拒絶は真なる苦痛
六分儀学は、昼間のほとんどをコックピットの中で過ごした。
今日、彼に課せられた演習は、最新の操縦補助機構のテストだった。他のテストパイロットとも合同で演習は行われたが、梶原奈義がいない今日、彼はだれよりも自由に空を駆けていた。
もともと彼は操縦補助機構に頼らないパイロットであった一方で、演習で試した機構は思いのほか、彼に馴染んだ。
キャルヴィン博士曰く、テストされた操縦補助機構は、梶原奈義の操縦をもとに作られたものらしい。飛行ユニットの扱いがほぼ自動化され、平均で7%の推進剤節約が達成されたという。
「通りで使いやすいわけだ」
学と奈義の操縦テクニックは同様の出自を経ている。
学が初めに習得した操縦補助を受けない操縦法。それを奈義が吸収することで彼らの基本動作は同じ精度と速さを誇る。
――でも、実戦じゃ梶原には勝てない。勝てていない。
演習を終えた彼はパイロットスーツのまま、モニター室にいるルイスの元へ来ていた。
「勘違いしないの。あなたはテストパイロットとして雇われているのであって、梶原さんを超えるためにいるのではないわ」
ルイスはたしなめるように、回転椅子を彼の方へ向けた。
部屋はエアコンの効きがよく、明かりも少ない。
感情の入り込む余地のない無機質さがあった。
「諦めろというんですか?」
「目的がおかしいと言っているのよ」
モニターには、まだ演習場に残っている機体が、テストを続けていた。その動きを見ると、どうしても遅く見えてしまう。
――それじゃあ梶原は満足しない。
学の持っている理想は、光が強すぎて自らの眼をくらませていた。
「私たちの研究グループに要求されていることは、一人の最強の戦士を作り上げることではなく、だれが乗っても最強のパフォーマンスを発揮できる操縦補助機構を作ることなの。だから、彼女一人いても、研究は進まない。彼女をもとに作ったソフトを、あなたをはじめとする他のパイロットが使うことで、性能を確かめているの。あなたは梶原さんじゃない。それでも私たちには、六分儀くん、あなたが必要よ」
ルイスの言葉が彼へ残酷に響いた。
誰も学を梶原奈義に勝てるものとみていない。
彼女を動かす歯車の一部であると、言い渡されたようだった。
「……じゃあ、作ったソフトで俺を強くしてください。梶原に勝てるくらい」
アシストを必要としない学自身がその提案はナンセンスだと知っていたから、言った後のむなしさはそのまま自分に突き刺さる。
「それができたら、すごいわね」ルイスは、夢物語を壊さないように、やさしく笑った。
◆
パイロットスーツを脱ぎ、シャワーを浴びる。
降り注ぐお湯に悔しさがにじむ。
学の頭の中は常に梶原奈義でいっぱいだった。
高すぎる目標は、彼に唯一残された前向きさまで奪ってしまいそうだった。
今に始まったことではないのに、今日はやけに自分が情けなく感じた。
きっと彼女が演習場に来なかったせいだと思った。
彼女がいないことで、見かけ上、自分がナンバーワンになったかのようだった。
その優越感が小さく芽生えたとき、自分自身に反吐が出そうになった。
「どうして、お前は強いんだ……。梶原」
彼女が強くなければよかったと卑怯な「もしも」を想像した。彼女があんなにも強くならなければ学の心はもっと穏やかであっただろう。
能力を羨んだのではない。自分がああなりたいのではない。ただ、最強の彼女に認められたかった。追いつきたかった。
彼女が強さをなくしたら、彼女は学を認めただろうか。
――下らない。
そもそも前提が矛盾していた。彼女が自分以上に強くなったからこそ、それを超える成長を望んだのではなかったか。
そこで、シャワー室の扉がノックされた。振り向くと曇りガラスの向こうに背丈の小さな人がいるようだ。
「入ってます」
「君は、六分儀学君かね」聞きなれない老人の声が、扉越しにくぐもって聞こえた。
どうやらシャワー室ではなく、彼に用があるらしい。
「私の名は、オルガ・ブラウン」
「初めまして。テストパイロットの六分儀学です」
シャワーから上がった学は髪も乾かさないまま、更衣室で見知らぬ老人と握手していた。
先ほどシルエットを見た通り背が小さく、左手に杖をついていた。
キャルヴィン博士よりも一回りは高齢のように見えた。貫禄から見るにおそらく位は高い。
「聞いているよ。相当腕の立つ少年とね。テストパイロットの中で、ナンバーツーらしいじゃないか」
「そう、二番目です」答えた後に歯ぎしりが伴う。
「私は、君たちの研究に投資している者でね。これまでの成果は、君たちテストパイロットの功績も大きいと考えている。感謝を言いたい」
「感謝には及びません。それに自分たちは操縦するだけで、実際に研究しているのは、キャルヴィン博士たちです」
「謙虚だな、少年」老人は、学を品定めするように、目を細めた。
自分は研究の役には立っているようだ。梶原奈義を倒せなくとも、彼の居場所は保証されている。
だから、この闘争心は、彼のエゴそのものだ。それでもあきらめることなど――。
「梶原奈義に勝ちたいんだろう?」
と老人は、唐突にぴしゃりと彼の本質をついてきた。
「……!」
「君は十分に優秀だ。私が保証する。しかし、謙虚な少年よ。本当は梶原奈義に勝ちたいのではないかね」
「それは……」
その通り。どうあっても超えたい壁で、何度叩いても開かない扉で、どんなに漕いでも渡れぬ海だ。
彼に残されたものは、その執念とプライドだけだった。
「勝ちたいです……」奥歯を食いしばった。
渇望は熱になる。
もはや見抜かれた衝動を隠す必要もない。
「俺は……梶原に勝ちたい」
「私は、そんな君を応援している。キャルヴィンは、君に競うなと言ったろうが、君は彼女に勝つべきだ。……これは個人的な感情だが、私はどうもあの娘は好かん」
老人は杖の先を、彼に向けた。
「そのための策を教えよう」
「策?」
「最新の戦闘機を君に貸そう。機体の名前は『ハービィ』。そう我々は読んでいる。ソフトウェア、パイロットの技量で勝てないなら、こうするのが、手っ取り早い。ズルだと思うかね?」
「……」
「心配するな。ハービィを貸すのは一度だけだ。しかし、そこで培った感覚は君の脳に残るだろう。それを大切にとっておくといい。梶原奈義に勝つという感覚を」
「いいんですか? キャルヴィン博士の許可が」
「もう取ってある」
老人は笑う。
「そして、それでも勝てないとわかったとき、とっておきの秘策がある」
その提案は悪魔じみていて、一瞬彼には理解できなかった。
「彼女は君に惚れている。嘘でもいい、愛していると告げなさい。そうすれば、彼女は、もう君とは戦えない」