になにがある」
「そろそろ着きますよ」
フェンは電動ラダーに手をかけて上昇した。ナハト達もそれに続く。
掴んで登るその先は、強い光に包まれていた。ナハトは眩しさに目を閉じた。
そして開くと──。
一機の人型戦闘機があった。
白いカラーリングの装甲が流線形を描いている。関節部には駆動軸などの機械は見受けられない。全て皮膚のように全身を覆う外装は、有機的な印象を持たせる。前頭部は丸く、後頭部にかけて鋭角を描いているフォルム。
その生物のような全景は、まるで──。
「人間……?」
ナハトは一目見て、現代の戦闘機の系統から離れた独自のコンセプトで開発された機体だと確信した。
背中には大きな突起を背負っており、見ただけではどんな役割の装置か判別がつかなかった。燃料タンクが存在しないことから飛行ユニットではないことだけはわかった。
「これは、梶原奈義が乗るための機体です。彼女しか動かせません」
「……!」
「<キューティー>の目標は先ほども言った通り、梶原奈義の全力を拝むこと。そして彼らは科学者集団です。彼らは梶原奈義を宿す、偶像を作り上げたのですよ」
「これが……」
「なぜ神は人の型をしているか、考えたことはあるか。狂信者はそう問います。それが彼らのキーワードだからです」
「これが、奴らの言う神の型か」
「ええ、神は人を模倣して描かれたのではない。神は自らを模倣して人を作ったのだ。そんな荒唐無稽な考えが生み出した、梶原奈義専用の戦闘機。臨界突破者でしか操れない決戦兵器です」
「じゃあ、背中の突起は──」
「察しがいいですね。そう、重力偏極量子発生炉です。この機体は<神の代弁者>を操ります。あなたもハワードが開発した機体SE-Xを見たでしょう。地球では量子を大気中に安定化させるためにマイクロマシンを媒介としていましたが、それは熱に弱いという欠点があった」
「大気のない宇宙ではマイクロマシンに頼ることなく、量子を使えるというわけか」
「その通り。ハワードは<神の代弁者>発生炉を独自に開発しましたが、専売特許はこちらにあります。なにせ、量子発見者のノイマン博士が作り上げた機体ですから」
「どうして俺にこれを見せた?」
「あなたはイヴに勝つつもりなのでしょう? あなたが真に欲しがるべきは、弾丸よりも先に、梶原奈義と──この戦闘機のはずです」
「……で?」
「協力関係を築きましょう。我々には人心核アダムの、ハワードに読み取られない頭脳が必要です」
「そうか……。あんたは人心核をそういうものだと考えているのか」
読心能力者の天敵、人心核。心を持たない怪物が、読心の怪人に対して牙を向けることができる、と。
「時は近い。軌道エレベーターへの襲撃まで時間がありません」
「弾丸は寄越せ」
「ええ、協力して頂けるなら」
ナハトは梶原奈義のみが操れる玉体を見上げた。戦闘力を宿しているというより、人の身体がそのまま大きくなったような──アンドロイドと言った方が適していると感じた。
「戦闘機の名前は──<コンバーター>。意味は、狂信者が信仰した神の正体です」




