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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
三. 反撃開始
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決戦の前に

「思ったより、早かったな」


 ナハトは移動用モジュールの車窓から外の都市を眺めて言った。街の明かりは前よりも少なくなった。広告で溢れる繁華街の風景は静まりを見せ、宇宙が元来持つ星々の輝きが主張を強くする。月面都市は屋根がある。強化液晶内壁により覆われた偽物の宙は、夜になると透明になり、宇宙そのものを露わにする仕組みだ。


 公共交通機関だけは動いているが、普段の賑わいはない。すなわち、この時分に活動している者たちは真っ当な背景を持っていないことを示している。


 だから、彼らも──紀村ナハトとアーノルド・パーマーも例外ではない。


 ナハトは犯罪者で、アーノルドは超法規組織の一員だ。


「状況が状況ですからね」


 アーノルドがナハトに協力すると決断してから、わずか一週間。事態は一変したと言っていい。


 月面防衛戦線による地球、国際連合に向けた宣戦布告。月は現在、公式的に戦争状態ある。おそらく戦場は軌道エレベーター<ビーンストーク>となるが、同じく宇宙生活圏である月も無関係ではない。


 <ビーンストーク>にあった物資や人の移動が急ピッチで行われ、戦闘機を含めた軍事物資が集まっている。月とエレベーター・ターミナルとの輸送船の往来は日夜休まることがない。


 思えば、月面防衛戦線は合理的な手順を踏んでいる。<神の代弁者>搭載兵器の試験運用を、軍事衛星<マルス>の破壊で行ったこと。本来、軍事衛星は軌道エレベーターを守護する役割を担っていた以上、エレベーター襲撃の前段で<マルス>を無力化する意味は大きい。


 五年前の戦争が彷彿とされる緊張感。宙は今、そこら中が火薬庫のような状態だ。


『シャクルトン35番街に到着します。お降りになる際はお忘れ物のないよう──』


 モジュール内のアナウンスが響く。彼らの目的地は近い。


「まさか、これほど早く、フェンに会えるとはな」


 ナハトは席を立ちあがった。



        ◆


 

 紀村ナハトとアルバ・ニコライの一つ目の目的は、狂信者と接触し、<母殺し>なる弾丸を手に入れることだ。狂信者のトップの二人をエーリッヒ・ノイマンとフェン・シェンイェンと特定したナハトは、その内の片方、フェンと交渉するため、アーノルドを仲介役に選んだ。


 明龍の組織は、情報部門、実行部門、技術部門に分かれており、アーノルドは最も組織全体を見渡せる情報部門に属している点、そして奇しくもノイマンから話を持ち掛けられていた点で、ナハトはアーノルドを拉致した。


 そして、ナハトは遂に、フェンと対面することとなる。


 アーノルドが秘密裏に明龍の中枢に働きかけたところ、フェンは驚くほどあっさりとナハトとの対面を承諾した。


 それが、月面防衛戦線の宣戦布告とタイミングが重なったことが幸いしたのだろう。切迫した問題に協力して対処しようとする狙いが、フェンにはあるのかもしれない。


 なにせ、明龍は正義の軍隊だ。世界の敵が再び息を吹き返した現状を憂いていないはずがない。


 ナハトとしては是非とも利用したいと、考えている。


「ここは元々、洞窟だったらしい。切削のコストが低いことから、都市建造地に選ばれた」


 ゆっくりとエレベーターで下る二人。窓のない空間は、工業地帯ではよくあることで、デザイン性の欠如した施設が続いている。


 明龍は本拠地を持たない。ネットワークの発達により、一か所にオフィスを構える必要のない現代では、合理的だ。シャクルトンにある明龍基地も、指令機能を持つ支部の一つに過ぎない。実際、フェンは一か所に留まることはなく、月と地球を行き来しているらしい。


 だから、今回対面できる機会が得られたことは、運がいい。もし、月面防衛戦線の宣戦布告時にフェンが地球にいた場合、<ビーンストーク>が封鎖され、お互い生身で接触することはできなかっただろう。


 ナハトの目的はあくまで弾丸を手に入れること。


 現物を触り持ち帰ることで達成される目標だ。


「着いたよ」自動ドアが無音で開いた。


 アーノルドに案内され、明龍の軍事基地に入る。


 長い通路を歩く。弱い重力。進む二人の足取りは地球のそれより速くなる。


 元、明龍の末端工作員。小悪党、紀村ナハトは──組織の心臓と相まみえる。



        ◆



 月面防衛戦線が発信した放送の声の主をナハトは知っていた。


 あの組織はリーダーを表立って設けない。現在は実質ハワード・フィッシャーが全権を握っていることは間違いないが、それは公表されていない。


 月面防衛戦線は、宇宙移民が受けてきた迫害から自由を叫ぶことを大義としている。そのため、月市民からの支持は厚く、戦線はそれを存分に利用している。


 いわば、曲がり形にもレジスタンス的であるのだ。誰か強いカリスマを据えてしまうと、簡単に狙われ、処刑されてしまう。


 そのリスクを避けた組織体制が、現在の月面防衛戦線である。


 元々は、ハワードやイヴ以外にも大勢の戦士がいたが、彼らは五年前の戦争で国連軍に墜とされ、捕らえられ、処刑された。


 今回の宣戦布告は、月面防衛戦線の誰か個人が代表して発したものではない。

 

 声の主は名乗らなかったからだ。


 電子的な加工はあれど、女性の声であることはわかっただろう。しかし、それだけ。世界中のほとんどが、誰が地球に対して呪詛を述べたか知らない。


──あれは、ヘレナだ。


 ナハトは確信していた。あれはイヴに侵食された彼女だと。間違えるはずがない。


 ナハトに生きる中身をくれた、戦う理由をくれた彼女に他ならない。


 引き返せない理由を内心で確認して、ナハトは通路の最後の扉をくぐった。



        ◆



 部屋からは、懐かしい土の香りがした。


 中央に向かい合うソファーがあり、その間にガラスのテーブルがある。地球にある建物の応接間を模しているのだろう。月ではめったに見かけない植物が、部屋の淵を囲う花壇に植えられている。人の背丈ほどある木が等間隔に並び、花を咲かせている。照明はやけに強く、植物の生長を促進する目的があるのだろう。


 ソファに先に座っていた男が、ナハトとアーノルドの訪問に気が付き、こちらを向いた。


「やあ、君が例の……」


 落ち着いた低い声。ワイシャツ姿の男は立ち上がった。


「……」


 ナハトの眼の前に立ち、手を差し出した。


「私は、フェン・シェンイェン。明龍のリーダーです」


 目の細く、顎のえらが特徴的。アジア人特有の英語の発音。ナハトは毅然とした態度で握手に応じた。


「俺は紀村ナハト」


 フェンは笑った。


「いや、君はオルガ・ブラウンです」


「……あんたは、狂信者の親玉だ」


「自己紹介する前にお互い中途半端に知ってしまっているようですね。ここからは偏見なく、話し合いをしましょう」


「それができれば一番いいな」


 皮肉のつもりでナハトは言ったが、フェンには通じないようで、「座って」と気にしていない風に、ナハトとアーノルドをソファへと促した。


 ナハトと向かい合うフェン。アーノルドはフェンの隣に座った。そう、本来はそんな関係性だ。


 あくまでアーノルドは明龍側。ここまでの案内役に過ぎない。


「何か飲みますか?」


 まるで客人をもてなすように、ナハトに聞いた。


「いらない」


「そう気を張らなくてもいいですよ。ビジネス的な関係に終始したいのでしょう? わきまえていますよ、それくらい」


「単刀直入に聞く──」ナハトがそう切り出したとき、フェンは素早く、掌で制した。


「駄目です」


「……」


「世間話をしましょう。焦らないで」


「どういうつもりだ」


「……紀村ナハト。オルガ・ブラウンの生まれ変わり。人心核アダムの担い手」


「……」


「君は、オルガ・ブラウンをどう思いますか?」


「どうって……」質問の真意が分からず、ナハトは聞き返した。


「確かに君に人心核を植え付けたのは、我々<キューティー>です。しかし、それはオルガ・ブラウンの遺言に従っただけと言っていい。そこに特別な思惑はありません。君が被る羽目になった様々な困難の、最も根本的な原因は彼、オルガにあるはずです」


 ナハトはその言葉を否定できない。事実である。


「君としてはその身勝手な計画に巻き込まれたと、考えられます。どうですか? 紀村ナハト君、オルガ・ブラウンを憎みますか?」


 オルガ・ブラウンを憎むか。という短い問に、ナハトは答えられない。それは「オルガ」を指す存在が少なくとも、「生前のオルガ」「人心核アダムとしてのオルガ」「先生」と意味合いを一つに絞れないから──ではない。


 ナハト自身、オルガ・ブラウンを知らないからだ。


 あの超越的な科学者が、何を考えて人心核を生み出したのか、それを知らない。


「憎いかどうかは、まだ判断できる段階じゃない。ただ、もし人心核がなかったらというイフに縋るつもりはない」


「随分前向きですね。安心しました」


 フェンはポケットをまさぐり、木彫りのケースを取り出した。テーブルに置いたそれを指さして──。


「てっきり私は、君が死ににきたのだと思っていましたから。生きろと説得するのは骨が折れそうだなと、心配していたのですよ」


 フェンは笑った。


 死にに来たとは、どういう意味かと考えた。そしてナハトはすぐに察した。


──こいつは、俺に人心核アダムを植え付けた組織のトップ。なら、俺の基本プログラムを知っている……。


「<生存>。それが()()()()()のはずです。君は自ら死を選べない。だから、()に頼ろうとしたとか──そう思っていたのですよ」


「まさか」


 フェンはケースを婚約指輪を扱うようにゆっくりを開いた。




「弾丸、<母殺し(マザー・ファッカー)>です。<神の代弁者(プロフェット)>を高濃度に凝縮させ、ある種の規則性を与えた分子結晶の、注射器みたいなものですかね」




 

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