復讐者たち
夜の帳を裂いて現れた青年は、アーノルドの前に立ち、残る一人の敵と対峙する。
ボディラインに吸いつく黒色の戦闘用スーツに、ライダースジャケットを羽織る彼はまさしく影のようだ。肘にある金属製プロテクターが部屋に入り込む街明かりをわずかに反射する。暴力の世界の使者であることは疑いようもない。現にすでに二人の暗殺者を無力化している手際は、洗練されすぎて機械的ですらあった。
<ドウターズ>と、ノイマン博士は呼んだ謎の兵隊。床に転がる四つの死体を見ると同じ顔をしている。まるで人形のようだ。これも人体模倣の産物だとでも言うのだろうか。アーノルドの頭は、先のノイマン博士の言葉と、現れた暗殺者たちの襲撃に混乱していた。
そして、アルバと名乗った青年はなぜこの場所に現れ、アーノルドを助けるのか。疑問ばかりが乱反射するアーノルドを無視して、敵兵士はアルバへ発砲した。
立ちはだかる異分子を排除しろと、自動命令に従うように、<ドウターズ>の攻撃がアルバを襲う。
アルバは弾丸を視認して、肘を突き出して、プロテクターで弾いた。跳弾の高い音色が響く。
まさに人間離れしている。
アルバは怯むことなく、暗殺者の懐に潜り込んだ。消えたと錯覚するような早業に敵は反応すらできない。
そして──。
踏み込んだアルバと、背中から刃物が生えた敵。どこに隠していたのか、アルバは敵の鳩尾にナイフを差し込んでいた。
そのまま、ナイフを抜くことなく敵の胴体を壁へ蹴り飛ばした。アルバの顔には小さな血液の飛沫が飛んでいた。振り向く彼に、アーノルドは息をのんだ。
登場してから、十秒も経っていない刹那の攻防を制した青年。
アルバ・ニコライは「お前を拉致する」と言った。
◆
明龍の工作員は全世界に七百人程度いる。アーノルドはそのうち四十人程度の管理を担っていた。
世界中の研究機関や軍事施設、あるいはテロ組織にまで潜入した工作員たちは、明龍情報部へとデータを吸い上げ、集めている。
多額の報酬を払っているとはいえ、虚偽の報告をする者や、ダブルスパイを演じる者もいる。明龍に忠誠を誓っているわけではないのだから、当然だ。工作員が失踪し、連絡が取れなくなることもしばしばある。そのために明龍情報部は、データを多角的に精査すると共に、工作員の裏切りに口座の凍結などのペナルティを与える。
それが現在のアーノルドの仕事だ。
正義の軍隊が明龍であるという認識の裏には、多くの裏切りと不誠実と打算が絡み合っている。まともな神経を持ち続ける者は耐えられない泥にまみれた汚れ仕事。
故に、アーノルド自身も、暴力に晒されてあっさりと死を迎えることも覚悟していた。
戦争屋とはそういうもので、綺麗なプロパガンダだけを信じて歩める道ではない。
だから、誰かも分からない暗殺者に狙われることもあるし、見知らぬ青年に捕らえられることも──。
「あってたまるか!」
「なんだ、急に大声出して」
「ええい、うるさい! 何時間移動すればいいんだ!」
「あと少しだ。我慢しろ」
アルバという青年から拉致された彼はどこに行くかもわからない、移動用モジュールに揺られて殺風景な月の砂漠を駆けていた。揺られること八時間。窓のない密閉空間で口数の少ないアルバと過ごす時間は決して楽しいものではない。手足を縛らないだけでも感謝しろとか、嘯く青年。
アーノルドも彼の戦闘力を目の当たりにした手前、おとなしく従っていたが、我慢の限界が来た。
自動運転で進む鉄の箱は、彼らに地面の振動を伝えるばかり。退屈とストレスでアーノルドは彼に聞かざるを得ない。
「どこに向かっているんだ」
「直に分かる」
「答えになってないだろ!」
「……俺たちの拠点だ」
「そこがどこかを聞いているんだ!」
「うるさいな……」とアルバはゆっくりと立ち上がった。
────!?
座るアーノルドの前に立ったアルバは感情のない声音で「殺さず気絶させるのは苦手なんだよな……」と呟いた。
「ちょっと待って! わかった! わかったから! もう聞かない! 暴力は止せよな!」
「ふん」
再び席に戻るアルバ。「このやろー」と小さく漏らしたアーノルドは、口を閉じた。力関係は明白だ。命を狙われているよりはマシだと自分に言い聞かせる時間がまだ続く。緊張で寝付けるわけもなく、空腹感はとうに感じない。
さらに二時間ほど無言のまま経過した後、珍しくアルバが話しかけてきた。
「ノイマン博士から何を聞いた?」
「…………!」
「あいつは何者だった?」
「<キューティー>と名乗っていた。さっぱりわからない。人体模倣が神様の仕業だとか、正気の沙汰じゃない」
「ああいう連中だ。だが、狂っているというのは正しくない。狂わされただけだ。少し知恵のある一般人たちが、オルガ・ブラウンとハワード・フィッシャーに触れたときに見せる正常な反応だ」
「……君はその二人を知っているのか?」
──そもそも、生きているのか……?
「知っている。ああ、知っているさ」
青年の表情に暗い影ができる。どんな経験をしたらあそこまで強くなれるのか、なる必要があるのか。アーノルドには全く想像ができなかった。
「<キューティー>は、所詮は脇役だ。瘴気に充てられた器の小さい一般人たちだ。自分のスケールを超える巨大なものに触れてしまった人間の……当たり前の末路だよ」
「……彼は誰に殺されたんだ。あの暗殺者たちを仕向けたのは誰なんだ」
「ハワード」
「え?」
「ハワード・フィッシャーだ。少し前までは、<キューティー>とハワードはお互いを利用する関係だったが、ハワードは連中を用済みだと判断した。狂信者たちも最終的な目的にハワードは邪魔になると考えている。あいつらは戦争しているんだ」
「……話が全く見えてこない……。ハワード・フィッシャーも、<キューティ>も──叶えたい目的が分からない」
「ハワードは……梶原奈義を捕えたいらしい。その先は知らん。どうでもいい。<キューティー>は、臨界突破者の全力が見たいとか、そんなんらしい」
アルバは興味なさそうに言った。
「つまり……ハワードが梶原奈義を捕えたら、梶原奈義の全力が見れないから<キューティー>はハワードと敵対しているってこと?」
「そんなところだ」
「まだ大事なことを聞いていない」
「なんだ」
「まだ君、いや、君たちの目的を聞いていない。僕を拉致してどうするつもりなんだ?」
「…………俺は」
アルバは、大きく息を吸い込んで、目を閉じた。
「ハワードを殺す」
◆
移動用モジュールに揺られること十三時間。疲弊しきったアーノルドの顔にはうっすらと不精髭が伸びるていた。思考力すら奪われそうになる長距離移動。彼はもはや「なにか食べたい」「シャワーを浴びたい」としか考えられなくなったその頃。
シャッターが閉じるような小さな衝撃が身体を揺らしてはっとなる。
「着いたぞ」とアルバは言った。
「…………どこだ」
ぼんやりとする視界。目をこすって立ち上がると、少しも疲れを見せないアルバがアーノルドを誘導する。
「歩け」
移動用モジュールから降りるとそこは倉庫のようだった。壁にはヒューマテクニカ社のロゴがある。彼らのアジトは借り物らしい。奪ったのか、廃棄になった建物を使っているのか定かではないが、正式な手続きを踏んで構えた住居ではないはずだ。
人気はない。壁を這う配管と取り付けられた計器。暖房機のかすかな音だけが耳鳴りのように絡みつく。静寂がもの恐ろしかった。
「進め」とアルバ。従う他ない。
「君の仲間がいるのか?」
「……」アルバは答えない。青年の背中は背負ったものが多すぎて何を語っているのか不明だ。ここまでたどり着くためになにがあったのか、アーノルドは知りたくない。それはきっと、幸せな物語ではないから。
廊下を突きあたると武骨な扉があった。アルバはカメラに顔を近づけると「承認」され、扉が開いた。
部屋の明かりは弱い。数々のモニターが並び、コードが張り巡らされている。
中央の椅子には誰か座っているようだった。
「連れてきたぞ」アルバは短く言った。仲間と再会したというのに、声は淡白だった。
「……」椅子に座る人物は労いの言葉もなく、椅子を回して振り返った。
頭にヘッドギアをかぶった──少年だろうか。ちょうどアルバと同年代の男性が、いた。
「明龍か」少年はアーノルドを眺めてから、「ようこそ」と言った。
「君は誰だ……?」
たった二人の秘密組織。ハワードを殺すと宣ったアルバの戦友……だろうか。その人物はどこか人間離れした雰囲気で、笑った。
「俺は、紀村ナハト」
不敵な笑みは、諸悪の根源と言えば信じてしまうほど、悪役然としていた。
◆
地球、国連宙軍ロサンゼルス基地での戦いの後、紀村ナハトとアルバ・ニコライは月面にいた。半年間、ハワード・フィッシャーを屠るための爪を研いでいた。
物語の舞台は──月面へ。




