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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
三. 反撃開始
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幕間 二人の負け犬(2)

 月。


 地球の衛星にして、地軸の守り神。人類が歩む宇宙への道筋にあつらえたように好都合な階段の一段目。


 照効果で立体感を隠した球体は、欠けることなく天にあり、二人の少年を照らしていた。


 夜風は弱く、澄んだ空気を運んでいる。 


「話ってのはなんだ」


 アルバ・ニコライは、屋上のフェンスに背中を預けて、ナハトに言った。


 アルバとナハトの逃走は、三時間にも及び、到着した頃には日は沈んでいた。アルバ・ニコライが使っていた隠れ家。アパートの一室に荷物を置いて、ナハトの傷を手当てした。


 捕虜へのもてなしには贅沢だと思いながらも、紀村ナハトの利用価値を明らかにするまでは無下にはできなかった。


 今日はそのまま休んでしまおうと食事の準備を始めたところ、ナハトから「屋上で話そう」と持ちかけられて今に至る。


「取引しよう」


「…………」


「俺を利用できるか、値踏みしてるんだろう? 知りたいことがあるんだろう? 取引だ。まずはお互いの現状を擦り合わせないと進まないだろ」


「……正直、迷っている。俺はここでお前を殺すこともできるし、罪を擦り付けて逃げることもできる。だから連れてきた」


 アルバは鋭い瞳でナハトを見つめた。


「紀村ナハト、お前は、俺を殺したいだろ」


「……まあ、ね」


「協力関係を築いた後に、俺の背中へ攻撃すればいいとか、思っているだろうが」


「正直に話すことが第一歩だ。認めよう、俺はお前を許していない」


「そこが既に矛盾している。協力するために腹を割って、そこから出る本心が「許していない」のなら、この話はここで終わる。お前は俺に殺される」


「…………協力してほしかったら俺を許せ。さもなくば殺す。と言いたいのか」


「…………」


「ならいいぜ。俺はお前を許さないから、殺して見せろ」


 だがな、とナハトは続けた。





「そうなれば、ハワードはもう誰にも止められない」




──!


 ナハトの言葉には強い確信が込められていた。


「ハワード・フィッシャーは、マトモな人間では太刀打ちできない力を持っている。それこそ、梶原奈義に比類するほど」


「お前ならどうにかできるのかよ! 俺に証明できるのか? ハワードに勝てると。簡単に言ってくれるなよ、俺が何年かけてあいつを葬ろうとしてきたか想像できるか?」

 

「わからない」


「話は終わりだ、出来損ない」


 アルバは、ナハトの元まで歩き、胸ぐらを揺らした。


 それでもナハトは臆さない。正気の沙汰など、あの基地に置いてきた。


「ここで一つはっきりさせよう。



 ハワード・フィッシャーは人の心が読める。



 これは事実だ」


「どうしてそれを……お前は!」


「じゃあ、核弾頭でもぶちこむか? 大量殺戮の末に当たればラッキーで地獄を作るか? 難しいだろうな。それすら読まれていると考えろ」


「お前は……」


「ハワード・フィッシャーは人間には負けない。人間ではやつには届かない」


 読心能力を持つ怪人、人間の天敵でありながら寄り添わんとする歪そのもの。


「だったら、人間じゃない者なら並びうる。心を読まれなければ戦える」 


「お前は…………何者だ!」


「俺は紀村ナハト、人心核アダムを取り込んだ非人間だ」



        ◆


 

 ハワード・フィッシャーは、なぜ自分を見逃したのだろう。ナハトはそれが気掛かりだった。人心核は人間ではないと宣った時点で、自身にとって脅威になると考えなかったのだろうか。


 侮られていたのか、それとも──。

 

 思い出されるのは、人心核を取り込んだヘレナに、ナハトの生殺与奪を与えたこと。ハワード自ら手にかけず、イヴの意思を尊重したことだ。


 希望的な観測にすぎないが、もしも──仮に、人心核イヴを取り込んだヘレナは、人格の統合が完璧に済んでいなかったとしたら? ヘレナの意識がまだ強く、完全に制御できないと判断したら、どうだろう。


 ハワードがナハトを殺すことで起きるイヴの暴走を危惧していたと考えるなら──。


──あの時、ヘレナは泣いていたんだ。


 絶対に助けに来ないで。


 その言葉が置き土産。真意を探るべくもなく、ヘレナはハワードに従いたくないはずだ。


「まだ、望みはある」


 あれだけ辛酸を舐めさせられたのだ。このまま終われるはずがない。


「人心核アダム……?」


「人心核はふたつある」


「お前がそのもう一つだと……?」


「俺はハワードに心が読まれない」


 それが、紀村ナハトという出来損ないが示せる利用価値。アルバに助けた価値があったと思わせるカード。


「……なるほど」アルバは掴んだ胸ぐらをを離した。


「使ってやるよ、人心核アダム。目的は当然、ハワード・フィッシャーの殺害だ」


「ああ」


 ナハトはそれに続くヘレナの救済には言及しなかった。


 個人的な問題だから、ではない。真の目的を明かすことで、不和を避けたかったからだ。


 アルバ・ニコライにも救いたい相手がいて──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、話がまたややこしくなるからだ。


 ここは純粋な復讐鬼を演じることとした。



        ◆

 

 ナハトはアルバにここまでの道のりを話した。


 明龍の工作員として人体模倣研究所の戦闘機データをくすねていたこと。


 ヘレナの協力者として明龍の作戦に協力したこと。明龍は「人心核」を探していたこと。

 

 ヘレナから自らの正体を教えられたこと。オルガ・ブラウンの生まれ変わりとして、彼の生涯の断片を追体験したこと。人心核を操る基本プログラムとマザーのこと。


 能力を使い、六分儀学を呼び寄せたこと。


 そして──国連宙軍ロサンゼルス基地で起きた、敗北と離別のこと。


「ハワードは、肉体を新たにした人心核イヴを共に、戦闘機で離脱した。その後、国連軍に撃ち落されていなければ、まだ健在だろう」


 ナハトは知っている情報のほとんどを話した。これが自分が生き延びる最善策であると確信があった。間違いなくアルバはナハトが必要であると──ハワードに相対するには自分以外ありえないと理解している。


「おそらく生きているだろうな……」アルバはそう言って、ナハトの一連のエピソードに質問した。


「どうして梶原ヘレナはお前の正体を知っていた?」


「明龍情報部から教えられたそうだ」


「では、なぜ明龍は人心核についての情報を持っていた?」


「それは調べないとわからない。俺自身がネットワークに同期すればなにが見つかるかもしれない」


「……俺は、人心核について詳しい組織を知っている」


「……月面防衛戦線……ではないのか?」


「奴らは狂信者<キューティー>と名乗っていた」



        ◆



 協力関係は、情報共有から始まる。


 アルバはナハトを使ってやると言った手前、引き返せなくなっていた。自身のことを話したことなどなかったから、言葉は不足し、時に過剰になる。


 それでもなるべく感情をこめずに、嚇怒を抜き、あたかも凄惨なはずの歴史がまとめられているのに退屈さを帯びる「教科書」のように、言葉を紡いだ。物語を紡いだ。


 アルバ・ニコライの道のりを。


 月で生まれ、戦争を妹と生き延び、ハワードに出会い、復讐を誓ったそのすべてを話した。


 そして時系列は現在までたどり着く。


「俺は、<キューティー>と出会い、人心核を殺す弾丸<母殺し(マザー・ファッカー)>を渡された」


「なんだそれは。殺すというのは……基本プログラムを破綻させるという意味か?」


「渡された時にはなんのことだかわからなかったが、お前の話を聞く限り、おそらくそうだろうな」


「なるほど……その弾丸はまだ残っているのか?」


「もうない、実際にイヴに撃ち込んだ」


「……? だったら、どうしてお前の妹は解放されていないんだ? 基本プログラムの更新で、主人格に選ばれなかったのか?」


「……ハワードは、母殺しが効くより早く、イヴの基本プログラムを破壊して、ソフィアの肉体ごと自害させた」


「…………!」


「ハワードは人心核の仕様を完全に理解している。母殺しの存在も知っていただろう」


「もしくは、お前の心を読んだか、だ」


 そんな問答の中で、生きる屍、アルバ・ニコライの思考は突如として凍り付いた。


──待てよ。






「母殺しがあれば、イヴの中からソフィアの魂を救いあげることができる……?」





 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 アルバの中で、ハワードにも負けないほどの狂気が生まれようとしていた。家族愛を燃料にして、禁忌の炎が燃え上がる。



        ◆



「……!」


 ナハトはアルバからの情報共有で<母殺し(マザー・ファッカー)>なる、人心核の基本プログラムの更新を促す弾丸があることを知った。先ほど仮定した、ヘレナがイヴを完全に受け入れていないならば、という条件。これが真実であった時、ヘレナに撃ち込んだ母殺しは、イヴを内側から食い破るはずだ。


 狂信者たちが持つ、現状の特効薬。人心核に対する必殺兵器。


──母殺しさえあれば……ヘレナを取り戻せる。


 そう確信した矢先、アルバもたどり着く。


 情報を共有した先に待つ当然の帰結。


 一つの肉体から、二人の少女を救いだそうとしているのだから。



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